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5話 くもさんとペケペケはお友達

 ペケペケに話しかけられた雷雨であったが、彼は当初、それが自分に向かって放たれた言葉だとは思わなかった。


 この半年の間、ただの一人も雷雨の存在を認識できなかったのだから当然の反応である。

 豪華な衣装を着た神官様と呼ばれていた中年男性も、どぎつい色使いのローブを着て多くの弟子を引き連れていた魔法使いっぽい老人も、戦士も騎士も、狩人も盗賊も、王侯貴族や農民平民、更には奴隷に至るまで、誰一人として雷雨の存在に気付く事はなかったのだから。


「何だか変な雲があるなぁ」

「うむ、今日も良い天気だ」

「青い空、白い雲、眩しい太陽! やっぱこれこそ平和な景色だよな!」


 彼らの反応に違いなどなかったのである。

 陸地に到着して以降、来る日も来る日も人間観察を続けてきた雷雨は、雲である自分の存在は誰にも認識できないのだと既に諦めていたのである。


 そんな自分に幼い少女が声を掛けてくるだなんて誰が思うものか。

 目の前にいる少女は、見た目十歳くらいの小さな女の子である。


 おかっぱ頭の綺麗な銀髪には、一輪の小さな赤い花が挿してあり、動きやすそうな服装をしてじっと俺のことを見つめている。


 雷雨はキョロキョロと周囲を見回した。

 雲である雷雨は微動だにせずとも一瞬で周囲全てに目を向けることが出来るのだが、雷雨と少女の近くには人影一つありはしなかった。


 当たり前といえば当たり前の話である。

 謎の熱光線を放つ美少女から逃げてきたからこそ、雷雨はこんな谷底にいるのだ。

 逃亡先にまで追いかけられて来ても困るから、近づきようのない場所をわざわざ選んだのである。


 それなのに逃亡先には少女がいた。

 しかも彼女は雷雨に向かって「あなたはだあれ?」と質問をしている。

 ここまで考えて雷雨はようやく〈もしかして〉と思い至ったのだ。

 もしかしてこの少女は雲である自分の存在に気付いてくれたのではないかと。


「ねぇ、お返事がないと寂しいよ。ペケペケはね、ペケペケって名前なんだよ。くもさんはなんてお名前なの?」


 その言葉を耳にし、脳が理解した瞬間、雷雨は天にも登るような心地を体感することとなった。

 雲なのだから実際には耳も脳もないし、雲が天に登ったところで不自然な点など何もないのだが、とにかくそう表現せざるを得ない程の衝撃だったのである。


 目の前のこの少女、どうやらペケペケという名前らしい少女は『くもさん』に対して名前を尋ねたのだ。

 『くもさん』は当然『雲さん』だろう。

 そして彼女の目の前にいる雲なんて自分以外にはありえない。


〈俺の名前は雲雪雷雨! 雷雨って呼んでくれ、ペケペケ! 雷雨だぞ、雷雨! ら・い・う!〉


 幼い少女に話しかけられただけで有頂天になり、必死に名前を連呼しているだなんて、前の世界であれば確実に通報ものの案件だ。

 しかしこちらの世界では雷雨はただの雲であり、やっと出会えた意思の疎通ができる相手に対しての初めての名乗りなのだから、このテンションも致し方あるまい。


 雷雨は何度も何度もペケペケに向かって自らの名前を叫び続けた。

 しかしペケペケは雷雨の必死の叫びを耳にすることが出来ず、可愛らしく首を傾げるに留まったのである。


「あれぇ? う~ん、くもさんは恥ずかしがり屋さんなのかな? ペケペケはくもさんが何かをしようとしているのは分かるけれど、くもさんの声は聞こえないんだよ?」

〈ぐはぁ!〉


 雷雨は思わぬ展開に頭を抱えそうになり、次の瞬間には当たり前の事ではないかと、自らの不明を恥じることとなった。


 今の自分は雲なのである。

 耳がなくとも声は聞こえる。

 目はなくとも視界は良好。

 しかし鼻がないから匂いが分からず、口がないから喋ることもできない。

 ついでに言えば物も食べられない。

