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第一話

よろしくお願いします。


切望の藁商会―――


それがどこにあるのか誰も知らない。


そこへ辿(たど)り着きたいと強く望んだ者だけが導かれるという噂の、不思議な店。




* *** *** *** * ** **




「んな……っ!? なんじゃこりゃー!!」


ある日目覚めると、千草(ちぐさ)(いたる)はぬいぐるみになっていた。


長く垂れた耳に、黒(ボタン)の丸い目……ふわふわと柔らかな手足に、ぽってりとした腹。

鏡に映った淡紅(たんこう)色の身体……その姿は紛れもなく、愛くるしいウサギのぬいぐるみ。


……ありえねぇ……。


自室の学習机の上で目が覚めた(いたる)は、正面の洋服箪笥にはまった鏡に映る己の姿を見て絶句した。


なんで俺が、こんなファンシーな姿に?


理由も経緯も原因も、何一つ思い出せない。


突如として自身に起こった異変に、思考が追い付かない。目覚める前までは間違いなく人間だった筈だが、何がどうして突然ぬいぐるみになどなったのか。


夢……なんだろうか。


…………。


……。


しかし、答えの出ない問いに頭を悩ませたのも僅かな間程の事。夢であれ現実であれ、こんなおかしな格好でいるなど、耐えられない。


格は頭でっかちで均衡の取りづらい体をふらつきながら起こし、短い腕でぽふぽふと自らの頬を打った。


こうなれば……なるようになれ、だ。


格は悩んでいても仕方がないと、とりあえず腕を振り上げ、足を蹴り出し、長い垂れ耳を前方に振り下ろしてから後方へ振り上げ、全身の動きを確認した。身体は、全て自分の意思で動かせる。


考えるよりまず行動! それが格の座右の銘……もとい、格は考えるのが苦手なのであった。




* *** *** *** * ** **




青々としたクローバーに白い花が咲いているのを横目に、格は"そこ"を目指した。


「にゃうっ、にゃうっ!」


「や、やめろって……っ」


鋭い右ストレートをかましてくる猫を制しながら何とか振り切り、通行人が通る時には落とし物のフリをしつつ『絶対拾うな』と念を送る。長い垂れ耳と淡紅色の身体が悪目立ちして恨めしい。せめて茶や黒のぬいぐるみなら百倍マシだったろう。


それでも格は歩道の端に寄り、気配を消しながら、僅かずつでも確実に歩みを進めた。


何処へ……?


何処でもない……一つの目的地へ向かって。


マントの様に首に巻いてきた空色の縞のハンカチは、お洒落のためでも、ヒーローを気取るためのものでもない。万が一道端で元の姿に戻った時に重要な箇所を覆うための大切な備えだ。完全無防備で外の世界を彷徨(うろつ)ける程、格は豪胆ではない。


「それにしても……っ、こんな小さな身体じゃ、目的地に辿り着くまでに何年かかるんだ……!?」


家族に見咎められないようそっと家を出てから数十分。格がいるのは未だ自宅から数軒先の十字路に差し掛かった所だった。人間の姿なら数分も掛からない距離である事を思うと憂鬱な気分になるが、格は歩みを止めない。場所も、名前も、外観も、目指す先の当てになる情報は一切無いというのに、格はまた一歩を踏み出す。


必ず辿り着けると信じて。


"強く願う"


それこそが、"そこ"へ辿り着くために必要な鍵であり、地図。漠然と、直感的に、それは真実だと格には分かっていたから。


例え、頭を低くし身体を左右に揺らす黒い影が、今にも飛び掛からんと背後で目論んでいる事を知らずとも。



* *** *** *** * ** **



「ようこそいらっしゃいました、千草格様。切望の藁商会へ」


「うわ……っ」


ここが……あの……!?


