第二話
魔法の門を抜けると、そこは依頼者の目前だった。
「……あ……」
なんの心組みもなく依頼者と対面してしまった格は狼狽え、額に冷や汗を滲ませる。
「ひょん吉……っ!?」
「は……?」
依頼人はパソコンから顔を上げ、机上に忽然と現れたウサギのぬいぐるみに対し声を発した。喫驚しているものの怯えてはおらず、それどころか格のこの姿を見知っているような口振りでその名を呼ぶ。
「ぴ……ぴょん、きち……?」
なんだその根性漲るカエルみたいな名前は……!?
格は己の役割も忘れ、依頼者の男児を見上げて頬を引きつらせた。
「うん! ぴょん吉、どうして戻って来たの? 君は……」
男児の声を聞き、はっと自分の仕事を思い出した格は、ふるふると頭を振って再び依頼者の男児を見上げる。
「お、俺は! 商会から、お前からの依頼を受けて来たんだ」
「僕の依頼を、ぴょん吉が……?」
「あー……俺はぴょん吉じゃなくて、格って言うんだ。訳あって、ぴょん吉の身体を借りてる」
格の事情を説明すれば混乱させてしまうだろうと上手く伏せ、格はそれより依頼遂行を優先させた。
「お前の名前は……望月恵夢、であってるよな?」
依頼書の記述を思いだしながら確認する。
「そうだよ。君は……何て言ったっけ……?」
「格だ。けど、呼び易いならぴょん吉でもいい。お前の事は、そうだな……めぐ、でいいか?」
愛称の方が親しみ易いだろうと提案し、格は恵夢の様子を窺った。
「いいよ、もちろん!! そんな風に呼んでくれるなんて、友達みたいで嬉しい!!」
恵夢は満面の笑みで返答し、格も「じゃあ決まりな」と言って笑った。
「じゃあ、めぐ! 俺はこれから一ヶ月の期限で、めぐの友達作りを手伝うように言われてる。めぐならすぐに出来る筈だ。よろしくな」
「こちらこそよろしく。……でも、まさかぴょん吉が、ヒーローの姿になって僕を助けに来てくれるなんて思わなかったよ」
恵夢は格の首にマントの如く巻かれたハンカチを摘まみながら微笑む。
「え? あ、ああ……これはヒーローって訳じゃ……」
世の安寧を守る正義の味方を模しているのではなく、突然姿が戻って素っ裸になるのを防ぐ手段だ。気休めにしかならずとも、世界の平和ではなく、自らの心の平和を守っている。
「僕にとっては、そうだよ。ぴょん吉」
「めぐがそう言うなら……まぁ、いいか」
呼び方は『ぴょん吉』に決定したんだな……と格は苦笑し、恵夢もにっこりと笑って、これからパートナーとなる二人は握手を交わした。
* *** *** *** * ** **
五年二組の教室の扉の前で、恵夢は尻込みしていた。
「めぐ……俺がついてる。大丈夫だ」
肩に乗った格が、恵夢の耳元で囁く。
「でも……怖い」
「友達なんて、お互いに顔と名前が一致して、挨拶し合う仲って程度でいいんだから、そんな気負うな」
「それ、友達じゃなくて顔見知りって言うんじゃない?」
「まずはそこからだろ?」
「……けど……」
躊躇い、立ち竦む恵夢の背後から誰かが恵夢に声を掛けてきた。
「望月? どうした?」
クラスメイトと思しき青色のランドセルを背負った男児が、教室の前で二の足を踏む恵夢を怪訝そうに見つめている。
「……上川君……」
声を掛けられた事に動揺し、恵夢は息を詰めて目を逸らしてしまった。
「おお! 向こうから声を掛けてくれたんだからチャンスだろ!? とりあえずおはようって言っとけ!」
格は恵夢の肩上で叫んだが、その声はクラスメイトの上川には聞こえていないようだった。視線さえ格に向かない事を思うと、姿隠しの魔法はどうやら効いているらしい。
鹿瀬達への連絡の他、簡単な魔法も使えるという首元の宝石の効果を実感し、格は一先ず安堵の息を吐く。
