巨人、そして谷底
「ビーストテイマー……なるほど、そうでしたか」
「森育ちの俺にとっちゃ、ビーストはみんな同族……いや、家族みたいなもんだ。だから助けないわけにゃいかねぇんだ」
「森で育った……ですか?」
「ああ。ガキの頃両親を人間に殺されてな。行く宛ての無かった俺を拾ってくれてのが、森に住んでたパザラ……オレンジバックの獣人だったんだ。それ以来、俺は森でビーストと一緒に暮らしてた」
「ご両親を……。それは、とても辛かったですね……」
「……気にすんな。俺が三、四歳ごろの話だ。実の親のことなんざ、ほとんど覚えちゃいねえよ」
そして「パザラにゃ家名が無かったからな、種族名から貰って、ジュモ・オレンジバックって、勝手に名乗ってんだ」と付け足した。
「ええ、あなたに似合った、とても良い名前です」
「――ま、そんな感じで色々あったもんで、俺は人間が大っ嫌いだ」
「……そう、ですね。あなたの境遇を考えれば、人間を嫌いになることはごく自然なことだと思います」
「そりゃどうも」
「――ジュモ、あなたのことが今少しわかりました。その上であなたは伝えておこうと思います」
「あ? なんだよ改まって」
「私は、全ての人間を嫌うという考えには賛成できません。確かに、この世には盗みを行ったり、嘘をついたり、他者を傷つける人間もいます。……ですが、そうした行動を選んでしまう背景には、必ず何かしらの理由があるのです。つまり、真に悪と呼べる存在がいるとすればそれは――」
ゼリルの話をあくび混じりに聞いていたジュモだったが、周囲の異変に気づいた。
「説教垂れてるとこ悪いが――奴ら、思ったより鼻が効くらしい」
『GYAAAA……』
わざわざ追いかけてきたのか、はたまた近場にいた魔物が嗅ぎつけてきたのかは分からないが、気づけばジュモたちは魔物に囲まれていた。
「面倒だが、この程度の雑魚魔物、何度囲まれたって突破してやるぜ。しっかり捕まってろよ」
「こ、こうですか⁉︎」
ジュモは肩にゼリルを乗せると、ゼリルの肌が吸盤のように吸い付いてくるのがわかった。
「こりゃ楽だ、精々振り落とされないように気をつけろよ!」
「はっ、はい!」
戦闘体勢に入ったジュモは、襲いくる無数の魔物に、ジュモは獣形装を次々切り替えながら応戦していく。
ガントレットから爪や鎌を生やし、時にはそのまま拳を振るう。レガースから突き出る棘や刃で魔物を踏みつけ、伸縮自在のベルトは、鞭や槍となり、多くの魔物を屠った。
「すごい……!」
「こいつはパザラの友人に作ってもらった特製武器だ。この程度ちょろいもんだぜ」
すると、まるでジュモの腕を試すかのように、木々の中から巨大な人影がゆらりと立ち上がった。
「あれは……!」
「ははっ、こいつはラッキーだぜ。何せ、あんなどでかい魔物が生まれる瞬間を見れるんだからよ」
魔物は大気中の“魔素”が集まることで初めて形作られる。巨大な魔物が現れるということは即ち、それだけ大量の魔素が集まったということだ。
その巨人の名はギガント・オーガ。岩のように隆起した灰色の肌に、どんなものでも噛み砕いてしまいそうな鋭い牙を持つ魔物だ。
そして、この周辺で最も脅威となる魔物である。
「GUOOOOOOOOO‼︎‼︎‼︎」
オーガの巨椀が、木々や他の魔物を巻き込みながら振り下される。
その地響きの大きさが、拳の威力を物語っていた。
「このっ! デカブツが‼︎」
拳を避けたジュモが振り下ろされた腕に刃を突き立てるが、硬い皮膚に弾かれた。
「刃が通らない⁉︎ ……そ、そもそもこんな巨大な魔物、どうやって倒すんですか⁉︎」
するとジュモはニヤリと笑った。
「見てろ、戦い方ってのは色々あるんだぜ?」
ジュモは襲いかかる他の魔物を躱しながらオーガの足元に飛び込むと、右腕のガントレットから、再び鎌を生やした。
「それではまた弾かれてしまいます!」
「よく見な」
一見鎌のように見えたそれは、よく見れば先ほどよりも分厚く、細く、なにより刃がついていなかった。
まるで、一点のみを抉り取るように鋭利なそれは――。
