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11話 ある勇者の死

「大きくなったら結婚しよう」

「うん! あたしあなたのことが大好きだよ!」


 二人がまだ幼かった頃、少年と少女は結婚の約束を交わしていた。

 それは子供達がその真の意味を知ることもなく、覚悟も決意もないままに口にする他愛のない約束事。


 しかし少女にとってその約束は、なによりも大切なものだったのだ。

 なにしろそれから10年が経ち、少女に過酷な運命が降り掛かった時、その時の約束が彼女の命を幾度となく繋ぎ止めてきたのだから。


「嫌! あたし勇者になんかなりたくない!」

「おやおやそれは困りますねぇ。勇者であるあなたは、魔王を倒すために旅に出るのです。これは神託により決まっていることなのですよ? 実際にあなたは、素手でモンスターを倒し、高熱魔法を自在に操れるというではありませんか」

「でもあたし農民だし! モンスターだって、たまに村にやってくる弱い奴としか戦ってないから本格的な戦いなんてしたことないし! それにあたし結婚するの。旅になんて出ている場合じゃないんだよ」

「そういうわけにはいかないのですよ。あなたの仲間は既に見繕ってあるのです。あなたは仲間と共に旅に出て、魔王を倒してこの国を救うのです」

「ですからそれはお断りを……」

「ふん!」


 あたしが言葉を言い終える前に、あたしを城に呼び出して、お近づきの印として綺麗ネックレスを下さった王子様が、右手に持っていた綺麗な宝石を高く掲げて声を上げた。


「きゃあああぁぁぁ!?」


 途端にあたしの全身に、これまで感じたことのないような激しい痛みが突き抜ける。

 あたしは立っていることも出来ずに、お城の広間に倒れ込んでしまった。

 あたしは突然の事態にうろたえて泣き出してしまい、王子様の嗜虐的な笑みを見て失禁してしまった。


「ああ、やはりこういう事態を考慮して、束縛のネックレスを用意しておいてよかった、よかった」

「そっ束縛のネックレス!?」

「ええ。かつて滅びた古代の王国が、異世界から召喚した者達を意のままに操るために生み出したと伝わる邪悪なる遺物ですよ。国の危機を前にして個人の幸せを優先するなど言語道断でしょう? そんな愚か者に言うことを聞かせるには有効な代物ではないですか」

「そっ、そんな!!」

「あなたは勇者。そして勇者の使命とは国を守ること。それを放棄しようというのですから、このくらいの対応は当然ですとも」



 あたしは無我夢中でネックレスを外そうとしたけれど、それは絶対に首から外れることはなかった。

 結局あたしは王子の脅迫に屈し、勇者を名乗って旅に出て、最終的には魔王を倒したのだ。


 その間、故郷に帰ることは一度もなかった。

 いや、正確には帰ることが出来なかったのである。

 故郷の村は魔族の領土とは反対側にあったし、村に帰って里心が付くと勇者としての活動に支障が出る可能性があるからという理由で、里帰りすらも許されなかったのだ。


 代わりと言ってはなんだが、あたしは毎月支給される勇者としての活動費を全額村に送っていた。

 あたしには家族がいない。

 村で生まれ育ったあたしは、幼い頃に両親を流行り病で亡くしてからは、村長の家で下働きをしていた。


 そんなあたしにも恋人はいる。

 彼は村長の家の一人息子で、村でただ一人の幼馴染だ。

 村長の奥様が言うには、あたしは器量も良くて働き者だから、彼の妻として申し分ないらしい。


 彼はあたしが城に連れ去られてから、頻繁に手紙を書いてくれていた。

 中身は全て、あたしの無事を心配する内容である。

 この手紙にあたしがどれほど救われてきたことか。

 あたしも出来る限り返事を返し、支給されたお給料は全て彼の下へと送っていたのである。


 王子は私に約束をしていた。

 勇者としての活動は、魔王を倒すまでなのだと。

 実際、神様から授けられた勇者としての力は、国を救った後は徐々に薄れ、最終的には消えてしまうのだという。


 だからあたしは頑張って旅をして、慣れない戦いにも殺しにもいつの間にか慣れていき、何で戦っているのか良く分からない魔族を片っ端から殺しまくって、気に入らない仲間達と、尊敬できる剣士と、かわいそうなペケペケと共に、魔王を倒して国を救ったのだ。


 それなのに魔法使いは王子があの人を処理したと言った。

 処理って何? あの人は無事なの?


