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震えるスマホを確認して、間髪を入れずに応答する。コール数を増やしてはいけない。
夜番は1コール以内に電話を取ることが組のルールだった。
「久我です」
『俺だ。聞こえるか?』
「時田さん……?どうかされましたか?」
相手は確かに時田だったが、奥が騒がしい。
時折唸るような声と、何かを叩きつける音が響いていた。
『いや、いつもの店にいたんだけどよ……兄貴がキレちまって大変なんだ』
騒音の正体は岸だった。トラブルの最中に時田が気を揉んでかけてきたらしい。
岸と時田が向かったのは、組がケツモチしているバーだった。
このバーは、当時英心会の若衆だった中村が、居合わせた客同士の諍いをが仲裁したことで縁を持った経緯がある。
以来、親分格となった中村をはじめ配下の組員たちにとっても行きつけとなっていた。
暴対法が施行されてからは表立った関わりは避けられていたが、通常の飲食店がそうであるようにこのバーも不景気の煽りを受けていた。
苦しくなる経営を維持すべく、あえて裏社会の人間を受け入れることで、彼らからの施しを得て生計の足しにしている節があった。
組員たちにとっても堂々と飲食できる空間は貴重なため、互いに持ちつ持たれつな関係を保っていた。
だからこそ岸のトラブルは問題だった。
岸がトラブルを起こすのは初めてでない。
実際、岸の沸点の低さには時田も久我も辟易していたが、今回は場所もタイミングも最悪だった。
今頃は女の家で楽しんでいるだろう親分に、「オヤジの知り合いの店で堅気と喧嘩した」などと告げたらどうなるか知れたものではない。
かつては武闘派で鳴らした親分の激昂など想像するのも恐ろしかった。
ーー下手したら全員の指が飛ぶ。
『クソっめんどくせぇことになったなあ』
電話越しに時田が毒づく。
「喧嘩の原因はなんだったんです?」
『知らねえガキが絡んできたんだ』
「ガキ……ですか?」
『指定席、あるだろ。そこに勝手に座ってたんだ』
行きつけの店ゆえに、勝手に岸が指定席と宣言した一画が店にはあった。
おおかた先客の存在が気に入らなかった岸がいちゃもんでもつけたのだろう。
電話越しの時田のうんざりした表情が目に浮かぶ。
岸は喧嘩の相手が格下であるほどに凶暴さをますという点でタチが悪い。
絡んできた、と時田は言っていたが、実際は岸の独善的な態度の方が発端なのだろう。
「どうされるんです?」
『とりあえずオヤジにバレねえようにしないといけねえ。オーナーとは俺が話するから、お前は金持って岸さん迎えにきてくれ』
「わかりました」
久我は話ながら再び町を見下ろす。無機質な光の群れが顔を照らした。
このトラブルが親である中村に知れれば、確実に岸は立場を失う。
岸を踏み潰すまたとない好機だった。
『いいか……金は、わかってるな?』
「はい」
久我は時田の問いかけに含みがあることを理解していた。だからあえて聞き返さなかった。
『それと逃げたガキの方の始末も考えないといけねえ』
「どうするつもりですか?」
『さあな。後で適当に丸めて捨てちまえばいいだろう』
「……わかりました」
『とにかくまずは金だ。頼んだぞ。じゃあな』
一方的に通話を打ち切られると、事務所には静かさが戻ってきた。
ーーやるしかない。
久我は静かに、金庫のダイヤルを回し始めた。
今し方勘定を終えたばかりの札束を、自分の懐に納める。
車のキーを取り、久我は事務所を出た。