 川の水は飲むというよりも吸収していただけであり、雲の体は食事をする必要すらなかったのである。


 それはともかく、〈これはまずい〉と雷雨は慌てた。

 この出会いはまさに奇跡なのである。

 目の前でニコニコと微笑んでいるこのペケペケという名の少女に去られたが最後、雷雨は死ぬまでひとりぼっちでこの異世界を彷徨うことになりかねない。


 雲がどうやって死ぬのかなんて雷雨にはまったく分からないのだが、今ここでペケペケとのコミュニケーションを諦めてはいけないことくらいは十二分に理解していたのである。


 雷雨は考えた。高速かつ徹底的に考えた。

 考えた結果、口がないのだからどうしたって言葉は届かないことを理解してしまった。

 だが口がなくても意思の伝達手段などいくらでもある。

 雷雨は自らの身体を器用に操り、ペケペケの前に雲を使って文字を記したのである。


「およ? これってくもさんの使う文字なのかな? ごめんね。ペケペケはお姉ちゃんに教えてもらった王国の言葉は分かるけれど、くもさんの言葉は分からないんだよ」

〈ごはぁ!〉


 雲でなかったら地面に膝をついているところだ。

 アホなのか俺は。ここは地球とは違う異世界なのだぞ。

 何故か言葉が理解できるからこれまで深く考えてこなかったが、使っている言語が違っているだなんて不思議でもなんでもない話じゃないか!


 そもそもペケペケを始めとして、この世界の住人達はどんな言葉を喋っているのだろう?

 耳にしたときに違和感がなかったため、当たり前のように日本語だと思っていたのだけれど、よく思い返してみれば、口の動きと聞こえる言葉に明らかに差異があったように思える。

 つまり彼らは全く未知の言語を操っていたのだ。

 それなのに何故か俺は彼らの言葉を理解することができる。


 だが言葉を理解することができても、彼らの文字を操ることができない以上、目の前の少女とコミュニケーションを取る手段はない。


 ……いや、本当にそうか?

 口がないから言葉が喋れず、使用言語が違うからコミュニケーションがとれない。

 だがペケペケは自分を認識してくれているし、身体を動かして文字を作れば、それが文字なのだと彼女は理解してくれる。

 つまり詳細なコミュニケーションは不可能でも、簡単な意思疎通は可能なのではないだろうか。

 そう考えた俺は、一番簡単な文字、すなわち○とXを雲で作ってペケペケの前に示してみた。


「これなら分かるよ、くもさん! こっちの丸いのが『良くできました』で、こっちの交差しているのが『駄目でした』なんだよね。剣士のお姉ちゃんがお勉強を教えてくれる時に使っていたんだよ!」

〈よし!〉


 雷雨は思わず心の中でガッツポーズを決めた。

 YES、NOだけでも示すことが出来れば、たとえ詳細な会話が不可能であっても何とかなるはずだ。

 〈何とかなって欲しい、何とかなってもらわないと困るなぁ〉と考えていたのだが、目の前にいるペケペケは、幼くても結構頭の回転が早いようだった。


「分かった! くもさんは言葉が喋れなくて、ペケペケとは文字も違うから○とXでペケペケと会話がしたいんだね!」

〈その通り! その通りだよ、ペケペケ!〉


 雷雨はペケペケの目の前に小さな○を近づけて、自分の意思を少女に示した。

 自分の目の前に真っ白くてふわふわとした○が現れたことが嬉しいのだろう。

 ペケペケはニコニコとしている。どうやらご満悦の様子だ。

 眩しい笑顔を雷雨に向けて、ペケペケは次々に言葉を紡ぎ出した。


「ねぇねぇくもさんはどうしてこんな場所にいるの? ペケペケは辛いことがあったから精霊さん達に誰もいない場所に連れてきてもらったの。くもさんはどうしたの? くもさんも何か辛いことがあったの?」


 ○


 ペケペケの会話の大部分に答を返すことが出来ず雷雨は困っていたが、幸いにも最後の質問だけはYES、NOで答えられたため、雷雨は○を作り出してペケペケの前に指し示した。

