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徒花と蜻蛉  作者: 雨糸ケイ
1章
6/6

5

 近くの駐車場に車を止め、久我はバーに向かった。それほど距離はないが一応足を早める。

 急ぐふりだけでもしておかないと、時田の機嫌を損ねるのも面倒だった。

 店の前に着くと、予想通り時田が待ち構えていた。

「遅かったじゃねえか」

「すみません……道が混んでて」

 自分でもわざとらしいと分かっていたが、一応の言い訳を挟んで時田の様子を伺った。

「まあいい。それより金、ちゃんと持ってきたか」

 久我の思惑を他所に、時田が詰め寄る。

 久我は懐から封筒を取り出して見せた。

「いくらだ」

「50万入ってます」

「どこから持ってきた」

「金庫です」

「わかってるじゃねえか。あの野郎はこれで終わりだ」

 一瞬だけ時田は目を細めた。

 時田もこのトラブルが好機だと理解しているらしい。積年の恨みを晴らす機会を得、瞳が暗い輝きを放っているようだった。

「寄越せ」

 時田は封筒を奪い取るように自分の胸に納めた。

「足りますか?」

「馬鹿。足りなくても文句言わせねえようにするのが俺たちのやり方だろうが」

 ヤクザらしい考えだった。

 が、久我は時田も岸と同じ浅はかな人間だと悟った。

 ーーこの男もいずれは……。

 不意に、時田が猜疑心と苛立ちがない混ぜになった形相で久我を睨む。

「お前、オヤジにチクってねえだろうな?」

 時田の額には汗が浮かんでいた。

「言うわけないじゃないですか。皆殺されますよ」

 久我は努めて冷静に、少しだけ冗談めかして応える。

 時田は笑わなかった。


 時田の後ろに続いて分厚い木製の扉をくぐると、店内に他の客の姿はなかった。

 六十半ばのオーナーがひとり、割れた時グラスの破片をカウンターの裏で片付けていた。

「この度はうちのアニキがすみません。これで勘弁してください」

 時田はオーナーに封筒を差し出した。

 オーナーは無言で封筒を受け取ると掃除を再開した。

 奥のボックス席では岸が横たわりながら煙草をふかしていた。だらしなくソファーに靴を履いたまま足を上げている。

 周囲には岸が暴れた際に飛び散ったであろうスナックの残骸がそのままになっていた。

 よく見ると灰皿に血が滲んでいる。

 久我が想像していたよりも酷い有様だった。

「……お迎えにあがりました」

 久我はひとまず腰を低くして形ばかりの挨拶をした。

 数秒の間があってようやく久我を認識すると、岸は真っ赤に充血した眼を向けた。

「久我ァ……遅ぇ…いっつもテメェはトロいんだ、ボケェ……」

 岸は首だけをもたげて呂律の回らない悪罵を並べるが、すぐに力尽きていびきをかき始めた。

 相当な深酒だったようだ。

「揉めたガキはどこです?」

久我は店内を見回しながら時田に尋ねた。

「さあな。ボコボコにしたら這いずって消えちまった。それより……」

 時田は苛立ちを隠さなかった。

 オーナーが金を受け取ったことだけが重要だった。

 金庫番の岸が、親分に言いつけられた勘定を放り投げた挙句に知り合いの店で騒ぎを起こし、その補填に組の金に手をつけるように強要されたと時田が吹き込めば台本は完成だった。

