しゃれこうべの旦那様〜新婚早々に亡くなった夫が髑髏になって戻ってきました〜
ハロウィンということで、書きたくなった設定を書き殴った感じです。
「病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、愛しあうことを誓いますか?」
神父の言葉にソフィアは「誓います」と返事をした。続いて夫となったダグラスの低い声による「はい」と答える声も聞こえた。
純白なウェディングドレス。ヴェールで顔を隠したままのソフィアは、神父の合図により新郎であるダグラスの方を向いた。
顔二つ分は長身のダグラスは、金色の髪を普段以上に整えられ、黒のタキシード姿によく映えていた。ソフィアが何日もかけて選んだ新郎服は彼によく似合っている。満足そうにソフィアは微笑んだ。自身のドレスなど数分で決めたが、夫となるこの男の服選びに時間を掛けた甲斐があったものだ。
この夫となる男、ダグラスは顔立ちも良く色男と言われても良いほどの男前だったが、いかんせん不愛想な上に自身の見栄えに無頓着であるがため、結婚式の日取りが急遽決まった時、適当に済ませようとしていたところをソフィアが急いで止め、彼女が式の服から何まで全てを選んだのだ。
「誓約の証を」
神父に言われ、修道女が指輪を運んでくる。
互いが互いの指に誓約を刻んだ指輪を嵌める。夫なるダグラスの指は骨張って無骨だった。けれどソフィアはこの指が気に入っている。
シンプルな銀の指輪にして良かった。これもよく似合っている。
「それでは誓いの口付けを」
言われ、緊張した手つきでダグラスはヴェールをあげた。
翡翠色の瞳が緊張した面持ちでソフィアを見つめている。
そうして初めて口付けを交わし、人の少ない教会からパラパラと拍手が贈られた。
この招待客の少ない結婚式こそが、アルスター公爵当主であるダグラス・アルスターの結婚式であるとは、この場にダグラスを知らぬ者がいれば信じないだろう。
急遽決定させた結婚式には理由がある。
近々遠方に商談の視察に向かうダグラスを切っ掛けに、遠縁でありアルスター公爵位を狙う者が動こうとしていると嗅ぎつけたからだ。
今まで婚約者として月に一度顔を合わせる程度であった伯爵令嬢のソフィアに、急ではあるが結婚式を行いたいと言われた時、ソフィアは不満一つ述べずに了承した。
そもそも婚約期間がやたら長く、気付けば世間の適齢期から少しばかり遅れているソフィアには「やっとか」という気持ちでもあった。
十年以上前に決まった婚約者だったが、話を聞くに彼の公爵家は以前から相続争いが煩く、婚約者がいるにも関わらずどうにかしてダグラスを落とそうとする輩が多いと聞いていた。何度も結婚の話が出ては邪魔されることも多かったり、あとはダグラス自身が仕事人間だったことも良くなかった。
いよいよ相手が動こうとしていると聞いて、ダグラスが急ぎ結婚しようと言ってきた。
強行的に結婚を行うために、質素な結婚式を急遽行うことになった。それでもソフィアには十分だった。
友人に話せば信じられない。婚約破棄しても良いのではと言われても、ソフィアは気にしなかった。月に一度程度とはいえ、十年来の婚約者が嫌いではないし、彼の性格も理解しているソフィアには彼の気持ちも理解できていた。
若くして公爵夫人になればソフィアが苦労するであろうことを理解していた彼は、ソフィアが大人になることを待っていたのだろう。
