第74話 精霊戦と無粋な乱入者
「いいわよ、かかってきなさい!」
余裕の笑みを見せているファーレンハイトにキヌカゼが剣を抜いて斬りかかった。
「見せるでござるよ。
灰燼の剣を」
キヌカゼの白い剣が一瞬ぼやける。その直後、激しい音とともにファーレンハイトの拳が打ち上げられた。
予想よりも早く強い剣にさすがのファーレンハイトも驚きの表情を隠せなかった。
キヌカゼは、剣を鞘に戻すと、もう一度抜きファーレンハイトに斬りかかった。
彼女はそれを右手で受け止める。が、キヌカゼの剣の勢いを殺せず、その腕は再度弾かれた。
キヌカゼは抜いた剣を再度鞘に戻した。
「はっ、わざわざ、鞘に戻すのね!」
ファーレンハイトは、キヌカゼのその奇妙な剣技を笑ったが、それでもキヌカゼの剣速がファーレンハイトの拳を上回っているのは変わらなかった。
攻撃の出始め、防御の出始めをキヌカゼはことごとく潰していく。
キヌカゼは本来なら拳を壊し、腕を飛ばすほどの剣撃を繰り出しているはずが、ぶつかり合う程度で終わっている事に驚いていた。
剣を通して分かる重い拳。
「キヌカゼさん、私も手伝います」
フィリンが、キヌカゼの剣戟の合間を縫うように矢を穿つ。
が、矢はファーレンハイトに当たる直前、そこに氷の壁ができ、そこに当たり落ちる。
数度射ても全てファーレンハイトに当たる直前に氷の壁に阻まれる。
「影射!」
フィリンの声と共に、ファーレンハイトのわずか後方に謎の違和感が走る。
ムショクは思わずそれを目で追う。
そのタイミングに合わせるようにフィリンが矢を放つが、ファーレンハイトは、その方向をちらりとも見なかった。
「殺気を後ろから飛ばすなんて、面白い技ね」
ファーレンハイトはフィリンの矢を氷の壁で受けると楽しそうに言葉を返す。
「でも、その矢では届かないわね」
フィリンがファーレンハイトを睨みつけ、矢を絞る。
今までよりも強く大きく引き絞った腕は力に震え、フィリンの額から一筋の汗が流れた。
「剣先星よ、私の矢を導け。
穿て! 破軍!」
矢が白く光り、フィリンが引き絞った矢を解き放つ。耳をつんざくような高い音が辺りを切り裂き、矢が一直線にファーレンハイトを目指す。
ファーレンハイトも、今までどおりには受けきれないと判断したのか氷の壁を連ねる。
が、フィリンの矢はそれらを破壊しながらファーレンハイトに向かう。
受け切れないと判断して避けようとしたそのわずか横を剣の切っ先が走る。
「逃げられると思わない方が良いでござるよ!」
キヌカゼのその言葉にファーレンハイトの顔に焦りの表情が浮かんだ。
ファーレンハイトが、何かしようと掌に氷を作ったと同時、フィリンの矢が額を打った。
がんっと大きな音を立て、ファーレンハイトの身体が宙に浮いた。
ちょうどそのそばにキヌカゼが身をかがめ剣を深く構えた。
「灰燼 一の太刀 残火滅閃」
キヌカゼの白い剣とは明らかに違う黒の剣閃がファーレンハイトに降り注いだ。
宙で動きが取れなかったファーレンハイトはその斬撃を受け地面に叩きつけられた。
と同時に、フィリンが叫び声を上げた。
いつの間にか、フィリンの肩には氷の矢が突き刺さっていた。
「まさか……いつのまにでござるか……」
キヌカゼが驚きの声を上げた。
それもそのはず、彼の肩や肘、そのほとんどの関節が凍りつき、剣を持っていた右腕は完全に氷漬けにされていた。
「フィリンさん!」
ムショクが、ポーションを取り出そうとした瞬間、氷の蛇がムショクの腕を噛んだ。
「痛ってぇ!」
氷の蛇はムショクの腕を噛み付いたままカバンに強く尾を打った。ガシャンと割れる音と共にカバンの底が濡れて変色した。
何本か割れたようだ。
「ムショク殿!」
ゲイナッツが慌てて、その氷の蛇を叩き壊すが、ムショクの右腕は凍りついて、うまく動かなくなっていた。
「ふぅ、やるわねぇ。あなた達」
倒れていたファーレンハイトがゆっくりと起き上がった。
攻撃を仕掛けていたのは明らかにムショク達の方だったが、すべてが返り討ちにあった。
「千剣を打ち破る覇王の剣――」
