13話 ある勇者の死その3
今回はちょっと短めです。
キィン!
「くっ!」
「ほう、中々やりますね。やはり普通の村人ではありませんでしたか」
「え?」
〈ええっ!?〉
想い人君の奥方は全裸だったはずなのに、どこからともなく短刀を取り出し、女剣士の一撃を受け止めていた。
俺と同じく想い人君にとっても予想外だったのだろう。
剣士と切り結んでいる奥方を見た彼は目を丸くしていた。
剣士は次々に剣を振るい、奥方へと斬りかかっていく。
それを奥方は必死に捌く。捌くことができていたのだ。
剣士は本気ではないのだろうが、それでも目の前で奥方とやりあっているのは勇者一行の主力であり、魔王討伐をも成し遂げた凄腕の英雄だ。
その剣士を相手に切り結ぶことのできるこの奥方は一体何者だ?
普通の平民ではありえない。
雲となった俺でも分かる。これは明らかに戦い慣れている者の動きだ。
「一目見てあなたがただの平民でないことは分かっていました。その筋肉の付き方には覚えがあります。王国の諜報部隊の者達と同じ訓練を受けていますね?」
「なっ!」
〈なんだってぇ!?〉
剣士の言葉にひるんだのか、それとも剣士が攻撃の速度を上げたのか。
想い人君の奥方は両手両足に切り傷を負わされて、地面に尻餅をついてしまった。
剣士はすぐさま彼女に駆け寄り、羽交い締めにして地面に押し倒してしまう。
どうするのかと見ていると、剣士はそのままの体勢で器用に奥方の指の爪を剥がし始めたのだ。うへぇ。
「ぐうっ!」
「おっと失礼、拷問の前に質問をすべきでしたね。では質問です。あなたは王子の密命を受けて勇者の思い人殿に接近した王国の諜報員で間違いありませんね?」
「な!?」
〈え? あっ、あ~そういうことか〉
突然の事態に想い人君も、彼の回りに集まっていた村人達も呆然としている。
剣士は彼らのことなど気にも掛けずに、淡々と彼女の爪を剥いでいった。
「ぐっ! ふうっ!」
「耐えるのは結構ですが、忘れてはいませんか? ただの平民は拷問に耐えることなどできないのですよ? 爪を剥がされて悲鳴一つ上げない。この状況が既にあなたの正体を雄弁に語っているのです」
「いっ痛い! 痛いです! 止めて下さい!」
「止めません。止めてほしければ詳しい話を聞かせなさい。こちらとしても命まで取りたくはありませんが、イザとなれば容赦などしませんよ」
「ひいいぃぃっ!」
剣士の本気を理解したのだろう、想い人君の奥方は観念したのか自らの出自をポツポツと語り始めた。
彼女は本当に王国の諜報部隊の一員であり、勇者の暮らしていた村の者達の動向を監視するために近くの街に派遣されていたのだという。
彼女は村の男達がたまに通ってくる酒場に従業員として潜り込み、勇者が住んでいた村に暮らす村人の情報を国に報告するという仕事をしていた。
彼女の他にも同じような密命を受けた者達が街には何人かいるのだそうだ。
だがその中でも彼女は特別な地位に着くことになったのだという。
それは彼女が潜入していた酒場に、よりによって勇者の想い人が頻繁に通うようになったことから始まった。
年の若い彼女は自然と彼のお気に入りとなり、彼に接近すればするほど任務の達成が容易になるので、彼女は彼に気に入られるために彼を慰め、彼の悩みを全て肯定してきたのだという。
その事を上に報告すると、諜報機関の上層部は、彼女に彼を籠絡するようにと命令してきた。
彼女はその命令を拒まなかった。
元より彼女は諜報部員。結婚の自由などそもそも存在していない。
それに、何だかんだで彼との付き合いも長くなり情も湧いていたので、彼と結婚して彼との間に子供も設けても良いと思ったのだそうだ。
だがそれはそれとして、村の監視は怠っていなかった。
隙を見計らっては訓練を続け、定期的に彼と村の動向を彼女は国に報告していた。
もちろん勇者の存在を彼女は知っていた。
勇者の想い人を寝取ったことは彼女の密かな自慢なのだという。
「グハッ!」
