第61話 投獄と狂乱の魔術師
「こっちへ来い!」
むさ苦しい衛兵に腕を押さえられ、どこかの地下へ歩いていく。
地下へ向かう薄暗い階段は人が1人やっと通れるくらいで、明かりは壁の左右にかかっているランタンぐらいだった。
重い湿気と閉塞感。壁は薄汚れており、お世辞にも綺麗と言える場所ではなかった。
フィリンが密入国は重罪だったと言っていたことを思い出した。
この狭い階段を腕を押さえられながら歩いているので、余計に狭く感じる。
下手に動こうものなら捕まえている衛兵が睨みをきかせる。ただ、黙ってその長い螺旋状の階段を降りていく。
どれだけか降りるとようやく下についたみたいで、そこから更に長い通路が続く。
左右には窓はなく、檻と灯りが等間隔で続いている。
少し歩くと、衛兵が鍵を取り出して、1つの牢を開けた。
「入れ!」
衛兵はムショクをその中に押し込むと、激しく扉を閉めた。
金属が打ち付け合う激しい音が静かな長い通りにこだました。
衛兵は、振り返りもせず足早に去っていった。明かりが僅かに揺れる暗闇の中、遠ざかっていく衛兵の足音だけがこだました。
「いってぇ……」
ムショクは押し込まれた拍子に打ち付けた頭をなでて撫でて立ち上がった。
牢の奥は明かりが届かなくて見えない。
まるで無限に続くような暗闇の底を見つめると、それを避けるように何かが動いた音がした。
「誰だ!」
ムショクの声を聞いたその何かはすくっと立ち上がり、コツコツと靴音を立てながら近づいてくる。
「誰だですって! 誰のせいでこんな所にいると思ってるのよ!」
入口付近の明かりに照らされて現れたのはティネリアだった。
「なんで、捕まってるんだ?」
「あなたが、私を仲間みたいに扱ったせいでしょ!」
「一緒に冒険した仲じゃないか」
と冗談交じりで笑いかけたが、ティネリアの怒りはまだ収まらないようだ。
本来の想定なら、釈明と彼女の地位の想定で彼女が牢屋に入れられることはなかった。
が、何がどうなってか彼女はここにいる。
「不法侵入って重罪なのよ!
身分確認もなくこんなとこの牢に、よりにもよって王都の管理牢の最奥に突っ込まれるなんて……」
確かに、薄暗かったが、徐々に目が慣れてきた。
当たり前だが窓がないその牢の奥にはベッドらしきものがあった。
だがそれも、ボロボロだった。
ティネリアはそこに座っていたようだ。
ムショクがあたりを調べるためにウロウロしていると、突然、ティネリアが服を引っ張って身体引き寄せた。
「危ない!」
何に怯えたのか、ティネリアはムショクを掴むと、その身体をギュッと抱きしめた。
「どうした?
何もないぞ?」
ティネリアが怯えているその先はただの壁で、なんの変哲もなかった。
「いえ、いるわ」
ただ一点をじっと見つめているティネリア。
しばらくの沈黙が流れた。
「ひょっひょっひょっ、気づいておったのか」
壁の向こうからしわがれた笑い声が聞こえてきた。
「中々、こちらに来ないから困っていたところじゃったが……」
ムショクの耳にはただの老人の声に聞こえたが、ティネリアはその声を聞いてないまるで恐ろしいものを見たかのような顔で固まっていた。
「本当に存在していたのね。狂乱の魔術師ザーフォン……」
ザーフォンと呼ばれたその声の主は、ティネリアの言葉を聞いて大きく笑い声を上げた。
「ひょっひょっひょ。ワシの名はお前のような小娘にも知れ渡っておるのか」
ザーフォンは残念残念と言葉を続けた。
「破滅級犯罪者。狂乱の魔術師ザーフォン。
リルイット史上最高の魔術師であり、最悪の魔術師。
過去に2度、精霊祭を襲っているわよね。
同じ魔法使いとして、彼ほど狂った人物を見たことはないわ」
「魔術を扱う人間がこのワシの崇高な理念を理解できんとは……」
見えもしない相手にザーフォンは、憎々しい声を上げた。
「精霊祭を襲ったってのは?」
「精霊祭の待った只中、氷結の精霊を殺そうと挑んだ魔術師よ」
「ひょっ、ひょっ、勝てなかったがのう」
「何でまた、そんな事を?」
「単純なことじゃ。我が魔術の力試しだ。
もっとも、精霊の方もやる気であったのに、この馬鹿げた国民共は精霊の怒りを恐れてな。
挙句ここに投獄しおったわけだ」
メルトの時にもそうだったが、精霊たちはどうも力試しが好きなようだだ。
確かにザーフォンの言うとおり、精霊は喜んでいたかもしれない。
「リルイットの民からしたら氷結の精霊は信仰の対象ですからね」
と、ナヴィがそう補足した。
「まぁ、よい。
50年もここで囚われておってな。
折角だから話し相手にでもならぬか?」
「そんなに長くか」
「老い先短いんじゃ、なんか面白い話は――ゲホッゲホッ」
ザーフォンが激しく咳き込んだ。
それを聞いたムショクは、思わず、一歩壁際に近づいた。
「大丈夫か、じーさん?」
「ひょっ、ひょっ、心配してくれるか。
じゃがな――」
ムショクは突然急な立ちくらみに襲われた。
その立ちくらみがあまりにも激しく、そのまま立っていることもできず、膝をついて、そのまま地面に伏した。
「――このたわけめ!
