第75話 現実世界:視察
逆原真緒とリラーレンは『ソリティックノーツ社』に向かう車内にいた。
真緒はリラーレンに連れられて出かける時、何度かこれに乗った事があるが、未だに慣れない。
真緒が優秀とは言え、一般の家庭の一般の出だ。
後部座席が広く、くつろげるスペースの車なんて大人になるまで乗った事がない。ましてや、運転手付き何て言うとなおさらだ。
「そう言えば、また、例の噂話が上がっていたのはご存知ですか?」
「例の?」
「身勝手なNPCの噂ですわ」
「あぁ……」
真緒はそう呟くと、座席に深くもたれかかった。
巷で噂される身勝手なNPC。
それは、NPCが勝手に動き周りゲームを破壊するというもの。
始まりの街であるフェグリアで、桁違いのポーションを流通させたり、販売を担うNPCを勝手に連れ出したりと、ゲームのバランスを壊しているという噂だ。
ただ、その噂のNPCを見たものはほとんどいない。
うわさになっているNPCも、旧市街のキャラクタでほとんど人が出入りしない場所。
かつ、今はイベント準備なのか立ち入り不可になっているから、やはり噂レベルから出ることはなかった。
リラーレンも真緒もそんな馬鹿げた話と一蹴したかった。
が、彼女たちが他でもないその数少ない目撃者なのだから頭が痛い。
「次はリルイットの国境付近で、暴動を起こしたんですって」
「無茶苦茶すぎるわ」
それが本当かは、分からない。
たが、真緒はまだ安心していた。
その身勝手なNPCに関して、まだ、あの噂が出ていない。
バーチャルにも関わらず痛みがあったという噂。
そんなもの噂された日には、ソリティックノーツ社には大打撃だ。
もちろん、ノーマンハック社への影響も計り知れない。
そんなわけでオフレコで行くわけだが、一技術者の自分の背負える範囲ではないなと真緒は憂鬱であった。
「他にも、面白い噂がありましたわよ」
「何よ? 変なのは勘弁してよ?」
「月の表面に『N/A』と同じ魔法陣が浮かび上がったんですって」
「はぁ……また、そんなどうでもいい話を」
人気もあればこうやって話題狙いのフェイクも増える。
大きくため息を吐くと、もたれかかったソファーがギッと音を立てた。
自分の家のソファーよりもふかふかで豪華な革張りの座席に居心地悪そうに座る真緒。
対して、リラーレンは当り前の様にリラックスしていた。
いつものことながら、真緒が慣れていないことを察すると、リラーレンは彼女が話しやすい話題に変えた。
「真緒さん、『ナヴィリオン・アブセンス』はどのくらいご存知ですか?」
「『N/A』ねぇ……」
『ナヴィリオン・アブセンス』。通称『N/A』。
真緒は、ハウルというプレイヤーネームで、このゲームを楽しんでいる。
真緒は話せる話題を振られて、助かった。やはり、この車の中は居心地が悪い。
と言っても、リラーレンと話せる話題なんて言うのもこれくらいだ。
真緒はストレス解消に良いと言う噂からこれを初めて、その中で偶然リラーレンと会った。
いつの間にかどっぷりとはまってしまったので、いつも一緒にいる幼馴染にもいつかは勧めようと思っていた。
だが、勧めよう勧めようとしていたが、いつも恥ずかしさから勧められずにいた。ずっとそばにいると思っていたその幼馴染の男性は、ある日突然仕事を止めて真緒の前から居なくなった。
何でもっと早くに勧めなかったんだろうと今さらながらに後悔する。
「ボクも――あっ、私もどのくらいって言っても公式に発表されている程度しか知らないわよ」
真緒は幼いことからの癖で自分のことを「ボク」と呼ぶ癖がついていた。とはいえ、今は立派な社会人だ。仕事では「私」と使うが、リラーレンといる時は、ついつい漏れてしまう時がある。
「いつも通りにして下さっていいのに」
「今は就業中でしょ?」
「では、休みにしましょう」
「おあいにく様、こんな所で有休なんて使いたくないわよ」
