包囲、無限の魔物
ジュモが捕まえたのは、スライムではなく、おっぱいだった。
そのたわわな乳房の付け根の先に本来あるべき女体はなく、メロン大の巨大な饅頭を、横並びに二つくっつけたような奇怪な外見ではあるが、それはやはり、おっぱいとしかいいようがなかった。
「い、いやいや……そんなわけ……」
ジュモは動揺のままに、おっぱいを両手わし掴み左右に引っ張ってみるが、不思議なことに乳房が二つに分かれることはなく、その谷間が少しばかり深くなるだけだった。
そしてジュモは、スライムもどき――もとい、おっぱいもどきの先端、乳首にあたる部分が、まばゆい翠色に光っていることに気づく。
ジュモが見た光の正体は、おっぱいもどきの乳首から放たれていた光だったのだ。
(なんだこの光? これじゃ魔物に見つかりやすくなるだけで、乳首が隠せてる以外に利点がねぇんじゃ……?)
気が動転するあまり、妙な冷静さを発揮するジュモ。
それでも尚、おっぱいを揉み続ける手は何かに突き動かされるかのように止まらない。
もにゅり、むにゅり、ぶるるん、もにゅ――
「――いい加減揉みしだくのを辞めなさーーーーーーーーーい‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
雷でも落ちたのかと、錯覚するほどの怒声にジュモは正気を取り戻した。
ジュモはとりあえず、肺の空気を全て吐き出しながら叫んだ――。
「おっぱいがしゃべったあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
その衝撃はジュモの体を突き動かし、気づけば渾身の力でおっぱいを天高く放り投げていた。
「きゃあああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
めちゃくちゃな力で放られたおっぱいは、ジュモのはるか前方へと飛んでいった。
「しまったあああぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
ジュモは夜空に輝く乳首の光を頼りにおっぱいの着地点に滑り込むと、間一髪で受け止めた。
「あっぶねぇ……!」
「いきなり何するんですか‼︎」
おっぱいは、身を捻ってジュモの手からすり抜けるとジュモに抗議を始めた。
「おっぱいが喋ったら驚くだろうがよ‼︎‼︎」
「おっぱ……何ですって⁉︎」
何やらおっぱいは、自身がおっぱいと呼ばれたことに動揺したようだった。
「それよりも! 問題なのはあなたが大きな声を出してしまったことです! どう責任とってくれるんですか‼︎」
「あぁ⁉︎ さきに叫んだのはそっちだろうが! 大体、ちょっとでかい声出したところで近くにいた魔物が何体か集まるくらいだろうが!」
普通の人間やビーストであれば、その“何体か”が命取りになるのだが、既に無数の修羅場を潜り抜けてきているジュモにとってはその程度問題ではなかった。
ざりっ、ざりっ
そんな矢先、何者かが地面を踏みしめる音が聞こえてくる。
「はぁ、仕方ねぇ、いっちょやるか……」
ジュモがガントレットを構えながら足音の方向を向くと、魔物特有の真っ赤な目が暗闇で光っていた。
――――それも、おびただしいほどの数が。
「おいおい……随分話がちげぇぞ……?」
そのおぞましい光景に、ジュモは思わず身震いした。
聞こえる足音はあっという間に数十を超え、『GYARURU……』と、人でもビーストでもない。“異形”のうめき声が無数に聞こえてくる。
まず姿が見えた魔物は、子供ほどの背丈に濁った緑色の皮膚の小鬼――ゴブリンだだった。
そして次々にスケルトン、オーク、コボルトなどが地面を埋め尽くし、空にはゴーストやハーピィがひしめいていた。
――その異様な集まり方はまるで、何かに誘い出されているかのようだった。
「……おい、お前なんかやらかしたのか?」
「……奴ら、私を執拗に追いかけてくるんです! ようやく撒けたと思ったのにあなたのせいで見つかってしまったではないですか!」
「あぁ⁉︎ だから先に悲鳴上げたのはそっちだろうが!」
「いきなり背後から掴み上げられたら誰だってああなります!」
「そんな珍妙な見た目してるから気になっちまったんだろうが! なんでおっぱいの癖に喋ってんだ! 一体何なんだお前は!」
「それが人に質問をする態度ですか! 貴方、非常識で無礼ですよ‼︎」
「喋って動くおっぱいがジョーシキどうこう言ってんじゃ――――」
『GYAA‼︎』
会話を遮るように飛び込んできたゴブリンが、おっぱいに向かって棍棒を振り下ろす。
「きゃあぁぁっ‼︎」
武器はおろか、腕すら持たないおっぱいになすすべはなく、ただ体を伏せることしかできなかった。
ガギンッ!
