第76話 現実世界:邂逅から
真緒はカフェに着くとコーヒとサンドウィッチを頼んだ。
忙しい時にいつも食べるコーヒーとサンドウィッチのセット。本当はもっと食べたいのだが、ついついカロリーを気にしてしまう。
特にカフェみたいな人の目があるところでは尚更だ。
逆に、家で1人の時はケーキをホールで買ったりもしてしまう。
ビルの上部に位置するカフェは開放的で、窓の外から見える風景はさすがというほど見晴らしが良かった。
さすがに就業時間内のせいか人はまばらだった。
真緒はサンドウィッチを食べながらぼんやりと考えていた。
ゲイヘルン戦で、最初は痛みを感じなかった。
途中から、なぜか急に現実感が増した。
あの黒い靄が出てからだが、あれは何だったのだろう。
もし、あのまま、殺されたら本当に死ぬのだろうか。
ゲームで?
不安な考えが頭を過ぎった。
真緒はそれを振り払うように軽く頭を振ると、気分転換のために周りを見渡した。
マイナス面で深く考えることは良くない。
カフェを見渡すとその中にいた1人が、『N/A』のキャラクタのコスプレをしており、アイスクリームを食べていた。
さすがゲーム会社でもある会社だわと真緒は苦笑した。
真緒も『N/A』のヘビーユーザーである。
NPCのコスプレは一瞬考えたこともあるが、年齢も考えてやめた。
いや、やってもいいのだが、1人でやる勇気は未だ持ち合わせていなかった。
誰かに誘われれば、やってもいいのだが、如何せん誘われない。
立場的には人の上に立つ立場であるから尚更なのだ。
コスプレをしているキャラクタを半ば羨ましそうに眺めながら真緒はボーっと考える。
この衣装見たことがある。
ゴスロリのようなきらびやかな衣装。
見た目の年齢も幼く、そして、どことなく不健康そうな身体。
そこで、真緒はやっと思い出した。
目の前にいる衣装はブレンデリアの衣装だ。
興味からちょっと話しかけてみたい。
しかし、理由が思いつかない。
しかし、ブレンデリアの格好をした少女はどう見ても成人とは思えない幼さだった。
本当に子供だとしたら、親でも待っているのだろうか。
ならば、話し相手くらいにでもなってあげでもいいのではないだろうか。
真緒の中で、半ば強引に彼女に話しかける正統な理由を作った。
「ちょっといいかしら?」
真緒は珈琲を片手にコスプレしている少女の傍に立った。
「なんじゃ?」
静かな時間を邪魔され、少女は怪訝そうな顔で真緒を見た。
「あなた、小学生よね?
親ときているの? 近くに居ないようだけど大丈夫?」
「瑣末なことだ。人を待っておる」
外見の年齢にそぐわない喋り方に、真緒はくすりと小さく笑った。
真緒は、親がいない寂しさでそう言った言葉まわしをしているのだろうと思ったからだ。
「あなたのその恰好。ゲームのキャラクタの真似よね?
お姉さんも実はそのゲームしているんだ」
「ほう?」
少女が興味深そうに反応した。
そうなればこっちのものだ。
真緒が、ハウルが、所属している『天馬の守護騎士』は『N/A』をやっていれば知らない者などいないと言われるほどの有名ギルドだ。
自分の名前を出せば、多少は驚いてくれるだろうと思ったからだ。
「『天馬の守護騎士』のハウルって知っている?
