第8話 グラファルト獣神族
「おかえりなさいませ。ご主人様」
暗闇の中で聞いたことのない声が耳に入った。
ナヴィでもない。ましてや、スライでもない。
女性の声であったが、その声は少し低く、はっきりした声だった。
「長旅お疲れでしたでしょう? えっ、しかし……」
誰かと話しているのだろうか。会話が成立しているようだ。
ムショクはゆっくりと目を開けた。
そこに映ったのは、猫……ではなく、猫のようなものだ。
身長はムショクと同じくらいだろうか。
二足歩行のその獣は、彼の前で跪き、何か語りかけてくる。
服は着ていない。
が、その身体は銀色の毛皮に覆われており、人らしい肌は見えなかった。
しかし、美しい。
すらりとした無駄のない身体は他に言葉が出ないほどの完璧な曲線を描いている。
生きるために必要な最低限、究極までそぎ落とされた脂肪。そして、それを支えるしなやかな筋肉。
これほどまでに完璧な身体に、情欲の象徴ともいえる二つのたわわな乳房がアンバランスながらその魅力を醸し出している。
(今すぐその胸に顔をうずめて、両手で彼女のお尻を――)
そこで、彼女と目があった。
まるで汚物を見るような冷たい目。
「起きたか」
「……どうも」
「1つ貴様に聞きたいことがある」
想像を読み取っているはずないだろうが、心に傷を負う前に、自分に言い訳を付ける。
彼自身、実行する気はなかった。
妄想。妄想でのお楽しみだ。
獣の彼女は二本の足で立ち上がった。
目の前がちょうど腰の部分になった。
獣の容姿だが、彼女の身体の造りは人のそれに極めて近い。
だが、耳の位置や体毛は獣と同じ。
人と獣の中間的な存在であった。
あと、少し獣臭い。
「ちっ!」
彼女はあからさまに嫌そうな顔をして舌打ちをした。
「おい、男。人族の男は誰でもいいのか?」
彼女は話すたびに、鼻がスンスンと動いている。
どうも何かの匂いをかぎ取っているようだ。
「何のことだ?」
「ちっ!」
ムショクはとぼけたわけではない。本当に分からなかった。
が、彼女はまた舌打ちをした。
「まぁ、いい。貴様、その杖はどこで手に入れた?」
「杖? この杖か?」
気を失っている間ずっと握りしめていたらしい。
その杖を目の前にいる彼女に見せた。
「そうだ」
「もらい物だ。フェグリア城下町にいるゲイルに貰った」
「ゲイル……ゲイル……?」
彼女は何かを思い出すかのように何度か呟いた。
「まぁ、いい。その杖を決して手放すなよ。ましてや、絶対に傷つけるなよ」
「そもそも、お前は誰だよ? 何でそんなこと言われなきゃならんのだ?」
あまりにも高圧的な態度で少々頭にきた。
大事な貰いものであるし、これを使わなくなったら、武器なしになる。
こんなことを安易にハイと言えるはずがない。
彼は立ち上がると、彼女を見た。
立ち上がって目線が交差する。
「まず、何かしらいうなら名前くらい名乗れよ」
「ちっ!」
また、舌打ちだ。
彼女の癖なのだろうか。
「あたしの名前はタマエリ・アルナ。グラファルト獣神族の誇り高き戦士だ」
手に持っている槍の先をムショクに向けた。
「それと立ち上がるな。今すぐ座れ!」
「ヤダね。槍向けられて大人しく座れるかっての」
もちろん、身の危険を感じたら全力で逃げるためだ。
「槍を向けて座れとか、お前、本当に誇り高い戦士か?」
「貴様、侮辱するつもりか!?」
「いやいや、だってそうだろ?
俺が座ったら安心するのか?
相手が反撃できない態勢にして、武器を向けてようやく対等だと?」
タマエリはキッとムショクを睨みつけたが、それに反論できず、言葉は返せなかった。
「悪かった」
いくらかの間の後、タマエリが頭を下げた。
彼女なりの葛藤はあったが、戦士としての誇りを優先したようだ。
深々と頭を下げたタマエリの2つの垂れ下がるそれがまるで果実のようだ。それにしても、尻もいい。
上から見ると尚いい。腰のすぐ近くから生える銀色の長いしっぽ。
フサフサではなく、蛇のようにすらっとしたしっぽがイヤらしく動く。
「き、貴様! どこを見ている!」
「尻尾」
盗み見と言う多少の罪悪感はあったが、ここは素直に答えた。
妖しくくねるそれを掴みたい、引っ張りたいという欲望が思わず漏れそうになる。
「し、し、し、尻尾をだと!」
ムショクの言葉に動揺するタマエリ。
「あ、あれ? ムショク? どうしました?」
タマエリの叫び声のせいか、気を失っていたナヴィがようやく目を覚ます。
あたりを見回すが、状況が理解できず、すぐにムショクの肩に乗った。
「あ、あの、どうしたんですか?」
「俺は何もしてないぞ」
目の前にいるすごい剣幕の女性にナヴィは不思議そうな顔をするしかなかった。
「貴様! 破廉恥にも程があるぞ!」
「何したんですか!」
「だから、何もしてないぞ!」
無実にも程があるにもかかわらず、タマエリとナヴィの2人から責められる。
「はいはい、騒がしいですね」
突然の女性の声とともに、金色の毛玉が空から降ってきた。
今の状況だけでも手に余るのに、これ以上混乱したら対処しきれない。
「タマちゃんも落ち着いて」
