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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第146話 湯気の立つ教室

 公会設立の認可が下りると、私たちはすぐに動き出した。

 アレス様の指示により、市の中心地区にある、使われなくなって久しい大きな石造りの倉庫が、公会の本部として与えられた。埃っぽく、がらんとしていたその場所は、大工や左官たちの手によって、数週間のうちに、明るく、清潔な空間へと生まれ変わった。

 建物の半分は公会の事務室と小さな書庫に、そして、もう半分は、磨き上げられた石の床が広がる、だだっ広い土間になっていた。そこには、巨大な調理台と、いくつもの竈が新たに設置された。ここは、私たちの革命の拠点であり、未来の職人たちが集い、学ぶための教室となる場所だ。

 準備が整うと、私は街の広場に、第一回講習会の開催を告知する貼り紙を出した。参加資格は問わない。料理人、宿屋の主人、食堂の下働き、あるいは、これから職に就きたいと考えている者。誰でも歓迎すると、そこには記されていた。

 正直、どれだけの人が集まるのか、私には不安があった。しかし、その不安は、講習会の当日、良い意味で裏切られることになる。



 その日の朝、公会本部の土間には、三十人ほどの男女が集まっていた。

 彼らの服装も、年齢も、身分も、様々だった。王都から私を訪ねてきたレオは、緊張した面持ちで、一番前の列に立っている。彼の隣には、街で一番大きな宿屋の厨房で働くという、恰幅のいい女性料理人が腕を組んで座っていた。その後ろには、いつも無口なパン屋の主人、そして、皿洗いや薪割りといった下働きしかしたことのない、まだ十代半ばの少年少女たちが、物珍しそうに、きょろきょろと辺りを見回している。

 彼らの顔に浮かんでいるのは、一様に、緊張と、そして、かすかな希望の色だった。この新しい場所で、一体、何が始まるのか。自分たちの生活は、本当に変わるのだろうか。その期待と不安が入り混じった空気が、広い土間に、静かに満ちていた。

 私は、彼らの前に立ち、深く、一礼した。

「本日は、温食公会、第一回講習会にお集まりいただき、ありがとうございます。講師を務めさせていただきます、レティシアです」

 私の挨拶に、会場は、ざわめきと、戸惑いの視線で満たされた。公爵夫人自らが、直接、教壇に立つとは、誰も、想像していなかったのだろう。

「今日、皆さんと最初に行うのは、全ての料理の基本となる、二つのことです」

 私は、背後に用意された黒板に、チョークで、二つの単語を書き記した。

『衛生管理』

出汁ブイヨン

 その、あまりにも地味で、基本的な言葉に、集まった人々の中から、拍子抜けしたような、小さなざわめきが起こった。彼らは、もっと、特別な、秘伝の調理法のようなものを、期待していたのかもしれない。

 私は、その空気を感じ取りながらも、静かに、言葉を続けた。

「皆さんは、毎日、当たり前のように、調理の前に手を洗い、野菜の皮を剥き、骨や肉を煮込んでいることでしょう。ですが、その、当たり前の作業を、なぜ、そうしなければならないのか、その『理由』を、考えたことはありますか」



 私の講義は、そこから始まった。

 私は、難しい料理の話は、一切しなかった。

 まず、衛生管理について。なぜ、調理の前に、石鹸で手を洗わなければならないのか。それは、私たちの目には見えない、小さな生き物――菌が、病気の原因になるからだと、私は説明した。食材を、低い温度で保存することの重要性。まな板や、布巾を、清潔に保つことの意味。

 次に、出汁について。なぜ、野菜の皮や、切れ端、そして、鳥の骨や、魚の頭を、ただ、水で煮込むだけで、あれほど、深くて、美味しい味のするスープができるのか。私は、食材に含まれる旨味という成分が、熱い湯の中に、ゆっくりと溶け出していく仕組みを、できるだけ、平易な言葉で、解説していった。

 それは、彼らが、これまで、誰からも、教わったことのない知識だった。ただ、親方から「やれ」と言われたからやっていた作業、昔からの慣習として、受け継がれてきただけの行為。その一つ一つに、明確で、科学的な「理由」があることを、彼らは、この日、初めて知ったのだ。

 最初は、半信半疑といった顔で聞いていた彼らの表情が、私の話が進むにつれて、少しずつ、変わっていくのが分かった。驚き、感嘆、そして、知的な興奮。彼らの瞳が、子供のように、輝き始めた。

 一通りの説明を終えると、私は、彼らに、実際に、手を動かすように、促した。

「では、実際に、皆で、出汁を取ってみましょう。ここに、市場から集めてきた、野菜の切れ端や、鳥の骨があります。これを、大きな鍋に入れ、ゆっくりと、火にかけていきます」



 私の指示で、土間は、一気に、活気づいた。

 レオが、率先して、重い鍋を竈まで運び、他の若い男たちが、水を入れた桶を、次々と、運んでくる。女性たちは、調理台の上で、山のような野菜の切れ端を、手際よく、仕分けていった。

 最初は、ぎこちなかった彼らの動きも、共同で作業を進めるうちに、少しずつ、連携が取れていく。あちこちで、指示を出す声や、笑い声が、聞こえ始めた。

 やがて、いくつもの大きな鍋が、竈にかけられ、その中から、白い湯気が、もうもうと、立ち上り始めた。野菜の、甘く、土の香りがする匂い、そして、骨が煮える、香ばしい匂いが、土間全体に、ゆっくりと、満ちていく。

 講習会が終わる頃には、会場は、その温かい湯気と、そして、学ぶことの喜びに、完全に、包まれていた。

 集まった人々は、皆、汗を拭いながらも、その顔に、疲労ではなく、晴れやかな達成感を浮かべていた。彼らは、自分たちの手で作り上げた、黄金色に澄んだスープを、小さな器で、互いに分け合い、その、素朴で深い味わいに、感嘆の声を上げていた。

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