勿論、口にして言われたことは無いけれど。
ソフィアは隣を見上げた。
視線に気づき、不器用そうにダグラスが微笑んだ。
苦労は絶えずあるだろう。けれど、彼となら共に歩んでいける自信がソフィアにはあった。
無骨で、不器用で、それでいて優しい大きな手を合わせながら、二人で並んで教会の扉まで歩き出した。
式の後、親族や貴族達に結婚の報告を行った。
周囲は当然大騒ぎとなったが、新婚期間という大義名分で二人は屋敷に引きこもっていた。
蜜月を共に過ごすため……という名目以上に、やらなければならない事務作業が多かった。
今まで遠縁の名前で書かれていた土地の権利書や後継者に関係する書類を全て妻であるソフィアの名前に。彼女との子が生まれた場合、その子を直系として後継者とする遺書のような物まで細部にいたり徹底した。
今まで下準備をするだけして、いっきに行動に移したのも、常に邪魔が入るために出来なかったためだ。
更にダグラスは公爵家の広大な領地の視察を頻繁に行うため屋敷にいる機会は少ない。
その間屋敷を取り仕切るのは妻の役目となる。生半可な覚悟では屋敷を切り盛りするには技量がなくては出来ないが、ソフィアが婚約者と決まってから今に至るまで花嫁修行と称して屋敷管理の勉強もしてきた。
その完成度も結婚のきっかけになったかもしれない。
「暫く留守にする。お前には苦労をかける」
「想定済みですのでご心配なく。貴方様の無事の帰宅をお待ちしておりますわ」
新婚による休暇を一週間取ってすぐにダグラスは予定通り商談に向かうことになった。
屋敷の入り口で別れの挨拶を済ませる。
馬車では部下ではあるものの油断ならないダグラスの従兄弟の姿もある。無事に戻れるか心配ではある。人の情を知らない彼の縁戚は、それこそ人を雇いダグラスを襲おうとすることさえ躊躇わない者達だったからだ。
当然、主が不在である間ソフィアは自身の周辺を護衛する者を雇った。また、ダグラスにも信頼出来る護衛を付けている。
しかしどれだけ準備をしていたとしても、心配であることは変わりない。
人の命は脆く、壊れやすいのだから。
「…………どうか気をつけて」
ソフィアは心から無事を願った。
長身で無表情であったダグラスは、心配する妻の頬に優しく触れ安堵させるように触れた頬に軽く口付けた。
「……行ってくる」
最後まで視線を離さず、何度も振り返りながらソフィアの夫は旅立って行った。
それが、夫の無事な姿を見た、最期の日であった。
「遺体は殺害された後、馬車と共に燃やされておりました。とても奥様に見せられる御姿ではございません……」
悲痛な面持ちで、従者は言う。
彫刻が刻まれる棺が目の前に運ばれてきたというのに、ソフィアは開くことさえ許されなかった。
この中に、本当に夫がいるというのだろうか。
「奥様……!」
従者の声を聞かず、ソフィアはそっと棺を開けた。重く閉ざされていた棺を少しばかり開けてみれば。
微かな光が差す中に、髑髏が見えた。
綺麗に洗われたのだろうか。汚れは見えない。
「………………っ!」
ソフィアは思わず口を押さえ、その場から離れた。
このままでは夫の亡骸を前にして嘔吐してしまう。それだけはならなかった。
どうにか喉まで迫った物を飲み下し、荒い息を整えながら考えた。あれは、本当に夫の遺体なのだろうか。証拠は? 誰が夫と判断した?
