第七章 融合
「聞いたかよ? あいつ、今西……」
「聞いた、聞いた。マジで……キモいよな。拉致った子に猿轡して口を塞いで、何度も挿れたって話だぜ」
「うっわー、ドン引き。俺ら、今までそんなのと普通に喋って、ラグビーとかしてたのかよ」
通学路、校門付近でそんなヒソヒソ話が聞こえた。
そんな話をしているのは、他でもない。ラグビー部員の山川や古道だ。
昨日までは同じ部員……同じ組織に属する仲間だったのに、もう自分達とは切り離している。それどころか、軽蔑し、非難し、退屈な日常に現れた『非日常』……話題のネタとして扱っている。
(お前らだって、同じだろ)
僕は思う。
誰だって、変わらない。
誰だって、本当の醜い姿を隠している。
自分の中に潜む『魔物』を隠している。
皆の前では『自分』を演じている。
ピエロの仮面を被っている……。
校門付近では、大層な撮影機器を持った放送記者達が待機していた。彼らは、生徒達にマイクを向ける。
「いやぁ、彼は明るくて、皆の人気者で……全くそんなことするようには見えなかったですよ」
マイクを向けられた生徒はヘラヘラと答えていた。
(同じだろ、お前だって……)
そんな言葉が、僕の中を沸沸と熱くした。
「今回の少女拉致事件を起こした今西くん……どんな生徒でしたか?」
校門を通り過ぎようとした僕にも、放送記者の好奇心本位とも受け取れるカメラが向けられた。
僕はカメラに向かって一片も表情を崩さずに口を開いた。
「彼はピエロ……僕と同じです」
「ピエロ?」
放送記者は、全く予想だにしていなかった不可解な言葉に眉を顰めた。しかし僕は、声を張り上げて堂々と主張する。
「彼は皆の前ではお調子者を演じていましたが、それは仮面を被っていたのです。本当の自分は醜く、少女の歪んだ顔を見てエクスタシィを感じる……それは僕も同じです。僕も皆の前ではピエロを演じているのです」
「ちょ……ちょっと、止めろ。取材撮影を止めろ!」
放送記者は、突然の事故に慌てる。
しかし、僕はそんなことはお構いなしに声を張り上げた。
「みんなも、同じなんじゃないですか? 放送記者さん。あなただって、そうでしょう? 仮面を被って、醜い自分を隠している。でも、本当は美しい者を汚したいと思っているんだ」
放送記者達は即座に僕の側を離れ、突然の放送事故の処理にあたふたしている。
僕はそんな記者達を尻目に……呆気に取られている生徒達の中を抜け、校舎へ入って行った。
自分の言葉は真実だ。皆が目を背けている真実をありのままに語っただけ……。
僕の中では、熱い血が燃えたぎり、逆流しているかのようだった。
その日は授業にならなかった。
教師は絶え間なく鳴る電話の対応に追われている様子だった。
今西はあの日、公園にいた一瀬 朱美を拉致して、自宅に連れ込んで暴行した。
両親は共働きのため、家には誰もいなかった。
朱美はロープで拘束され口も塞がれていたため、音も声も出すことができず、近所に気付かれることもなかった。
しかし、次の日……今西の部屋の押入れに監禁されていた彼女は、必死の思いで足を縛っていたロープを解き、押入れの壁を蹴り続けた。それは、外から聞くに微かな物音だったが……少女の失踪事件で神経質になっていた近所住民は不審に思い、警察に通報したということだ。
憔悴しきった校長が体育館に全校生徒を集め、「不必要に不安を煽らないように」と釘を打って生徒は解散となった。
*
鉄格子に向けられたピエロのニタァと笑った笑顔は、一歩ずつ僕に近付いてくる。
身の毛のよだつ恐怖を感じていた僕はしかし、ピエロが歩を進める度に少しずつ恐怖が薄れてゆくのを感じる。
何故だろう?
