第153話 法的反撃
公会本部の私の執務室は、加盟店の主人たちの怒りと不安で、まるで嵐のようだった。
「このままでは、安心して商売などできません!」
「公会は、我々を守ってくれるのではなかったのですか!」
私は、次々と突きつけられる悲痛な訴えに、一人一人、冷静に対応しようと努めていた。
「落ち着いてください。これは、明らかに組織的な妨害工作です。まずは、全ての被害状況を正確に把握し、対応策を練ります」
そう言って彼らをなだめながらも、私の内心は激しい怒りと、そして、どう対処すべきかという焦りで渦巻いていた。相手は、私の父だ。彼らが法を無視した卑劣な手段で出てくるのなら、こちらも、ただ指をくわえて見ているわけにはいかない。だが、一体、どうすれば。
私が、次の言葉を探して、唇を噛んだ、その時だった。
執務室の扉が、静かに、しかし、有無を言わさぬ気配と共に開かれた。入ってきたのは、執事長のブランドンだった。彼の後ろには、重厚な鎧を身につけた、公爵家の衛兵隊長が控えている。
部屋の空気が、一瞬で凍りついた。
ブランドンは、騒然とする店の主人たちには一瞥もくれず、まっすぐに私の元へと歩み寄ると、静かに、しかし、部屋の全員に聞こえる声で言った。
「奥様、ご報告いたします。街の治安を乱しておりました不審な男たちは、先ほど、全員、公爵家の衛兵により拘束いたしました」
「……え?」
その、あまりにも予想外の報告に、私は言葉を失った。私が、ここで報告を受けている、まさにその裏で、アレスティード公爵家は、すでに、完璧に行動を終えていたのだ。
*
ブランドンの説明によれば、全ては、私の知らないところで、水面下で進んでいた。
アレスティード公爵家が誇る情報網は、街に素性の知れない男たちが複数人、入り込んだ時点で、その動きを完全に捕捉していた。彼らが、それぞれの店で騒ぎを起こすと同時に、待機していた私服の衛兵たちが、音もなく彼らを包囲。そして、男たちが目的を達し、それぞれの潜伏先に戻ろうとしたところを、一網打尽にしたのだという。
その手際の良さは、まるで、熟練の狩人が、罠にかかった獲物を、静かに回収するかのようだった。抵抗する隙も、逃走する時間も、一切与えられなかった男たちは、今頃、公爵家の城の地下にある、尋問室の冷たい石の床の上にいることだろう。
*
それから、一時間も経たないうちに、ブランドンは再び私の執務室へ戻ってきた。その手には、数枚の羊皮紙が握られている。
「尋問の結果が出ましたので、ご報告いたします」
彼は、感情のこもらない、事務的な口調で、その内容を読み上げた。
「拘束した男たちは、全員、王都の裏通りで雇われたごろつきで、ラトクリフ伯爵から金銭を受け取り、その指示に従って、今回の騒動を起こしたと、全員が一致して供述しております。金の受け渡しを証明する物証も、確保済みです」
やはり、父だった。その事実に、私の胸に、怒りとも、悲しみともつかない、冷たい感情が広がっていく。
ブランドンは、淡々と続けた。
「供述内容は、同行した法務官により、全て法的な効力を持つ調書として記録されております。これで、いつでも、ラトクリフ伯爵を、業務妨害及び、名誉毀損の罪で、訴えることが可能です」
彼は、そこまで報告すると、私に視線を向けた。
「つきましては、奥様のお気持ちを」
「その必要はない」
ブランドンの言葉を遮ったのは、彼の背後から聞こえてきた、低く、冷たい声だった。
いつの間にか、アレス様が、執務室の入り口に立っていた。彼は、店の主人たちを下がらせると、部屋に入り、静かに扉を閉めた。執務室には、私と、彼と、そしてブランドンの三人だけが残された。
アレス様は、私の前に立つと、その、一切の感情を映さない灰色の瞳で、私をまっすぐに見据えた。
「レティシア。これは、お前個人の問題ではない」
彼の言葉は、私の心の奥に、わずかに残っていたかもしれない、躊躇いや、甘えといった感情を、完全に、断ち切るものだった。
「これは、アレスティード公爵家が後援する公会に対する、明確な攻撃だ。そして、ひいては、この領地の秩序と、我が家そのものに対する、許されざる挑戦行為に他ならない」
彼は、そこで、一度、言葉を切った。
「従って、こちらも、家として、正式に対応する」
彼は、私に、一切の、私情を挟む余地を与えなかった。これは、血の繋がった家族間の、いざこざなどではない。領地の法を犯した者に対する、統治者としての、当然の裁き。ただ、それだけなのだと、彼の目は、雄弁に語っていた。
私は、何も言わずに、ただ、静かに、頷いた。
アレス様は、私の返事を確認すると、ブランドンに向き直った。
「法務チームを、すぐに、私の書斎へ集めろ。ラトクリフ伯爵家に対し、今回の業務妨害によって生じた、全ての損害に対する、賠償請求訴訟を、即刻、開始する」
「かしこまりました」
ブランドンは、深々と一礼すると、音もなく、部屋を退出していった。




