Lap:-001 秋来ぬと…② ~根無し草~
それからの三浦は、安藤の経営する『向学ゼミナール』で塾講師としての仕事に打ち込んだ。授業のレベルアップや効率を上げる工夫、できない生徒のフォローに留まらず、生徒管理や保護者対応、学生講師の指導や塾内行事の企画・運営、さらには募集戦略に至るまであれこれと骨を折り、まさに安藤の右腕となって『向学ゼミ』の発展に尽くした。
その頑張りの裏には、安藤の厚意に対する“恩返し”という意味合いも当然含まれていたが、仕事に没頭することによって、つらい過去に目を背けようとしているかのようだった。ただ、子どもたちやその親たちとの生のコミュニケーションにより、少しずつだが、三浦が人間性を取り戻していったのも確かだった。安藤は、そんな三浦を見ながら目を細めるのだった。
三浦の貢献もあって『向学ゼミナール』は、不景気・少子化で厳しい業界にあって着実に生徒数を伸ばしていった。市内・葵区の本校に加え、清水区の清水校も順調で、さらに駿河区に個別指導専門の駿河校を展開し、生徒数は延べ200名を超えた。いまや市内では、「面倒見のよさ」が評判の中堅塾として、信頼と地位を固めるに至っている。
ただ、三浦の『向学ゼミナール』における正式な身分は、“非常勤講師”のままだった。非常勤講師とは、基本的に4月から翌年3月までの1年契約の“アルバイト”職員を指す。当然、給与は「時給□□円×△△時間」の日給月給だ。月々の収入が不安定なうえ、当然ボーナスもない。ただし、拘束時間は授業時間とその前後数十分に限られるので、気楽といえば気楽だったが、“根なし草”であることには変わりない。 安藤は幾度となく“常勤”の社員になるよう勧めたが、その度に三浦は、
「こっちのほうが気楽でいいのさ」
と言っては“根なし草”を続けた。社会保険と健康保険だけは無理やり入らせたが、安藤としては、現在生徒数を伸ばしている清水校の運営を一任したいところだった。しかし、安藤は三浦の意思を尊重し、無理強いはしなかった。三浦の複雑な心境をよく理解していたからだ。
一方の三浦も、安藤が自分に何を望んでいるかはわかっていたが、どうしてもそれに応えることはできなかった。いつまでも安藤に頼っていてはいけないという気持ちもあったが、それ以上に、まだまだ自分に自信が持てていないという引け目があったのだ。確かに、仕事に関して手を抜いてはいないし、やり甲斐がいもあった。実績も上げたし、生徒や保護者、講師たちからの信頼も得た。しかし、それで心の中にポッカリと空いた空虚が、充実感で本当に充たされているのかというと、自信がない。
そんな三浦の微妙に揺れる心境を察し、敢えて何も言わずにいてくれる安藤の心遣いには、いつも悪いと思いつつ、感謝していた。
そんなふうにして徐々に“人間復帰”を進めていた三浦が、ある日、市内の本屋さんで高校時代の恩師・野中のなか徳司とくじとばったり会ったのも、やはり“偶然”だった。
「お、航星じゃないのか…?」
「野中…先生?」
実は、野中は三浦の人生に大きな影響を与えた人物だった。元々、体育教師を目指していた三浦が国語の教師になったのも、この野中と出会ったからだった。
小学生の頃から推理小説や歴史小説を読み漁り、国語という教科が好きだった三浦は、野中の個性的な授業に魅せられた。担任でもあった野中も、陸上競技を頑張りながらも異常に国語の成績が良い三浦に何かと目をかけ、可愛がった。大学4年の教育実習の時に指導してくれたのも野中だったし、翌年、晴れて教員として静岡に帰ってきた時、いちばん喜んでくれたのも野中だった。教員として過ごした4年の間にも、時々会って飲んだりもした。 二人は再会を喜び、酒を飲みながら語り合った。
昔話にも花が咲いた。高校時代、安藤とともに競艇を教え込まれたこと、自分の書いた下手クソな小説をケチョンケチョンに酷評されたこと、教師になりたての頃にいろいろと助けてもらったこと、教員を辞めて新しい道へと歩みだす時に相談に乗ってもらったことなどなど…。 あれから野中とは会っていないから、三浦のその後を野中は知らないはずだった。しかし、野中は敢えてそれを聞こうとはしなかった。話すうちに、今の三浦の中に大きな暗闇が潜んでいることを悟ったのだろう。最後に野中は言った。