「残念ですわ」
リラーレンはにこりと笑った。
「『N/A』よね。
ソリティックノーツ社の変わり者で有名なCEO。
今も開発責任者でいるって言う変人が『FtC-Driver(エフティシードライバ)』と共に作ったゲームよね。
『FtC-Driver(エフティシードライバ)』のバージョンアップとともに、必ず『N/A』もアップデートされるって言う熱の入れようで、
うちに買収される時もそれを譲らなかったって言っていたわよね」
「そうです。
VR体験筐体というのはどこの会社も作っていますが、『ソリティックノーツ社』だけは別の次元のクォリティです。
買収時も、メインに当たる技術は極秘扱いで非公開が条件でしたので」
「そうだったの?」
「えぇ、なので、『ソリティックノーツ社』に関して言えば、5年前に完全子会社にしたにもかかわらず、我が社は単なる株を持っているだけの存在ですわ。
メイン技術はすべてシージャック個人の頭の中にしかないという徹底ぶりですわ」
「5年前ってちょうど私とあいつがこの会社に入った時ね」
シージャック・ハラン。
『ソリティックノーツ社』の現CEOで開発責任者の名前だ。
名前だけは有名だが、メディア嫌いで、その姿を見た者はあまりいない。
「それにしても、ゲームのタイトルって不思議よね。
『ナヴィリオンアブセンス』。アブセンスって不在や留守って意味よね?」
「そうですね。本当はオフやリーヴなんかにしたかったのですが、これもシージャック氏のこだわりらしいですわ」
公式見解では知らされてなかった情報がリラーレンの口からぽろぽろとこぼれる。
「『ナヴィリオン』が不在。それがゲームのタイトルってことは、ゲームの目的はナヴィリオンを探すの?」
「ネットではそういった考察も多いですが。
ただ、ナヴィリオンというのは誰も見つけたことはないそうです」
「メインクエストの中でそれらしい単語も聞いたことないし。
サブタイトルの『お伽噺の危機』っていうのも繋がらないのよね」
このゲーム。
出来もさることながら、謎も多い。
考察サイトは山の様にいわくありげな話が飛び交う。
いわく、軍事目的だ。いわく、新しい技術の社会実験フィールドだ。
異世界へ通じる道になるんだなんて書いている人もいるくらいだ。
「折角ですから、本人に聞いてみます?
そろそろですわ」
リラーレンが窓の外に映る『ソリティックノーツ社』の本社ビルを指差した。
ビルに入るだけでも、何重ものチェックが必要となる『ソリティックノーツ社』の技術の粋を集めたビル。
それをふらりと入ることが出来たのも。
真緒の横に座っているリラーレンの御蔭だ。
ただ、彼女の力を持ってしてもアポイトメントしてから数日がかかってしまった。
車から降りて、ビルに入る。
受付に名前と目的を言うとすぐに連絡をつないで貰った。
しばらくすると担当者が降りてきて真緒たちを出迎えた。
どうやら、名目上は開発技術視察らしい。
ならば、この人数はおかしいだろうと真緒は思った。
『ノーマンハック社』でも真緒よりも優秀な開発者は大勢いる。
真緒は自分が秀才であるという自覚は持っているが、天才でないことは自覚していた。
彼女は幼馴染という本当の天才を間近で見続けていた。
同じ開発部のメンバーもそれと同じ匂いを感じたからこそ。自分はやはり天才でないのだと実感した。
そう。彼女が自身を秀才だと感じているのは。自分は天才でないという自覚があったからだ。
技術視察は本当に表面的なものだった。
開発面での各種責任者やそれに準ずるものから5分ほどの短い説明を受ける。
最後は決まって後は手元の資料を確認してくれと言われる。
それ自体は問題ないのだが、開発部署も少なくない。
例えば、機体の設計部門。
回路や外部デザインだけでなく、使われている素材や着色専門の部門など細かく細分化される。