甲高い金属音が森に響き渡る。
おっぱいがおそるおそる体を起こすと、ガントレットでゴブリンの攻撃を受け止めるジュモの姿があった。
「っぶねぇ……。油断してんじゃねぇぞ、このおっぱいが」
「貴方、どうして……」
「どうしてもこうしてもあるか。お前がビーストかも知れない……いや、ビーストである以上、俺は助けないわけにはいかねぇ」
それが当たり前だと言わんばかりのジュモに、彼女は問いかけた。
「貴方は――足も、翼も、尻尾もない。こんな私を見てなお、私をビーストだというのですか……?」
彼女の言う通り、その姿はビーストには決して見えない。
そのあまりにも奇怪な見た目は、ジュモが初め、彼女をスライムだと勘違いしたように、多くの者にとっては魔物に見えるだろう。
――だが、それでもジュモは、彼女をビーストだと言った。
「まさか、そのナリで人間だって言い張るんじゃねぇだろうな。俺は人間が嫌いなんだ。マジで言ってんならこっちにも考えがあるぞ」
「い、いえ、そうではなく……!」
「――なら!」
ジュモは棍棒を跳ね返すと、ゴブリンのガラ空きになった腹に鋭い蹴りを放った。
『AGYA!』
急所を的確に蹴り抜かれたゴブリンは、他の魔物を巻き込みながら大きく吹き飛んだ。
そして、体はたちまち黒い霧となって跡形もなく消えてしまった。
これこそが、魔物にとっての死だ。
闇が形を持った存在にすぎない彼らの終わりには、
一片の肉体すら残らず、故にそれを弔う同胞すらいない。
だからといって、そんな己の定めを嘆くわけもない。
魔物には、心なんてものはないのだから。
それを十分に知っているからこそ、ジュモは問う。
「――お前は死んでも欠片ひとつ残らない、血も涙もない魔物か?」
「――それは。――それだけは違います」
彼女はきっぱりと言い切った。
その言葉には、断固たる意思が宿っていた。
それを聞いたジュモがニッと笑う。
「魔物でなきゃ、大抵は人間か、ビーストか。そのどっちかに当てはまる。俺みたいな野生児のガキだって知ってる常識だ。――なら人間でも、魔物でもねぇお前はきっと……いや、間違いなくビーストだ」
――だから、助ける。
包囲していた魔物が一斉に襲いかかってきてもジュモは一歩も引かず。
彼女を左腕で抱え込むと、迫るオークを踏み台にして大きく飛び上がった。
「きゃあっ!」
「荒っぽくなるぜ! ちゃんと捕まってろよおっぱい!」
すると、ジュモの腰に巻かれた鋼のベルトがほどけだし、後ろ腰の一点を軸にして垂れ下がる。
その様はまるで、ジュモに尻尾が生えたようだった。
「橙猿の尾‼︎」
ジュモの声に応じてベルトは正面の木に向かって勢いよく伸びていき、高い位置の枝へと巻きついた。
「すごい! ベルトが何倍もの長さに……!」
「まずはここを突破するぞ!」
ジュモは枝を支点に、体を振り子のようにスイングさせ、勢いよく空中へと飛び出した。
「う、上からもきます! ……三体‼︎」
「わかってらぁ! 剣虎の爪‼︎」
今度は右腕のガントレットから三本の鉤爪がせり出し、迫るインプを切り裂いた。
「その武器は一体……!」
次から次へと変形していくジュモの武器におっぱいは驚いた。
「獣形装《ビースティック・アームズ》。絡繰武具だ。なに、これだけの魔物の数だ、これから嫌でもこいつの活躍を見ることになるぜ」
行手を阻む魔物を切り払いながら、ジュモはニヤリと笑った。
◇
一度は魔物の包囲網を突破したジュモ達だったが、魔物の勢いは衰えず、やむを得ず草原を全力で駆け続けていた。
どころか、数を減らしたと思っても新たな魔物が合流してくるため、追手の数は増える一方だった。
「ハーピィが来ています! 五時の方向!」
「あ? えーと五時っつーと……あっぶね‼︎」
ゼリルの指示に戸惑っていると、魔物から放たれた空気弾がジュモの頬を掠めていった。
「おい! 五時の方向ってなんだよ! 訳わかんねぇ指示するな!」
「……ひょっとして、この方法を知らなかったですか?」
「……パザラめ、教え忘れやがったな」
「パザラ? どなたですか?」
ゼリルが聞き返す。
「なんでもねぇ。だがなるほど、そういう方法があるんだな! 教えてくれてありがとよっ……!」
ジュモは、不満をぶつけるかのように、正面に回り込んできたコボルトへと、渾身のかかと落としを見舞った。
