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12話 ある勇者の死その2

 勇者の想い人君が語ったこの3年間の出来事は以下のようなものだった。


 まず彼は自分の彼女が勇者として選ばれたことはもちろん知っていた。

 彼女とは手紙でやり取りをしていたし、毎月見たこともないような金額が彼の下へ送られて来たからである。


 彼は最初彼女を取り戻すことができないかと考えたらしい。

 そこで彼は最寄りの街へと向かい、彼女から送られてきた金を使って装備一式を購入したものの、ただの農民である彼では街道に出てくる弱いモンスターの一匹すら倒すことができなかったのだそうだ。


 その装備は彼と体格が似ていた例の門番をやっていたおじさんに譲り、彼は自分の無力さを嘆いて家に引きこもってしまったという。

 自分が愛した女性から定期的に送られてくる手紙には、彼女の体験している壮絶な戦いの記録が描写されていた。

 やれ、怪物の巣に突入して危うく死にかけただの、盗賊団を壊滅させた際に生まれて初めて人を殺してしまったのだという話が、臨場感たっぷりに書かれていたのだ。


 その筆跡は間違いなく彼女のものだった。

 そして紙に滴っている血や筆圧などから、彼女が背負うこととなった運命の過酷さを彼は理解し、ますます彼女を取り戻すことは不可能だと痛感したのだという。


 そんな彼を励まそうと、村の者達は成人した彼に酒を教え、街まで連れて行って女遊びを教えた。

 綺麗なお姉さんにお酌をされて日々の疲れを癒やすそれらの贅沢は、貧しい農民には滅多にできるものではなかったが、村の仲間達は愛する女性を失った村の若者に元気を取り戻して貰おうと、金を出し合い彼の英気を養おうとしたのだ。


 平凡な村に居るだけでは生涯味わうことの出来ない貴重な体験をして、彼は村に帰ってきた。

 その間に彼女からは新たな手紙が届いており、それと同時に彼の下へは彼女から高額なお金が送られていたのだ。


 その金を見て彼は気付いた。気付いてしまったのである。

 この金があればもう一度どころか何度でも街へ出向いて女遊びが出来るという事実に。


 それから彼は頻繁に街に出向くようになった。

 装備を譲った門番のおっちゃんを仲間に引き込み、彼はおっちゃんを護衛として何度も何度も街と村とを往復したという。


 村のみんなには『次期村長として街の有力者と打ち合わせをしている』と嘘をついていた。

 本当はそんなものはないのだが、村人にはそんなことは分からないし、家の者達も引きこもっているよりはと、彼の行動を黙認したのである。


 そうして彼は街で派手に豪遊を繰り返した。

 彼は当初、村のみんなが出向いていた、それほど値段の張らない酒場に通っていたのだが、何度も通っているうちに街の様子も分かってくる。


 彼は段々とランクの高い、つまりは値段の張る酒場にも出入りするようになった。

 そこで出会った街の男達に誘われて高級娼館にも通うようにもなり、

 店で出会った商人達と懇意になって、彼らから物を買うようになり、

 いつの間にやら愛人ができ、愛人はそう時を置かずに恋人となり、

 彼女が村に居着く頃にはタガが外れたように金を使うようになっていたのだ。


 そして彼は最終的には勇者から送られてくる金を使って村を拡大し、建物を全て建て直して、新しい恋人と結婚してしまったのである。


 なにしろ彼の資金は途切れることがなかったのだ。

 村の者達は彼が相当のやり手であり、何らかの商売を街の商人達相手に行っているために村が発展したのだと思いこんでいた。


 この3年間、ただの一度も絶えることのなかった莫大な金を一体誰が稼いでいるのかを知っていたのは、彼と彼の家族とおっちゃんだけだったのである。


 彼も彼の家族もおっちゃんも、勇者に対して罪悪感を抱いていた。

 しかし結局彼女は3年もの間村に帰ることがなかったし、風の噂で流れてきた公爵家の若様と結婚したとか、王子様に見初められたとかいう話を村のみんなは信じ、彼らもまたそれらの噂を信じることにしたのだ。


 しかし彼だけは事実を知っていた。

 彼女からの手紙は絶えることなく送られてくるし、その内容は日を追う毎に凄惨の度合いが増していたからだ。

 ある戦いでは腕を切り飛ばされた。ある戦いでは毒の沼に落ちた。またある戦いでは操られた子供達を手に掛けてしまったなど、その壮絶具合は留まることを知らなかったのである。


