2話 ペケペケ
ペケペケはなぜ自分がこんな目に遭っているのか、全く理解していなかった。
「んー! んー!」
「うるせぇガキだなぁ! ほら暴れんなよ、泣いたって助けなんざ来やしねぇんだからよ」
「ご自慢の『精霊さん』も助けちゃくれないだろう? それだけガチガチに封印を施されちゃあ、いくら天才でもどうしようもあるめぇ」
「へっへっへっ、やっぱ王族ってのは怖いよなぁ。こんなガキを殺すために宝物庫の封印を解いちまうんだからよ」
「兄貴! この場で殺しちゃぁ駄目なんですかい?」
「こいつが死ぬと間違いなく精霊暴走が起きるって話だからなぁ。ダンジョンの奥深くまで連れて行って、モンスターに食わせるってのがまぁ一番無難な始末の仕方だわな」
「んー! んー!!」
ペケペケは拘束から逃れようと必死に抵抗していたのだが、元々背も低ければ力もない幼い身の上である。
おまけに手足の拘束は必要以上に頑丈であった。
そのためペケペケは自分を拘束し誘拐している屈強な大人達に逆らうことができずにいた。
精霊さんも助けに来てくれない現状、この窮地から脱することは限りなく不可能であると思われる。
〈どうして? どうしてこんなことになっているの?〉
ペケペケは口を塞がれているために仕方なく鼻から呼吸を続けながら、現状を把握しようと試みていた。
自分は勇者一行の一人である精霊使いで、魔王の討伐にも参加した人類の英雄だ。
そして自分を攫っている彼らは人間で、彼らは自分に恩があるはず。
それなのに自分は彼らに捕らえられ、ダンジョンの奥深くへと連れて行かれてモンスターに食い殺されてしまうのだという。
全くもって意味が分からない。
これでもかというほどに理屈が通らない話じゃないか。
自分はただ、大好きな女勇者のお姉ちゃんが大嫌いな魔法使いに襲われそうだという話を精霊さんに教えてもらったので、それをお姉ちゃんに伝えようとしてお姉ちゃんが寝泊まりしているお屋敷を訪ねただけなのに。
そこで魔法使いと同じくらい大嫌いな槍王子と出会ってしまって、でも焦っていたから彼に助けを求めただけなのに。
それなのになんで仲間である彼に殴られて気絶させられて、こうして知らない大人達に誘拐されているのだろう。
ペケペケは訳が分からなかった。
ペケペケはまだ十歳の女の子で、子供で、純粋で、考えなしだったから、仲間が裏切るとか、男の人が狼だとか、大人がお金で動くとか、そういった汚い話にはとことん鈍かったのである。
実は旅の最中に知る機会は何度もあったのだけれど、幼くして勇者一行に加えられた彼女を守ろうと奮闘した女勇者と女剣士が、襲い来る汚いものから彼女を守ってくれていたのだ。
彼女達は自分達が抗えなかった世界の悪意からせめて幼い少女を守ろうと死力を尽くし、ペケペケが悪意に触れる機会を排除してきた。
その結果、ペケペケは悪意を知ってはいるがどこか無頓着となってしまい、こうして彼女達から切り離されて悪意の餌食になろうとしている。
「んー!(精霊さん!) んんー!(助けて、精霊さん!)」
彼女は涙を流しながらいつも彼女の側にいる精霊さんに助けを求めたが、誰も彼女の呼びかけには答えてくれなかった。
幼く、ものを知らなくても、彼女が精霊使いとしては超一流であることを知っている仲間であった槍王子の手で、彼女はガチガチに精霊封じの封印を施されていたからである。
彼女はこのままでは、悪漢達の手でダンジョンの奥底へと連れて行かれ、その身を散らして死んでいただろう。
そう、もしもこの時彼らが『彼』の存在に気付き、対処をしていればそうなっていたはずだったのだ。
しかし彼らは気付かなかった。