 あとは岸を連れて出るだけだった。

 ほとぼりが冷めた頃に、トラブルの件を吹聴すれば、自ずと岸は破滅するーー。

「こんなになるまで止めなかかったんですか?」

 背後で佇んでいる時田に、久我はあえて尋ねる。

「何だ手前ェ、俺のせいだとでも言いたいのか」

 時田が食ってかかる。

 金を渡して丸く収まると決め込んでいた時田の神経を、久我の問いが逆撫でした。

「すみません。そういうつもりじゃなくて……」

「じゃあどういう意味なんだよこの野郎っ!」

 時田が声を荒げる。

 結局、時田も岸と同じ単細胞な人間だった。

 ーー今はマズい。

 オーナーは親分の知己にあたる男だ。

 金を渡したとはいえ、また店の中で揉め事を起こしては元も子もない。

 オーナーの善意に縋る点でそもそも危うい橋を渡っているのだ。これ以上礼を欠けば、岸もろとも自分たちも沈められてしまうかもしれない。

 久我は背中に嫌な汗を感じながらも時田を諌めようと試みた。

「落ち着いてください。もう帰りましょう」

「うるせえ!!下っ端の癖に生意気なんだよ久我ァつ!!」

 今にも殴りかかってきそうな時田に手をこまねいていると、意外にも助けはオーナーから発せられた。

「最近のヤクザは酷いな」

 オーナーは久我たちには一瞥して吐き捨てるように言った。

「すみません……」

 久我は反射的に頭を下げた。

「別にお前さんたちだけのことじゃない。この町にたむろしてる全ての奴らのことさ」

 オーナーの言葉にはどこか諦めたような色が漂っていた。

「昔のヤクザには分別があった。義理と人情を尊び、弱きを助けて強きを挫くーー。そんな気概のある連中ばかりだったのになぁ」

 助け船には感謝した。

 が、オーナーの言い分は綺麗事だと久我は思った。

 ーーコイツは光の側の人間だ。

 光の側にいる人間は勝手だ。自分たちに都合の良いように、認識を歪めているに過ぎない。

 ヤクザは、所詮ヤクザだ。

 気質の良いヤクザなど御伽話の中の存在しない。 よしんば実在したとて、久我からすればそんなヤクザは本物とは言えなかった。

 光への反抗心を持たない者を久我は認めない。

 影を飲み込む光の魔の手を知る久我にとって、好んで奴らと交わろうとする姿勢などあり得ず、許されない行いだった。

 それでも、久我は言葉を噛み殺して飲み込んだ。

 成り上がりの好機を前にして己の秘めた野望を詳らかにするほど、久我は浅薄ではなかった。

 しかし、時田はそうではなかった。

 まるで興奮して前を見失った犬のようだった。

「なんだジジィ!!手前まで俺たちを虚仮にすんのか!?」

 弾けるように時田が吠える。

「時田さん!!」

 これ以上オーナーの顔に泥を塗るようは真似を重ねては、本当に命が危うくなる。

 久我は内心で時田の無神経さを呪った。

 思わず声を荒げ、時田を制止する。

 オーナーは冷静に時田を見つめ返していた。

「今ならまだ、悠二には黙っておいてやる。さっさとそこで寝てる馬鹿を連れて出ていけ」

「うるせぇ!!オヤジを出せばビビるとでも思ってんのか!?堅気のくせに、爺ィが指図するんじゃねぇ!!」

 ーー馬鹿野郎が。

 久我は懐に手をかけた。

 やむを得ない……力ずくでも押さえつけてやろうーーそう思った矢先だった。

 入口の扉から、人影が現れた。

「ギャーギャーうるせえよ……クソヤクザども……」

 絞り出すように呻きながら、ゆらゆらとこちらに近づいてくる少年の姿があった。

 顔のあちこちが鬱血している。身につけたパーカーのそこかさしこにも切り傷があった。

 これが岸と揉めた少年かーー。


「お前……!?なんで戻ってきた!?」

 オーナーが驚きの声を上げた。


「許せねえからだよ……ヤクザって生き物が……。はみ出し者のくせに手前が一番偉いと勘違いしてるような野郎は特になぁっ!!」

 少年の絶叫がホールに響いた。

 よろめきながら、片腕をもたげる。

 久我が少年に握られた拳銃を認識した時には遅かった。

 破裂音が耳を裂く。

 背後で時田がバランスを崩してくず折れるのを感じた。


 少年もまた張り詰めた糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。

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