それはきっと、こいつは自分自身だからだ。
自分を覆い隠して醜い自分を隠していた自分自身。
『本当の自分』を檻に閉じ込めていたこいつは、やはり……紛れもなく僕自身なのだ。
そのことを理解するにつれて、僕は……僕の中に潜む『魔物』も、こいつと『融合』することに対する恐怖が薄らいできた。
いや、寧ろ、『融合』したい。
そうでなければ、自分は存在できないような気さえした。
ピエロは不穏な笑みを崩さぬまま、鉄格子の間から僕に手を差し伸べる。
僕は恐る恐る、その手を握る。
ピエロと僕はゆっくり、ゆっくり歩み寄って近づき、そして……。
融合して、一つになる……。
*
朝。
ニュースで、少女殺傷事件の犯人はやはり解離性人格障害と診断され、無罪判決が出たと報じられた。
遺族の無念、悲しみは計り知れないものでしょう、ともキャスターは神妙な面持ちで話した。
僕の母親は、「酷い話よねぇ」と眉を顰めた。
しかし、僕はこの犯人は僕自身……そんな気がしてならなかった。
あの夢はこの犯人の体験そのもの、夢の中で感じたエクスタシィはこの犯人のもの、そして、僕はあの公園で『第五の犯行』に及ぼうとした……。
そんな考えが頭を支配するとともに、僕の心臓は強く拍動し、息苦しくなってくる。
今西の事件については、『犯人逮捕……またしても高校生』と報じられていた。少女殺傷事件に影響を受けての犯行だったのだろう……とも。
しかし、被害者は一人で死傷はない……という点で、取り上げられ方は心無しか小さいようにも思えた。
昨日よりはやや落ち着いた様子の学校の教室に入る。
クラスメイト達も落ち着いたのか、悪口の対象は僕になっていた。こいつらにとっては誰でもいい……誰かを魔物にしないとやっていけないのだ。
「相沢じゃなかったのな、犯人。絶対、やるような奴はあいつしかいないと思ってたのに」
「でもあいつ、放送記者のインタビューで、自分も同じ……とか言ったらしいぜ」
「うわっ、マジかよ。じゃあ、あいつがまた、今度は殺人事件を起こす……勘弁してくれよ」
着席した僕に、そんな言葉が容赦なく浴びせられた。
(僕も同じ……確かに、その通りだ)
僕の鼓動は速くなる。まるで、全身が脈打つかのよう。
(でも、お前らも、同じだろ。お前らも……)
その時……
『ゴォォーン!』
激しい耳鳴りがして、僕は頭を抱えこんだ。
頭の中を、グルグルと回る。
満員電車の中の真っ白な群衆。
僕の中に潜む魔物に汚されて苦痛に顔を歪める少女。
手にナイフを持ち、少女に近づくに連れて感じる高揚感。
少女の背中にナイフを突き立てた瞬間のエクスタシィ。
瞳の輝きを失いそうな少女の命が消失するまで突き続ける快感……自分の中に潜む魔物。
罪悪感に震える、真の自分。
そして、その全てをニタァと笑いながら見ていたピエロ……。
それらが頭の中をグルグルとまるで竜巻のように駆け巡る。
「うわぁあ……」
僕は声を上げる。
目まぐるしいスピードでグルグルと回転する頭の中に付いて行こうと、僕の心臓は必死で速く、強く収縮する。
「あぁあ、わぁあー!」
声を張り上げる。
力の限り……。
拍動が頭の回転速度に付いて行けない……。
体の感覚が薄れてゆく。
自分の体が自分のものではなくなる……!
心臓は拍動を止めた。
確かに止まった。
そして、僕の中で分離した全ての領域……魔物、エクスタシィ、真の自分、そしてピエロ……。
それらが、僕の中で融解する。
融解した全ての自分はお互いの中へ溶け込み……融合してゆく。
自分の存在を主張しながらも、互いを認め合い、融合する。
融合したそれらは、ただ一人の『僕』になった。
そして、僕の心臓はゆっくりと拍動を再開した……。