 あたしは矢も盾もたまらずに街を飛び出した。

 そして追いかけてきた魔法使いの甘言に騙されて、危うくあの人に捧げるはずだった純血を奪われるところだったけれども、それはペケペケに助けられて事なきを得た。


 だから魔法使いを殺したことに後悔なんてないし、それがなくても女性を襲ったのだから殺しもやむなしだと思っている。


 それはともかく、あたしは村に帰って来た。

 実に3年ぶりにあたしは村に帰って来れたのだ。

 でもあんなにも帰ることを望んでいた村は、あたしの記憶とは大分様変わりをしていた。


 変わったなんて言葉じゃ足りない。こんなのはあたしの知っている村じゃない。

 いつも土まみれで畑を耕していたおじさんが、何で小奇麗な装備を身にまとって門番なんかやっているの?


 何で村が広くなっているの? どうして村の建物が新しいの?

 だってこの村にそんなお金はなかった筈でしょう?


 そのお金は一体どこから?

 そんなの、そんなの……嘘よ!!


 あたしはおじさんを問い詰めた。

 おじさんの口から否定の言葉を聞こうとしたのだ。


 でもおじさんは肯定してしまった。

 彼があたしのお金を勝手に使ってしまったのだと。


 あたしが文字通り血と汗と涙を流して稼いで送っていたお金を、あの人は使い込んでしまったのだ。


 でも大丈夫。だってあの人は村長の息子だもの。

 つまり彼は次期村長。だから村の発展にお金を使っても何の不思議もないじゃない。

 あたしはそう思った。思い込もうとしていた。

 でもあたしの頭の中では別のあたしが、あたしの気持ちを否定したのだ。


「あたしが稼いだお金を勝手に使うなんて許せない!」

「あたしは旅の間に何度も見てきた。分不相応なお金を手にして、道を外れてしまった人の姿を」

「あたしは彼に幾ら送った? 彼は村長の息子だった。でも村は貧乏だった。だから村長の息子だって貧乏だった。そんな彼にとってあのお金は一体どんな意味を持つ?」


 あたしはあたしに語りかけてくるあたしの声を無視して、彼の屋敷に辿り着いた。

 彼の屋敷はとてつもなく大きくなっていた。

 村長宅とはいえ、貧乏な村であれば、普通の家と大差ないのが普通である。

 でも彼の家は他の家とは明らかに違っていた。

 家の周囲にあった畑や家畜小屋は綺麗に消え去っている。

 それらがあった場所すらも家の敷地となり、毎年収穫を楽しみにしていた畑も僅かな家畜達もどこにも見当たらなくなっていた。


 彼はこんな家で一体何をしているのだろう?

 一体どうやって暮らしているの?

 畑や家畜がなければ税が厳しくて冬も越せないって奥様も言っていたのに。


 あたしは玄関に向かっていく。

 そこであたしの耳に彼の声が聞こえてきた。

 勇者としての3年間の旅路は、あたしの五感を鋭敏にしている。

 だから例え2階であっても、壁に遮られていても、聞こえてくるのだ。色々な物音が。


 彼は誰かの名前を呼んでいた。

 続いて言う言葉は、「綺麗だね」「凄いね」「最高だね」「素晴らしいよ」……一体何をしているのだろう? 村の子供が作った粗末な人形でも見ているのかしら?


 あたしは居ても経ってもいられず、彼の声が聞こえる2階の部屋のベランダに飛び移り、窓から中の様子を覗き見た。


 彼は知らない女と腰を振っていた。


 彼も彼女も裸だった。あたしは彼の裸を始めて見たのだ。

 だってそういうのは結婚した男女以外はしてはいけないよって、奥様に……



「あああっ!」


 気付いた時には、あたしは壁を破壊していた。

 突然現れたあたしを見た彼の反応は、この3年間いつも夢見ていたものではなかった。

 長い長い旅をして、身も心も擦り切れたあたしは、この何もない、でも優しい人達と彼がいる村に辿り着いて、彼に優しく出迎えられるのだ。


 そんなシーンがこの眼前のどこにある?