「ツルハシ……?」
「大正解だ」
ジュモが右腕で、逆手持ちのようにしたツルハシを振るうと、ガッ! と音を立てて刃がオーガのアキレス腱に食い込んだ。
「は、入った……!」
「まだまだぁ!」
ガチャリ。ジュモは左腕をハンマーに変形させると、刺さったツルハシの反対側、平たくなっている部分へと思い切り打ちつけた。
「穿つ啄犀角‼︎」
ガコン! ツルハシの先端が大きくめり込み、オーガは絶叫しながら膝をついた。
「GYAAAAAAAA‼︎」
「あとは同じやり方で脳天かち割ってやればおしまいだ!」
するとオーガは、なんとしてもジュモを潰そうと、膝立ちになりながらも暴れ始める。
ジュモはそれも避け、オーガの肩を踏み台にして大きく飛び上がると、落下の勢いを乗せたツルハシを振り下ろす。
「とどめだっ‼︎‼︎」
だが運悪く、がむしゃらに振るわれたオーガの拳がジュモを横から殴りつけた。
「ぐえっ!」「きゃああっ!」
木々の間を突き抜けながら大きく吹き飛ぶ二人。
ゼリルが背後に視線を向けると、落下地点には、底の見えない渓谷が待ち構えていた。
「ジュモ! 後ろは谷です‼︎」
「クソっ! 長蛇の拘束‼︎」
ジュモは、伸ばしたベルトを木の枝に巻き付け手繰り寄せ、なんとか崖際ギリギリのところで着地することができた。
「あっぶね……助かったぜ」
「ま、まだオーガが来ます!」
迫るオーガの様子を見るに、ジュモが与えたダメージは、既に回復したようだった。
「さて、こっからどうするかな。いっそ逃げるってのも得策だが――」
「背後の谷に突き落とす、というのはどうでしょう」
「よし、それ採用だ!」
そして、崖際までオーガを引きつけると、ジュモは再び背後に回り込もうとする。
すると、それに気づいたオーガもジュモに合わせて体を反転させジュモに向き直った。
「ちっ、魔物のくせに一丁前に学習しやがって」
「どうするのですか⁉︎」
「――不思議だよなあ、ゼリル。魔物ってのは体が闇だけでできてるのに、ヒト型なら急所も人と同じなんだからよ!」
そう言ってジュモは、今度はオーガの“足の小指”へとへツルハシを振り下ろした。
「木偶の坊さんよ! テメェは足の小指をぶつけた時の痛みを知ってるか?」
「GAAAAAAAAAA‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
悶絶したオーガは、たまらず後ずさりし、再び一心不乱に拳を振り下ろし始めた。
「あともうひと押しです!」
「いいや、もう終わりだ。――こんな崖際で暴れたらどうなるか、簡単に想像できるだろ?」
すると、ミシミシという音とともに、オーガの立つ崖際の地面に亀裂が入り始めた。
「……! 地面が!」
ゼリルが驚くと同時に、オーガの立っていた地面がごっそりと崩れ落ちた。
「あばよ! 木偶の坊!」
「GAAAA‼︎‼︎」
落ちゆくオーガは最後の抵抗に、ジュモを道連れにしようと腕を伸ばした。
「今更捕まるかよ」
――そう言って崖から離れるように跳んだ瞬間のことだった。
ジュモの体が、背後から掴まれ、空中で静止した。
「は?」
見ると、空中に留まっていたハーピィがジュモの背を掴んでいた。
そして、ハーピィはしっかりと谷の真上まで移動すると、足の指を開き、ジュモたちを奈落へ放り出した。
「「あっ」」
思わず漏れた二人の声がシンクロした。 そして、二人はたちまち谷底へ落下し始めた。
「――あの鳥野郎‼︎‼︎ ちくしょう! こんなところでくたばってたまるかよ! 槍蜥蜴の尾‼︎」
ベルトの尾の先端が槍のように変形し、岩壁に向かって勢いよく打ち込まれるが、ジュモの体重と落下の勢いで、すぐに楔が外れてしまう。
「クソッ! 岩はダメか‼︎」
「岩でも、飛び出た箇所に巻きつければいけるのでは!」
「……! それでいく! ――――今だ‼︎ 長蛇の拘束‼︎」
タイミングを測り、飛び出た岩へベルトを伸ばし、木の枝と同じ要領で巻き付ける。
今度はなんとかうまく行ったようだった。
「このまま壁に取り付くぞ!」
