深夜の高速道路にて
あなたにはありませんか?
夜、一人で車に乗っている時に、ひょっとして自分は実は――と思ったことが。
※この小説は、私の個人サイト「うさぎの森」でも公開しています。
ハンドルを握りながら、ナビの時間を見る。今は夜の11時。まだ先だが、高速を降りてから一般道で40分かかるはずだから、到着はかなり遅くなるだろう。
「あ~、くそ。帰りは午前2時になっちゃいそうだな」
「仕方ないですよ。途中で渋滞だったし。……それに明日は半休で午後からで良いんですよね」
助手席に座っている後輩のトウコが明るくそう言った。
後輩と日帰りの出張で群馬まで行った帰り。事故渋滞に巻き込まれて予想より5時間ほど遅くなってしまった。
この時間になると、さすがにトラックばかりになってきた。制限時速よりメーター上では若干速度を出して走っているが、どこまで到着予定を早められるだろうか。……男の自分はともかく、後輩は早めに自宅に帰してやりたい。
「そういえば、すごい事故でしたね」
「ああ。トラックの横転事故に完全に巻き込まれていたな」
「あのシルバーの車に乗っていた人、かわいそう」
「いいか。こっちがどんなに気をつけていても、別の人からぶつけられたり、ああやって巻き込まれることもあるから注意するんだぞ」
「はい。……でもそれって注意しようがないというか」
「ミラーを見たり、周りの車の挙動を見て怪しいなって予測しておくんだよ。……ほら、渋滞の前にもあったろ」
「ああ。急に真横のトラックが車線変更してきたんですよね。先輩、よくあれをかわしましたね」
「あれは俺も焦ったなぁ。トラックの方が完全に俺たちを見ていなかったよ。あれは」
俺たちの車の車高が、トラックの目線より低いってのもあったんだろうが、危うくぶつけられるところだった。
「あ、先輩。私ちょっとトイレ行きたいんで、次のサービルエリア寄ってください」
「了解」
渋滞を抜けてから一度も休憩していなかったから、ちょうど良い。そこから3キロ走ってからサービスエリアへと入った。
車から降りてぐぐっと伸びをした後輩が、ふうと言って、
「夜のサービスエリアって独特の雰囲気ですね」
「ここは大きいから、24時間の店もあるし明るい方だぞ」
「へえ。そうなんだ。……そういえばちょっとお腹が空いてきたような」
「コンビニでなんか買っていくか。俺もコーヒーが欲しいし」
「ですね!」
とはいえ先にトイレだ。男子便所で済ませてから、念のため外で後輩を待つ。
「お待たせしました」
「ああ」
そのまま向かいにあるファミリマートに入る。随分とエアコンを強くしているようで、店内はひんやりとしていた。
後輩は早速、菓子パンのコーナーへと行ったので、俺はドリンクコーナーに向かいいつもの缶コーヒーを2つ手にする。
レジに向かおうとした所で、商品の補充をしていた店員が目の前に立ち塞がった。
なんだ? 邪魔だな……。
「お客さんに売るものはありません」
「はあ? いやいや万引きじゃないですよ。スマホもあるし、財布もちゃんと持ってる。俺はお客ですけど」
カチンときて語尾を荒げて言い返した。が、その店員は無表情のままで、
「お客さんに売るものはありません」
と言う。
その瞬間、店内の電気がジジ、ジジジジと音を立てて激しく明滅しはじめた。
「お、おおきゃぁくさぁぁあんにウルものはありましいぇぇん!」
明滅する電気の下で、その店員の目が丸く開かれ、全身をけいれんさせながら顔色がどす黒くなっていく。
ひ、ひいぃぃぃ。な、何だよ、これ。何だ。何が起きてる。
ありえない現象に身体がこわばり、声が出ない。
異形の店員が近づいてくる。
俺に手を伸ばしてくる―ー。
その瞬間、肩が叩かれた。
「先輩、どうしたんですか?」
「へ?」
気がつくと、店内は通常通りになっていた。目の前に立ち塞がっていたはずのおかしな店員もいない。
それがわかったところで、息を吐いて小さく顔を横に振る。