シハナがそう言いながら空中に文字を書く。
金色に彩られた文字は宙に記されると淡く輝いた。
「フェグリアの守護者よ。
敵を討て。剣を掲げよ。
王の血を持って命ずる。汝の名は『勝利の風』――
まだ行けますわよね!」
シハナの声と共に、キヌカゼを捕えていた氷が砕ける。
「ちょっと、それを砕けるの!」
ファーレンハイトはキヌカゼが動けるようになったのに驚いた。
キヌカゼは、ファーレンハイトに詰め寄ると剣を振り抜いた。
一瞬、キヌカゼの剣がファーレンハイトの胴を斬り抜けたように見えた。が、それも残像でキヌカゼの剣は空を斬っていた。
振り抜いた剣をすぐに鞘に戻し、また振り抜いた。
さっきとは打って変わったり剣速に、ファーレンハイトの顔から余裕が消えていた。
時折、避けきれなかったファーレンハイトの蒼い髪が宙を舞う。
「ムショク、こっちの準備は万端よ!」
ずっと詠唱をしていたティネリアが、ムショクにそう告げた。
ムショクは、右手を押さえながら「分かった」と、答えるとシハナの方を見た。
シハナもそれは聞こえたらしく、コクリと頷いた。
「キヌカゼには、魔力を通して意思を伝えられますので、あなたが言ったタイミングで引かせますわ」
「分かった。なら、キヌカゼが引くと同時に撃てるか?」
「もちろんよ。ただ……」
ティネリアの心配はムショクも分かっていた。
キヌカゼが引くと同時に、ファーレンハイトがティネリアに仕掛ける可能性がある。
「そこは私がやります」
フィリンが傷口を破いた服で縛りそう答えた。
「大丈夫なのか?」
「えぇ。ムショクさんを傷つけた彼女を許すわけありません。
それに……」
フィリンがニコリと笑った。
痛みを我慢しているのだろうか、額には汗が流れ落ちている。
「森林エルフが矢をつがえて獲物を取れないなんて恥も甚だしいですから」
「分かった。
じゃあ、頼む」
ムショクは足元に落ちていた氷を拾った。ファーレンハイトが繰り出した氷の蛇の欠片。
それをポケットにしまった。
キヌカゼの一太刀がファーレンハイトの身体を捉えた。その剣は分厚い氷に阻まれたが、ファーレンハイトの体勢は大きく崩れた。
「今だ!」
ムショクの声とほぼ同時。キヌカゼが大きく後ろに飛び退いた。
体勢を崩しながらも、それを追うように動くファーレンハイト。が、それも虚しくその身体をフィリンの矢が襲う。
「これがリルイットが誇る氷の秘術。
阻め! 襲撃氷結陣 吹雪は死を誘う風」
ファーレンハイトの足元に青白い魔法陣が浮かび上がる。
と同時に、蒼い爆発炎を上げながら格子状の檻ができ、そこへ次々と尖った氷礫が降り注ぐ。
囲っていた檻は小さくなりそして、激しい爆発を起こした。
土煙が舞い上がりファーレンハイトの姿を隠す。
突然、土煙の中からファーレンハイトが飛び出すと、フィリンに飛びかかった。
さすがのファーレンハイトも無傷とはいかなかったみたいで、その身体は傷だらけだった。
フィリンのすぐ側まで詰め寄ると、拳を振るう。
フィリンは矢を引き絞ると右左とその拳をスウェーで避ける。
注意を上に寄せその隙をつくかのように、ファーレンハイトは、突然しゃがみ足を払った。
だが、それもフィリンは読んでいたのか、飛び上がりそれを避け、しゃがんでいる彼女に矢を放った。
完全にファーレンハイトの頭を捉えたが、それも空中に張り出された薄い氷に阻まれる。
ファーレンハイトは立ち上がる勢いのまま、拳を宙で身動きが取れないフィリンに向けた。
フィリンはまるで空に舞う羽のようにファーレンハイトの拳に足を乗せるとその勢いを殺さずふわりと空中に飛び一回転した。
「逃さないわよ!」
ファーレンハイトが氷の蛇をフィリンに向けて放つ。フィリンは、弓を引き絞りそれを睨みつける。
「穿け! 天狼の矢!」
「あなたがこれ以上動き回ると厄介なのよ」
氷の蛇のすぐ後ろ。ファーレンハイトは氷の蛇を放つと同時に自らも飛び上がっていた。
フィリンが放った矢が氷の蛇を貫き壊す。その突き抜けた矢は勢いを殺すことなく、ファーレンハイトに向かう。