あっという間に手元に膨大な資料が溜まる。
明らかに厄介払いしたい形式的な説明ばかり。
「リラ? まさか、これを全部私に見ろっていうんじゃないでしょうね」
「できませんの?」
「いや、まぁ、やれと言われたらやれないこともないけどさぁ。
これ、プライベートの時間で見るんだよね?」
「ポケットマネーでよければわたくしがお金を出しますわ」
「そうじゃなくて……」
ため息交じりで手元の資料を見る。
これを読んで理解するには結構な時間を要する。真緒は、プライベートな時間が削られてしまうことに落胆の色を隠さなかった。
リラーレンは近くにあった時計を仰ぎ見ると、そろそろかと担当者に声をかけた。
「本日はシージャック氏と会う予定でしたが、
まだ見られないのでしょうか?」
「えー、そうですねぇ……」
ここまで流暢に話していた担当者の言葉が詰まった。
「大変申し上げにくいのですが、別件が入りまして本日はお会いできないとのこと付けを預かっております」
「なんですかそれは?」
普段温厚なリラーレンが怒気を含んだ声を返した。
その言葉に案内の担当者がびくりと身体を震わした。
普段温厚なリラーレンだからこそ、彼女が怒った時には怖い。
正確には、怒るタイミングを見計らっているからこそ怖く感じる。
物腰柔らかに、何でも許してくれそうに接しながら、これならば許して貰えるだろうと相手が油断したその時に怒る。
その時、初めて心を許し過ぎたと焦る。が、その時は既に遅い。
よく抜けているところがあると言われているリラーレンだが、そこら辺の嗅覚は優れている。
真緒は素直にそう言ったリラーレンの力を認めている。
「本日のアポイトメントは数日前から取っていたと思っておりますが?」
「急な用件が入りましてですね」
だからと言って、断っていい理由にはならない。
リラーレンは事前に予約していたので。それならしかるべき調整をして当然だろう。まして、リラーレンは親会社である『ノーマンハック社』の人間だ。
「本日は『ソリティックノーツ社』に技術的問題が生じた可能性があるというお話で参ったのですが?」
「それについて、シージャックから言伝を預かっております」
話していいのだろうかと言う不安げな担当者の目線に、リラーレンは促すように視線を返した。
「では、シージャックより預かった内容です。
『我が社の技術はあなたが今説明を受けた通り完璧だ。そこに疑問を持つのなら、私たちの株を手放してくれたまえ。なんなら、私たちで買おうか? 我ら技術者の技術を疑うようなら提携は白紙に戻して貰ってもよい』。
とのことです」
さすがのリラーレンも、会社間の契約の話を持ち出されたら言葉に窮するほかない。
いくらCEOの愛娘といえども、会社間の契約に一存で口を出せるものではないし、それは当然であるという意識もある。
どちらかと言うと、『ソリティクノーツ社』がそこまで強硬な対応を取ることに驚いた。
「リラ。たぶん、このままたらいまわしにされて終わるわよ?」
「そうですね」
リラーレンンは少し考えると、担当者に尋ねた。
「あと、どのくらいのプランを用意していますか?」
「開発技術系は全て案内させて頂いたので、後は広報等でございます」
担当者が申し訳なさそうに言葉を返す。
「それならば、残りは私が回りますわ。
真緒さんは、帰って下さって結構ですわ」
「あはは、いいよ、待つから行っておいで。
それに、他会社の食堂ってのも味わってみたいしね。
あるんでしょ?」
「はい、当社自慢の食堂およびカフェテラスがあります。
ご案内は――」
「いいよ、階数だけ教えてくれたら」
担当者からカフェテリアの階数を聞くとリラに待っているよと声を描け真緒は1人足を進めた。
>>第76話 現実世界を:邂逅から
12/18の活動報告にて大事なお知らせがあります。
作者マイページより、ご覧下さい。




