第82話 慟哭、天を貫く
「ムショ――」
ナヴィは叫びそうになった言葉を飲み込んだ。
ナヴィは地面に倒れ込んだムショクを見た。
まるで、何かの冗談のような光景だった。
ハウルが叫び、フィリンの悲鳴が上げる。
シハナが急いでポーションをかけているが、ムダだ。
ポーションで死者は蘇らない。死者を蘇らせる手段なんてない。
ムショクの無尽蔵な魔力を取り込んだリリが、緑の細長い剣を持った。
勝てるわけがなかった。
抵抗虚しく振るった剣に次々と倒れていく。
ムショクの魔力がどれだけ強く、どれだけ多いのか分かっていないのだろうか。
スライがムショクの表面にいたのはその膨大な魔力を貰うためであるし、カゲロウが身の丈に合わない技を撃って疲れないのは契約者であるムショクの魔力を借りているからである。
桁違いなのである。
それをリリが手にした。
ハウルやフィリン程度がどうやっても勝てるはずがない。
なんだろうか。心が軽い。
自然と笑みが溢れる。
ムショクのせいで、今までこの上のない迷惑を被った。
いなくなってせいせいする。
不味いポーションは飲まされるし、あのブレンデリアとも会ってしまった。
テオドックでは、何も買ってくれない甲斐性なしだ。
ドラゴンモドキ程度でピンチになるし、挙句の果にゲイヘルンと戦うなんて無茶をした。
弱いくせに身の程を弁えていない。
ゲイヘルンの心臓や息吹を惜しげもなくスライやカゲロウに渡すくらい物の価値が分かっていないやつだ。
弱いくせに、メルトを助けるために無茶を受け入れた。
いつも何かに巻き込まれていた。
冥鳥ヘルガムートなんて、普段会わないものに遭遇する運の悪い奴だ。
ヒトにイタズラを仕掛ける時には生き生きした顔をする。
性格も最悪な男だ。
ヒトの王たるものに自家製のポーションを飲ませて笑う男だ。
だが、優しくもあった。
エルフが手伝い、ドワーフが横にいた。鍛冶屋が酒場が、なぜか彼の傍に集まっていく。
彼といて、良かったこともあった。
たき火の前でとりとめのない話は楽しかったし、ゲイヘルンは美味しかった。
電気イノシシも美味しかった。
驚いたのは火焔茸だ。あれも美味だった。
食べ物だけではない。
美しいものも見られた。
その瞬間、ナヴィの目から涙が溢れた。
星スズランが続く夜の平原。
まるで星の中を泳ぐような。
知識以上の記憶。
星スズランはまた見られるかもしれない。
が、そこに彼はいない。
ムショクはいない。
そんな事が許されるだろうか?
「ムショクーーーッ!」
ナヴィが叫んだ。
分かっていた。
心が軽いなんて嘘だ。
ぽっかりと穴が空いたような空虚感。
その笑いが現実なんて認めない馬鹿げた笑みだって言うことも。
「なんで、あなたはいつもいつも勝手にッ――」
だが、ムショクは何も言葉を返さなかった。
ナヴィの周りに、警告を示すアラートがいくつも浮かび上がった。
そのアラートに囲まれ、ナヴィはキッとリリを睨みつけた。
やってはいけない事だ。
ナヴィが、か弱き人の運命を左右するなんてこと。
やってはいけない事なのだ。
ナヴィが、ナヴィ自身が摂理に反することなど。
けれど、動いてしまう。
目は涙に濡れ、心は痛みに叫ぶ。
「リリィ――ッ!」
どんな規制も制約も関係ない。
ナヴィを囲っていたアラートが次々と割れ始める。
警告とエラーが次々とナヴィの周りに浮かび上がるが、それらは砕けて消えていく。
「千剣千夜に我はあり。
絶望よ退け! 勝利を掲げよ!
全てのものは跪け!
開きなさい! 天知の書庫。無限武器庫!」
ナヴィの周りに、数え切れないほどの剣や槍が現れた。
「打ち砕け!」
ナヴィの言葉に、武器が全てリリに向かって突き刺さる。
「まだ、終わらせませんよ!
原初から終焉に集いし、世界の要よ!
今がその時です!
開きなさい! 根源の書庫。全属性魔法!」
ナヴィの頭上に炎が渦巻き、氷つく。風が舞い、土壁を築きながら、雷が踊る。
「押し潰せ!」
ナヴィの掛け声と共に、唸るように全ての属性魔法がリリを襲う。
あれだけ魔力にあふれていたリリが嘘のように弱っていく。
「閉じよ。原初と終焉の書」
白と黒の光がナヴィを照らす。
「ムショク……」
ナヴィは涙で濡れた目で倒れているムショクを見た。
そして、何かを決心した顔で涙を拭った。
「もっと早くに私が手を出すべきでした。
さぁ、リリ! あるべき姿に戻りなさい――
物語の終わり!」
白と黒の光がリリをそれぞれ螺旋状に囲っていく。
「お前は――!」
リリがハッと気づいたようにナヴィを見た。
が、それも一瞬。白と黒の二重螺旋は、縛り上げるように縮み。最後、リリもろとも弾けて消えた。
さっきまでの死闘が嘘のように静寂が広がる。
呆気ないほどの幕切れ。
弾けた魔法の欠片が柔かい春の雨のように全員に降り注ぎ、その場にいるすべてのものの傷を癒やしていく。
「……ん…………」
死んだと思っていたムショクから声が漏れた。
その声を聞いて急いでフィリンとハウルが駆け寄ってくる。
「ムショクさん、大丈夫ですか!?」
「ムショク、ボクが分かるか?」
穿かれたムショクのお腹はそんな事なかったかのように戻り、首も傷跡がなくなっていた。
「俺は……生きているのか……?」
ムショクがゆっくり起き上がり、食いちぎられた首とお腹をさする。
服は穴が空き、貫かれたのは嘘ではないと分かる。
「ナヴィ! もっと早く助けろよ!」
ムショクがそう言ったが、ナヴィは言葉を返さなかった。
「おい、ナヴィ。
返事くらいしろって」
ムショクが辺りを見回した。
が、いつも真っ先に叫ぶうるさいナヴィの姿はなかった。
「あれ……ナヴィ?」
ムショクの言葉は、空虚に響いた。
>>第83話 神へと続く道




