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ピエロ  作者: いっき
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第五章 魔物

 いつも通りの帰宅路は、今日はいつもと違った。いつもモノクロに見える街並みは、鮮明に色付いて見える。


 それはきっと、僕は最早、ピエロを演じる必要はないからだ。

 何故なら、僕がピエロを演じていたことは周知の事実だったから。

 少女殺傷事件の犯人が、それを皆に広めてくれたから。


 僕は自分の中に存在する『魔物』を隠す必要もない。

 自分の中に『魔物』が存在するということもまた、少女殺傷事件の犯人が広めてくれたから。


 だから、僕は自分の欲望のままに行動すれば良い。

 そう、誰に隠すこともなく、自分の欲望のままに……。



 家への帰路の途中、公園に差し掛かった。

 砂場に、ジャングルジムに、滑り台……どこにでもある、普通の公園。

 僕が幼い頃、毎日のように一人で遊んでいた公園。


 その公園に一人、ウロウロと歩いて辺りを窺う少女がいた。

 小学低学年……三年生くらいだろうか。

 肩まで伸びた髪のサラサラとした感触が見ているだけで伝わってきそう。

 汚れを知らない純粋なその顔は、僕の中の魔物を燻らせるのには充分だった。


 僕はその公園に入る。

 僕の中で、鼓動がドクン、ドクンと跳ね上がる。

 少女に近づくにつれて、僕の脳内からは熱く、冷たいものが首を伝って下りる。

 そして、それは、僕の心臓をさらに強く伸縮させる。


 少女に一歩、また一歩と近づくにつれて、僕は変化する。

 そう、ピエロでもない。

 臆病な自分でもない。

 この純粋な少女を汚す、魔物に変化する……。



 僕が少女に手を伸ばそうとした、その時!


「由麻~!」


 公園の門の辺りから、大人の女性の声が聞こえた。僕は、伸ばそうとしていた手を引っ込めた。


「あんた、何してんの?」


 母親と思われるその女性は、少女に駆け寄った。


「朱美ちゃんとかくれんぼしてたんだけど、どこ探しても見つからなくって」


「もう~。朱美ちゃんと遊ぶにしたって、一旦は家に帰りなさいって、いつも言ってるでしょ」


 母親は少女の手を握り、僕に不審そうな目を向けた。

 そう。

 まるで不審者を見るような、訝しげな目……。


 僕は、一目散に駆け出した。

 公園の門を抜け、いつも通りの道を自分の家へ向かい、真っ直ぐに走った。


 家に着いた頃には、いつになく全身から汗が吹き出して、まるで呼吸困難に陥ったかのように咳き込んだ。


「あら、そんなに汗だくになって、どうしたの?」


 いつものリビングに入ると、母親がまるで無機質な口調で尋ねた。その部屋ではテレビが点けられ、連日の、あの事件に関する特番が流れていた。


 僕は母親には何も答えずに、その特番を見た。こんな内容だった。


 例の殺傷事件の犯人の少年審判が始まった。その審判は、被害者側の遺族が傍聴する中行われたのだが……それはそれは酷いものだった。


 少女達を刺した瞬間に感じた快楽、血を流しうめき苦しむ彼女達を汚すエクスタシィ……そんなことを少年は、遺族達も傍聴しているということを気にする様子もなく、少女の一人一人について事細かに語ったのだ。全く悪びれる様子もなく、所々、少年の笑い声も響いていたということだった。


 遺族達は皆、涙を流しそれを傍聴した。

 激しい怒りに震えながら……少年への憎悪を燃やしながら。

 中には傍聴中に気分を害して吐いたり激しい目眩に倒れ、傍聴を中断せざるを得なくなった遺族もいた。


 しかし、少年は『あんな快楽を味わうことができて、自分は幸福だった』と、そんな言葉を発したのだそうだ。それも、高笑いの声を響かせながら……。


 その、あまりにも救いのない出来事がトラウマとなり、遺族達はほとんどが精神科に通い、心理カウンセリングを受けている、とのことだった。


 母親は眉を顰めてテレビを消した。


「全く、なんて子なんでしょうね。親の顔が見てみたいわ」


 しかし、僕は……先程まで自分を支配していた『魔物』から替わった『素』の僕は、激しい動悸に襲われた。


(ドックン、ドックン……)


 息苦しくて堪らない。


 即座にリビングを出て、自分の部屋に入った。布団を被り、ガタガタと震える。


 あの少年は……四人の少女を殺傷して強姦した少年は、魔物だ。自分の欲望そのもののことをした魔物。

 しかし、自分も何も変わらない。

 今日、あの公園で、少女の母親が現れなかったら、僕はきっと、魔物と化してあの少女を汚していた。

 いや、もうすでに汚している。

 電車の中で、あの路地で、自分の意識が自分の中になかったとしても。

 自分の欲望のままに、三度も……。


(あれって……犯罪だよな。

 きっと、今頃、少女は被害届を出して、警察は犯人を捜してる……。

 次に電車に乗った時……僕は逮捕されるのではないだろうか。

 逮捕されたら、僕はどうなるんだ?

