第20話 隙だらけ
エルザがライナーの部屋を出ると、そこは薄暗い廊下だった。
ここが何階なのか……エイミーがどこにいるのか……果たしてここが、あの鉄球が転がる建物と同じ場所なのか……エルザには全くわからなかった。
「とにかくこライナーの部屋周辺にいるのはマズいわ。安全に身を隠せる場所へ移動しなきゃ」
エルザは麻酔薬の影響と、ライナーとの戦闘で疲労困憊だった。一刻も早くどこかで腰をおろして休みたかった。
慎重に廊下を進んで行くと、前から盗賊が一人歩いてくるのが見えた。エルザは咄嗟に隠れる場所を探したが、そんなスペースはどこにもない。もっと隠密に行動したかったがやむを得ない。エルザは戦うことを決意した。
ところがその盗賊は、エルザの少し手前で立ち止まると、扉を開けて中へ入った。トイレである。エルザは、その盗賊がトイレに入るのを黙って見ていた。
そのトイレに入った盗賊の、足を引きずる歩き方……それはエルザの知っている男だった。それは、エイミーを攫って逃げた男……デニスである。しかもデニスは背後から吹き矢を吹き付けてエルザを眠らせた張本人。エルザはそっと剣を抜くと、デニスの入って行った男子トイレの扉をそっと開けた。デニスは鼻歌を歌いながら、ジョボジョボと小便をしている。
エルザはデニスの背後にそっと立って、足先でデニスの尻をグイグイ押した。
「なんだよ、冗談やめてくれよぉ……」
デニスは何の警戒心もなく、無防備に小便を続けていた。エルザはちょっと少しバカらしくなって、尻を強めに蹴り上げた。
「おい!」
バシンと尻を叩かれ、ヒイと声をあげて飛び上がったデニスは、驚きながら首だけで振り返った。するとそこには、もちろんたエルザが立っているわけだ。
「げえっ!」
デニスは魂が抜けたような顔をした。……だが、小便は止まらない。
「こ、こ、ここは男子トイレですぜ!」
「静かにしろ、このバカ」
エルザは剣の腹で尻をバシーン!とひっぱたいた。
「痛てえっ!」
デニスは涙目になっていたが小便は止まらない。エルザはもう一度、剣の腹で叩いた。
「ちょっと待って、ちょっと待って、エルザさん! あーー痛いっ!」
それを見たエルザはフン!と鼻で笑った。
「なにがちょっと待て、よ。命とおしっことどっちが大事なの? 私が殺す気だったらあんたもう死んでるわよ」
エルザは少しあきれながら言った。
「だって、小便は急には止まらないんでさ……」
「そんなことは聞いてないから。あんたね、人が真剣勝負をやってる時に、よくも吹き矢なんて吹いてくれたわね!」
「ひいいっ! ごめんなさいっ!」
「ほんっとに……。おかげで酷い目にあったんだから」
デニスは顔だけで振り返ってエルザの顔をよく見ると、血がべったりと付いていて、顔は所々青く腫れあがっていた。
「もしかして、ライナーさんに酷いことされたんですかい?」
「この顔を見たらわかるでしょ? その代わり、あの男の汚い蛇口はこの剣で斬り落としてやったわ」
それを聞いてデニスは飛び上がらんばかりに驚いた。
「ライナーさんは死んだんですかい?」
エルザは腫れた顔で頷いた。それを聞いたデニスが顔を青くすると、ようやく小便が止まった。
「姐さん……俺のモノは斬らねえでください……まだ未練があるんでさ……」
「それはあなたの態度次第だけどね。いい? あなたが誘拐してここに連れてきた女の子はどこにいるの?」
「あの、タミル族の娘ですかい?」
「そうよ!」
エルザは胸倉をつかんで凄い形相で睨みつけてきた。それに気圧されたデニスは慌てて話し出した。
「話す! 話すからちょっと落ち着いてくれ! 話すだけじゃなくて案内もするから!」
「知ってるんだな? ええ!」
「ああ、知ってるともさ! もちろん! 俺が連れてきたんですぜ、間違いなく知ってまさぁ!」
するとようやくエルザは胸倉を掴んでいた手を離した。
「よし、じゃあ案内しなさい……ちゃんと最後まで私の用事を勤めあげたら解放してあげる」
「へい、わかりやしたよ……乱暴はよしてくだせえ……こっちでさあ」
「変な真似したら、尻の割れ目が増えるからね」
「わ、わ、冗談でもやめてくだせえ!」
そういうとデニスは扉の方へ歩きだした。そして扉の前まで来た時、エルザがデニスの腕を引いた。
「ちょっと待って! 誰か来たわ!」
エルザはそういうと、デニスの手を引いてトイレの個室へ入り、そっと扉を閉めた。2人とも沈黙する。廊下を歩く足音だけが聞こえ、それは段々大きくなった。そしてトイレの前で立ち止まると、ギーッと音を立てて扉が開いた。エルザはそっと、隙間から覗き込んだ。
バクスである。
エルザは息を飲んだ。
バクスが……こともあろうにエルザたちのいる個室の前まで歩いてきて、立ち止まる。
エルザの心臓は早鐘のように鳴った……エルザは殺気を出さないよう、息を吸って心を落ち着かせた。
するとバクスはクルリとエルザたちに背を向けて、ジョボジョボと小便をはじめた。
気付かれてなかった――。
となると、これはある意味チャンスだ。バクスは背後を見せていて、しかも小便中である。しかもエルザは剣も抜いているではないか。
エルザ扉をそーっと開けて、静かに斬りかかった。
エルザの剣は無風のごとくバクスの背後へと迫っていく。
だがそこはバクス。ひらりとその剣先を躱すとあっという間に剣を抜いて、エルザへ斬りかかってきた。そして、小便を振りまいたまま斬り合いが始まった。
ガキーン!
剣と剣とが激しくぶつかって火花がを飛んだ。
「ええいっ!」
「ぬおおっ!」
エルザもその小便の飛沫が振りかかろうとも気にもせず、バクスへ刃を振るっていく。
後ろでデニスが「そうすりゃ良かったのか」などと、とぼけたことを言っている。
だが、そんな言葉が今のエルザの耳に入るはずもない。エルザとバクス……。お互い一歩も譲らぬ速さで剣を振り、お互いがそれを見事な体さばきで躱していく。ビュンビュンと、剣が風を切る音だけがしばらく続いた後、ガキーン!と一度剣がぶつかって、バクスは扉近くへと飛び下がった。
エルザがバクスへ剣先を向けた時には、バクスの陰部は、すでにズボンへと収納されていた。
「お前がここにいるということは……ライナーは死んだのか?」
「……あの世へあなたを待っているはずよ」
「お前も天国へ連れていってもらったのだろう? 男の味はどうだったのだ?」
「挑発しても無駄よ。それよりなぜ、あの状態の私がライナーに勝てたのか……気になるのでしょ?」
「ああ……ぜひ、ご教授願いたいね」
そんな無駄口を叩いている間に、エルザは呼吸を整えていた。やはり、体は本調子ではない。さて、これからどう戦うべきなのか……。エルザは疲労で腕がプルプルと震えてくるのを感じていた。