落ち着きを取り戻した後、従者の前にソフィアは立った。
その表情は青くなり、今にも倒れそうなほど弱っていた。
「夫である証拠は……何処にあるのです……?」
「……ご遺体の指にこちらが嵌められておりました」
丁重に差し出されたそれは、ソフィアが購入したダグラスの結婚指輪だった。
簡単には抜け落ちないよう、彼の指に合わせて特注した。
指輪の裏側には誓約が書かれている。
『死が二人を分かつまで』
「……そう…………」
ソフィアは力なくその指輪を見つめた。
つい先日、この指輪を交わし合った結婚式を思い出す。
そう、つい先日なのだ。二人が夫婦となったのは。
婚約期間は長く、付き合いも深かった。事情もあったとはいえ、漸く夫婦になれた。
そしてもう、失った。
「そう……貴方はもう……私を置いて逝ってしまったのね……」
とめどなく流れ落ちる涙の滴がぽたりぽたりと掌に置いた指輪に当たる。
彼の指に嵌められた指輪は、あっという間に持ち主の手を離れソフィアの手元に戻ってきてしまった。
暫く俯き涙を零す夫人を前に、従者達はそっとその場を離れた。
扉の閉まる音と同時に、ソフィアはズルズルとその場に崩れ落ち。
これから待ち受けるであろう長く重い人生に、ソフィアは密かに絶望した。
それから葬儀を済ませることになったが、思った以上に手が掛かった。
喪に服す黒いドレスを身に纏ったまま、ソフィアは重々しくため息を吐いた。
ダグラスが亡くなったことを幸いとばかりに縁戚達がソフィアを攻め立ててきたのだ。挙句にはダグラスを殺害したのではとの嫌疑までかけられた。
ダグラスと同行していた彼の従兄弟もまた襲撃により殺害されていた。その事が今回の犯人がソフィアであるという疑惑が浮上した原因でもある。
勿論、それは噂なだけであって、実際に警備隊には無実だろうとは実証されている。それでも安全とは限らない。証拠などというものは捏造されることがあるのだから。
ダグラスと共に生前済ませていた手続きが全て完了していたことは不幸中の幸いだ。
まるでこうなることを予感していたのではないかと思うぐらい、ダグラスの手腕は鮮やかだった。
彼自身がソフィアにも知らせていなかった個人で認め、弁護人に渡していた遺言書や、ソフィアが介入しないことにより、ソフィアとダグラスの仲が不仲ではなく、親しい間柄であることの証明を第三者を立てることで行っていたりなど、亡くなってもなおソフィアを助けてくれることが多々あった。
最優先事項としていた領地管理や爵位に関しては全てソフィアに一任されていた。
縁戚達は怒り狂っていたが、暫くは黙らせることができるだろう。
けれどそれも、一人では太刀打ちならないことがある。
特に女というだけで低く見られており、信用も女という立場では弱い部分もある。
縁戚達が勢力を増される前に、どうにか全て解決させる必要があった。
日々疲れは増し、眠れない日々も増えた。
葬儀の日取りは決まっていた。既に棺の中に髑髏となって眠る夫の葬儀は、亡くなってから一週間も経ってから執り行われることになった。
親戚達が自身が喪主になるのだと煩く、実施する日が遅れてしまったことはダグラスにとって申し訳ないと思っていた。
「ようやく貴方を天に還すことができそうですよ」
祭壇を作り、棺を置いた聖堂にソフィアは座り亡き夫に話しかけた。
不幸中の幸いなのか、葬儀までに時間を要しても問題が無かったのは、それも遺体が腐らないだろうからという理由だ。そう発言した親族の忌々しさたるや。
「一体、誰が貴方を殺したのかしら?」
棺に眠る夫に語りかける。
事故があってから何度となく噂された首謀者の名は、彼の縁戚達であった。彼の遺産や後継を狙い、様々な手続きが終わる前に彼を殺そうとしたのでは。
従兄弟も殺害されたことにより、従兄弟の父であった叔父夫妻も激怒し、犯人を探し当てようとソフィアにまで協力を求めていた。
ダグラスを誰よりも追い出したかったであろう叔父夫妻がそのように声をかけてきたことには驚いた。それだけ、従兄弟が殺害されたことが悲しかったのかもしれない。
ダグラスは生前から親戚の誰かしらに狙われることも多かった。それだけ彼の縁戚は悪辣だったのだ。
今回も親戚の誰かしらが犯人なのだろうとソフィアは踏んでいる。
けれど証拠が無い。
現場をいくら探させても、何一つ出てこなかった。
ソフィアは奥歯を強く噛んだ。
悔しい。
夫を、ダグラスを殺した者がのうのうと生きていることが。
せめて夫のためにも夫を殺害した者を縛り上げたかった。
「私は諦めないわ……貴方を殺した人を必ず見つけ出してみせる」
棺に眠る夫に寄り添い、喪に服したドレスのまま棺にもたれかかった。
死が二人を分かつまでとは約束したけれど、あまりにも彼がいなくなるのが早すぎた。
置いていかれたソフィアはこれからどう生きていけば良いのか分からなかった。
ただ、一つだけ確かなことは夫を殺害した者を見つけだすこと。そして、夫の遺した資産を敵の手に渡さないこと。
棺にもたれかかっていたソフィアが、ふと肘をつきながら棺に向かって話しかけた。
「ねえ、誰が貴方を殺したの?」
死人に口なし。語ることがないことは重々承知しているけれど、ソフィアは聞かずにはいられなかった。
彼が教えてくれれば、一番楽なんだけれども。
そう考えて少しだけ笑った。
けれど笑顔は次の瞬間、凍りついた。
「エイドリアン叔父上だ」
低い声だった。
肉声なのか、それとも脳裏に直接話しかけるような響きなのか分からないくぐもった声が聞こえた。
棺の中から。
「…………え?」
誰が言ったのだろう。
エイドリアンという名はソフィアも知っている。ダグラスと共に殺害された従兄弟の父であり、ダグラスの叔父。そして最も爵位を望んでいる縁戚の一人。今回の殺害の容疑者としても名が挙げられていたが、彼の実子もまた殺害されていたことから除外されていた。
いや、それよりも。
誰が、喋ったの?