巷説に聞くその店に自分が突然辿り着いた事に驚き、格はきょろきょろと挙動不審に店内を見渡した。


見える限りには商品の陳列や、メニュー表のようなものは無く、純美な調度品や装飾、派手ではないが一目に良い品だと分かる美術品が要所に飾られている。店舗と言うより、ホテルのラウンジやサロンといった雰囲気だ。


「あー、そちら様は、ど、どちら様で……?」


目の前の男に向かい、格はちらちらと目を泳がせながら訊ねた。

格と、今現在両手で格を持っているこの人物とは相識った仲ではない。にも関わらず、男が格を認知しているという事は、ここが"そう言う"店であるという何よりの証拠だった。


本当に、辿り着いたんだ……。


嬉しさも然る事ながら緊張もあり、格は些かの恐怖から身を強ばらせる。


優しそうに双眸を細めながらも只ならぬ雰囲気を纏った男は穏やかな笑みを浮かべながら、手にしていた淡紅色のぬいぐるみ……格を、ビロードの二人掛けソファに座らせるように置いた。


すると即座に一匹の黒猫が格のすぐ隣にぴょこんと飛び乗って、品良く両前足を揃え、得意顔でこちらを眺めてくる。


「お……お前は……っ!」


道端で俺をサンドバッグにしてきやがった暴力猫……!


忘れる訳も、見間違える訳もない。


捕えたぬいぐるみ(格)をこの場所まで連れて来た犯人でもあるその猫は、漆黒の身体に銀細工の首飾りをつけ、狙うように細められた黄金の瞳で、含み有りげに格を見つめている。


ここへ来る直前。格はこのいたずら猫に捕まり、咥えられたまま走り出したところで気を失った。次に目を覚ましたのは、ぬいぐるみらしく柔らかい格の身体が誰かにしっかり掴み上げられた感覚がした瞬間……つまり、今し方だ。


「申し遅れました、千草様。わたくしは当商会会長、鹿瀬(かのせ)(とばり)でございます。そちらの黒猫は私の相棒、シルヴィア」


仕立ての良い三つ揃えのスーツを優雅に着こなす鹿瀬と名乗った男は、恭しく腰を折り頭を垂れた。

外貌こそ年若い優男だが、悠揚として迫らざる態度は流石、他に類を見ない商品を扱う『切望の藁商会』の商会長だ。


鹿瀬に紹介された黒猫のシルヴィアは、にっこりと微笑むような目をしながら格に頬を擦り寄せた。そんなシルヴィアに向かって鹿瀬が「挨拶を」と命じると、黒猫はまるで言葉を理解しているかのように素直にソファを飛び降り鹿瀬の隣で止まると、つん、と顎を高く上げる。


すると瞬間ふわりと微風が起こり、黒猫だったその姿が突如変化した。猫の代わりにその場に現れたのは、黒い髪の女の子。


「な……!?」


格は驚愕に、人間の姿であれば大きく見開いたであろう黒釦の目を瞬かせた。

銀の首飾りはそのまま、金の瞳を得意気に細めたシルヴィアは、黒色のワンピースの裾を上品に広げて膝を落とす。


「いらっしゃいませ、千草格さま。先程は失礼を致しました。猫の姿の時には、猫の性に逆らえないのです」


猫の性とは動くものに反応してしまうという事のようで、格は素早くその場を去ろうと駆け足になった事を少し後悔した。

だがまぁ、どうであれここへ辿り着いたのだから「気にしてない」と、格はシルヴィアに告げる。


「恐れ入ります。本来であれば私の背に乗って頂きここまでお連れする筈だったのですが……」


慇懃な言い回しであるのに、『申し訳ない』というより『てへぺろ』と言う表現が適している表情で詫びるシルヴィアに、格は苦笑する。


「顔と言葉が不一致だけど……?」


「あら、そうでした?」


だけど申し訳なく思っているのは本当よ? とシルヴィアは小首を傾げ、にっこりと笑う。外見は十一、二歳の少女の姿に見えるシルヴィアだが、鹿瀬同様見た目と実年齢が伴っているのかは分からない。


