14話 剣士故郷に帰る
草木も眠る丑三つ時。
勇者と剣士とペケペケを乗せた俺は、剣士の指示に従い剣士の故郷に到着した。
もっともペケペケはかなり前から眠ったままだし、勇者は途中で追いついた時からずっと呆然としたままであったのだが。
その気になれば全身から大量の熱光線を射出し、雲である俺の存在など軽く吹き飛ばす事の出来る勇者が「ふふふ……ふひひ……くすくす」などと壊れたように笑っている様は、正直不気味で恐ろしく雲であるにもかかわらず背筋がぞくりとするものがあった。
なにより彼女の顔が例の般若の如き悲哀と怒りの入り混じった表情で固定されているのがいただけない。
村に着く前と村から出た後では表情が激変していてまるで別人のようだ。
目は血走り、髪は短くなって赤くなり、口からは火を吐いていて心ここにあらずで落ち着きがない。
『口から火を吐いて』というのは比喩でも何でもない。
彼女は本当に口から小さな火を放出しているのである。
まるでおとぎ話に出てくる火の精霊のような有様だ。
気のせいか身体も熱を持っているようである。
彼女を乗せている俺の雲ボディがうっすらと蒸発しているのだから間違いはあるまい。
熱光線ほどの火力ではないので今のところは問題はないのだが。
雲の身としては彼女の今の状態は正直いただけない。
失恋のショックが落ち着き正気を取り戻せばなんとかなると思いたいが、あの暴走がもう一度あれば、最悪俺は消滅してしまうだろう。
だが果たして彼女が落ち着く日など来るのだろうか。
これだけの酷い裏切りと失恋から立ち直る姿など、俺には想像も出来なかった。
それはともかく、剣士の故郷という街は海沿いに作られていた。
勇者の村からは更に山を二つ超えた先にある城壁都市で、奥には海が広がっている。
街道も近くにあり、街には港もあるようだが、正直規模はそれほどでもない。
「雲殿、この辺りで降ろしていただけますか」
〈はいよ。りょ~かい〉
俺は剣士の言葉を受けて、彼女を街の入口の少し手前で降ろした。
少し前に剣士はペケペケがずっと眠ったままで、俺がペケペケの意思とは無関係に動いていることに気付き、俺に直接お願いするようになっていたのだ。
どうやら彼女は俺のことを『ペケペケの指図がなくても勝手に判断して行動する高位の精霊』だと認識しているらしく、非常に口調が丁寧で好感が持てる。
ペケペケのような友達感覚も悪くないが、これほどの美人に持ち上げられるのもまぁ悪い気はしないのだ。
とはいえ所詮は雲なのであるから、持ち上げられたからといってどうだという話ではあるのだが。
ともかく俺は剣士を街の入り口の前に降ろし、様子を伺うことにした。
先程の勇者の村では門番のおっちゃんに出会った瞬間から既に問題が起こっていたが、さて剣士の故郷である街では無事の帰還となるのだろうか。
「止まれ! こんな夜更けに街を訪れるとは一体何者だ!」
流石は街というべきか、門の前には二名の門番が直立不動で警備をしており、その奥には更に数名の兵士の姿が見えた。
村の警備とはえらい違いである。
もっともこの世界は、元の世界とは比べようもないほどに過酷な環境であるから仕方がないのだろうが。
盗賊もモンスターも当たり前のように存在しているので、夜間であろうと、いや夜間だからこそ警備に手を抜くわけにはいかないのだ。
「お役目ご苦労さまです。私はこちらの街の領主の娘でございます。至急家族に会わねばならない用がありまして、こんな夜更けに訪ねて参った次第です」
「領主様のお嬢様だと? 馬鹿を言うな! お嬢様は1年前に失踪した旦那様と若様を探す旅に出て以来、ずっと帰ってきていないのだぞ!」
「え?」
〈え?〉
その兵士の言葉を耳にした瞬間、剣士の顔から表情が抜け落ちた。
彼女の姿がぶれたかと思うと、一瞬のうちに兵士の懐に潜り込み、彼が手に持つ槍を構える間もなく、彼の両肩を掴んでしまう。
ギョッとした彼は後ろに下がろうとするが、彼女は彼を逃さない。
素手で鎧を掴んでいるというのに、メコメコという音がするということは握力だけで鉄の鎧を凹ませているのか?
見た目からは想像もできない程の物凄い握力に尻込みする兵士に向かって、彼女は質問をぶつけ始めた。
「失踪した? あの人が? あの子が? 1年前に? どういうことです? いつ? どこで? どんな状況で? 目撃者は? どういうことです? どういうことです? どういうことです?」
「ひっ!?」
「おい貴様、そいつから離れろ! ……お嬢様? まさか本当にお嬢様なのですか!?」
二人いた兵士の一方が剣士に捕まってしまったので、もう片方が彼女に槍を向けたのだが、その横顔を見た兵士は驚いて思わず槍を下げてしまった。
どうやら彼は彼女に見覚えがあったようである。
というか、剣士はこの街の領主の娘だったのか。
そこはかとなく教養があるようには見えていたけれども、まさか貴族だったとは思いもしなかった。
なにしろ俺の知っている貴族というのは、あの槍王子とか魔法使いとかだから、まともな貴族の存在がそもそも想定外だったのである。
「失礼しました、お嬢様! 一年に渡る長旅ご苦労さまでございます!」
「先程も言っていましたけれども、それは一体どういうことですか? 私がこの街を旅立ったのは3年も前の話なのですけれど」
「え?」
〈いや、「え?」じゃないよ。これは一体どういうことなんだろうか〉
剣士が勇者の一行に加わったのは3年前からのはずである。
そして勇者と同じく彼女もまた、3年間街に帰っていなかったはずなのだ。
だから彼女は慌てて帰ってきた。家族が処理されたという話を聞いて帰ってきたのだ。
それなのに旅立ったのが一年前だと?