そう言って空から降り立ったのは、タマエリの白銀と対を成すような黄金の毛を持った髪の長いネズミ……のような人だった。
しかし、大きく違ったのは、彼女は服を着ている。
民族衣装のような長いスカートに、半袖の白いブラウス。
胸はこちらも大きい。
「タマちゃんが失礼しました。私の名前はミリー。グラファルト獣神族の魔法使いです」
「良かった。そっちは話が通じそうだな」
「大変失礼しました。
タマちゃんを許してやって下さい。ちょっと奥手なのもので」
「奥手?」
ミリーの言葉の意味する事が分からなかった。
「あら? 気づかれてなかったんですか?」
「どういう意味だ?」
あらあらとミリーは楽しそうに笑った。
「私は好きですわよ。殿方の発情している臭い。
私たちは鼻がいいのです」
「なっ!」
驚いて声を上げるナヴィ。
楽しそうに笑うミリー。
そのミリーの後ろで恥ずかしそうにうつむくタマエリ。
だが、他でもない。一番恥ずかしいのはムショクだ。
「やっぱり、ムショクが原因じゃないですか! このド変態! 見境なし!」
「やっぱり、貴様は見境がないのか!」
「やっぱりやっぱり、うるせぇ! お前ら揉むぞ!」
ムショクの叫びに2人が黙った。
それでよい。次はその汚物を見るような目を止めてほしいものだ。
「っていうか、お前ら何なんだよ!」
「ミリーですわ」
「それは知っている。ちょっと、ナヴィ解説頼む」
「まったく。少しは自分で考えて下さいよ。
彼女たちはグラファルト獣神族って言って、ここから遥か南のグラファルト森林に住む一族です。
と言っても、見た通り、同じ一族ではないですよ。
各部族の代表者が集まってできている権力集団みたいなものです」
「へぇ」
部族長の連合みたいなものなのだろう。
「ちなみに、白い方がストレイ族。
黄色い方が、ウァルト族です」
ナヴィの解説にミリーは手を叩いた。
「すごいですわね。
私の一族とか知られていないと思っていましたわ」
「またまた。
代々優秀な魔法使いを輩出している有名な部族ですよ」
少し嫌味っぽいミリーの笑顔にナヴィが答えた。
ナヴィがそう言うくらいなのだろうから有名なのだろう。
「さて、私たちは、グラファルトの長を迎えに来たのですが……」
ミリーが溜め息交じりにムショクを見た。
「ダメだ。ご主人様は、まだここにいると仰っている」
「ですわよね」
タマエリの言葉にミリーは再び深いため息をついた。
さっきから、ナヴィがずっとムショクを見ているが、完全に濡れ衣である。
やましい所など1つもない。
どうも、ムショクの知らないところで勝手に話が進んでいる。
「ムショク様でよろしかったでしょうか?」
「えっ? 俺?」
「これはグラファルト族からムショク様にプレゼントです。
お受け取りください」
そういうとミリーは緑の宝石を手渡した。
「森林石です。使い方はご存知ですか?」
ムショクはナヴィの方を見たが、ナヴィは首を振った。
「分からん」
「森林石は魔力が結晶化した宝石です。
我が村の錬金術師が独自に開発したもので、市場はおろか、一部以外は誰も知らないものです。
この石を森や畑の土に埋めると植物の成長が早くなります」
「どこでもいいのか?」
「はい。
元々は薬草などの採集を効率よくやるために作られたものなので。
荒れた岩肌でも、森林石の近くの植物は一気にその範囲を広げます」
「なるほど」
「見たところ、ムショク様は錬金術師であらせられるみたいなので」
「あぁ。まだ駆け出しだけどな」
「ならばきっと重宝するはずです」
「助かるよ。だが……」
こういう甘い話には必ず裏がある。
「何か代わりに差し出すものなどあるのか?」
「まさか。そんなことはありませんわ。
単純な好意ですわ」
「俺が好意を持たれる理由が分からんがな」
「ムショク様が素敵だからですわ」
素敵と褒められて悪い気はしない。
横で猛烈に首を振っているハエはとりあえず無視しておく。後でいじめてやる事にする。
「では、私たちはそろそろお暇させていただきます。
ほら、タマちゃんも行くわよ」
不貞腐れている、タマエリを引っ張り、ミリーは森の中へと消えていった。
「おい、ナヴィ。
あれ、何だったんだ?」
「私が聞きたいくらいですよ。こんなイベント知りません」
それにナヴィは森林石も知らなかったようだ。
「町から出たら知らんことだらけだな」
「なっ!」
知らないという言葉がよっぽど気に障ったらしい。
食って掛かろうとしたが、ムショクが笑顔で森林石を見せると、悔しそうな顔でそれを見た。
「にしても、もう朝か」
どれだけ気を失っていたのだろうか。
辺りは明るくなっていた。
「ここは敵が出ないのか?」
「信じられませんが、襲われていないという事はそうみたいですね」
朝まで安全にいられたのが信じられないようだった。
「ムショク、早くどこか行きませんか?」
「ん? 採取か?」
「そ、そうですよ」
珍しくナヴィがムショクの背中を押し、フィールドに出ようとしていた。
やる気であるのはいい事だと、ムショクはナヴィに押されながらフィールドに出た。
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