心配なら自分の心配をした方が良いぞ!?」
ザーフォンが、急に大笑いを始めた。
「ムショク!」
駆け寄ろうにも近寄れなかったティネリアは、ムショクの足を引っ張ると、何とかザーフォンがいる壁とは反対の方へ引っ張っていった。
「何で、近寄ったのよ!
あいつは、人の魔力を喰うのよ!」
「ひょっ、ひょっ、お前さんが来てくれなくて困っておったが、この男はバカじゃなぁ。
大人しく言うことを聞いておれば良いものを。
情にほだされおって」
よっぽど嬉しかったのか、ザーフォンの声が先ほどよりも大きくなった。
「大分魔力を頂いたわい。その男、死んだろうなぁ」
「ふざけないで! 簡単に殺して! お前は人をなんだと思っているの!」
「ふん、よく言うわい。
先にわしを殺そうとしたのはお前らじゃろうに」
ザーフォンは、精霊に負け弱ったところを捕まえられた。
だが、弱ったとは言え、リルイットのどの魔術師よりも強く、捕らえるだけで多くの犠牲を払った。
そして、何とか地下にある魔封じの牢に彼を閉じ込めた。
けれど、この強力な魔封じの牢もザーフォンの魔力を完全に抑えきることができず、処刑をしようと送り込んだものは、片っ端から魔力を吸われ殺された。
牢からも出せず、かと言って殺しもできないザーフォンに対してリルイットは餓死を試みた。
食事も水も与えず2週間。
流石に死んだと思ったザーフォンは生きていた。
以来、ザーフォンはなぜか生き続けていた。
「さすがのワシも死んだと思ったぞ」
「なぜ生きていられるのよ!」
「魔力じゃよ、魔力。
あれで生きれるんじゃよ」
「ヒトは魔力生命体じゃないのよ。
そんなことできるはずないでしょ!」
「……いってぇ。今のはなんだったんだよ」
ティネリアとザーフォンが言い合っているさなか、ムショクが頭を押さえながら立ち上がった。
「お主、あれだけの魔力を吸われて、なぜ生きておる!?」
「魔力? あぁ、確かにちょっと減ったな」
「ちょっとじゃと!? 人1人分を優に超える魔力じゃぞ! 貴様、何者だ!」
「何者も何も、ただの錬金術師だよ」
「ブレンデリアじゃあるまいし、たかが錬金術師がそのような魔力を持つはずがないじゃろう!」
「ブレンデリアって、そんなに強かったのか……」
リルイットの犯罪者である狂乱の魔術師でさえ、ブレンデリアは強いと認めているような発言にムショクは驚いた。
「ん? お主、ブレンデリアを知っておるのか?」
ムショクの反応にザーフォンは何か気になったようだった。
「あいつは、俺のスペシャルポーションを飲ませた仲だぞ」
その言葉に、ナヴィがげんなりした顔を見せる。
あの味を思い出しのただろう。
ムショクのスペシャルポーションの最初の味見、もとい被害者はナヴィだった。
「ブレンデリアなんてお伽噺の人間でしょ!?」
「小娘ッ! お前は黙っておれ!」
ティネリアの言葉にザーフォンは激しく激怒した。
そして、ムショクに向かって言葉を選ぶように慎重にゆっくりと話した。
「小僧。それはまことか?」
「ブレンデリアの話か?」
「そうじゃ」
「ついこの間も、一緒に飲んだぞ?」
ドラゴンテイル焼きを肴にしこたま飲んだのはつい最近の話だ。
「……小僧、ブレンデリアのことはどこまで知っておる?」
「いや、何にも?