「……ぉ……ょぅ」
「……?」
『もっと大きな声で、ほら』
聞き取れていない上川の様子を読み取った格は、恵夢に助言する。
「……ぁ」
怯えきっている様子の恵夢に、格は若干の焦慮を感じた。
「時間だぞー、教室入れー」
「やば、先生来た!」
始業時間が迫り、現れた教師の声に上川も教室へ入って行ってしまう。
『めぐ……大丈夫だからな。とりあえず教室入ろう』
立ち尽くす恵夢に、格は出来る限りの優しい口調で言った。こんなに真っ青な顔で震える恵夢を、これ以上怯えさせないように。
……しかしなぁ……。
畏縮しながらも何とか教室内に足を踏み入れた恵夢の肩上で、格は今後の方針を考える。
昨日、めぐと対面した時は怖がる事なく俺と話してくれたから……まさかクラスメイト相手にあんな怯えるとは思わなかった。
めぐにとって友達を作るって、とてつもなく高い目標だったんだな……。
自分が思っていたより、状態は悪い。どうしたものか……と格は、窓際の恵夢の机の上で、校庭を眺めながら思案に暮れた。
* *** *** *** * ** **
『外……行かないのか?』
休み時間になり、一人で席に着いたままの恵夢に、格が問いかける。
『うん。僕、外遊びって苦手だから』
『じゃあ、本でも読むか?』
教室の後方にある本棚を眺めながら提案したが恵夢はそれもお気に召さないようで、小さく首を横に振り、黙り込んだ。
『そっか……。あ、廊下側の席にめぐみたいに座ったまんまの奴いるじゃん! あいつに話掛けてみるってのはどうだ?』
しかし、相手から声を掛けてくれるという絶好のチャンスを逃してしまった程の恵夢だ。自分から声を掛けるなんて芸当、出来る筈がない。
『……僕は、ひとりでいい……』
『めぐ……』
そう言ってしまったら"友達が欲しい"などという願いが叶う見込みはない。
格はたった一日目から挫折していた。
めぐにとって俺が平気なのは、"ぴょん吉"の身体だからか? なら……。
格は放課後、恵夢を近くの公園に誘った。
* *** *** *** * ** **
「シルヴィア、聞こえるか? 聞こえたらちょっとこっちに出て来てくれ」
格は護身用のハンカチの結び目につけられた宝石に向かい声を掛けた。すると宝石が煌と輝き、光の中から漆黒の美猫が姿を現す。
「……な、なに……!?」
突然の事に恵夢は目を見開いた。
現れた黒猫は格に頬をすり寄せ、格は周りに人がいない事を確認してシルヴィアに耳打ちをする。
「出来たら、人間の姿になって欲しいんだけど……」
その頼みにシルヴィアは不機嫌な表情を浮かべながらもつんと顎を上げ、人間の姿に戻ってくれた。
「ちょっと、いきなり不躾じゃない? 来てくれてありがとうとか、最低でも挨拶位してからのお願いでしょ?」
姿が変わった途端に格を指差し指摘するシルヴィアに、格は両手を合わせて謝罪する。
「ごめんて! 猫の姿じゃ会話もできないだろ? だからまずはと……」
そんな様子を見ていた恵夢はぱちくりと目を瞬かせ、目の前で姿を変えた不思議な少女に言葉を掛けた。
「わぁ……。君は、魔法使いなの……?」
格は、驚きの様相で恵夢を見る。
「めぐ……シルヴィアは平気なんだな」
「え? 僕、別に猫嫌いじゃないけど……」
「そうじゃなくて……他人が苦手って訳じゃなかったんだなって」
格はふむ、と腕を組み、何やら考え込んでいる。
「私は魔法使いではなく、魔法使いのパートナーです、依頼人様。以前『切望の藁商会』でお会いした時は猫の姿でしたから、この姿でお会いするのは初めてですね。どうぞお見知りおきを」