薄い氷が何枚も矢の進行を防ぐが、全て壊されそれは、ファーレンハイトの肩を貫いた。
「――つッ!」
ファーレンハイトが痛みに顔を歪ませるが、それでも勢いは殺さなかった。
フィリンは、再び矢をつがえたが、彼女が放つよりも早く、ファーレンハイトの拳が彼女を捉えた。
ファーレンハイトの拳がフィリンの胸を打ち抜き、短い悲鳴ともに地上に落ちた。
ファーレンハイトは、着地するとキヌカゼとゲイナッツに目を向けた。
最初に動いたのはキヌカゼだった。
白い剣が、ファーレンハイトの首を狙う。
が、それをファーレンハイトは短く殴りあげ軌道をそらす。
そのまま、一気にキヌカゼとの距離を詰めた。
軌道が逸れた剣は、一瞬で鞘に戻る。剣が鞘に戻ったと思った刹那、小さな金属音を残し、剣閃の筋が走る。
ファーレンハイトは、それを紙一重で避けるが、キヌカゼは、またも鞘に戻し、再度剣を振るった。
ファーレンハイトが避けるたび、キヌカゼの剣速が上がっていく。
そこに、ゲイナッツの斬撃が交じる。
ファーレンハイトが、反撃を試みようとする一瞬の隙をゲイナッツが狙う。
ファーレンハイトが、堪らず後ろに飛び退いた。
キヌカゼとゲイナッツがそれを追って一歩前に進んだ瞬間、ファーレンハイトがさっきまでいたところから、鋭く尖った氷柱が生まれ、2人の身体を貫いた。
「フリージングロック――
魔法使い組は遠距離だから安心しすぎだわ」
いつの間にか、シハナとティネリアの身体の半分が氷に覆われていた。
「さて……」
ファーレンハイトがゆっくりムショクに近寄る。
「私が嫌いなものが2つあるのよね」
ファーレンハイトがにこやかに拳を握った。
「1つは、あなたみたいに、自分が安全な場所にいて指示出すだけのやつ!」
そう言って、一気に距離を詰めムショクを殴りつけた。
ムショクは、ギリギリでその拳を杖で受け止めた。
「一応、聞いておくが、もう1 つは?」
「もう1つは、あなたみたいに、本当は強いくせに、弱いふりしているやつよ!」
拳に力を入れ、ムショクを押し出すと頭を狙い蹴り上げた。
ムショクはそれを躱し、杖でファーレンハイトの胴を殴る。
鈍い音を立て当たるが、ファーレンハイト倒れず踏みとどまる。
「嘘つけ! どう考えても、俺は強くないぞ!」
自慢じゃないが、自信がある。
「なら、私の拳で死になさい!」
そう言い振るう拳をムショクは既で避ける。
不思議とその動きが見える。
ファーレンハイトの攻撃を避け、杖で殴る。何度かそれを繰り返すと、ファーレンハイトは、それを嫌がってか、ムショクを掴もうと手を伸ばす。
ムショクは大きく後ろに飛び退いてそれを避ける。が、それも一瞬で距離を詰められ再びファーレンハイトの拳が襲う。
咄嗟に杖の下部で受け止めると、先端を回しカウンター気味にファーレンハイトの顔面を殴りつける。完全に入った一撃にさすがのファーレンハイトも勢いを殺すことはできず、大きく後ろに飛ばされた。
倒れることはなかったが、ファーレンハイトは額を押えた。
フィリンの矢やキヌカゼの剣でファーレンハイトは既に満身創痍だった。
それにこの一撃だ。
ファーレンハイトの膝は僅かに曲がり、倒れそうだ。
もう終わりかとムショクが思ったその刹那、ファーレンハイトはキッとムショクを睨みつけ叫んだ。
「アイシクル――」
ファーレンハイトのその言葉と共に、空中に氷の槍が幾本も浮かび上がり、地上からは巨大な氷の矛が、ムショクに狙いを定めた。
「――ブラスト!」
それらが一斉にムショクに襲いかかる。
それをなんとか、杖で受け止め、壊していく。
が、キヌカゼのような剣速もなく、フィリンのような正確性もないムショクは、次第に押されていく。
「クソっ!」
歯痒さから声を上げるがそれでも現状は変わらない。飛んでくる氷の槍を壊し、その破片が手や身体に当たりどんどん冷えていくのが感じられる。
今は少しでも杖を振るのが遅れたらその槍は容赦なくムショクの身体に刺さる。
必死に杖で槍を壊すが、手がかじかんできた。
「これでも避け続けられるかしら!