実はお姉さんなんだ」
その言葉に少女は特に感嘆を示すわけもなく、それを聞いた。
真緒はそこで驚いてくれるだろうと考えていただけに少し肩透かしを食らった。
「『天馬の守護騎士』は知らんが。
ハウルと言う奴は見たことがあるぞ?」
「そ、そうなの?」
外見からして小学生くらいだろうか。
それなら、もしかして、あまりギルドとか意識していなかったかもしれないと真緒は思い直した。
「へぇ、どこで見たの?」
「ゲイヘルン戦でな。その時は、猫耳の小娘じゃったな。
今のお前さんとは大違いじゃな」
愛想笑いを返そうと思った瞬間、言葉にできない寒気が真緒の身体全体に走った。
「あなた……何で、ゲイヘルンのことを知っているの?」
リラーレンと、途中で偶然会ったムショクというプレイヤーの三人で戦った龍の名前だ。
あまりにも特殊な状況すぎて誰にも話していないことをなぜ、その少女が知っているのだろうか。
「いや、待って」と真緒は自分の中に走った思考に思わず身震いをした。
目の前にいる衣装はブレンデリアの衣装だ。
と、当然疑問がわく。「あのキャラクタは公開されていたか?」という疑問だ。
真緒たちですら、あの時初めて見たのだ。
「ワシがその後に解体の手伝いをしてやったからな」
したり顔で笑う自称ブレンデリアのその少女。
真緒が言葉を発しようとしたそのちょうどその時、男性が近くに現れ、声をかけた。
「君が、ブレンデリアかね?」
40代くらいだろうか。黒く長い髪の毛に、疲れた顔に、皺よれたシャツ。それは一見くたびれたようだが、その眼光だけは鋭く睨むようにブレンデリアを見つめた。
「うむ」
ブレンデリアは既に真緒には興味がなくなり、話しかけてきた男性に視線を向けた。
「真緒さーん、お待たせしました」
ブレンデリアが視線を上げた丁度そのタイミングに、今度はリラーレンが真緒を見つけてすぐ傍までやって来た。
そのまま、真緒に話しかけようとしたリラーレンは、彼女のすぐ横に立っている男性を見て、驚きの声を上げた。
「シージャックさん!」
「えっ!?」
リラーレンの言葉に、真緒は驚きの声を上げた。
シージャックは、面倒くさそうなものを見るような目でリラーレンを見た。
彼も約束をふいにした相手がまさかここに来るとは思っていなかった。
「なんじゃ、騒がしい奴らじゃな」
この中で最も幼い見た目のブレンデリアがため息をついた。
「ふぅ……部屋を用意するから、そちらで話をしようか。
ノーマンハック社の2人は帰ってくれ……と言いたいところだが……はぁ、君たちも来るがいい」
シージャックと呼ばれた男はため息をつくと、3人をつれてカフェを出た。
----
連れてこられたのは、シージャック個人が使用している個室だった。会社とはいえ、そのほとんどの利益を生み出しいているシージャックは、自社ビル内に私的な利用ができる大きな部屋を持っていた。
と言っても、彼自身贅沢には興味がなく専らこの様に人を招くためだけに使っていた。
臙脂色の絨毯が引かれたその部屋は、中央に大きなソファーが二つ向かい合って並んでおり、その間には木で出来た美しい机があった。
「さて、まずは、ブレンデリアから話が聞きたいのだが、
いいかな?」
真緒たちも聞きたいことはあったが、ここにブレンデリアがいるのなら、その話を聞きたいに決まっていた。
「その前に、あなたは本当にブレンデリアなの?
あのブレンデリアなのよね?」
真緒が念押しをするように尋ねた。
「くどいのう。ワシは偽りもなくブレンデリアじゃ」
リラーレンは会話についていけずぽかんとし顔をした。
「なんで、あなたがここにいるのよ!」
「ふむ。さて、何から話そうかのう。
お主たちは『フェアリーテイルクライシス』というのは知っておるかの?」
真緒とリラーレンは首を振った。
シージャックは無言だったが、ブレンデリアが確認するように視線を送ると頷き、真緒とリラーレンに説明をするよう促した。
「『フェアリーテイルクライシス』とは、門じゃ。
過去と未来を繋ぐ門。此方と彼方を繋ぐ門。これは貴様の考えと相違ないであろう?」
シージャックは無言で頷いた。
「そんなの、ゲームの中の住人であるあなたが出てこられる理由にはなってないじゃない!」
真緒がいつもよりも大きな声で返した。
「こらこら、ワシを勝手に虚構の人にするでない。
まぁ、よい。丁度ろくでなしを懲らしめようとしていたところだ。
そこら辺説明してもよいかの?」
ブレンデリアがシージャックのほうに視線を送る。
「構わないぞ
君が、私の、我々の会社の秘密に近づけたのなら、その話を聞かせてもらおう」
「よしよし、では、事の経緯からと言えば、まずワシのことから話してやろう」
ブレンデリアはそう言うとにやりと笑った。
「ワシの名前はブレンデリア。色々と二つ名があるが、まぁ、神と戦って負けたものだ。
『セフィロトの頂き』は知っておるか?
