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第127話 血筋

 科学で完全に説明できる物理的な現象。

 アルマンと名乗る研究者のその言葉は、嵐が過ぎ去った後の静かな教会に、まるで小さな石が投げ込まれたかのように、私の心に静かな、しかし深い波紋を広げた。

 魔法ではない。奇跡でもない。ただの、現象。

 その考え方は、私のこれまでの漠然とした認識を、根底から覆すものだった。

 私たちは、他の避難者たちの喧騒から少しだけ離れるため、教会の片隅にある、今は使われていない小さな告解室のそばへと移動した。壁に背を預けると、まだ湿気を含んだ石の冷たさが、ドレス越しにじんわりと伝わってくる。

「先ほど、貴女はご自身の力を『温導質』という言葉で呼ばれました。それは、一体どういうものなのでしょうか」

 私は、ずっと胸の内にあった疑問を、単刀直入に彼にぶつけた。

 アルマンは、私の問いを待っていたかのように、落ち着いた口調で説明を始めた。

「温導質とは、アカデミーで使われている学術的な仮称です。文字通り、触れた物質、特に液体の魔力循環を活性化させ、その温度と巡りを整える特異体質を指します。その存在は古くから知られていましたが、発現例が極めて稀なため、本格的な研究はほとんど進んでいませんでした」

 彼の説明は、どこまでも客観的で、無駄がなかった。

「ですが、近年、いくつかの古い文献の解析が進み、一つの有力な学説が提唱されています」

 彼はそこで一度言葉を切り、眼鏡の奥にある灰色の瞳で、私の反応を確かめるように、じっと私を見つめた。

「それは、この温導質という体質が、特定の、ごく限られた古い貴族の血筋にのみ、稀に発現する遺伝的な形質である、というものです」

 血筋。遺伝。

 その言葉が、私の耳に届いた瞬間、心臓のあたりが、きゅうと冷たくなるのを感じた。

 アルマンは、私の内面の変化に気づかないかのように、淡々と続けた。

「いわば、血によって受け継がれる、一種の呪いであり、祝福とも言えるでしょう。失礼を承知でお尋ねしますが、あなたの御実家であるラトクリフ伯爵家の系譜について、何か特別な伝承などは残っていませんか。アカデミーの記録によれば、ラトクリフ家は王国でも有数の古い家系の一つのはずです」

 彼の言葉が、私の頭の中で、不快な音を立てて反響する。

 血筋。生まれ。家系。

 それは、私がこの人生で、ずっと否定し、抗い続けてきた、呪いそのものではなかったか。

 「お前は我慢強いから」「姉なのだから、セシリアのために尽くすのが当たり前でしょう」。そう言って、私から全てを奪っていった家族。彼らが私を縛り付けた、その理不尽な論理の根源。それは、私がその家に「生まれた」という、ただそれだけの事実だった。

 この力が、私の唯一の自由が、その呪いの一部だというのか。

 私が私の意志で選び取り、自分の手で磨き上げてきたはずのこの力が、ただ、そういう血筋に生まれたからというだけの、自動的に与えられたものであったというのか。

 冗談ではない。

 腹の底から、冷たい怒りが、静かに、しかし、激しく、込み上げてくるのを感じた。

「いいえ、違います」

 私の口からこぼれたのは、自分でも驚くほど、低く、そして、きっぱりとした声だった。

 アルマンの眉が、初めて、わずかに動いた。

 私は、彼の灰色の瞳を、まっすぐに見つめ返した。ここで、視線を逸らしてはいけない。この一点だけは、決して、譲ることはできない。

「私のこの力は、血筋などという、過去の遺物から与えられたものではありません」

 私は、一言一句、はっきりと、言葉を区切った。それは、彼に言い聞かせると同時に、私自身に、改めて、宣言するための言葉だった。

「ただ、目の前で凍えている人を、温めたいと願う、私の、意志の力です」

 そうだ。この力は、私がそう「願った」からこそ、ここにあるのだ。

 冷たい食事に苦しむアレス様を、温めてあげたいと願ったから。士気の上がらない兵士たちに、活力を与えたいと願ったから。そして、今、この教会で、寒さと不安に震える人々を、救いたいと、心から、願ったから。

 私のその、あまりにも感情的で、非科学的な反論を、アルマンは、少しも馬鹿にするような素振りを見せなかった。彼は、私の言葉を、まるで貴重な研究データを聞き取るかのように、真摯な瞳で、静かに、受け止めていた。

 数秒の沈黙の後、彼は、ゆっくりと、口を開いた。

「意志、ですか」

 その声には、感心とも、あるいは、単なる好奇心とも取れる、不思議な響きがあった。

「非常に、興味深い仮説だ。感情が魔力循環に与える影響については、アカデミーでもまだ未解明な部分が多い。あなたのその『意志』が、温導質の発現における、何らかのトリガーになっている可能性は、確かに、否定できません」

 しかし、と彼は続けた。その声は、再び、冷徹な科学者のものへと戻っていた。

「ですが夫人、それを、どう、証明するのですか」

 彼の問いは、静かだったが、その分、重く、私の胸に突き刺さった。

「科学とは、観測可能で、再現可能な現象を証明する学問です。あなたの言う『意志』という、目に見えず、数値化することもできないものを、どうやって、客観的な事実として、証明するおつもりですか」

 私は、その問いに、すぐには、答えることができなかった。

 経験と意志を重んじる私と、データと理論を求める彼。私たちの間には、決して敵対的ではないが、しかし、決して交わることのない、明確な断絶が存在していた。

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