フリージングロック!」
突如、ムショクの足が氷に捕らわれ、動けなくなった。一瞬、バランスを崩し、槍への対応が遅れる。
その隙を待っていたかのように氷の槍が、ムショクを貫き、地面から生えていた巨大な氷の矛がムショクに向かい放たれ、ムショクの身体を貫いた。
「ムショクさん!」
フィリンの叫び声も虚しく、残った氷の槍と矛が一斉にムショクを襲った。
「そんなここまで来ましたのに……」
辛うじて立っているムショクだが、その身体には、おぞましい程の氷が刺さっている。
「力及ばなかったみたいね。
安心しなさい彼以外は殺すつもりがないから返してあげる」
その無残なムショクの姿を誰もが絶望的な目で見る。
全身を刺されているのだ。
「大丈夫です。ムショクさん……私が行きますから……」
フィリンは痛む身体を押さえながら、ムショクに向かって這いずっている。その目は涙で濡れていた。
シハナは見ていられなくなったのか、痛々しそうに視線を逸した。
誰もがムショクは死んだと思った。
「美味いか……?」
その死んだと思ったムショクが、ボソリと呟いた。
それに最も驚いたのは、他でもないファーレンハイトだった。
「なんで生きてるのよ!
ただの氷じゃないのよ!
魔力のこもった特別性の氷よ!」
「だそうだ。
全部食っていいぞ!」
その瞬間、ムショクを刺していた氷が一瞬で消え去った。
「なんで……?」
ファーレンハイトの驚きに答えるように、スライがひょこりと肩から顔を出す。
「擬態でね。スライはいつも俺の体表にいるんだよ。
こいつが想像以上の大食いなんだ」
初めて会った時からそうだった。
スライはこうやって絶えずムショクの身体にいて、隙あれば何でも食べようとする。
今はファーレンハイトからの氷を全身で食べられてご機嫌そうだ。
「そんな……スライムごときが私の魔法で消し飛ばないなんて……」
「うちのスライは特別なんだよ」
なんたってゲイヘルンの心臓を持つスライムだ。今は種族名にドラゴンもついている。
「なら、これはどう!?」
ファーレンハイトは、氷の息吹をムショクに吹き出した。
今度は冷気がムショクを襲う。
スライも流石に冷気は食べられず、寒さに震える。
が、これならばとムショクは、手を出しその無形の息吹を掴む。
煉獄の炎息の時と同様の感覚。
実感と共に、彼女の息吹を掴むと、それが掌に集約した。
「残念。それ系の技は俺にはきかないんだよな」
『錬金術師の指先』。
アイテムだと認識すればそれを採集できる。が、これにも弱点があった。
どうも物理に弱そうだ。と言うか、試す気がいまいち起きない。
振り下ろされた剣をなんて、正直、出来たとしても勇気がいる。
「さて、どうする?」
「さすがね……でもね……
これは受け止められるかしら!」
ファーレンハイトは両腕を前に出して詠唱を始めた。
それを見たセルシウスは驚きの声を上げた。
「ファー! それを撃つのか!」
「あなた……止めないで。こいつを止めるためにはこれくらいじゃないと!」
ファーレンハイトはセルシウスの制止もきかず詠唱を続けた。
「……あなたの名前は?」
詠唱が終り、その両手に今までには比べ物にならないくらいの冷気が集まる。
春の暖かな――ムショクたちが寒く感じるほどだったが、それはリルイットの春としては十分なほどの――陽気が消えうせ、雪がちらつき始めた。
「ムショクだ」
「あなたの――あなた達の強さには敬意を示すわ」
ファーレンハイトは、掌の冷をグッと握りしめた。
「これが、最後の試練よ!
受けなさい! 神を倒すために編み出した精霊の絶技を!
絶氷の咆哮!」
ファーレンハイトが、まさにそれを放った瞬間、何かが、ファーレンハイトとムショクの間に飛び込んだ。
「ひょっ、ひょっ、ひょっ」
聞き覚えのある笑い声。本当なら、存在も凍るファーレンハイトの冷気だが、それは、高笑いと共にその冷気をすべて飲み込んだ。
力を使い果たしたように、ファーレンハイトがその場に座り込んだ。
それと同時に、シハナとティネリアを封じていた氷は崩れ落ちた。
「待っておったぞこの時を!」
そこにいたのは、リルイットの地下深くの牢にいるはずだったザーフォンだった。
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