街ごとに一つは必ず設置されている時計。――その文字盤を基準に方向を示す方法は、街の学校に通った者なら誰もが知っている。
だがジュモの育ての親である獣人のパザラは、ジュモにそれを教え忘れたらしい。
「……次から魔物が来たら「後ろ」とだけ言ってくれりゃ、それでいい」
「でも、それでは情報が不正確になってしまうのでは……?」
「それくらい勘でどうにでもなる」
「勘⁉︎ 信用していいんでしょうね⁉︎」
「まあ見てろ。それにしても次から次へとキリがねぇ……! つーか、この異常な集まり方、明らかにお前を狙ってるだろ! お前、本当に一体何なんだよ⁉︎⁉︎」
好転しない状況に、ジュモはいよいよ不満をぶつけた。
「……そんなの、私だって知りませんよ‼︎」
だが、不満を抱えていたのは彼女も同様だった。
「はあ⁉︎」
「何も覚えていないんです! 目が覚めたら洞窟の中にいて、やっと洞窟を抜けたと思ったら奴らに追いかけられてたんですよ‼︎‼︎‼︎」
「覚えてないだぁ⁉︎ 冗談はそのおっぱいだけにしやがれ‼︎‼︎」
「ああ! また私をおっぱ……下品な呼び方をしましたね!」
「おっぱいはおっぱいだろうが! おっぱいをおっぱいって呼んで何が悪い‼︎」
「私だって好きでこんな見た目なわけじゃないんですよ! だからその呼び方やめてください!」
ゼリルと終わりのない言い合いを続けながらも、ジュモは魔物を蹴散らしていく。
奮闘の甲斐もあり、追っ手はまだまだ多いものの、その襲撃が一瞬止んだ。
「奴らを振り切るなら今しかねぇ!」
「振り切るって、何か方法はあるんですか⁉︎」
「“アレ”を使う」
ジュモが顎で差した先には、周りの木よりも幹が細く、それでいて一際背が高い木が生えていた。
「また荒っぽくなる、ちゃんとくっついとけよ!」
「ま、待ってください、説明を……!」
「長蛇の拘束‼︎」
ジュモが腰からベルトを伸ばすと、名の通りベルトは蛇のように木へと巻きついた。
「どっこい……しょ‼︎」
ジュモは空いている片腕でロープのように伸びたベルトを握りしめ、思い切り引っ張った。
ミシ……ミシミシ……‼︎
長木は引っ張られる方向へ、軋みながらも大きくしなり始めた。
「あの……とても嫌な予感がするのですが……」
「いくぜ! ……どっせい‼︎‼︎」
ジュモがベルトから手を離すと、木に溜め込まれた反動が一気に解き放たれ、ジュモたちは矢のような勢いで宙へと放たれた。
「きゃあああああああ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎ ちゃ、着地! 着地できるんですか⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎⁉︎」
「心配するな、俺を信じろ」
その言葉にむしろ不安を覚えたおっぱいだったが、着地点が川であることに気づいた。
「怖いことには変わりないじゃないですかああああぁぁぁぁぁ‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎‼︎」
そして、特大の水飛沫を上げながら二人は川へ着水した。
ぷかーー。
脱力しきったゼリルが、浮力に身を任せて水面に浮いてきた。
「ひ、酷い目に会いました……」
続いて、ジュモも水面から顔を出す。
「ぶはぁっ! ……うわっ、おっぱいが浮いてら……」
「うわっ、じゃないですよまったく……」
「わりぃわりぃ」
ジュモはおっぱいを拾い上げると川を上がった。
ようやく地に足(?)を着けた彼女は、全身を振るわせて体の水を払う。
ぶるん、ぶるん、ばるん、ばるん。
豊満なおっぱいが、これでもかと揺れると、自然とジュモの視線も釘付けになる。
「おお……」
「――ふ、不埒者‼︎‼︎ こっち見ないでください‼︎‼︎」
ジュモの視線に気づいた彼女は、羞恥に肌を赤く染めながら、ジュモに背を向けた。
「へいへい……」
ジュモは木陰に落ち葉を集めると、ガントレットから生やした爪を両手で打ち鳴らす。
すると散った火花が落ち葉へ着火し、あっという間に焚き木ができた。
「風邪ひく前に体乾かしとけ。この位置なら魔物にも多少気づかれにくいから、少し落ち着ける」