そんな話はしてなかったからなぁ……あっ、『フェアリーテイルクライシス』の話は少ししたか」
「なんじゃとッ!」
ザーフォンがひときわ大きな声で叫んだ。
「どんなだ! どんな話をした!」
ガンガンと金属をたたく音がした。おそらくザーフォンが牢をたたいているのだろうが、静かなここにはそれがよく響いた。
「大した話はしていないぞ。
まぁ、ブレンデリアなりの『フェアリーテイルクライシス』の研究結果ってのは見せてもらえたがな。さっぱりだったよ」
ゲイヘルンの煉獄の炎息がまさに襲おうとしたその瞬間、すべての時がゆっくりとなったのだけは覚えている。
それが、『フェアリーテイルクライシス』とどう結びつくのか、そもそもそれが何なのかは皆目見当がつかなかった。
「『フェアリーテイルクライシス』……ワシも名前しか知らぬ。
何かを極めんとする者は必ずそこにたどりつくという。
曰く、『次元の狭間』、『時の集約点』、『時間の特異点』、『時の最果て』。
名称は山のようにある。時間と空間が全てつながる場所で、未来も過去もなく、此方も彼方もないと言われておる」
「どんな場所だよ、それは」
「ブレンデリアですら全容を掴めておらぬのじゃろ?
小僧、ブレンデリアがどんな人物か知っておるか?」
「だから、全く知らないって言っただろ?」
「ふん、小娘、説明してやれ」
「わ、私がなの?」
ティネリアが驚いたが、ザーフォンが口をつぐんだので、仕方なく言葉をつづけた。
「伝説上の女性よ。通称『神の反逆者』。
セフィロトの樹に登り、地上に存在する生物の中で最も早く神への挑戦権を獲得した女性よ。
ヒトの中で最も強いと呼ばれているわ。
彼女が残したレシピはいまだ多くの謎を残し、伝説的な存在だわ」
「あれがねぇ……」
ムショクのポーションを飲んで、崩れ落ちながら吐いていたブレンデリアを思い出す。
「そもそも、存在していたかどうかすら怪しいのよ。
ただ、レシピが多く残っているから、強力な錬金術師がいたことはたしかなの」
「くだらん。いるにきまってる!」
黙っていたザーフォンが口をはさんだ。
「ブレンデリアはいる。ワシはこの目で見た。驚くほどの純粋で研ぎ澄まされた魔力。
それがブレンデリア以外であるはずはない」
「見た目はちびっ子のくせにな」
「何言っているんのよ?
宿命のライバルとなった古龍王ゲイヘルンと戦った時には20を数えていたはずよ」
「ひょっひょっ、本物じゃな」
ティネリアは馬鹿を見るような目でムショクを見たが、ザーフォンの声は楽しそうだった。
「ブレンデリアは合成の素材に自身の成長を捧げておる、彼女の容姿は10も数えない年齢で止まっているはずじゃ」
「そんなことって……」
ザーフォンの言葉にティネリアは言葉を失った。
「神への挑戦権を獲得したって言ったよな? それは、ブレンデリアが神と戦ったってことか?」
「そうじゃ」
「勝ったのか?」
ムショクの質問に、ティネリアもザーフォンもすぐに言葉を返さなかった。
しばらくの沈黙の後、ザーフォンが口を開いた。
「負けおった。
彼女が負けたらだれも勝てないだろうと思っていたにもかかわらずじゃ。
だから、創世記はまだ続いておる。神の時代は終わっておらぬ。
ブレンデリアはその戦いに負けて死んだと言われておる」
「神ってのはそんなに強いのか?」
少なくともあのゲイヘルンとライバルというのだから、ブレンデリアの実力は相当であるはずだ。
「強い。
その名にゼロを持つ唯一にして絶対の者。原初にして終焉、原始にして終末と呼ばれる者だ」
「名にゼロを持つか……」
その言葉に、ナヴィは悲しそうな目でムショクを見た。
「ん? 死んだって言われているのか?」
じゃあ、俺やあんたが見たやつは何なんだ?」
その言葉にザーフォンは言葉を返せないでいた。
「彼女ほどのものが死ぬとは思えん……
それに貴様も見たのだろ? 異国のドレスを身にまとった彼女を?」
「あぁ」
ムショクの言葉を聞いて、ザーフォンは満足したような長い息を吐いた。
>>第62話 称号とは?