 彼はそれらを全て読んでいた。

 しかし彼にはその内容を実感することができなかった。

 彼の住んでいる村は魔族の国とは離れていたし、彼女の記す戦いの記録はどこか遠くで誰かが書いた物語か何かとしか思えなかったのである。


 彼はもはや彼女を忘れたかった。

 だが彼女から送られてくる金が途絶えれば、現在の暮らしが立ち行かなくなる。

 だから彼は手紙の上でのみ、彼女の良き理解者を演じていたのだ。

 本当は既に妻との間に子供もいて、幸せな家庭を築いていたというのに。




「嘘よ!!」




 想い人君が裸で首を掴まれて宙吊りになりながら語った内容を聞いた勇者は、声を上げて絶叫した。

 その声音には悲しみと憎しみが同居している。

 彼の裏切りは彼女にとって想定外のものだったのだろう。


 彼の告白を聞いた村人達は一様に驚いた様子だ。

 村の仲間を裏切ってお偉いさんの嫁になったと思い込んでいた彼女が、実は勇者となって命がけで魔王軍と戦っていた。

 しかも村の急激な発展は、彼女が稼いだ金を使ったものだったと聞かされれば、その反応もやむなしというところか。


 勇者は豊かな金髪をブンブンと振り回している。

 恐らく彼の言葉を頭の中から追い出そうとしているのだろう。


 しかし目の前にいる男は全裸で、彼女の背後には彼と抱き合っていた女性が同じく全裸で座り込んでいるのである。

 これ以上の状況証拠はあるまい。

 耳をふさぎ、頭を振り続けても、視覚情報が現実の残酷さを突きつけていた。



「だってあなたが言ったのよ!? 結婚しようって! 絶対に幸せにするって! あたしがどれだけその言葉に救われたか! 死にそうになるたびにあなたのことを思って歯を食いしばって頑張ってきたのは一体何だったの!?」


 血を吐くような叫びが勇者の口から飛び出してくる。

 誰が見ても美少女であった彼女の顔は、絶望と怒りに歪みまるで鬼のように変化していた。


 その顔を見て想い人君は視線を反らす。

 そうして彼は言った。言ってしまったのだ。

 彼女を、目の前の勇者を殺す絶望の言葉を。



「だって、君はいなかったじゃないか」

「え?」

「君は僕の側にいてくれなかったじゃないか! 僕が苦しい時、辛い時! 君は僕の隣にはいなかったんだ!」

「だってそれは! 勇者として活動していたから!」

「知らないよそんなこと! 勇者に選ばれた? 怪物を倒した? 人を殺した? 魔王を倒した? 一体どこの話なんだよそれは!」


 彼は勇者に叫び続ける。

 それは一人の農民が一人の勇者を殺すのに十分な、呪いの言葉に他ならなかった。


「ここは農村で、僕は次期村長だ。明日の天気と作物の発育具合。家畜の様子と領主様に収める毎年の税金。それが一番の関心事なんだよ! 魔王軍との戦い? 王子様や公爵家の若様との結婚? そんな夢物語に僕を巻き込まないでくれ!」

「なっ……」

「止むに止まれぬ理由があった事は理解しているさ。でもね! 僕だって辛かったんだよ! 苦しかったんだよ! 君はそんな時に僕を助けてくれなかった! だから僕が君から送られてくる金を使って贅沢をして、新しい家族を作って幸せになって何が悪い!」

