ボール
※この作品は、再投稿したものがあります。
再投稿したものは、イラストをつけて情報整理しやすくなっています。
「「お母さん?!」」
ひめるとコウカは、声を揃えて驚いた。
「えぇ。お母さんです」
レンはにこやかに、二人に答えた。
お店の手伝いを終えたアニータも、モノを連れて、四人が集まる湖のほとりにきた。
木の幹の上、大きな三つ編みはまるでサソリみたいな、ーー着物姿の女の人。ひめるは、ヤナギと出会ったあの時の光景を思い出していた。
「そうだったんだ。僕、なんかサソリ?みたいに見えちゃって、おかしいこと言っちゃったかもしれないや」
「あーそれは、」
と、レンが言いかけるとピオは咳払いをした。レンは、咳払いをしたピオと目があった。
「気のせいですよ」
ひめるは、一瞬だけ違和感のある空気を感じたが、深く追求はしなかった。
「――うん、そうだよね」
「それより遊ぼうぜ。ひめる、持ってきてくれたか?」
ピオは、立ち上がり背伸びをした。ひめるは、トールからもらった大きさの違うグローブを2つとボール1つを鞄から取り出した。
「おーし。俺が先だー!」
コウカは大きい方のグローブを手に取り、ひめるは小さい方のグローブを手に取った。
木のテーブルでピオとレンは、二人がキャッチボールをしているのを見ながら話をしていた。アニータは、少し用事を思い出したと言って一旦その場を離れていた。
「――ヤナギさん、帰ってきてたんだな」
「えぇ。ついこの間、無期限有給をとってきたとか言って、急に帰ってきたんです」
「あーあの人は、昔から気分屋だよな」
「そうですね。ーーそういえば、明日から、」
「コウカ!」
コウカは、ひめるの呼ぶ声に振り向くと、
「あたっ」
ひめるの投げたボールは、コウカの顔に直撃した。
「ごめーん!コウカー!大丈夫―?」
コウカの遠く離れた向かいにいたひめるは、小走りで駆け寄った。
「え。――」
「――らしいです。なんだか、久しぶりですね。お母さんにいいところを見せないと。楽しみですね」
「あ、あぁ。そう、だな。――」
苦笑いのピオを見て、レンは笑った。
「もう。キャッチボールしている時は、よそ見しちゃだめだよ。コウカ」
「悪い悪い。よし、もう平気だ!もう一回だ!」
「うん!」
ひめるは、再びコウカから距離をおくように離れボールを投げた。
***
「あー。楽しいのう」
シューズが鳴らすスキール音と、ボールが跳ねる音が響く体育館。スポーツウェアを着たヤナギは、冷たい床のステージに寝そべっていた。
「――集中できない」
ピオは横目でヤナギを見ては、ため息をついた。
「行くぞー、おらっ!」
コウカの投げたボールは、ピオに当たった。
「いたっ」
「はい、ピオ当たったー。外野なー」
体育館では、ドッジボールをしていた。
「――だから嫌だったんだ」
ゆるくまとめられた黒髪と、その隙間から見える白い肌のうなじ。スポーツウェアは胸元が見えそうなほど開かれている。ピオは、無防備なヤナギの格好で気が散っていた。ヤナギは仕事がない日、時々臨時で体育の授業を見ていることがある。
「行きますよー!それっ!」
レンが投げたボールを、外野のピオが受け取った。ボールを受け取ったピオはそのまま、コウカを狙った。
「おっと」
しかし、コウカはそのボールを容易くキャッチした。コウカは隙だらけのレン狙おうとした。が、やめた。
「おい!今、手加減したろ!」
「してない!俺はいつも真剣だ!」
「嘘つけ!」
その光景を眺めていたヤナギは、何かを思い出したように奥の倉庫へ入っていった。ピオは、それを見逃さなかった。
手に持ちきれないほどの酒の瓶を抱えてステージに戻ってきたヤナギは、豪快にそれを飲み始めた。
「――あぁ。心地いい」
ピオは頭を抱え、深いため息をついた。
ヤナギは立ち上がり、身につけていた細い帯を一本外すと着物の腕裾を持ち上げるように縛った。そして、ステージの真ん中に立った。
「よし!お主ら!気合を入れてやれ!」
ヤナギの声は体育館に響き、一同は静まり返った。
「スポーツは、気合と楽しむことじゃ!いいか!今のこの時間は二度と訪れない!」
「――はじまった」
ピオは頭を抱えていた。
ヤナギは酒が入ると、人が変わったように熱くなる。
「もし!同じことが起きようとも!それ全てが、全くの同じではないのじゃ!そこにいる誰か一人一人が、そこにいる人の人生における、登場人物なのじゃ!その奇跡が起こす、軌跡こそが!これまでに築いてきた社会で、世界なのじゃ!」
「はい!!」
ピオ以外の一体感を持った一同は、ヤナギに集中していた。
「きけ!お主ら!」
「聞いてるよ」
ピオは心の中で言った。
「この人生は、一度しか訪れない!ボールを投げる方向も、力も、その思いも、失敗も成功も後悔も。もう二度とは来ないのじゃ!」
「大袈裟だな」
また、ピオは心の中で言った。
「だから!いつか必ず終わるその時まで!」
でもその先は、ピオを含めた体育館にいる全員がヤナギに集中した。
「生きるのじゃ!!」
最後の言葉は決まっていつもそれだった。その言葉は、難しいことでもなく簡単でもない。ただ単純な言葉なのに、その言葉が響き渡ると歓声が上がった。
歓声の中で、レンはいつも嬉しそうに泣いていた。ヤナギは、それを見て嬉しそうに笑った。ピオは、この瞬間が好きだった。
――体育館の外、壁にもたれかかる一人の姿。
「――」
足元には、宅配サービスの白いキャップと、ヤナギが飲んでいるのと同じ酒が何本もあった。そして、その酒を飲みながら、響くヤナギの声と歓声を聞いていた。
読んでくれてありがとう。
体育館で聞くキュッキュッって音、あれスキール音って言うんですね。初めて知りました。
ドッヂボールは大人になってもやりたいです。