――気のせいか。疲れてんだな。
「いいや、何でもない」
「そうですか、私もう会計しちゃったんで外で待ってますね」
「ああ、すぐ行くよ」
恐る恐る会計を済ませ、俺も外に出た。
再び車に乗って本線に合流する。グンッとアクセルを踏んで、追い越し車線を走らせる。タイミングの問題だろうけど、不思議とトラックの姿は見えなかった。バックミラーに一台のバイクらしきライトが見える程度だ。
後輩は助手席で、さっそくサラダを取り出してドレッシングを掛けていた。
「お前、こんな夜中によく食えるな」
「え? そうですか? でもサラダだし大丈夫ですよ」
「まあ、もう少し太った方がいいのかもしれんが」
「あ! ちょっと、それセクハラですよ。セ・ク・ハ・ラ!」
「うっせぇ。別にいいだろ、これくらい。お前はちょっと痩せすぎだと思うぞ」
「まあ、私もちょっと痩せすぎかなって思ってますけど。これでも標準体重の範囲内なんですけどね。食欲はあるんですけど増えないんですよね」
「……お前、それ人前で言うなよ」
「いいませんよ。特に竹川さんとかの前じゃ」
「ぶはっ! 俺は何も聞いてないぞ。竹川さんの名前なんか聞いてないからな」
入社して半年で20キロほども増えた女性社員の名前など、俺は聞いていないぞ。ストレスらしいから、ちょっとかわいそうだなと思わないでもないが。
「そういえば、先輩、都市伝説って知ってます?」
「いきなり大学生みたいな話題だな。……口さけ女とかトイレの花子さんなら聞いたことがあるが」
「ふっるぅ~」
「うっさいな」
「今の都市伝説って色々あるんですよ。異世界エレベーターとか」
「は? なんだそりゃ」
「なんでも、とある時間にエレベーターに乗って、とある順番に階を行ったり来たりすると異世界に行けちゃうらしいんです」
「まるで漫画かアニメの世界だな」
「ははは。私もあれは信じていません」
いやいや、都市伝説自体、信憑性あるもんじゃないだろ。そう心の中で突っ込んでおく。
「高速道路に出るのもあるんですよ」
「高速道路? 妖怪トラックでも出るのか?」
「いえいえ、その名も棺桶ババア」
「棺桶ババア?」
「ええ。棺桶を担いだおばあさんが車と同じ速度で走っていて、併走している車の運転手を捕まえては棺桶に入れてしまうらしいです」
「それはシュールだな。婆さんがなんでまた高速を」
「他にも、車と同じ速度で自転車を走らせるサラリーマンとか、ターボババアとか、ダッシュババアとか、一二〇キロババアとか……」
「サラリーマン以外は婆さんばっかりかよ。誰かがふざけて言ったのが広まったんだろうなぁ」
「ん~、それはどうですかね」
「……というと」
「だって、後ろの何か怪しくないですか?」
「はあ?」
言われてバックミラーを見ると、俺たちの後ろをかなりの距離を開けて走っていたライトが、いつのまにかすぐ後ろに来ていた。逆光でよく見えないが、その光は俺たちを追い抜こうと急に右へ移動した。
――追い越し車線を走っている俺たちの右に車線など無いというのに。
右のサイドミラーを見ると、反対車線を走る車のライトが、壁の上の不思議なモノを照らし出した。
それは老婆だった。長い白髪を風に乱れさせ、目をらんらんと輝かせてている。乱れた和服を着て、まるでオリンピックの短距離選手の様に、しわしわの細い腕と脚で力強いストライド。体の周囲に紫の煙のようなものがただよっている。
ぉおおぉぉ――おおおぉぉおおおおん――。
不意に、サイドミラーを見ていた俺と目が合った。途端に獲物を見つけたような目になる老婆。弱いものをなぶろうとする目。赤く輝く狂気に満ちた瞳が俺を見つめている。
やばい。とっさにアクセルを踏む。グンッと加速した車が走り出す。メーターは120キロを超えた。
……だが、一瞬はなれただけで、老婆はじわじわと距離を詰めてくる。
ぉぉおぉ。――老婆がやってくる。――ぉおおぉ。老婆が近づいてくる。――おおおおおおおおんっ。――老婆が、すぐ、隣にいる!