ソフィアは慌てて棺から離れて周囲を見回した。自身以外に人の気配は無い。
「誰……? 誰かいるの……? 何を知っているの?」
もし事故があったその場にいたのであれば教えて欲しい。
ダグラスがどのように死んでしまったのか。
ダグラスの最期を。その犯人を。
「お願い、姿を見せて!」
「…………」
誰かの溜息が聞こえた。
何かを躊躇するような、出て良いのか考えあぐねているのかもしれない。
「お願いします……! 夫を、ダグラスを殺した者を知りたいの……!」
ソフィアは涙を浮かべながら叫んだ。
彼女の叫び声が聖堂に響く。
屋敷内の小さな聖堂。人が隠れるような場所は無いというのに。
声の主は正体を表さない。
ソフィアの涙が床に溢れる。
「お願いよ……」
夫の最期を教えて。
夫がどう思っていたのか。どうして欲しかったのか。
たった一つの欠けらでも構わない。
夫に繋がる何かを知っているのなら。
俯き涙を流しているソフィアの近くで、何かが開く音がした。
ソフィアは顔をあげた。そして、目の前で起きている信じられない光景に息を止めた。
棺から骨の手が伸び、棺の端に手を置いていた。
意思を持ったかのような骨の手。誰かが操作するでもない動き。
骨の手が力を込めれば、眠っていたはずの身体が起き上がる。
夫の礼服を着た骸骨とソフィアは目が合った瞬間。
ソフィアは意識を手放した。
眠っていたソフィアの額に冷たい何かが当たる。
水を含んだ布だ。
頭を冷やしてくれるそれのお陰で、ソフィアは意識を浮上させた。
「目が覚めたか」
開いた目が最初に見たものは、髑髏だった。
「ーーーーーーーーー!!!」
「待てソフィア、落ち着いてくれ」
横になっていたソフィアは勢い良く飛び上がり後ずさろうとした。
けれど、どこか聞き覚えのある声を放つ髑髏の引き留めにより、ソフィアは逃げずに済んだ。
髑髏は夫の礼服を着ていた。
髑髏の声は夫に似ていた。
髑髏の骨の薬指には、ソフィアと揃いの結婚指輪が嵌められていた。
あの指輪は、彼を棺に入れる時、彼の指に嵌めたものだった。
「………………………………ダグラス、なの…………?」
「そうだ。だいぶ姿が変わってしまったがな」
夫は死んでも相変わらずだった。
「変わりすぎでしょう……?」
骨になってしまったのだから。
髑髏に表情が無いため、それどころか顔もないため、どのような感情があるのかは分からない。
それでも、ソフィアにはこの骸骨がダグラスなのだろうと思った。
指輪を嵌めていなかったら疑ったかもしれないけれど。
「…………どうして? どうして貴方は動けるの?」
貴方は、死んだはずでしょう?