 正確には辛いことではなくて、驚いたからここに来たのであるが。

 人助けの最中に謎の美少女に熱光線を浴びせられて身体を蒸発させられただなんて、今の雷雨ではどうしたって説明ができない状況だったのである。


「え? え? なんで○? あっ、そうか! くもさんは「はい」か「いいえ」で答えられる質問にしか答えを返せないんだね?」


 ○〈その通りだ。偉いぞ、ペケペケ〉


「ごめんなさい、ペケペケは気付かなかったよ! じゃあえっと……うんと……そうだ! くもさんはどこかにお父さんやお母さんがいるの?」


 X〈いない〉


 これはあっさりと答えることができた。

 なにしろここは雷雨の住んでいた世界とは違う異世界であるし、向こうの世界でもとうの昔に両親は他界しているのだ。


 自分と同じように雲に転生している可能性もないとは言えないが、これまで誰一人として同じ雲仲間に出会えていないことから考えると、可能性はほとんどないだろう。

 だから雷雨はすぐに否定をしたのだが、その文字を見たペケペケはみるみるうちに涙を貯めてしまったのである。


「ごめんなさい! くもさんごめんなさい! お父さんもお母さんもいないだなんて、辛いよね、悲しいよね! 人の、えっとプライベートに関する質問はできるだけしてはいけませんって剣士のお姉ちゃんに教わっていたのに、ペケペケは失敗しちゃったんだよ」


 X〈そんなことはない。というか、プライベートってこっちの世界でも通じるんだな〉


 ペケペケは目の前に浮かぶ否定の文字を見て実に不思議そうな顔をしていた。

 でも事実なのだ。自分にとって両親の死とはとっくの昔に乗り越えたものなのである。ペケペケが気にするような事ではない。


 だがその言葉を自分はペケペケに伝えることができないので、仕方ないからXを作る。

 ペケペケは目の前のXと俺の白くて大きな本体を忙しなく見比べていた。

 それから不意に口を開いたのだが、ペケペケの口から出てきた言葉は俺の意表をつくものだった。


「ありがとう、くもさん。くもさんは思った通り優しいんだね」


 ?


 あっ、ヤバイ。

 ○とXだけで会話をするつもりだったのに、ついクエスチョンマークを作ってしまったぞ。


「これも分かるよ! 『分かりません』って意味なんだよね! えっとね、ペケペケの失敗を怒らないでいてくれたからくもさんは優しいなぁってペケペケは思ったんだよ。えっとね、じゃあくもさんは一人ぼっちなの?」


 ○


「くもさんはお友達がいないの?」


 ○


「そうなんだ! あっごめん。くもさんの一人ぼっちを喜んだわけじゃないんだよ。えっとね、じゃあね、ペケペケとね、お友達になってくれないかなぁ……」


 そう言ったペケペケの顔は、何故か辛く苦しそうに歪んでいた。

 友達に何かトラウマでもあるのだろうか?

 いや、そもそもこの少女は雲である俺を友達として求めているわけで、そこには何か俺の想像もできないような理由があるのかもしれない。


 ○


 それでも俺に彼女の提案を否定する理由はなかった。

 なにしろこちとら天涯孤独の自由そのものの雲なのである。


 誰にも認識されず、誰とも会話ができない状況の中で、雲である自分の存在に気付いて、簡単にではあってもコミュニケーションが取れる相手が目の前にいるのだからその手を離す理由などない。


 正直、仮に言葉が使えたのなら、こちらから友達になってくれと頼み込んでいたところなのである。

 俺は一も二もなく頷き、いや雲だから頷けないので○を作って了承の意を示した。


 ペケペケは自分から友達になってくれと言ってきたにも関わらず、目の前の○を信じられないという表情をして見つめていた。

 ペケペケはゆっくりと○に近づき、その手に○を握りしめる。

 俺は○の形が崩れないように意識を集中する。

 雲とはいえ集中すれば物に触ることができるし、形を維持することも可能なのだ。


 ペケペケは○を形作った雲を抱きしめて、その場に膝をついてしまった。

 そしてそのままオイオイと泣き出してしまったのだ。

 俺は理由が分からず、ペケペケの前に?をたくさん生み出して、〈どうした? 大丈夫か?〉と心配する。


 しばらく泣いていたペケペケは涙を拭いて、笑顔を見せた。

 それから小さく呟いたのだ。

「ねぇ、お友達ならペケペケのお話を聞いてくれないかなぁ」と。


 ○


 俺はすぐさま了承した。

 何か予定があるわけでもない。

 最近の楽しみだった城も街も、人間の軍に滅ぼされてしまったので正直時間は腐るほどあるのだ。


 そうしてペケペケは語り始めたのである。

 この3年の間にペケペケに起こった出来事と、長き旅路の果てに初めての友達の父親である魔族の王様を殺してしまった後悔を。

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