「シルヴィア……」


窘めるような鹿瀬の声音にシルヴィアはびくりと肩を揺らした。マズイと思ったのだろう、慌てた様子で「お茶を淹れて来るね!」と言って脱兎の如く駆けていく。


それにしても、茶かぁ……。


「茶なんか……用意されても飲めねーよ?」


ぬいぐるみの身体に、開く口は付いていない。この会話とて、格が頭に描いた思念を彼らが感知する事で成り立っているのだ。無論、茶を啜る事など不可能だろう。


「そうでしたね。シルヴィアが先走り、重ね重ね失礼を致しております」


見習いの仕事だとご容赦下さい、と鹿瀬は再び腰を折る。


「怒ってないから、そんなに謝んないでくれよ。それから、敬語じゃなくていい。確かに客だけど、俺は子どもだし……なんか馴れなくてさ」


身体がむず痒いんだよ、と言いながら、格はふっくらした腹を両手で撫でた。


「かしこまりました、千草様」


「名前も、格でいい」


「はい。では、申し付け通りに……格」


「……ああ」


そう答えると鹿瀬は格の座るソファの左斜めに置かれた一人掛けのソファを示し、着席の許可をとってきた。

格が頷いたのを確認し着座すると、鹿瀬は軽く右手を上げる。するとその掌中に突如黒漆の万年筆が現れ、同時に左手には金の縁取りに彩られた上等な用紙が具現した。


口があれば開ききっていたであろう格の胸中は、驚嘆に震えていた。


やっぱり、ここは魔法使いの店なんだ……!


――――『切望の藁商会』

ここは事象を売るという、魔法の店―――




* *** *** *** * ** **




「では、改めて……。依頼内容は、『元の姿に戻りたい』で、間違いないかな?」


砕けた言い方であっても品のある物言いの鹿瀬の問いに、格は頷いて答える。


「聞かなくても分かるんだろ?」


「それでも確認は必要だよ? 全然違う内容で契約されたら、困るのは格でしょう?」


「確かに……」


言いながら鹿瀬は手元の用紙にさらさらと契約内容を記入していく。


「戻りたい理由はある?」


「理由なんか必要か!?」


人間に生まれたのに、突然ぬいぐるみなった。戻りたくない奴なんている訳ないだろうと、格は憤然として柔らかな拳で膝を打った。ぬいぐるみの姿なので迫力に欠ける。


「理由や状況を基に『対価』を決めるから、理由は重要だよ。理由次第では『対価』だけでなく、私がこの依頼を受諾するかどうかも決めるからね。だから格も、本当にこの件を依頼したいなら、私に対してもっと熱烈にプレゼンしてくれなきゃ」