「黙りなさい。あなたも女であるならば、愛した男に裏切られた女性の心情をおもんばかることを覚えなさい」
剣士は割と容赦のない鉄拳を、彼女の背中に加えていた。
裸だからよく分かるのだが、奥方はかなり酷い内出血をしている。
それでも彼女は自慢げだ。
勇者の男を寝取ったことは、それほどまでに自慢できる事なのだろうか。
「おかしいとは思っていたのです。私達は『勇者の想い人が処理をされた』と聞かされたからこの村へとやって来ました。しかしその男の口から語られたのは、一人の女性を裏切った唾棄すべき男の戯言でしかありません。そこで私は気付いたのです。彼を誑かしたあなたこそが、王子が派遣した処理の要員なのだということに」
「……お言葉ですけれど、彼が勇者から私に乗り換えたのは、彼の自由意志によるものですよ? 私は酒場の従業員として彼の相談に乗り、自然な態度で彼と繋がりを作っただけ。惚れたのも彼、結婚を申し込んできたのも彼からです。それもこれも勇者がちゃんと彼を咥えこんでいなかったからで……ヒイィ!!」
奥方の顔面スレスレに突然熱光線が突き刺さったことで、彼女の聞くに堪えない戯言は強制的に中断することとなった。
見れば既に村からかなり離れた所にいた勇者がこちらに腕を向けている。
どうやら先程の熱光線は勇者が奥方に向かって打ち込んだものだったらしい。
〈凄いな。あの距離で会話が聞こえて、攻撃をピンポイントで撃てるのか〉
俺はそのことに驚嘆したが、剣士はその攻撃で勇者の心情を汲み取ったのか、彼女を離して背を向けた。
「どうして……私を殺さないのですか?」
奥方は信じられないという顔をして剣士と離れていく勇者を見つめている。
そんな彼女に向かって剣士は憐れみのこもった視線を向けた。
「どちらにしてもあなたはもう不要です。恐らく王子は勇者に対する人質として勇者の想い人殿とこの村の住民を監視下に置いていたのでしょう。ですが、勇者がこの村を捨てる決断をした以上、全ては無意味となりました」
「無意味って……」
「そのままの意味ですよ。勇者にとってこの村もあなたの夫も、取り引き材料にはなりえない。無価値な存在となったのです」
「え? あ、あの。私はどうすれば……」
「それを私に聞くのですか? このまま彼と添い遂げるのも、諜報部隊に戻って新たな任務につくのもあなたの人生なのですからあなたが決めなさい。しかし勇者の側には決して近づかないことです。勇者は人間の味方であって、可能な限り人を殺したくはないと思っていますが、だからといって彼女の慈悲にも限度があるのですからね」
「もっ、もちろんです! 私から勇者に近づくことなど決してあり得ません!」
「では私達はこれにて失礼いたします。それにしてもあなた。まずは夫にどう言い訳をするのかを考えた方が良いと思いますけどね」
「え?」
そう言われて想い人君を見れば、彼もまた絶望に染め上げられた表情をしていた。
彼女の正体をつい今しがたまで知らなかったのだろう。
彼もまた勇者と似たような、しかし彼の場合は完全に自業自得であるが故に、怒りはなく悲しみに満ちただけの顔を彼は自分の妻を演じていた諜報部員に向けている。
彼らのその後も気になったが、剣士が俺の上に乗ってきて「勇者を追いかけて下さい、ペケペケ。その後で私の生まれた街に向かいましょう」と言ってきたので、俺はまだ夢の中にいるペケペケの代わりに勝手に判断を下し、剣士を乗せて勇者を追いかけて焼け焦げた村に背を向けて街道を1人歩く勇者を追った。
つい先程まで確かに存在していた立派で広大な村は、見事に焼け落ち消滅している。
だがそんなものは、あっという間に視界から消え背後へと流れていった。
そこでこれから始まるであろう、彼らの人生の悲喜こもごもに関心がないと言えば嘘になるけれども、俺にとってそれらは割とどうでも良いことだ。
次なる目的地は剣士のふるさと。
そこで俺は更なる滅びを目撃することとなる。