「俺にも分からん」
髑髏はあっさり答えた。不思議なことも、その声色はダグラスのものだった。おかしい。声帯もとっくに燃えているというのに。眼球もないのにソフィアを識別している。筋力も無いのに骨は自由に動いている。
ソフィアは現実逃避したくなったし、神に祈りたくもなったが。
それでも祈る内容は彼を天に還すことではなく。
「神よ。私の元に夫を返して下さりありがとうございます」
冷たい骨の手を握りしめ、ソフィアは微笑んだ。
ソフィアにとって、髑髏だろうとダグラスはダグラスだった。
壊れてしまいそうなほど細く、ひんやりとした夫との再会だった。
それからソフィアの行動は迅速だった。
夫を殺害するに至るまでの流れを確認した。
そもそも、彼の叔父であるエイドリアンに容疑がかからなかったのは、ひとえに彼の実子である従兄弟も殺害されたからだった。しかしダグラスの証言からは、実の息子すらも殺害してまで行為に及んだというのだ。
あまりにも非道な叔父の行いを黙って見過ごせるわけもなく、ソフィアはダグラスと共に殺害された場所に向かい、事件当初に残されているであろう証拠を探した。
エイドリアンが隠蔽した証拠の在処を、命が尽きる直前まで見ていたというダグラスの話は、聞くだけで心が痛んだ。証拠を残さぬようにと火をかけられたところで命が尽きたのだと、彼は淡々と語る。
その光景を思い浮かべるだけでソフィアは涙が零れ落ちた。
骨と化した指が涙を拭う。
「もう大丈夫だ。俺はここにいる」
躯となって、既に体を持たぬ身となったというのに、ダグラスはソフィアを慰めた。
ダグラスとて、苦しくなかったわけではない。
鋭利な刃に刺された箇所は骨となった身でも傷が残っている。意識もなく命が途絶えていたとはいえ、自身の身を焼かれたことに恨みは深い。
だが、ダグラスが命尽きる瞬間まで思い描いたものは彼女だった。
若き妻の未来が心配だった。
妻が己の死を知ったらどれほどに悲しむか。
気を付けてと、別れ際に告げた寂しそうなソフィアの顔ばかり思い浮かび。
結婚式の日に結んだ誓約を果たせないのかと悔やみ。
悔恨ばかりを抱いたまま眠りにつき。
目覚めた時には棺の中、髑髏の身となっていた。
それでもダグラスは幸せだった。
妻に会えたのだから。
己が一体どうなってしまったのか不安はある。
だが、命が尽きた瞬間の時を思えば、今の状況は幸いでしかなかった。
命はもう無いけれど。それでも尚、ソフィアの元に居られるのだから。
「何故だ! どうして……!」
「エイドリアン叔父様。貴方の証言は裁判で仰って頂けますか? 我が夫と実の息子を殺害した罪、きちんと償って頂きます」
極秘裏にダグラスと共に集めた証拠を突き付けた後、憲兵に拘束されながら喚くエイドリアンにソフィアは冷たく言い放った。
半年ほどかけて徹底的に証拠を集めた。叔父の悪事も含め全てを洗い出し、憲兵に協力をあおぎ、ようやく復讐を果たす時が来た。
実の息子までも殺害していたと知った彼の妻は憎々しいまでに夫を睨んでいた。他にも息子はいるからと、血の繋がりを持つ息子までをも殺した男は、妻が息子に抱く愛情をも犠牲にした。
エイドリアンを主軸としたダグラスの親戚は、この機会をもって大分委縮した。ソフィアが-実際にはダグラスとだが-アルスター公爵家の運営をつつがなくこなし、落ち度一つ見せることなく取り仕切る姿に、誰もが口を閉ざしたのだ。
誰にも解決できないだろうと思われた彼の夫の犯人も特定した彼女の手腕に、周囲は恐れた。
更には恐ろしい噂もあった。
ソフィアは、亡き夫の亡骸を自室に持ち出し愛でていると。
髑髏となった夫に、楽しそうに語りかけているのだと。
噂は更に輪を広げ、遂にソフィアは髑髏公爵夫人とまで陰で呼ばれるようになっていた。
「酷い異名ですこと」
ソフィアは苦笑した。
なるべく髑髏となった夫を見せないようにしていたつもりだが、完璧とまではならない。