 彼は裸で、知らない女も裸。

 二人は震えて抱き合いながら、化物でも見るような目で、あたしの姿を見つめている。


 あたしの五感が、剣士とペケペケがペケペケの雲に乗って背後にやって来たことを察知する。

 丁度いい、二人にも判定してもらおうじゃないの。

 これは一体何なのかということを。

 あたしの3年間は一体何だったのかということを。




 その状況をひと目見ただけで、俺はおおよその状況を把握していた。

 勇者は壁を破壊した姿のまま、視線を室内に固定して動こうとしない。

 そして室内では裸の男と女が抱き合ったままでガタガタと震えているのである。


 勇者はここに想い人がいるのだと言っていた。

 だからその想い人というのは、目の前にいる裸の男なのだろう。

 そしてその男は自宅の寝室で裸の女と抱き合っていたのだ。



 うん。これは間違いなく浮気の現行犯である。



 うわ~、勇気あるなぁ、こいつ。

 勇者が恋人だというのに、他の女と浮気するなんて自殺願望でもあるのだろうか。


 しかししばらくの間、状況は一切動かなかった。

 勇者は興奮したままの状態で身動き一つせず、浮気男とその相手の女もまた、恐怖に震えたまま動かなかったのである。


 動き出したのは村の住人達だった。

 それはそうだろう。夜中に突然屋敷が破壊されるような轟音が響き渡れば、その音で目が覚めたって不思議ではないのだから。


 そして村人が動けば状況は動くのだ。

 なにしろここは勇者の故郷。

 彼女の顔を知っている者は大勢いるのだから。


「ちょっと、あれ! あの子じゃないの!?」

「えっ? あ、本当だ」

「何でここに? お城の王子様に見初められて後宮入りしたって話じゃあ……」

「は? 何言ってるんだい、あんたは! 公爵家の若様の正妻の座を手に入れて、お世継ぎを生んだって話だっただろう?」

〈いや、その公爵家の若様は、つい先程彼女が殺しているのですが?〉


 これは一体どういうことだ?

 彼女はこの3年間、ずっと勇者として活動していたはず。

 それなのにこの村には彼女の活躍が伝わっていない?

 いや、その前に、何で彼らはあんなデマを口にしているんだ?


「馬鹿なこと言わないで! あたしは3年前からずっと勇者として戦っていた! 王子に見初められたことも、結婚したことも、子供を生んだことだってない!」

「戦っていた? ……誰と?」

「は?」

〈はぁ!?〉


 何を言っているのだ彼らは。

 まさか……まさかあの王子。

 勇者の活躍を広めていなかったのか?


「誰とって……え? まさか知らないの? 魔王軍との戦争を。あたし達が魔王を倒したって話を」

「それぐらいは知っているよ。魔王軍は王国の兵隊さん達が倒してくれたんだろう?」

「魔王は王子が仲間と共に、華麗に一刀両断したって話じゃないか」

「馬鹿なことを言わないでちょうだい! あの王子は魔王に傷一つ付けてやしないわよ!」

「おいおい、それはいくらなんでも不敬だろう」

「あなたも戦争に参加していたって話は……まぁあなたの強さを知っているから分からないでもないけれど。勇者って……プッ! 子供じゃないんだから」


 集まった村人達は、勇者の言葉を信用せずに、静かに笑いを噛み殺していた。

 何だよこれ、彼らには正確な情報が何一つ届いていないのか?

 彼女のこの3年間は誰にも知られていなかった?

 いや、それはありえない。

 だって彼女は自分の好きな人に手紙を出していたって説明していたのだから。


「ねぇ、これってどういうこと?」


 勇者の注意が再び寝室へと向けられた。

 正確には寝室で未だに震えている想い人の君へと向けられたのだ。

 ちなみに俺は勇者と村人達の会話の間に、彼の顔色が加速度的に悪くなっていた事を知っている。


「あなたは知っているはずだよね。だって全て書いていたもの。あれはあなたの書いた手紙だったよね。だってあたしがあなたの筆跡を間違えるはずがないもの」

「ひっ! まっ! ごめん! 許して……」

「許して? 何を許すの? おじさんも同じことを言っていたけれど、あたしは何を許せばいいの?」

「あ……ああああああ!!」


 なんと想い人君は叫び声を上げるや否や、ベットの下から短刀を取り出して、それを腰だめに構えて、勇者に向かって突っ込んできたのだ。

 それを勇者は難なく捌いて、首根っこを引っ掴み、村人達に見せつけるように破壊した壁から彼を宙吊りにする。


 村人達は突然村の仲間が素っ裸で宙吊りにされたことに驚いている様子だった。

 そして勇者は彼に告げた。素直に話さなければこの場で首をへし折ると。


「なんてことを言うんだい! 『あんたに捨てられた』この子がどれだけ傷ついて、苦しんだかも知らないで!」

「いつの間にか都会に染まっちまったんだなぁ。これだから貴族様は嫌なんだ。村人の命なんぞ屁とも思っちゃいねぇんだからよ」

「…………」


 勇者は村人の罵声を聞いても何も言わず、ただゆっくりと腕に力を込め始めた。

 首を絞められた想い人君は身体をジタバタと動かすが、仮にも相手は勇者なのである。

 どうにも解けない事を悟ったのだろう。

 彼は覚悟を決めたのか、ゆっくりと口を開き始めた。


 そこで俺達は聞く羽目になったのである。

 勇者の想い人を『処理』した、槍王子のやり口を。

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