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【最強】異世界でも「いい子」はやめます。~まずは契約婚した公爵閣下の胃袋を掴んで、私を虐げた家族は塩漬けにします~  作者: 河合ゆうじ


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第143話 石壁の前のプレゼンテーション

 完璧な設計図が完成しても、それだけでは革命は始まらない。絵に描いた城を現実の石で築き上げるには、何よりもまず、それを支えるための資金と、人の協力が必要不可欠だった。

 公爵家からの出資金だけでは、公会の運営を軌道に乗せるには足りない。この計画を真に領地全体のものとするためには、この地で商売を営む人々、すなわち商人や宿屋の主人たちの理解と出資がどうしても必要だった。

 数日後、私は市の中心にある集会所に立っていた。

 そこには、私が招集した三十名ほどの商人たちが、硬い木の長椅子に座り、腕を組んで私を見つめている。古くから続く宿屋の頑固そうな主人、市場で一番の羽振りをきかせている肉屋の親方、親子三代で食堂を切り盛りしている女将。彼らは皆、この街の経済を実際に動かしている実力者たちだ。

 そして、その視線は一様に、冷たく、鋭かった。新しい公爵夫人が一体何を始めるつもりなのか。自分たちの商売の邪魔をするのではないか。その警戒心と猜疑心が、ホール全体の空気を重く、冷たくしていた。

 私の隣には、護衛として付き添うアレス様と、補佐役のブランドンが控えている。ブランドンは心配そうに、何度も私に視線を送ってきた。大丈夫です、と私は心の中でだけ応え、集まった商人たちに向き直った。

「本日はお集まりいただき、ありがとうございます。アレスティード公爵夫人、レティシアです」

 私は、できるだけ穏やかに、しかし、はっきりとした声で語り始めた。私の言葉は、高い天井に吸い込まれていく。私は、私たちが練り上げた計画の骨子を、一つ一つ、丁寧に説明していった。職人たちの地位の保証、技術の共有、そして品質の認証制度。それらが、いかにして領地全体の利益に繋がるのかを、論理的に、情熱を込めて説いた。

 私の言葉が、彼らの心を少しでも動かすことを信じて。



 しかし、私の期待は、脆くも打ち砕かれた。

 私の説明が、一通り終わった後の、長い沈黙。それを破ったのは、一番前の席に座っていた、宿屋の主人だった。彼は、この街で最も古い宿屋を経営する、誰もが一目置く老人だ。

「……お話は分かりました、奥様。ですが、それは、あまりにも理想論がすぎますな」

 その、しわがれた、しかし、重い声が、会場の空気を支配した。

「我々のような商売人にとってみれば、奥様のお話は、ただ、我々の首を絞めるだけのものにしか聞こえません。最低賃金? 労働時間の上限? そんな甘いことを決めてしまえば、店の経営が立ち行かなくなりますわ」

 その言葉が、口火となった。堰を切ったように、他の商人たちからも、次々と、反対の声が上がり始めた。

「そうだ! そもそも、うちのソースの作り方は、親父の代から誰にも見せたことのない秘伝なんだ。それを、講習会で皆に教えろだと? 馬鹿なことを言わないでいただきたい!」

 そう叫んだのは、街角の食堂の主人だ。

「うちの若い衆に、余計な知恵をつけさせるだけだ。ただでさえ人手が足りないというのに、権利だの何だのと言い出したら、どうするんだ」

「公会に会費を払うくらいなら、その金で新しい鍋の一つでも買った方がましだ!」

 会場は、不満と、反発と、そして、私に対するあからさまな敵意で、完全に、満たされていた。私の言葉は、彼らの、長年の経験と、目先の利益という名の、分厚い石の壁の前で、何の意味も持たなかった。

 私は、必死に反論しようとした。

「お待ちください! それは誤解です。長期的に見れば、従業員の待遇を改善し、技術を向上させることが、必ず、皆様のお店の利益に繋がるのです。私が保証します!」

「保証? 口でなら、何とでも言えますわな!」

 宿屋の主人が、吐き捨てるように言った。

「奥様は、我々のように、毎日、汗水流して働いたこともないお貴族様だ。我々の苦労が、お分かりになるとは、到底、思えませんな」

 その言葉は、鋭い刃物のように、私の胸に突き刺さった。

 違う。私は、誰よりも、働くことの厳しさを、理不尽さを、知っている。だからこそ、この仕組みが必要なのだと、心の底から信じているのに。

 だが、その叫びは、声にはならなかった。

 彼らの、固く閉ざされた表情と、冷え切った視線が、私の全ての言葉を、喉の奥に、押しとどめてしまった。

 結局、その日の会合は、完全な物別れに終わった。

 商人たちは、最後まで、不満の言葉を口々に呟きながら、一人、また一人と、集会所を後にしていく。

 あっという間に、がらんとしたホールには、私とアレス様、そして、悄然と立ち尽くすブランドンの三人だけが、取り残された。

 私の言葉は、誰にも届かなかった。

 あれほど完璧だと思った設計図は、現実の世界では、ただの紙切れ同然だった。

 深い、無力感が、冷たい霧のように、私の心を包み込んでいく。



 公爵家へ戻る馬車の中は、重い沈黙に支配されていた。

 私は、窓の外を流れる街の景色を、ただ、ぼんやりと眺めていた。今日の失敗が、頭の中で、何度も、何度も、繰り返される。何が、いけなかったのだろう。私の説明が、足りなかったのか。私の情熱が、嘘っぽく見えたのか。

 考えれば考えるほど、自信が、指の間から、砂のように、こぼれ落ちていくようだった。

 その時、向かいの席に座っていたアレス様が、静かに、口を開いた。

「落ち込んでいるのか」

 私は、顔を上げることができなかった。ただ、小さく、頷く。

「……私の言葉は、誰にも、響きませんでした」

「そうだろうな」

 彼の、あまりにも、あっさりとした返答に、私は、思わず、顔を上げた。彼の灰色の瞳は、いつもと変わらず、冷静に、私を見つめている。

「言葉だけでは、人は動かん」

 アレス様は、淡々とした口調で、続けた。

「特に、お前が今日、相手にしたような、自分の腕と才覚だけで、長年、商売を続けてきた者たちはな。彼らは、理想や、未来への展望といった、不確かなものでは、決して、動かない」

「では、どうすれば……」

「彼らが必要としているのは、理想ではない。目に見える『利益』だ」

 彼は、そこで、一度、言葉を切った。そして、私の目を、まっすぐに、見据えて言った。

「ならば、それを示せばいい。お前のやり方が、これだけの利益を生むのだと、誰の目にも明らかな、圧倒的な事実として、彼らの目の前に、突きつけてやればいいのだ」

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