だから彼らは進行方向にあった霧の中に無防備に進入してしまったのである。
一見自然の様に見えて、実はあからさまに不自然な霧の中に、彼らは無防備に突入してしまったのだ。
『それ』に初めに気付いたのは、彼らの乗る馬車を操っていた御者の男であった。
彼は操っている馬車を道の真ん中に停止させると、ゆっくりと周囲を睥睨する。
そこは草原のど真ん中であった。
見渡す限りの薄っすらと広がる霧と、どこまでも続く青々とした草以外は何も見当たらないどこにでもあるただの草原である。
おかしなことは何もないはずなのだ。しかし彼はおかしいことに気付いていた。
だから馬車を停止させたのである。
しかし彼が気付いた事に馬車の中にいる男達は気付くことができない。
彼らは馬車の壁を叩き、御者の男に文句を言った。
「おい、なんでこんな所で止まってやがる! 今日中に始末を付けねぇとあの勇者に察知されないとも限らねぇんだぞ!」
「い、いや……。お頭、おかしいんだよ」
「ああ!? 俺がおかしいだと! 英雄の命を奪う件については随分前から覚悟を決めていただろうが!」
「違う、そうじゃない! そうじゃなくて、この霧がおかしいんだ!」
「霧だぁ!? 霧なんて珍しくもなんともないじゃねぇか!」
「珍しくはないけどおかしいんだよ! だって、さっきから抜け出せない! どれだけ走っても霧の中から抜け出せないんだ! とっくに草原を抜けているはずなのに!」
御者が最後のセリフを言い切るか否かのタイミングだっただろうか。
突如として草原を埋め尽くすように広がっていた霧が凝縮して先の見えない程の濃霧となり、馬車に向かって迫ってきたのである。
「うわぁぁあ!? 何だ!? 霧が襲ってくる!」
唯一外で霧のありえない動きを見ていた御者は慌てたが、馬車の中にいる者達には外の様子は分からない。
だから彼らは馬車の扉を開けた。不用意にも開けてしまったのである。
そこから大量の、先も見えないほどの濃霧が馬車の中に侵入してくるとは思いもせずに。
「おわぁぁぁ!? んだこれ? 霧? 何で霧が襲ってくるんだ!?」
「馬鹿かオメェは! 霧が襲ってくるわけないじゃねぇか!」
「でも実際に襲われてるじゃないですか!」
「ヒイィ! 何だよこれ! 何も見えねぇよ!」
突然の事態に驚く彼らをよそに、ペケペケは降って湧いた幸運に感謝していた。
彼らの注意は突然馬車の中に入り込んできた霧に集中している。
逃げ出すらならば今しかないだろう。千載一遇のチャンスという奴である。
だからペケペケは馬車から逃げ出すために立ち上がろうとした。
しかしそれはできなかった。
彼女は両手と一緒に両足もぐるぐる巻きにされていたからである。
立って逃げることには失敗したが、それでもペケペケは諦めない。
彼女は幼い体をグリグリと動かし、這いずるようにして開いたままの馬車の扉を目指して進んでいった。
そんな彼女の動きに誘拐犯達が気付いてしまう。
彼らはペケペケの身柄を抑え込むために腕を伸ばして殺到した。
しかし悪漢達の魔の手が彼女に届くその直前、馬車に飛び込んできた霧が彼女の体を抱えあげ、そのまま外に連れ出してしまったのだ。
「お頭! ガキを霧に奪われた! 馬車の外へ連れ出されちまった!」
「馬鹿野郎! 霧相手になんてざまだ! いや、何で霧がガキを攫うんだ。いくらなんでもおかしいだろうが!」
「まさかお頭! この霧も精霊ってことはねぇでしょうね!?」
「聞いたこともねぇよそんな話! とにかく身柄の確保が最優先だ! 今すぐ追って取り返せ!」
馬車から一斉に飛び出した彼らは、決死の覚悟でターゲットの少女の姿を探し求めた。
だが探すまでもなく彼女はいた。彼らの目の前にいたのである。