ダグラスには身を隠すための服や帽子などを用意した。顔をも隠せるほどの外套も。そして、彼には悪いが滅多に外出しないようにしていた。本人は気にせずソフィアの部屋で寛いでいた。
「いっそのこと、俺を連れて外に出てみるか?」
「捕まりますわ」
数年が経ち、ソフィアは気付けば生前のダグラスよりも年上になっていた。
髑髏となった夫は何も変わらない。風化することもなければ骨が腐り落ちるようなこともない。
そして、存在が消えることもない。
ソフィアは時々不安になっていた。
いつ、夫の魂が天に召されてしまうのかと。
しかし、それを言えばダグラスはいつだって笑う。
「誓っただろう? 死が二人を分かつまでだと。お前が死なない限り、俺も天に行くことはないだろう」
「…………」
夫が何を知っているのか妻には分からなかった。けれど確信を持ったような彼の言葉だけを信じた。
更に数年が経過した。
公爵夫人として定着したソフィアには、再婚の話が数多く届いた。髑髏夫人と呼ばれようとも、後継のいない彼女の地位や遺産目当てに求婚する者は多かった。
しかし彼女は独身を貫くと答えた。後継は、遠く縁の薄かった貧しい縁戚から養子をとった。
養子の少年はダグラスに少し似た不愛想な子供だったが、心が打ち解け合った頃にダグラスを紹介した。彼は気絶した。
それでも、不思議と慣れてくれば可笑しな家族光景となった。
「父上は食事の場に居ても楽しくないのではないですか?」
「そうだが、仲間外れにはしないでもらいたい」
食事の時間、三人で食卓を囲んでいる。給仕には絶対に入室をしないよう断りを入れている。
養子となった少年は名をライルと言った。ダグラスが生きていた頃に顔を合わせたことは一度も無いらしい。ライルは庶民とほぼ変わらない生活をしていたが、その聡明さと真っ直ぐな性格にソフィアは好感を持ち、養子にして良いかとダグラスに相談し、承諾を得ていた。
ダグラスもまた、新しい家族との時間を楽しんでいた。
本当に、不思議な光景だ。
髑髏と共に過ごす家族の時間はとても楽しかった。
更に時は数年が経ち、ライルが爵位を継ぐ時が来た。
ソフィアはようやく重荷から解き放たれた気がした。年にして既に四十を超えていた。
「長い間、アルスターを守ってくれてありがとう」
「あなた」
屋敷の端に構えた小さな小屋に訪れれば、訪れたソフィアをダグラスが優しく抱き締めてくれた。
「本来ならば俺が務めるべきだった責務をお前に任せてしまったことは申し訳ない」
「何を仰ってるのですか」
ソフィアは笑う。
「一緒に、務めてきたじゃありませんか」
「…………そうだな」
髑髏は笑う。
無表情にしか見えない髑髏の顔から喜怒哀楽がはっきりと分かるようになったのはいつからだろうか。
ダグラスが見下ろすソフィアの顔は、出会い結婚した時から変わっていった。
年を取り小皺が増えたが、美しさも気高さも変わっていない。
ダグラスにとって最愛の妻であることは変わらなかった。
そして、己の体もまた、何一つ変わっていなかった。
更に年は経ち。
妻との別れの時が来た。
寝台に横たわるソフィアの指は、ダグラスの骨よりも細く皺ついていた。
若い頃は輝くばかりの艶ある髪は白髪に変わっていた。
か細い息が、苦しそうに吐かれる。弱々しい胸の上下。
骨の手がソフィアの額に当たる。
冷たくて気持ちが良い。
「…………貴方は、どうなってしまうのでしょう……」
「……心配するな」
か細い声は、最後まで夫を心配していた。
自分が亡くなった後、彼が一人遺されてしまうのではないかと。そればかりを気にしていた。
「……ダグラス……」
「ああ」
「私、とても幸せだったわ…………ああでも、生きていた頃の貴方の顔を思い出せないことだけが、心残りね……」
ダグラスには肖像画が無かった。
結婚した後、落ち着いたら描かせようという話はしていた。キャンパスに描かれる前に夫は亡くなった。
若い頃は覚えていたダグラスの顔を、長く生きたソフィアは思い出せなかった。
