第47話 ミラリアドリンク
フィリンが寝床の準備を進んでやったのは、何も楽な仕事だからではなかった。
1つは旅慣れしているフィリンだからこそ、素早く快適な場所が作れること。そして、もう1つは、食料確保は採取を得意とした錬金術師に任せた方がいいのではないかと判断した……はずだったのだが。
ほくほく顔で戻ってきたムショクの手には、黄色い液体と幾つかの石だった。
どう見ても今晩のご飯として並べるには辛いものばかりである。
「ムショクさん……それって食べられます?」
「えっ……?」
ムショクが持ってきたのは、『コハナミジリの葉』、『キリングハッシュの落羽』、『ローズロール』、『渦巻き蛇の抜け殻』、『鬼灯岩』だった。
フィリンの言葉を聞いて、思い出したようにバツの悪い顔を浮かべた。食料確保の為という大義名分をすっかり忘れていた。
「あー、えっと……そうだな……これ、食べられるか?」
困った顔で持っている石をナヴィに見せたが、ナヴィが答えるまでもなく、食べられないことは明白だった。
「鬼灯岩はトールフラゴの素材ですからね。
下手に噛み付くと顎が吹き飛びますよ?」
「それは、遠慮したいな」
そもそも、どれだけ空腹でも石を食べようとは思わない。
「えーっと、食べるものだよな。
ナヴィ、何かあるか?」
「食べられるだけなら、そこらへんの草でも大丈夫ですよ?」
その意味で言うなら採取してきたものも食べられるものである。蛇の抜け殻などになるが。
「美味しくて、お腹が満たせるやつがいい」
「まったく。ワガママですね」
ムショクは、周りの視線の高さに合うように飛ぶと、腰に手を当てて胸を張った。
胸はないが、知識はある。
偉そうではあるが、こうやって説明しているナヴィは頼もしい。
「肉ならば、草原うさぎと呼ばれるタブルラビットでしょうか?
ただし、素早いので取るのはなかなか難しいですよ。
果物なら何と言っても黄金宝珠。メルトの木の実です。
ただ、高いんですよね」
ナヴィがメルトの木を仰いだ。
旅人が、その木を目印にすると言われているメルトの木。ナヴィの言うとおり、周りにまばらにあるどの木よりも高く、遠くからでもよく見える。
が、はっきり言って、ムショクには登れる気がしなかった。
タブルラビットならと思うが、素早いウサギを杖一本で捉えられるかだ。
「もうちょっと、採取難易度低くて美味いやつだ!」
「そんな食べられるだけの存在みたいなものはいませんよ」
呆れたように乾いた笑みを浮かべたナヴィ。とは言え、能力の限界というものはある。
「あ、あの、タブルラビットなら、私が取りますよ」
ムショクとナヴィの会話にフィリンが遠慮がちに割り込んできた。
「えっ? できるんですか?」
フィリンの言葉にムショクは驚いた。
確かに、能力としてフィリンの弓矢の技術が高いことは知っていた。
が、驚いた理由はそこではなかった。
「なんか、朝食を見て、肉系食べられないのかなって思い込んでいたんだが」
「食べる習慣はないんですが、禁忌でもないですよ」
「でも、あなたは森林エルフですわよね?」
黙っていたシハナが口を開いた。
「はい。確かに、平原エルフはウサギもよく食べると聞いてます。
私たちは専ら果物を食べてますから」
「なんか、フィリンさんに頼むのも気が引けてきたんだが。果物なら黄金宝珠にした方がいいかな?」
「あはは、大丈夫ですよ。2つとも取ってきます。
ムショクさんは、ここで待っていてください」
フィリンは、弓矢を持ち、行ってきますと笑顔を見せた。
「甲斐性なしですね」
ナヴィが残念な物を見るような目でムショクを見た。
「適材適所と言ってもらおうか。
ってことで、俺は、冒険に役立つアイテムを作ることで、みんなに貢献しようか」
「錬金術師が合成をする所を目の前で見るのは初めてですわ」
「彼の合成を一般のそれと一緒にしないで下さい。
悪い意味で他とは違うので」
「おっ、褒めてくれるのか」
「悪い意味でって言いましたよね!」
ナヴィの心の叫びはムショクには届かなかったみたいで、軽く笑ってあしらわれた。
「何にせよ。初めて見るから楽しみですわ」
メルトの木の下にはすでに焚き火が用意されていた。
「なんか、焚き火からいい香りがするな」
食欲をそそると言うよりも、気分がゆったりする香り。草のような、花のようなそんな不思議な香りである。
「フィリンが何か焚き火にくべてましたわね」
「この香りは、メルトの葉とコハナミジリの葉ですね。あぁ、なるほど」
ナヴィは、納得したように頷いた。