 一生、痴漢としてのレッテルを貼られ……僕の人生は真っ暗闇なのではないか?


 嫌だ……怖い。

 僕は、自分の人生が怖い……!)


 今さらになって、自分のしたことの恐ろしさに、体中がガタガタと震える。

 布団に包まった僕の目は……まるで余程大きな猛獣から隠れる小動物のように震える僕の目は、僕の机の上に置かれたピエロの人形を捉えた。


 そのピエロは、ニタァと不穏な笑みを浮かべている。その笑みに、僕は身の毛のよだつような恐ろしさを感じた。


 ピエロは、何もかも知っている。

 本当の僕も、僕の考えていることも、僕の中に潜んでいる『魔物』も……。

 知った上で、まるでそんなことは知らないかのように……そんなことを全て覆い隠すような笑顔を浮かべている。


 僕は、この笑顔に隠された『真実』が怖い……『魔物』をも覆い隠してしまう、この笑顔が怖い。

 ピエロが怖い……怖いんだぁ!


 布団に包まったまま、僕はいつの間にか意識を失った。



 少女はグッタリと倒れこむ。

 先程までみずみずしいエネルギーを放っていたその体は嘘のように、生気を失う。

 先程まで瞬く星のように輝いていたその瞳からは、光も失われる……。


 そんな彼女を見た僕は、心の奥底からエクスタシィが沸き起こる。


 それは、美しい者を傷つけたことへの快楽。

 先程まで、何者にも犯されていなかった、純粋で美しい顔が苦痛に歪むことへの享楽。

 瞳に微かな光を灯し、それでも懸命に生きようとする少女を踏み躙ることへの興奮……。


 僕はそのエクスタシィに身を任せ、微かな体温を持ち僅かに呼吸を続ける少女の衣服を剥ぎ取り……汚す。

 ナイフの根元から滴り流れ続ける赤く温かい血は、僕の性的興奮を掻き立てる。

 激しく、激しく……僕は少女を突く。

 微かに灯っていた少女の命の灯火が、まるで蝋燭の火が風に揺れるかのようにゆらゆらと、消えたかと思えば、また僅かに灯る……そんなことを繰り返す。


 そして、僕が果てた瞬間……少女の命の灯火も、完全に消失した。


 人形と化した少女……それを見て、僕はゲラゲラと笑う。


 何故だろう?

 笑わずにはいられない。


 それは、生命を失って人形と化した、この少女に対して?

 この少女の美しい生命を醜い自分が奪ったことに対して?

 それとも……これほどまでに残虐な行為を行った自分に対して?


 笑いながらも、その理由を自問した。


 しかし、自問の最中……またしても、『ガチャン』という音とともに、目の前に鉄格子が現れた。


 鉄格子の向こうには、やはり薄ら笑いを絶やさないピエロが立っている。

 こんな僕を見ても、ピエロは一片たりとも表情を崩さない。


 そのことに、僕の背筋は凍りついたように冷たくなる。


(嫌だ……その笑みを僕に向けるな!)


 しかし、ピエロはやはりじっと僕を見つめている。


 嫌だ……怖い。

 僕は怖い……ピエロが、魔物が、自分自身が……!

 怖い……怖い……怖いんだぁ!



 汗まみれで飛び起きた僕は、寝巻きのズボンが濡れていることに気付いた。

 これは、失禁?

 それとも……?


 体の震えが止まらなかった。

 夢の中とはいえ、僕は確かに殺人を犯した。それは、あまりに鮮明で……自分の脳内で明確に再生できる。


 僕は確かに、魔物だった。

 少なくとも、今の夢の中では……いや、いつでも、僕の中に潜んでいる。

 そして、僕は夢の中で魔物に変化して……殺傷事件の少年はきっと、現実世界で魔物に変化して、少女を刺して汚したのだ。


 いや、僕と彼は同一人物だ。

 同一……。


 僕の目には、机の上のピエロが映った。僕の全身は凍りつく。


 本当の僕は……僕という名の魔物は、このピエロによって封印されているのだ。

 心の檻の中に、冷たい鉄格子の中へ……。

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