ひいぃぃぃぃっ。
心臓が激しく脈打ち全身から汗がにじみ出てくる。ハンドルを強く握りしめ、必死に正面だけを見てアクセルを踏み続ける。
ドンッと車が揺れた。何かが屋根に飛び移ったんだ。フロントガラスの上部に白い何かチラチラと揺れている。老婆だ。ぬうっと逆さまになった白い老婆の顔が降りてきた。
「あああぁぁぁ!」
たまらず叫んだ次の瞬間、ガラス面に張り付いた老婆が、
「思いだせぇ」
と叫んだ。
「――ちょっと、先輩! スピード出しすぎです! せんぱい!」
「ひやあぁぁぁぁぁ」
ふと気がつくと、後輩が必死に俺に話しかけていた。「あ」
老婆の姿はなくなっている。スピードメーターは150キロになっていた。「先輩っ、スピード落としてっ、ブレーキ!」
後輩の叫び声に、あわててブレーキを踏んで速度を落とす。
「死ぬかと思ったじゃないですか! 呼びかけても反応しないし! しっかりしてください!」
後輩が怒鳴っているが、よく聞き取れない。ハンドルを固く握りしめていた手を緩める。汗でぬるぬるになっていた。
「はぁはぁ、はぁ、はぁ」 おそるおそるバックミラーとサイドミラーを確認し、そろりそろりとフロントガラスの上部を見るが、老婆の影は欠片もない。
――夢だったのか? 現実としか思えなかったが。
「ふうぅぅぅ」
安堵のため息をついたところで、後輩が怒鳴った。
「ちょっと聞いているんですか!」
「ひゃっ……と、お前かっ。すまんすまん。ぼうっとしてたみたいで。ばばあかと思った」
「誰がばばあですか!」
「すまんって」
とっさに軽口で返して、ようやく日常に戻ったと安心した時、不意に後輩が、
「……おばあさんなら、もう行っちゃいましたよ」
その言葉に思わず胸がドキンとする。
「え? ばあさんがどうしたって?」
徐々に足下から暗い何かが忍び寄ってくるような悪寒を感じながら、後輩に聞き返した。……いつものように〝冗談ですよ〟というのを期待して。
「デすから、モウ逝っちゃイましたっテ」
明らかにいつもと違うイントネーションに、おそるおそる左を見ると――。
「ひぃっ――」
そこには頭から血を流し、眼球がなくなり昏い眼窩をして、髪をボサボサにさせた後輩がこっちを見てみていた。
「セんパィはまだ思い出セなインですかぁ?」
そう言いながら、俺に近づいてくる。なんとも言えない嫌な匂いを口から漂わせながら、俺の耳元に顔を寄せてくる。
身体が硬直してしまって動かない。殺される、……わけのわからない何かに殺されるっ。
「ホら、ミんなも待っテいまスヨぉ」
車の床から白い手が伸びてきていて、俺の足を捕まえていた。ドアからも白い腕が伸びてきて腰を捕まえている。
「やめろっ、やめてくれぇぇ!」
叫んだその瞬間、変わり果てた後輩が耳元で言った。
「ワタシたち、もう死んダじゃナいですかァ。――アハハハ。アハハハハ。ハハハハハ」
狂った笑い声を聞いた瞬間、俺は思い出した。
無理な車線変更をしてきたトラックをかわし切れずに横からぶつけられ、そのままガードレールに突っ込んだことを。
あ、そうか。俺、もう死んでたっけ……。
◇
渋滞している車のエンジン音が響く中で、警察による現場検証が進んでいた。救急車も来ていたが、既に2名の死亡が確認されている。車のボディが潰れていて遺体が取り出せず、今、スクラップと化した車のボディを切ったところだった。
ギイィィィッ。
まるでさび付いた蓋を開けるように、耳障りな音を立ててボディを開くと、そこには血まみれになった運転手の男性の遺体と、助手席の女性の遺体があった。
あまりの惨状に、記録のために写真を撮っていた警官も眉をしかめる。何度見ても、交通事故の遺体は嫌なものだ。
だが、何かに気がついて、遺体の顔をよく見える位置に動かす。そしてその顔を見てつぶやいた。
「こいつらもか。一体なにを見たんだ」
2つの遺体の顔は、口を大きく開けて狂ったように笑っていた。
怪異は『日本現代怪異事典』を参考にしました。