ジュモはそのまま石壁に向かってスイングすると、ガントレットから爪を出し、壁へ食い込ませる準備を整えた。
――その時だ。
「ジュモ! また上からきます! ハーピィが三体!」
「なにっ⁉︎」
ハーピィは半人半鳥の魔物である。それはつまり、まがりなりにも人間の半分程度の知能は持っているということだ。
ハーピィの放った空気弾は、今やジュモたちを一点で支えている飛び出た岩へ命中した。
「クソッタレが‼︎‼︎‼︎‼︎」
岩は容易く崩れ、ジュモたちは再び空中へ放り出された。
そして、再びベルトを放るだけの時間が無いのは、誰の目にも明らかだった。
「……こうなったら、せめてお前だけでも」
ジュモはゼリルを胸に抱え、自身の体をクッションにする体勢を取ろうとした。
「――諦めてはなりません‼︎」
だが、ゼリルはそれを一喝した。
「んなもんわかってる! けどこの状況で一体何を――」
「――――祈りましょう」
ゼリルが、凛とした声色で言った。
祈り――。それは尊ぶべき行為だが、この状況において直接的な解決策には成り得ない。
それ故に普段のジュモであれば「何ふざけてるんだ」と文句を言っていただろう。
だがどういうわけか、ジュモは今のゼリルに、有無を言わせない、どこか神秘的な印象を感じていた。
「……分かった。ただ諦めながら死ぬよりかは、いるかもわかんねぇ女神に祈るほうがよっぽどマシだ‼︎‼︎」
ジュモはヤケクソで目を瞑り、ゼリルを抱えながら慣れない手つきで手を組んだ。
――女神ニューリア。
二千年前の『光闇大戦』において、その身を犠牲に闇の軍勢を滅ぼし、最期にはその体を世界中へ散らばせた女神。
そして、このニューヴァリアで信仰されている『聖教』の唯一神である。
森で育ったジュモにとって、神だの教えだのと言うものは御伽話同然だった。
故に、ジュモが女神ニューリアへ祈りを捧げるのは、初めてのことだった。
だからだろうか。
ジュモたちが谷底に叩きつけられる瞬間――奇跡は起きた。
暗闇の中で、翠色の光が煌々と輝いたかと思うと、光は球体となり、ジュモたちの体を守るように包んだ。
そして、地面に追突することなくゆっくりと谷底に着地した。
いつまでもこない衝撃に、ジュモは恐る恐る目を開ける。
(助かった……のか?)
ジュモが光の球体を視認すると、球体はまるで役目を終えたとばかりに消えてしまった。
「なんだったんだ……?」
ジュモは、ゆっくりと立ち上がると、胸元で抱えたゼリルに語りかける。
「おいゼリル、なんだか分からんが俺たち助かったぞ!」
だが、待てども返事がない。
「ゼリル?」
不審に思いゼリルの様子を伺うと、その体に異変が起きていることに気がついた。
「な、ない……! 乳首の光が……ない……‼︎‼︎」
ゼリルから放たれていた光は消え、今や隠れていた乳首が露わになっていた。
暗闇でよく見えないが、ジュモにとってそれは初めて見る、女性の乳首だった。
だが、赤面している場合ではなかった。
「光が消える」、ジュモにとってその光景は、一つの命が消えることを連想させたからだ。
「おいゼリルしっかりしろ! おい! 死んでねぇよな!」
咄嗟にジュモは、ゼリルの胸に耳を当てた。
すると、とくんとくん、と確かな生命の鼓動が伝わってきた。
「はぁ……心配させやがって……」
ジュモはようやく胸を撫で下ろした。
「気を失ってるだけ、なのか……? ったく、おっぱいの診断なんてどうやってすりゃいいんだよ」
「おっぱいじゃぁ……ありません……」
ゼリルはそんな寝言を呟いた。
「そんなに嫌かよ……ま、これなら大丈夫そうか」
ところで、ジュモは一つ気になることがあった。
ジュモを守るように光る球体が現れたかと思えば、その消滅と同時にゼリルの光も消えていた。
「……ひょっとして、お前が守ってくれたのか?」
ジュモがぼやくように尋ねるが、ゼリルは寝息をたてるだけだった。
このふしぎな結界はいったい……⁉︎
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