シルヴィアは胸に手を添え、片手で黒いワンピースの裾を広げながら恭しく礼をした。
「あの時の黒猫が君なんだね。さっき姿を変えたのは、魔法じゃないの?」
「はい、望月様。魔法ではあるのですが、あれは、この首飾りを通じてパートナーである帳の魔力を借りているに過ぎず、私の力ではないのです」
首に下げた銀細工を見せながら、シルヴィアが説明する。
「へぇ……。じゃあ、ぴょん吉の宝石も、同じようなもの?」
「あれは……少し違いますが、詳しい話はまた後日に致しましょう? 本題があるみたいですからね」
そう言ってシルヴィアは、格の方へ向き直った。
「……なかなかの猫被りだな……」
「弁えている、と仰って下さい」
笑顔の裏に刺々しさを漂わせるシルヴィアに冷や汗を滲ませ、格はゴホンとひとつ咳払いをする。
「シルヴィアを呼んだのは、めぐの人嫌いを改善できれば……と思ったからなんだけど、なんか、普通に会話してたから拍子抜けしてる」
「えぇ!? ぼ、僕……?」
「そう。クラスでは人が苦手そうに見えたから、シルヴィアと会話の練習をしてもらおうって予定だった。けど、普通に話せてたよな」
シルヴィアに向けて格が訊ねる。
「うん、楽しい会話だったよ? 格より丁寧で優しい口調だったし」
雑でキツイ言い方で悪かったな……と呟きながら格は顎に手を添え思考を巡らす。
「……んー、なら、クラスメイトと話せないのは何でなんだ?」
「私が思うに、クラスメイトって、ずっと一緒にいないと駄目な人達じゃない? 私とは今この時だけで済むけど、クラスメイトはそうもいかないから、怖くなるんじゃないかな?」
「怖いって、何が?」
「世の中の人みんなが格みたいに無頓着じゃないのよ? 繊細なタイプの人にとっては、自分がどう見られるのかとか、他人を無意識に傷付ける可能性を思うと怖くなって、自ら他人と距離を置く人もいるの。それに、クラスでは僅かなきっかけでイジメに発展する事もあるじゃない? 尚更畏縮しかねない環境よ」
格は「イジメか……」と深いため息を吐き、短い腕を組む。
「確かに、落ち度なく尊厳を軽んじられるのは堪らなないよな。その可能性を思って畏縮するのも解る……けど、その畏縮のせいでイジメに発展する可能性だってある。可能性を言い出したら、何も出来なくなるだろ?」
「そうね。だからどうするのかを、しっかり考えないと。考えるのが苦手とか言ってる場合じゃないのよ?」
シルヴィアと格は難しい顔で黙り込んだ。
「ごめんね……僕が弱虫だから……」
恵夢はしゅんとして俯いた。その手は僅かに震え、目には雫がたまっている。
「めぐは悪くない。これは誰にでもある不安の一つなんだ。罪悪感を抱く必要ない」
格は宝石の魔法を使い、恵夢の顔近くに浮き上がって言った。
「どこに一際大きく不安を感じるかは個人で違うけど、俺にだってシルヴィアにだって不安な事も苦手な事もある。めぐは学校が苦手ってだけで、それは悪い事でも引け目を感じる事でもない。だから……謝るな」
「……うん」
恵夢はついに涙を溢し、頷きながらしくしくと泣き出した。
「望月様……私も格もあなたの理解者です。この試みが上手くいかず、望みが叶わずとも……どうか忘れないで下さい。失敗を慰めてくれる場所があるという事を。私達はいつでも、商会で待ってますから」
「そうだぞ、めぐ。もし駄目でも、駄目だったなって言って、一緒に笑おう。だからさ、泣く程頑張らなくてもいいんだ。気楽にやってみよう」
「……うん」
恵夢は震える手をぎゅっと握り、しっかりと涙を拭った。
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