第123話 豹公爵の視線
その夜に開かれた公式の晩餐会は、ヴァルモン公爵領の豊かさと洗練を、これ以上なく見せつける場だった。
高い天井から吊るされた水晶のシャンデリアが、銀食器やガラスの器に無数の光を反射させ、広間全体が星屑をちりばめたかのようにきらめいている。楽団が奏でる優雅な弦楽の調べが、招待客たちの楽しげな談笑と軽やかに混じり合っていた。
私たちの席に次々と運ばれてくる料理は、イザベラ様が予告した通り、まさに「芸術品」と呼ぶにふさわしいものだった。
海の幸を宝石のように寄せ集めた冷たい前菜。鳥の姿をかたどった繊細なパイ包み。一口ごとに違う香りが広がる、七種類のハーブを使ったソース。そのどれもが完璧な技術で作られ、寸分の隙もなく美しく盛り付けられている。
私はその見事な料理に素直に感心し、称賛の言葉を口にした。しかし、その華やかな一皿一皿を味わうたびに、昼間に厨房で感じた、あの小さな違和感が、再び胸の奥でかすかに疼いた。美味しい。美しい。だが、温かくはない。それは料理の温度だけの話ではなかった。
*
メインの肉料理が運ばれてきた、その時だった。一人の男が、私たちのテーブルへと、音もなく近づいてきた。
「これは素晴らしい夜ですな。北の堅物殿が、これほど華やかな席におられるとは」
軽やかで、しかし、芯のある声。私は顔を上げた。そこに立っていたのは、昼間に出迎えてくれた、この屋敷の主、ヴァルモン公爵ギヨームその人だった。
彼はアレス様とは全く違うタイプの男だった。人好きのする笑みを絶やさず、その物腰はどこまでも洗練されている。しかし、明るい茶色の瞳の奥には、時折、獲物を見定める肉食獣のような、鋭い光が宿るのを、私は見逃さなかった。
アレス様は、その皮肉めいた挨拶に、顔色一つ変えずに応じた。
「ヴァルモン公爵。お招きに感謝する」
「いやいや、礼には及びません。それにしても」
ギヨーム公爵は、その視線を、まるで舞台の主役を照らすスポットライトのように、私へと、まっすぐに向けた。
「これは驚いた。貴女のような太陽が、なぜ、あの氷の城に閉じ込められているのですかな。実に興味深い」
その言葉は、あからさまな称賛の形をしていた。しかし、その裏には、アレス様に対する明確な挑発が隠されている。
彼は、私がアレスティード領で行った改革を、驚くほど正確に把握していた。保存食の改良、兵舎の食事改善、そして、領民たちの支持を得たこと。彼は、それらを一つ一つ挙げ、私の功績を称えた。
「貴女の噂は、私の耳にも届いておりますよ、レティシア夫人。その手腕、その先見性、そして何より、その温かさ。それらは、この南の地においても、大いに価値があるものだ」
彼の言葉は、巧みだった。私の能力そのものに強い関心を示していることを隠さず、同時に、私という存在が、アレスティード領のような寒々しい場所にはふさわしくないと、暗に示唆している。
私は、ただ、穏やかに微笑んで、その言葉を受け流した。
「お褒めにあずかり光栄ですわ、ヴァルモン公爵閣下。ですが、私の力は、アレスティード領の厳しい冬と、そこに暮らす人々あればこそ、生まれたもの。太陽の輝きも、それを受け止める大地があってこそ、意味を持つのです」
私のその返答に、ギヨーム公爵は、一瞬だけ、目を細めた。そして、次の瞬間には、さらに楽しそうな笑みを浮かべた。
「見事な切り返しだ。ますます、貴女が気に入りました」
そう言うと、彼は、私に、その手袋に包まれた手を差し出した。
「どうか、この私にも、その太陽の温かさに、少しでも触れる栄誉をいただけませんか」
彼が、私の手を取って、その功績を称賛しようとした、その瞬間だった。
今まで沈黙を守っていたアレス様が、動いた。
彼は、無言で、椅子から半分腰を浮かせ、私たちの間に、その体を割り込ませた。その動きには、一切の無駄がなく、まるで精密な機械のようだった。
そして、彼は、ギヨーム公爵に差し出された私の腕を、強く、しかし、決して傷つけないように、掴んだ。
ギヨーム公爵の伸ばされた手が、気まずそうに、宙をさまよう。
広間の喧騒が、一瞬だけ、遠のいたように感じられた。
アレス様は、ギヨーム公爵の目を、まっすぐに見据えたまま、低い、氷のような声で、ただ、一言だけ、告げた。
「私のパートナーが、疲れている」
それだけを言うと、彼は、私の返事を待つこともなく、掴んだ腕を引き、私を椅子から立ち上がらせた。そして、唖然とするギヨーム公爵と、周囲の招待客たちに背を向け、私を伴って、その場を、有無を言わさず、立ち去った。