彼女は霧に乗っていた。
正確には座布団のように平べったくなった霧に腰掛けていたのである。
体中の拘束具を全て外された状態で。
その幼い体の周囲に、無数に光り輝く『精霊さん』を引き連れて。
「ひっ! 馬鹿な! 拘束が解けていやがる!?」
「あの糞王子が! すぐに解ける安物なんぞよこしやがって!」
「どうするんですか、お頭!」
「逃げるに決まってんじゃねぇか、馬鹿野郎! ああなったあのガキは魔王ですら傷一つ付けられなかったって話なんだぞ!」
「じゃあすぐに……ひぃぃっ!」
誘拐犯達が踵を返そうとしたその瞬間、彼らの間を一条の光が通り過ぎた。
振り向けば仲間の一人の頭部がいつの間にやら消失している。
どうやら今の攻撃は彼女の周囲に集まった精霊達の仕業らしい。
心当たりがありすぎた犯人達は四方八方に逃げ出し始めた。
しかし、ある者は業火に焼かれ、ある者は大地に引きずり込まれ、またある者は闇の中に消え去ってしまい、気付けば馬車すらも消滅してしまっている。
あっという間に誘拐犯達の姿は一人残らず消え去ってしまった。
精霊達はペケペケを誘拐した彼らに怒り、皆殺しにしてしまったのである。
危機が去ったことを理解したのだろう。
あれだけ大量に群がっていた精霊達はいつの間にか姿を消していた。
残っているのは少女の手の中で跳ね回っている小さな毛玉のような精霊と、体の拡散を止めて凝縮し濃くなった真っ白い霧だけであった。
ペケペケは目をパチクリとさせて周囲をキョロキョロと見回している。
体の自由を奪われ、精霊さん達との会話も封じ込まれて、もう駄目だと思って涙を流していたら、少し前に出会った『くもさん』が突然助けてくれたのだからこの反応も致し方あるまい。
彼女は幼いながらも状況を理解し、その瞬間に腰が砕けて草原で尻もちをついてしまった。
手の中の毛玉はその際にどこかに消えてしまっている。
精霊さんはどこにでもいるけれど、いつも姿が見えるわけではないのだ。
しかし彼女を救ってくれたくもさんだけは、変わらず彼女の前に佇んでいた。
そう、彼女を助けたこの霧は霧ではなくて雲だったのである。
雲と霧の違いは空中で出来たか地上で出来たかの違いでしかないらしいが、そんな些細な違いなどペケペケにとってはどうでも良いことだった。
その雲は彼女を心配するようにゆっくりと周囲を漂っていた。
ペケペケは少し前に友達になったくもさんへ笑顔を浮かべて話しかける。
「くもさん、ありがとう! また助けてくれたんだね!」
○
「ペケペケはもう駄目だと思ったんだよ! 本当に……もう……こっ怖かったよぉ!」
あーん、あーん! と草原に少女の鳴き声が木霊した。
彼女の回りには無数の精霊が彼女を心配して乱舞している。
その光景を誰かが見ていたのなら、草原に座り込む少女の回りを無数の光が瞬いているように見えたことだろう。
そして彼女のすぐ側には人間大に凝縮した雲が一つ漂っていた。
その雲は心配そうに体を揺り動かし、雲を手の様な形に変形させて、ゆっくりと彼女の頭を撫でていく。
しばらくして泣き止んだ彼女は、大好きなお姉ちゃんの危機をくもさんに知らせ、くもさんに助けを求めて、雲はそれを承諾した。
ペケペケを乗せた雲は、草原の上を飛行していく。
ペケペケはお姉ちゃんが心配でたまらなかったけれど、くもさんの上に乗れてご満悦であることもまた事実だった。
そんな彼女の様子を『俺』は空を飛びながら観察していた。
この俺、かつては雲雪雷雨と呼ばれていた雲は、つい先日友達となったペケペケと名乗る少女を乗せて一路王都へと向かっていたのだ。
口もなければ鼻もない、ただの単なる雲と化した俺は。