「ま、人間生きてりゃ、いろんなことがあるら。ただな、航星。生きている限り、悪いことばかり起きるってもんでもない。偶にはいいことも巡ってくるってもんだ。だから人生ってヤツは面白い」
三浦は、そのありふれた言葉の中に、野中なり愛情を深く感じた。 野中は公立高校の教員を58歳で早期退職していた。健康上の理由ということだった。その後は体に無理がかからないように、週3日だけ私立高校で非常勤講師をしているという。
「ま、体の動くうちは、生涯一教師でいたいもんでな…知り合いのツテで、今女子校で古典を教えとる」
その学校は“成愛高校”という私立の女子校で、7~8年前に校名を変えた学校だ。旧称は“東静岡女子高校”…。
(何かと縁があるな、この学校とは…)
その昔、三浦はこの学校法人の系列校で教員をやっていたのだ。三浦は、一瞬反応しかけた心を冷静に抑え込んだ。
その日以降、三浦は野中と月に一度くらいのペースで飲みに行くようになった。時には同じく教え子だった安藤も同席し、楽しいひと時を過ごした。三浦にとって、この気の置けない人々とのひと時が、最も心安らぐ時間だった。その時間は、少しずつではあったが、三浦の生活に彩りと温かさをもたらすようになっていた。
そして、野中との再会から1年が過ぎた今年の夏休み…。野中が心臓疾患で緊急入院した。命に別状はなかったが、歳が歳だけに無理はできない。半年ほどの静養が必要だということだった。奥さんから電話をもらった三浦と安藤は、すぐに病院へ見舞いに行った。
すると、そこで野中が三浦に言った。
「おい航星、お前、9月からワシの代わりに成愛で古典教えろや。」
「は?…」
「塾は夕方からだろ?週3日だし、問題なかろう」
「え…でも…」
突然の話に、三浦は焦った。
「オレが…ですか?」
「教員免許の更新もしてあると言っとったろ?使わにゃ、宝の持ち腐れじゃ。収入も大幅に増えることだし、悪い話じゃない。おい安藤、そっちも問題なかろ?」
「ええ、まあ。航星がやるというなら…。社員じゃないんで」
「それなら決まりじゃ。ハハハ。よかった、よかった。どこの誰ともわからん者に自分の後を任せるというのは、どうも気持ち悪かったんじゃ」
「……」
てな具合で、非常勤講師とはいえ、高校教師の仕事のお鉢が回ってきたというわけだ。
三浦は一旦、返事を保留した。さすがに、二つ返事で「はい」と言えるほど簡単な話ではなかった。第一、本来こういう事態には学校側で後任を探すのが当然だ。幸い夏休みに入ったばかりで時間的には余裕があったので、三浦はよく考えることにした。
野中と成愛高校の校長・境直義とは旧知の仲だったらしく、そのツテで野中は成愛で働いていたのだが、入院の報を受けて駆けつけた境に野中が、
「迷惑と心配をかけて申し訳ない」
と陳謝した後で、
「おお、そうだ。後釜に打って付けの男がおる」
と言ったらしい。境校長も、
「野中先生のご推薦なら頼もしい。是非お願いします」
という感じで、乗り気だとか…。
(その時、境先生も何も思わなかったのかよ、オレの名前を聞いて…)
いきなり降って湧いた話に三浦は戸惑った。確かに塾との兼任は可能だし、収入アップも有難い。また、かなり人間復帰を果たしていた三浦は、この“教員復帰”に対してはさほど抵抗を感じていなかった。だから、安藤さえOKならば何ら問題はないはずだったのだが…見過ごせない問題があった。
(でも、どうしてよりによって“成愛”なんだよ!?しかも、この話には境のタヌキ親父…じゃなかった境監督が絡んでやがる。迂闊に返事なんかできるわけないだろ…)
これが本音だった。 陸上王国・静岡―その中でも輝かしい伝統と実績を誇る名門・成愛高等学校。これまで県の女子高校陸上競技界を牽引してきたのはこの学校であり、その功労者こそが境なのだ。陸上競技部を一から立ち上げ、異常なまでの情熱と努力で選手を徹底的に鍛え上げ、全国有数の強豪と呼ばれるまでに伸しあげたのは、紛れもなくこの“境直義”という男だ。現在は第一線を退いて指導を後任に譲り、自身は部長となっているが、県の陸協や高体連でもその存在と発言力は今もなお大きく、一目も二目も置かれる存在だ。