それでは計算が合わないではないか。
合わないということは、その彼女は偽物だということになるではないか。
2年もの間、彼女になりすまして街にいたというその女は一体何者なのだろうか。
旦那と息子が失踪しているという点も見過ごせないが、彼らを追ってその偽物が消えたという点も気にかかる。
これではまるで同時期に3人消えたのと同じではないか。
これはやはり、剣士の家族にも何か異常事態が起きていたということなのか?
「……失礼しました。あなたでは埒が明きませんね。お父様とお母様に直接尋ねますので門を開いて下さいますか?」
「は? いえ、その、例えお嬢様といえども、夜間の門の開閉は緊急時以外は禁止されておりますので……」
「問題ありません。今がまさにその緊急時だからです。さぁ門を開けて下さい。さもなければ押し通ることになりますよ?」
「うっ!? ……いえ、分かりました。お嬢様のことですから本当に何かがあるのでしょう。開門! お嬢様がお帰りになられた! 開門だ! 開門!」
兵士は剣士の言葉を受けて、夜間であるにも関わらず門を開ける決断をしていた。
どうやら剣士は勇者とは違い、その実力も正しく街の者達に知られているようである。
まぁ未成年の勇者と子供もいる剣士とでは、文字通り年季が違うから実力を知っている人間もそれに比例して多くても不思議ではないのだろう。
門を守る兵士の号令を聞いた奥にいた兵士は、確認のために剣士へと近づき、彼女が兵士と行った問答を繰り返したかと思うと、門まで戻ってゆっくりと門を開き始めた。
剣士に手招きされて、俺達も門を潜っていく。
俺達と言うか、勇者とペケペケを乗せた俺という雲が門を潜ったのだ。
俺は雲なのだから門など潜らずに空から街の中に入っても良かったのだが、乗っている2人が無断侵入の咎を受ける可能性を排除したかったため、正規ルートを通ったのである。
門を守る兵士達は、剣士に続いて人を乗せた雲が門を潜っていったので驚いた様子だった。
草木も眠る丑三つ時、星と月と篝火しか光源のない夜に地を這う雲が現れたら驚くのも無理はあるまい。
しかし剣士が「仲間の精霊使いの力です」と説明して、その場は無事に収まった。
剣士は兵士達によほど信頼されているらしい。
兵士達は俺に驚きつつも通行を咎めるような真似はせず、俺は剣士に続いてゆっくりと街の中へと入っていく。
到着したのは真夜中である。
街の中は当然のことながら静まり返っていた。
門を潜った先は少し大きめの広場になっており、そこから道は二股に別れて、片方は港へ、もう片方は小高い丘の上へと続いていた。
丘の上には屋敷が見える。
どうやらあの大きな屋敷が領主官邸であり、剣士の実家であるらしい。
そしてそこへ向かって走っていく松明を掲げた兵士が一人。
どうやら剣士の帰還を彼女の両親に告げに行く先触れのようだ。
剣士は街に入るとすぐに俺の上に飛び乗り「雲殿、それではあの松明を追って屋敷へと向かって下さい」と言うので、俺は了解して三人を乗せたまま屋敷に向かって飛び始めた。
その途中、街の様子を観察したのだが、随分と貧しい街のようだった。
この国は村も街も大抵が貧しいのだが、この街はこれまで見てきた街の中でも輪をかけて貧しいように見える。
街の中心に密集している家屋はボロボロで補修も碌にされておらず、外壁にはいくつものテントがへばり付くように建っているのが見て取れたのだ。
めったに見ないが、あれは元の世界で言うところのスラム。つまりは貧民街だったはずである。
それが大規模に存在していた。
それだけでこの街の貧しさが容易に想像できるというものだ。
それなのに街を守る外壁や兵士の装備は上等で、大通りの石畳もきちんと整備されているのが不思議でならない。
まるで公共性の高い場所から少しずつ直していき、次に一般家庭まで修復しようと考えていたのに突如計画が頓挫した街のように見える。
海に面していて、街道にも近く、夜間にあれだけの数の兵士が警備に当たっているのにこの貧しさとは、街というのは見かけによらないものだ。
ふと気付くと、剣士が苦い顔をして眼下の街を見下ろしていた。
ここは彼女にとって故郷である。
これだけの貧しい街を放り出して魔王退治に出向かなければならなかったことに忸怩たる思いがあるのだろう。
そんな風に思っていたのだが、それは全くの的外れだった。
直後に到着する剣士の屋敷にて、この3年の間に街に起きた真実を俺は知ることとなるのである。