それは10の宝珠からなり、その内3つ以上をその手中に収めるとそれに登ることができるんじゃ」
「『セフィロトの頂き』?」
「おそらく旧約聖書に出てくるセフィロトの樹のことをさしているのではないでしょうか?」
真緒の疑問にリラーレンが代わりに応える。
「ふむ、こちらにもやはり似たようなものがあるか。
ワシらのところでは、宝珠を揃えると神と戦うことができるんじゃが、
そなたらの話ではどんなふうになっておる?」
ブレンデリアは興味が惹かれたのかリラーレンに尋ね返す。
「旧約聖書では、エデンの園の中央に生えている木で、その実を食べると神に等しき永遠の命を得るとされています。我々人間の祖先は智慧の実を食べ善悪の判断を得ました。
その後、セフィロトの樹の実まで食べられると唯一絶対の神の地位が脅かされると神は楽園から私たちを追放したので、私たちは地上で生きることになったのです」
「ほう、意外と懐の狭い神だのう」
「そこには私も同意するよ」
ブレンデリアが苦笑じみて返したのに、シージャックが間髪いれず同意を示した。
「まぁ、そう言うわけで、ワシは宝珠を3つ揃えて、神と戦った。
そして、負けた。
おそらく瀕死……いや、死んだものと思ったんじゃがな――」
ブレンデリアは、少し大きく息を吸った。
「気づいたらこの世界におった」
「はぁ? 異世界転移?」
真緒が思わず声を洩らした。
リラーレンが「それはなんですの?」と聞き返すと、真緒は慌てて何でもないよと誤魔化した。
「中々に暮らしやすい世界じゃなここは。
しばらくこちらで研究をしておったらようやく『フェアリーテイルクライシス』の真実にぶつかることができた」
「さっきから出ている『フェアリーテイルクライシス』って何なのよ?」
先ほどから、分かっている様な前提で話されているから、真緒が持つ疑問は当然の疑問であった。
「慌てるでない。
言ったであろう? それは門であると。
その門をくぐることで、ワシらは異界へ、そして過去や未来へ行くことができる」
「過去や未来へ?」
「そう『フェアリーテイルクライシス』は時と場所の特異点。
それは集約点であり拡散点であるのじゃ。
先ほど話した『セフィロトの頂き』。ここではセフィロトの樹だったか?
それはどこかの世界に実在し、ワシらはそれを見聞きして人々に話したのじゃ」
「エデンの園が実在したと?」
「それは知らぬが。
この世界にない。それが存在しない理由にはならないというわけじゃ。
こちらの世界にもないのか?
例えば遠く離れた地で同じような逸話や伝説が残ったりとかじゃな」
真緒はいくつかの例が頭に浮かんだ。
「もちろん、伝え聞くこともあるだろうが、
彼らが、門をくぐり実際に目の当たりにしたものだったと思えば多少の筋は通るじゃろ?
事実、ワシらが言う『セフィロトの頂き』もその何かを模倣したものなのじゃしな」
「神話や伝説に存在するような馬鹿げた世界が存在しているって言うの?」
「ワシらからしたらこの世界も十分に馬鹿げた世界じゃぞ?」
実際、この世界に来てからブレンデリアは驚く事ばかりだった。
「ワシは研究の果てようやくこの『フェアリーテイルクライシス』を自由に出入り出来る術を手に入れた。
するとどうだ? ワシ以外にもその門を自由に出入りしているやつがおった。のう?」
そう言うと、ブレンデリアはシージャックを見た。
シージャックはその視線を受けて大きくため息をついた。
彼女がここに来たのだから、その結論に到達したということは、想像していた。
「何か問題でも?」
「いや、ないぞ。ワシも自由に使っておるからの。
が、やり方が気に食わん。
なので、その思う所を聞きに来た。
崇高なる思想を持ってやっているか?という事じゃ。
遊び半分で来られてはワシも大いに困る。これでもワシが育った世界じゃ」
ブレンデリアの言葉に今まで無表情を貫いていたシーハックの表情が僅かに揺れた。
「ちょっと待ってよ――」
シージャックが答えようとした前に真緒が割り込んだ。
「何でそこでシージャック氏が出てくるのよ!?」
「何じゃ、勘の悪い奴じゃな」
「『フェアリーテイルクライシス』ですわね?」
リラーレンが神妙な顔つきでそう返した。
「『フェアリーテイルクライシス』。英語では『Fairy-tale Crisis』と書きます。
日本語訳をすると――」
真緒も瞬時にリラーレンと同じ想像ができた。
「――『お伽噺の危機』」
「ちょっと待って、もしかして、『FtC-Driver』って」
「そうだ。想像通りだ。
『Fairy-tale Crisis Driver』。略して『FtC-Diver』。これはVR体験筺体ではない、『フェアリーテイルクライシス』の技術を借り受けて擬似的に異世界へ飛ばす装置だ」
「もっとも」とシージャックが言葉を続けた。
「実体まで、飛んでいるものは1人だけだ。
後はどちらかと言うと、仮想世界を構築してデータとプレイヤーの意識を飛ばしているのだよ」
「データ?」
シージャックは少しため息をついた。ここまで話してもいいものかと考えた。
が、ノーマンハック社の2人は置いておいても、ブレンデリアは確実に真実に到達している。ここで話すのも遅かれ早かれの問題だという考えた。
「『N/A』のデータだ。
広大なデータ? 緻密なAI? そんなのはまやかしだ。
全て実在している世界を借り受けているだけだ。
彼らや彼女らは本当に生きているんだ。ここではない他の世界で」
「ワシらは貸した覚えはないが?」
ブレンデリアの言葉にシージャックは笑った。
「いや、私は正当なるものと契約して世界を借りたぞ」
「あの大馬鹿者め」
ブレンデリアは呆れたように声を洩らした。
「何でそんなものを作りましたの?」
「リラーレン・ノーマン。君はこの世界の愚かさに呆れたことはないか?