「ねえ、貴方はどうして……骨になってまで戻ってきてくれたのかしら」
白い骨に触れながらソフィアは話しだした。
様々な書物や文献を見ても、ダグラスのような例は無かった。あったとしても秘密にされるだろうとは思っていたが、彼の行く末が気になりソフィアなりに調べていったのだ。
見つかったのはとある国にあった降霊祭ぐらいだった。
その祭では、年に一度亡くなった霊が地上に戻り、生きた人に紛れているらしいと。
亡くなった霊だと知られぬよう、生きた者も死人のふりをするとか何とか。起源を辿れば違うのかもしれないが、そういった祭がこの地とは別の場所で風習として残されている記述は見つけた。
面白いことに、その祭典が行われる日こそが、ダグラスの亡くなった日でもあった。
そして今日が、その命日でもあった。
ソフィアはダグラスの命日に沿うように命が尽きようとしている。
「ふふ……私も死人になるのかしらね……」
「…………」
「そうしたら、今の貴方とお似合いかしら……」
死人となった夫婦など、それこそ怨霊の類だというのに、その想像をするだけでソフィアは楽しかった。
この数十年の間、生前の夫との生活はほんのひと時で、ほとんどがこの髑髏と共に過ごしてきた。
その生活が、ソフィアにはとても楽しかった。
「ソフィア」
霞んできた視界。力の入らない手。
そろそろ終わりが近づいていると感じているソフィアに触れる指があった。
それは、いつもの冷たい指と違っていた。
肉付きの良い、それでいて骨張った指だった。
触れる指の薬指に嵌められた指輪だけが、いつも
馴染みのある触り心地。
ソフィアは驚いて顔をあげた。その力も残されていなかったはずだというのに、その時ばかりは体が自由に動いた。
目の前に立つ男性は、髑髏では無かった。
懐かしい金色の髪。瞳の色はヘイゼルだった。
「ダグ…………ラス…………?」
そこに立っていたのは、結婚した時のダグラスそのものだった。
何故。ダグラスは骸骨となって彼女の隣に居た筈なのに。
亡くなった時と変わらない夫の姿を見て驚いていたソフィアが、少しして納得したように笑った。
「ふふ……これが、お迎えというものかしら?」
死の淵に立つと、生前愛した者が迎えに来ると言われているが、まさか常に隣に居た夫が生前の姿で隣に立つとは。
「ソフィア?」
「…………貴方がもし……」
天上にいなかったのならば。
必ず私が迎えに行くから。
そう伝えたかった言葉は紡がれることなく。
ソフィアは永遠の眠りについた。
「……………………」
養子であり、公爵となったライルによりソフィアの葬儀は恙無く執り行われた。
屋敷に戻ったライルはすぐにダグラスを探したが、その姿は見当たらなかった。
養父も養母と共に天に召されたのか。それとも葬儀を前に姿を隠しているのか、ライルには分からなかった。
養父であるダグラスは不器用でありながらも、ただひたすらに養母を愛していた。
骸と化しても妻に会いに行くのだ。生半可な想いではないのだろうと、幼心に思っていたものだ。
その妻であるソフィアが亡くなった今。
養父がどのような想いを抱えているのか、ライルには分からなかった。
墓の下には主がいないダグラスの墓碑の隣にソフィアの墓碑を建てた。
ライルは花を贈り、静かに祈る。
どうか安らかに。
「ダグラス父様をお願いしますね」
ライルは静かに微笑んだ。
元アルスター公爵夫人であったソフィア・アルスターと、彼女の夫であるダグラス・アルスターの命日になると、亡霊が現れるという噂話が始まったのは暫くした秋の頃。
噂は様々だった。
髑髏が墓碑に佇んでいただとか。
髑髏公爵夫人とその夫が、生前の姿のまま楽しそうに語らっているだとか。
死が二人を分かつまでというけれど。
死しても尚、互いが離れることは無いと囁かれたり。
噂は飛び火し、様々な憶測がされながらも。
誰一人として真実は知らぬまま。
ただ、時が過ぎるだけ。