じゃないと断るかも知れないよ? と半ば脅しのような文句を、穏やかな微笑みの中で鹿瀬は宣った。腹の底の見えない男という第一印象は気のせいではなかったらしい。


『対価』とは、この店に依頼するにあたって発生する依頼料の事だ。金銭や物品の場合もあれば、何か行動を要求される事もあるという。


「プ、プレゼン……?」


「アピールしてって事よ、格」


トレーに乗せたティーセットを持ったシルヴィアが会話に加わる。先程より更に砕けた物言いになったのは、鹿瀬に倣っての事らしい。


「アピール……って言っても……」


「難しく考える必要はないわ。思いの丈をぶつけるのよ!」


シルヴィアがウインクしながら語り、格は「うーん」と首を捻る。


「元の姿に戻って、飯食って、遊んで、寝て……家族にも会いたいし、学校に行って、友達にも会いたいし……あとは……」


月並みな理由しか浮かばず、言葉に詰まる。


「あとは……?」


鹿瀬に改めて問われ、格は「あー……」と唸りながら頭を掻いた。


「格! もう一声!」


シルヴィアが煽るのを聞き、やはりこんな平凡な理由だけでは駄目なんだな!? と格は慌てる。


理由……。理由……か…………。


……俺は、とても大切なものを何処かに置き忘れている……? 何故か不思議とそんな思いに急き立てられたが、ついに頭を抱えたまま格はソファに突っ伏した。


格は、考えるのが苦手なのである。


「駄目だ……何も、思い浮かばない……」


そんな格の様子に苦笑しながらも、鹿瀬はさらさらと万年筆を動かした。


「……そう? じゃあ、また何か思いついたら教えてよ」


「わかった……」


後からでもいいなら何とかなりそうだ、と格はむくっと身体を起こし、シルヴィアが注いでくれた紅茶を見つめた。折角だから一口でも飲めればいいのだが、何分口が開かない。


「あ、ごめんね。もしかして飲めない?」


「まぁ……な。気持ちだけもらっとく」


悲しそうな表情を浮かべたシルヴィアを前に、格は居たたまれずに頭を掻いた。


「あー……その、元の姿に戻ったら、また淹れてくれよ。……楽しみにしてる」


格の提案が意外だったようで一瞬目を見開いたシルヴィアだったが、ゆっくり頷き、僅に微笑んだ。


「格……。うん。……仕方ないから、また淹れてあげる」


「……頼む」


そんな両者のやり取りを眺めていた鹿瀬が、苦笑しながら言葉を挟む。


「なんとも癒される会話ですね。和ませてくれた『対価』を差し上げましょうか」


鹿瀬が万年筆を揺らすと、ぬいぐるみの身体に変化が起こった。


「……声を出して、格」


鹿瀬の問いかけに、格は戸惑いながらも従った。


「は……? え!? は、話せる!?」


口が開くようになり、声が出せるようになっていた。


「あ、じゃあ、もしかしてこれ飲めるのか?」


格が紅茶を指して鹿瀬に問いかける。


「ええ。ただ……味は分からないけどね」


「……(意味あるのか、それ)」



* *** *** *** * ** **



格は、手にした金縁の用紙を見て呟く。


「依頼内容……『友達が欲しい』……?」


鹿瀬が格に提示した『対価』は、これ。


子どもに対し『対価』として金銭を要求する事は信念に反すると言う鹿瀬。そのため格は、商会に依頼された他者の願いを叶える手伝いをする事で、自身の『対価』とする事になった。


格に与えられた依頼は『友達が欲しい』と言う、一人の小学生の願いを叶える事。


「これ、俺が友達になれば解決……って訳じゃないよな?」


短い腕を組みながら、格が呟く。


「それだと、依頼終了後に格が帰還したら友達いなくなっちゃうからね。なんとか、学校の中で友達を作れるように導いて欲しいんだ」


「んー……難しそうだけど、とりあえず、やってみる」


格は契約書から顔を上げ、鹿瀬に向かって言った。


「よろしく。一応、期限は一ヶ月間だけど、早くに依頼が終了すれば、それだけ早く帰還できるからね。頑張って」


言いながら鹿瀬は、格の首に巻かれた縞柄のハンカチの中央に、宝石の嵌まったブローチを取り付け「うん」と頷いた。


「このブローチを介して、私やシルヴィアと連絡が取れるからね。困った事があったらいつでも呼んで」


鹿瀬はにっこりと笑い、シルヴィアもその後ろで頷いてくれている。


「わかった、ありがとう。……そんじゃ、行ってくる」


ソファから飛び降り、魔法の門になっている入り口へと足を向けた。


「格ならできるよ! 次こそ私のお茶を味わわせてやるんだから、早く解決してきてよね?」


「……ああ」


シルヴィアが小首を傾げて言うのに、手を上げながら格が応える。


そして開かれた門から依頼人の許へと向かい、格はぴょん、と勢いをつけ飛び出した。


お読み頂きありがとうございます。

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