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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第145話 逆転の法的解釈

 アレス様の「結び目を断ち切ればいい」という言葉は、単なる慰めではなかった。

 翌朝、私がまだ山のような書類とにらめっこしていると、彼は公爵家が誇る最高の法律家チームを書斎に招集した。白髪の老練な法務顧問を筆頭に、三人はいずれも王国の法律と判例に精通した、この領地で最も優れた頭脳の持ち主たちだった。

 私は、自分が何週間も行き詰まっていた問題を、彼らに説明した。王都から突きつけられた数々の古い規制、そして、最大の障壁となっている「冷製食品衛生管理法」。私の話を聞き終えた法律家たちの表情は、一様に険しかった。

「これは……悪質ですな。時代錯誤な法律を盾に、計画そのものを頓挫させるのが目的としか思えません」

 法務顧問が、苦々しげに言った。

 その日から、書斎は私の執務室から、法廷闘争のための作戦室へと姿を変えた。私が官僚主義の壁に正面から挑んで疲弊している間、アレス様は、その壁そのものを、内側から崩すための準備を、静かに、しかし、着実に進めていたのだ。

 法律家チームは、オルダス卿が持ち出してきた古い規制の条文を、一つ一つ、徹底的に分析し始めた。書斎の壁際は、埃をかぶった分厚い法典の写しで埋め尽くされ、彼らは昼夜を問わず、その羊皮紙の海に挑み続けた。

 私は、その様子を、ただ見守ることしかできなかった。それは、私の知らない、専門家たちの戦いだった。



 数日が過ぎた、ある日の午後。

 膠着した空気を破ったのは、チームで最も若い法律家の、弾んだ声だった。

「ありました! 閣下、奥様、これかもしれません!」

 彼が指さしたのは、数百年前に制定された、領地の防衛に関する、古い法令の中にある、ごく短い一節だった。それは、あまりにも古く、忘れ去られていたため、誰も気にも留めていなかった、例外規定に関する条文だった。

『――ただし、領地の防衛、及び、軍事活動に直接貢献する団体については、国家の非常時とみなし、領主の直接的な裁量により、一部の勅許手続きを簡略化し、これを認可することができる』

 その条文を読み上げた法務顧問の目が、鋭く光った。

「……なるほど。これは、使えるかもしれん」

 彼は、私とアレス様に向き直った。

「この条文を適用できれば、王都から突きつけられている煩雑な手続きのほとんどを、合法的に、回避することが可能です。問題は、我々の公会が『軍事活動に直接貢献する団体』であると、どう、役所を納得させるかですが」

 その言葉に、私は、はっとした。

 そして、隣に座るアレス様の顔を見た。彼の灰色の瞳もまた、同じ考えに至ったことを物語るように、静かな光を宿していた。

 私たちは、ほとんど、同時に口を開いた。

「公会の設立趣意書を、書き直します」



 その日の夜、私は、アレス様と二人きりで、書斎にいた。

 テーブルの上には、私が最初に書いた、理想に燃えた設立趣意書と、真っ白な新しい羊皮紙が並べられている。

「私たちの公会は、単なる職人の集まりではありません」

 私は、ペンを手に取り、新しい羊皮紙に、力強く、書き始めた。

「その第一の目的は、有事の際における、兵士たちへの食料供給、すなわち兵站を円滑にし、その士気を高く維持するための、後方支援組織とすることにあります」

 私の言葉を、アレス様が引き継いだ。

「温かい食事は、兵士の体温低下を防ぎ、体力を回復させ、負傷からの回復を早める。それは、我が領地の軍事力を、直接的に、強化するものだ。公会は、そのための調理技術を研究し、平時から、その担い手を育成する、準軍事的な組織である」

 私たちの論理は、完璧に、組み上がっていった。

 これは、嘘ではない。事実を、別の角度から光を当て、再定義しているだけだ。王都の役人が、法律という武器で私たちを縛りつけようとするのなら、私たちは、その法律そのものを、私たちの盾とする。

 前世で、クライアントの無理難題に応えるため、何度も企画書を書き直した経験が、今、ここで、生きていた。

 数時間をかけ、私たちは、一分の隙もない、完璧に武装された、新しい設立趣意書を、完成させた。

 それは、もはや、革命の理想を語る文書ではない。冷徹な事実と、揺るぎない論理だけで構築された、法的な要塞だった。



 翌日、私は、その新しい申請書類の束を手に、再び、市の役所を訪れた。

 いつもの、事なかれ主義の担当者は、私が差し出した書類の表題を一瞥すると、怪訝な顔をした。

「『アレスティード領・軍事後方支援公会』……? 奥様、これは、以前の団体とは、別のものですかな」

「いいえ、同じものです。設立の目的を、より、明確にしただけですわ」

 私は、静かに言った。

 担当者は、半信半疑のまま、その書類に目を通し始めた。しかし、読み進めるうちに、彼の顔から、みるみるうちに、血の気が引いていくのが分かった。書類には、彼の反論を、あらかじめ予測したかのように、関連する法令の条文番号が、全て、明記してある。

 そして、あの、忘れ去られていた例外規定の条文を目にした時、彼は、完全に、言葉を失った。

 長い、長い沈黙が流れた。

 彼は、何度も、書類と、分厚い法典の写しを、見比べた。だが、そこに、不備も、矛盾も、一切、見つけ出すことはできない。

 やがて、彼は、観念したように、深いため息をつくと、羽ペンを手に取った。

「……かしこまりました。これより、最終的な認可手続きに入ります」

 数日後、私の手元に、一枚の羊皮紙が届けられた。

 そこには、市の紋章と共に、私たちが設立を申請した公会を、正式に認可するという文言が記され、その末尾には、アレスティード領主としての、アレス様の印が、力強く、押されていた。

 私たちは、勝ったのだ。

 剣や、権力ではなく、知性と、論理の力で。オルダス卿が張り巡らせた、巧妙な法の網を、その網の構造そのものを利用して、見事に、断ち切ってみせた。

 私は、その認可証を、強く握りしめた。

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