〈いや、それとこれとは別問題だろう〉


 俺の突っ込みは誰にも届かず、彼の剣幕に驚いたのか誰一人として口を開こうとはしない。

 勇者は信じられないものを見るような目で想い人君を見つめていた。


 彼女の話を聞く限り、彼女はこの3年間、彼との再会だけを心の支えにして勇者としての責務を全うしたはずだ。

 それなのに、村で待っていてくれているはずの想い人君は勝手に絶望して散財と女に走り、いつの間にやら家庭を持っていたと聞かされてはこの顔も仕方がないだろう。


 ガチャリ


 そして彼女にとどめを刺す人物が、遅れてこの場に現れた。

 扉を開けて部屋に入ってきたのは、仕立ての良い服に身を包んだ、一組の老夫婦であった。

 老婦人の腕には赤ん坊が抱かれており、その子はすやすやと寝息を立てている。

 その子供を視界に収めた瞬間、彼は顔を真っ赤にして暴れまわり、ベッドで震えていた女性は、一目散にその子に駆け寄って腕の中に抱き寄せた。


「……あの子は何?」

「止めろ! 離せ! その子に手を出すな!」


 勇者は純粋に疑問を持ったから彼に問いかけたのだろうが、彼は話を聞いておらず必死に身体をバタつかせていた。

 それをウザったいと思ったのか、もはやこの状況に絶望したのか、勇者は想い人君を部屋の中へと放り投げた。

 床に叩きつけられた彼は、必死に這いつくばりながら子供の下へと向かい、勇者の視界に入らないように赤ん坊を背中に隠した。


 それは愛する我が子を悪漢から守ろうとする父親の姿。

 彼女が望み、夢見てこの3年間心の支えとしていた情景が、目の前に存在していたのである。

 状況を察したのだろう、子供を抱いて部屋に入ってきた女性が勇者に語りかけようと口を開いた。いや開こうとした。


 その姿を見て勇者は死んだ。

 想い人との再会だけを心の支えに、地獄のような3年間を生き抜いてきた一人の少女は、目の前の現実を直視できずにその力を暴走させたのだ。



「がっ、あああ! うあああぁぁぁぁー!!」



 突如勇者が頭を抱え絶叫を上げたかと思うと、その身体は赤く燃え上がり、巨大な火柱となって、村の中心にある村長宅の前に顕現した。

 突然の人体発火現象を目の当たりにした村の者達は蜘蛛の子を散らすように逃げ出していく。


 火の勢いは留まることを知らず、あっという間に村長の家に火が着いた。

 火災が起きたことに気付いた想い人君の家族もまた、着の身着のままの状態で廊下へと飛び出し、そのまま一階に降りてから建物の外へと駆け出していく。


 もちろん想い人君とその奥方は全裸のままだった。



「やあああぁぁぁ! ひあああぁぁぁー!!」


 まるで悲鳴のような絶叫が、夜の村の中心に木霊していた。

 勇者の絶望に終わりはないのか、火柱と化した彼女の身体から無数の火の玉が飛び出し始めた。

 それらは新しく建て替えられたばかりの村の建物へと着弾して、あっという間に村中が火の海と化していく。


「いけません! ペケペケ! 救助活動を!」

「くもさんは熱いねぇ~。焼いたくもさんも美味しいんだねぇ~」

〈生じゃなくて焼いて食われてんのかよ俺は! じゃなくて! ああもう、目を覚まさないなら勝手に動くぞ、ペケペケ!〉


 俺は勇者が火柱となった直後には、魔王城での戦いのように焼かれるわけにはいかないと、彼女とは距離を取っていたので無事だった。

 そして俺は女剣士の提案に同調し、村人達の救助活動を開始する。

 ほとんどの村人が村長宅の壁が破壊された時の轟音に驚いて飛び起きていたのが幸いし、逃げ遅れた村人数人を雲に乗せて村の外へと移動させるだけで済んだのは不幸中の幸いだった。


 一方勇者は、もはや小さな太陽のようにその身を赤く染め上げて、村の中心で絶望を表現していた。

 中心部はとんでもない高温になっているようで、村長宅に至っては、燃えカスどころか地面すら熱で溶けて消滅しているようだ。

 村の中で火に焼かれていない建物はなく、遂に勇者の炎は村の外に広がる広大な畑と家畜小屋にまでその範囲を広げていた。


 到着した時は暗くて良く見えなかったのだが、村一つ巻き込む大火災が起きたせいで周囲の状況が良く分かるようになっている。

 想い人君は拡大した村の周囲に広大な農地を広げ、かなり大きめの家畜小屋まで作っていたようであった。


 それらもまたあっという間に勇者の業火に包まれる。

 断続的に襲い来る火の玉の直撃を受けた畑は燃え広がり、家畜小屋は爆散して、飼われていた家畜は悲鳴を上げながら暗闇の中へと逃げ出していった。


 それを村人達は呆然と眺めている。

 勇者の火力が強すぎて近づくことも出来ないからだ。

 結局、勇者が落ち着く頃には、勇者が戻りたがっていた村があった場所は、ただの焼け野原となってしまっていた。


 中心地となった元村長宅は、まるで爆心地のような有様だ。

 俺はさらなる延焼を防ぐために雨雲となって村に雨を降らせた。


 上空から見てみると被害の全貌が良く分かる。

 村の建物は全滅、畑も家畜小屋も全て焼け落ちて、その先にある森の一部にまで被害が及んでいた。


 野生動物やモンスター達は火事に巻き込まれるわけにはいかないと思っているのか、随分と村からは距離をとっているようだ。

 村の建物はおろか動物やモンスターよけの柵すらも焼け落ちた現状、とりあえずの危険性はないと思われた。


 勇者は身体から蒸気を立ち昇らせながら、ゆっくりと想い人君の下へと近づいていく。

 ツインテールにしていた豊かな金髪は焼け焦げて短い赤銅色となり、想い人君の安否を気遣い、ペケペケに微笑みかけていた優しげな微笑はもはやどこにも存在しない。

 勇者は憎しみと悲しみが入り混じった、まるで般若のような顔となってしまい、その顔を見た想い人君はガタガタ震えて腰を抜かし、晒したままの股間からは小便が垂れ流されていた。


「さよなら」と勇者は想い人君に別れを告げると、フラフラと道の先へ進んで行ってしまう。

 放って置くわけにもいかないので彼女の後を追おうとしたのだが、その直前に俺の上に乗っていた女剣士が飛び降りて、彼の奥方に斬りかかった。


 ……えっ!?

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