見た目や能力で人は人を評価して、そして、それを価値とする。
分かるか? 肌の色や学力、能力なんて些細なものでだ」
「それは、私たちが愚かですが、それでも私たちはそういった差別と闘って――」
「その考えが既に間違っていると考えないのか?」
シージャックが感情を隠さんと話し続けた。
「例えば、ブレンデリアよ。
お前が話す相手の肌が黒いからと言って差別するのか?」
「なぜそんなもので相手を判断するんじゃ?」
「例えば、腕が一本の者や足が一本の者がいたらどうだ?
目が見えない者は? 耳が聞こえない者は?」
「瑣末なことじゃな」
「リラーレンよ。これが答えなんだよ。
彼女の世界では腕が一本程度では瑣末なことなんだよ。
なぜか分かるか?」
リラーレンはシージャックの質問に言葉を詰まらせた。
「ゲームを通して見ただろ?
手足が6本あるやつがいる世界だぞ?
耳が聞こえない者? 目が見えない者? それは個人か? 種族か?
肌が黒い? 緑や青、鱗の奴だっている!
それが彼女が住む世界だ――」
シージャックは一度大きく息を吸い込んだ。
「――私は幼き頃、異世界の神に会った。
それは小さく弱っていた。なぜ、弱っているか私は尋ねたら帰って来た答えはこうだ」
シージャックは胸が張り裂けそうなほど感情的に、そしてそれは怒りを含んだような言葉で続けた。
「命を作り過ぎたと。
多くの多様性を作り過ぎたと。
そのせいで力を使い過ぎたと言ったんだ。
私は涙が流れたよ。あぁ、これが神の姿かと。
この自己犠牲の心こそ真なる神の姿だと!
ヒトの姿をした者を一種類しか作れなかった神が、
神に逆らうからという理由で追放し、言葉を分け、争いしか生まない癖に傍観主義者を気取っているふざけた神が、本当に世界の神と名乗っていいものなのか!?
だから、私は異界の神に会った時決心したのだよ。
この世界を譲渡しようと」
「それは、恐らくワシらが神の思いとずれているだろ?」
「あぁ、異界の神が望んだのは『虚無』の排除だ」
「やはりか、あの大馬鹿者め。
ワシらがやると言っておるのに異界の者に頼みおって」
ブレンデリアは悔しそうに言葉を洩らした。
「一応言っておくが、それはワシらの問題だ。
異界の者は口を挟まないでもらいたい」
「それは我々とは関係のない意思だ。
現にお前は、私が選んだ者に助けられただろ?」
「あいつか……」
「もっとも、彼は全然思い通りに動いてくれないがな」
そこがいいんだという様にシージャックは笑った。
「腕はいいんだが、変なものを作っておったしの」
ブレンデリアもつられて笑った。
「それに運もいい」
「性格はひねくれておるぞ?」
「そこがいいんだ。
真っ直ぐに進まないだろ?」
「あれは獣道を進む男じゃぞ?」
「でも、お前も気にいっているだろ?」
「弟子にはするには手をやきそうじゃ」
ブレンデリアとシージャックがお互いの目を見て笑った。
「ちょっと、何の話をしているのよ!」
蚊帳の外だった真緒が話題に入って来た。
「ノーマンハック社の2人も出会っただろう。
個人情報を言うのも憚れるが、
プレイヤーネームは『ムショク』。現実での名前は――」
>>第77話 精霊化ザーフォン