「もう二度と、陸上競技界には戻らない」と心に決めていた三浦にとって、成愛高校と境直義は、できれば関わりたくない存在だった。野中が自分の詳しい事情をどこまで知っているかはわからないが、境が“三浦航星”の名を聞いて何も思わなかったはずはない。教員時代とその後の三浦のことを境は当然知っているだろうし、三浦自身も昔は少なからず世話になった覚えもある。しかも、境は海千山千、古強者のタヌキ親父…。何かを企んでいたとしても不思議ではない。
三浦は夏期講習会の多忙の中にあっても、この件が頭から離れなかった。返答の期限はお盆休みまでと言われていた。安藤に相談しても、この件に関してヤツの反応は冷たかった。
「お前さん、いつも生徒に言ってるだろ?“最後は自分で決めろ”ってな。ま、大いに悩むこったな。さっさとウチの社員になってりゃ、こんな話も舞い込んでこなかったんだ。自業自得ってヤツさ」
そう言われると三浦はぐうの音も出ない。まさにその通りだった。いい歳こいて“お気楽トンボ”を決め込んでいた罰かもしれない。
8月に入った。とにかく一人でグチャグチャ考えていても埒があかないので、モヤモヤをすっきりさせるため、三浦は境に会いに行こうと決めた。できれば会いたくない相手ではあったが、そんなことも言っていられない。ただ、講習会中でなかなか時間を空けることができず、8月10日までは行けそうになかった。
そんな8月8日。境が突然、『向学ゼミナール』を訪問した。境は午前中に電話を入れ、三浦のお昼休みを狙ったかのように午後1時にやって来た。まさに“速攻”だった。見事に虚を衝つかれた。交渉事というものは、機先を制した方がまず勝つものだ。三浦は、境と応接室で向かい合った時点でもう負けたも同然だった。
久しぶりの再会にも感慨などなかった。
「いやぁ、お久しぶりですな、三浦先生」
恰幅のいい老紳士という体は相変わらずだったが、白髪がかなり増えて老けていた。
(10年もたてば当然か…。オレも、もう立派な中年だしな)
「ご無沙汰しております。何とか生きています」
しばらくの沈黙の後、境が切り出した。
「今回は、野中先生のご病気がきっかけでこのような奇縁に巡り合いましたが…」
そこからの境の話は簡潔かつストレートだった。
「今回は、純粋に国語の教師としてのあなたにこの仕事を依頼します。勿論、陸上部とはノータッチで結構です。あなたの教師としての実力を高く評価しての依頼なので、ぜひとも成愛に来ていただきたい」
そういうことだそうだ。現役の校長にこんな前口上を切られた上で深く頭を下げられてしまっては、三浦は為す術がなかった。
「…では、よろしくお願いします」
三浦にはそう言うしかなかった。正直なところ、
「ヤラれた…先手を取られた」
という感は否めなかったが、どうしようもなかった。なかなか返事をして来ないこちらの迷いを察知し、空かさず速攻。礼節正しく 謙った姿勢。こちらの懸念を見越し、それを柔らかく拭うような心遣い。完璧だった。私立高校の現職の校長が、高々非常勤講師の依頼に“三顧の礼”を以って迎えたいという事態に至っては、三浦としてもさすがに“出廬”せざるを得ない。
(諸葛亮孔明の気分…なんて、言うのも恥ずかしい)
「ではお盆明けの19日に本校で契約、ということで…」
そう言い残すと境は、学校の生徒募集ポスターとパンフレットを安藤に渡して去って行った。
一部始終を聞いていた安藤は、
「ま、役者が違うな。一枚も二枚も相手が上だよ。もう諦めて腹を括るこったな」
と言って笑った。まさに 仰る通りだった。
無駄な抵抗を断念した三浦は、気持ちを切り替えて新しい運命を受け容れることにした。そう決めてしまうと、自分でも驚くほど心の中に違和感はなかった。これが3年前なら到底受け容れることなどできなかっただろう。やはり松永亜希子・ミキ母子との出会い、そして“あの日の出来事”が自分の心の体質を確実に変えていたのだ。
暗い過去に訣別することは不可能でも、新しく射す“光”で、未来へ吹く“風”で、それを風化させることはできる。今の三浦は、そのの“光”と“風”を身近に感じながら生きている。いや、その“光と風”を見守ることで生かされている、と言ってもいい。
その希望の“光”と“風”――松永未来、14歳。