「あ、ありがとうございます……」
そしてジュモは、先ほどの話を切り出した。
「――で、俺の聞き間違いじゃなけりゃお前、記憶がないっていったか?」
「ええ、先ほど話した通りです……」
「その割には時計の方向がどうとか言ってたが……嘘じゃないんだろうな」
「そんな嘘、ついても意味がありませんし、そもそも、嘘は好きではありません」
「……そうか、ならお前の話を信じることにする」
「……? なんだか、やけにあっさりと信じますね」
「俺も嘘は嫌いだからな。……にしても、おっぱいのビーストねぇ。ちょっと体見せてくれよ」
ジュモが手を伸ばすと、彼女が全力で身を引いた。
「辞めなさい! 破廉恥な‼︎‼︎」
「破廉恥って……。全身おっぱいなんじゃ、どこ触っても破廉恥扱いじゃねぇか。……もう魔物が襲ってきても運んでやらねぇからな」
「そ、それは困ります!」
あたふたするおっぱいに、ジュモはケラケラと笑った。
「冗談だ。俺は困ってるビーストを見捨てたりしねぇよ。お前がこの後どうするのか知らねぇが、とりあえず朝までは俺が守ってやる」
日光に極端に弱い魔物は、朝が来ると同時に暗所へと逃げ込んでしまう。
故に朝まで耐え凌げば難を逃れることができるのだ。
「ありがとうございます。……正直とても助かってます。あなたがいなければ、私はとっくに彼らの餌になっていたでしょう」
魔物は、聖物を喰らうことで力を増す。
だからこそ、執拗なまでに聖物を狙うのだ。
「なあ、おっぱいは――」
「さっきからその呼び方、なんとかなりませんか⁉︎」
「じゃあなんて呼べばいいんだよ……」
「普通に名前で呼んでくださいよ、私の名前は――」
名前を口に出そうとして、彼女はつっかえた。
「記憶、無いんじゃなかったか?」
「…………そうでした」
「でもおっぱい呼びは嫌だ、と。……難しいこと言いやがる」
するとジュモは名案を思いついた。
「よし、じゃあ俺がお前に名前を付けてやる!」
「はい?」
「そしたら問題解決だろ?」
「ま、まあそうかもしれませんが……」
「じゃあ決まりだな」
ジュモはうんうんと名前を考え始めた。
懸念があるとすれば、森で獣人に育てられたジュモに、まともなネーミングセンスがあるかどうかだが――。
「なあ、パイパイとニュウニュウだったらどっちがいい?」
「どっちもお断りです‼︎‼︎‼︎」
無論、そんなセンスは持ち合わせていなかった。
「なんだよ折角考えてやったってのに。文句の多い奴だな」
「明らかにどっちもおっぱ……胸から連想された名前でしょう⁉︎ つけるならもうちょっと普通の名前にしてください‼︎」
「普通だぁ⁉︎ くっそ、また難しいこと言いやがって……」
ジュモは、大きく首を傾げながらしばらく考えた末、ようやく別の名前を絞りだした。
「……『ゼリル』ってのはどうだ?」
どうせまた珍妙な名前が出てくるのだろうと身構えていた彼女は、意外にもまともな答えが返ってきたことに驚いた。
「前に人間の街で見かけた菓子の名前から取ったんだ」
「なるほど、菓子ですか……」
検討をはじめた彼女に「どうせまた文句言ってくるんだろう」と身構えるジュモだったが、帰ってきたのは意外な答えだった。
「――気に入りました」
「……へ?」
「貴方が付けてくれた名前が気に入ったって言ったんです」
「本当に言ってんのか?」
「ええ。ですから、私はゼリルと名乗ることにします。……だからあなたも、ゼリルと呼ぶように」
「わかったぜ、おっぱ……じゃねぇ、ゼリル」
「ほらまた……」
はぁ、とため息をつきながらも、おっぱい改め、ゼリルは嬉しそうだった。
――実のところ『ゼリル』という名前は、『ゼリー』という菓子の覚え違いな上、『適度な弾力がありプルプルとした質感』が特徴の菓子である。
つまるところ、結局おっぱいから連想されたものであった。
――その残酷な事実をゼリルが知ることになるのは、もう少し先の話だ。
「ところでいい加減、あなたの名前も教えていただけますか?」
「そういや言ってなかったな。俺はジュモ。ジュモ・オレンジバック。旅のビーストテイマーだ」
ジュモ無双開幕!
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