「虫除けですねぇ。これなら、焚き火が燃えている間、虫に悩む心配はありません」
冒険慣れしている彼女の知恵だった。
「はは、今から作るアイテムに虫除けの追加効果が出たりしてな」
「馬鹿なこと言ってないで、ミラリアドリンクを作りますよ!」
ナヴィが焚き火の前に降りた。
「ゲイルさんの作った大鍋を使いましょう」
大鍋を取り出すと焚き火の上に置いた。
「まず、なくてはならない精製水です」
「スライ、頼んだ」
ゲイヘルン戦で分かったことだが、スライの身体の中に溜めたものを吐き出すことができる。
スライには泉の水をたっぷり飲ませたので、これを少し頂戴する。
ムショクの呼びかけに応え、スライはその透明な身体を鍋の上までグッと伸ばした。ぷるりと震えると、先から泉の水が鍋に注ぎ込まれた。
「……初っ端からイレギュラーなことしますね」
呆れたナヴィだが、それしか方法がないのだ。
だいたい、こんな草原のど真ん中で水を出せというのがそもそも無茶な話なのだ。
「この広い草原で水を持って来いって方がイレギュラーだっての」
「普通は合成用の物を確保してるんです。
じゃあ、次に『ローズロール』を入れてください」
『ローズロール』はピンク色のボールのように包まれた丸い花だ。この花は茎も葉もなく、誰かが忘れた落とし物のように転がっている。表面は固く閉ざされているが、雨が降り、『ローズロール』が水に浸かると開き始める。
『ローズロール』が浸かるほどの大雨のとき、まるで、浮橋のように花が咲く。雨の中、甘く強い匂いを放つが、雨が止んでしばらくすると花は閉じる不思議な花だ。
鍋に浮かべてしばらく待つと、ローズロールの花が咲き始める。
「花が咲き始めましたね。
じゃあ、火にかけてください」
「これは何をしてるんだ?」
「ローズロールの香りは心を落ち着かせる効果があんです。麻痺時に傷んだ身体の細かな部分を癒やすんです」
水に浮かべて開いた花の香りが辺りを包んだ。鍋を火にかけて、しばらくするとその花の香りが急速に失われ、水が薄っすらと桃色になった。
「いい感じですね。
灰汁が出るのですくってください」
ナヴィの言うとおり、鍋の表面に桃色の泡が浮かび上がり、それは消えずに塊を作った。
浮かんではすくい、浮かんではすくいを続けていると、じきに灰汁は出なくなった。
「さて、お待ちかねです。
ペンタパラの体液を混ぜます。
ゆっくり均一に鍋に入れてください」
何がお待ちかねなのか分からなかったが、ナヴィの言うとおり、ペンタパラの体液をゆっくり鍋に注いでいく。
ペンタパラの体液が鍋に注がれた瞬間、薄桃色していたお湯が一瞬で透明になった。
「おお、すげぇ!」
まるで、魔法のように変わる水の色。
「まだですよ」
ペンタパラの体液を入れたことで、鍋の温度が下がり表面が落ち着いた。
ナヴィが鍋を注視しているので、それに合わせてムショクもシハナも鍋を見る。
少しするとぷくりと緑色の泡が浮かんだ。
緑色?と疑問が浮かんだのも一瞬で、沸騰し始めると、透明だった鍋の水が緑色にへと変わっていった。
「さぁ、完成です!
火から離して冷やしましょう」
ナヴィの言葉をうけ、鍋を焚き火から避け地面においた。
「ムショク? さっき入れていたのは何ですの?」
「見てたか。秘密な」
ナヴィに見つからないようにこっそり入れていたものをシハナは見つけたようだ。
ムショクはシハナの言葉を遮るように悪戯な笑顔を浮かべた。
「冷めたら瓶に入れ替えましょう。
今からちょっと大変ですけど、大丈夫ですか?」
「大変?」
「ほらあれです」
ナヴィが指差す方向に黒い影が見えた。
「ミラリアドリンクは、レストランに並ぶほどのアイテムですが、実は非常に作るのが面倒なのであまり市場に出回らないんですよ」
「面倒? 確かに灰汁を取るのは面倒だったが、それくらいだろ?」
「確かに完成だけなら工程は簡単ですね」
「じゃあ、何が面倒なんだ?」
ナヴィは困ったような、苦笑いを浮かべた。
「ミラリアドリンクの過程で発する匂いが、モンスターを呼ぶんですよね。
匂いにつられて付近のモンスターが無条件で襲ってくるんです。
冷めるまでの辛抱ですよ」
「なっ! お前、そう言うことは早く言えよ!」
「だって、言ったら作ってくれないじゃないですか!」
「当たり前だろ! 非戦闘員舐めんな!」
自慢じゃないが、弱い自信がある。
本当に自慢ではないが。
「だって、飲みたかったんです」
「先に攻撃アイテムの『トールフラゴ』を作るとかやり方あっただろ!」
「確かに!」
「確かに……じゃねぇ!」
遠くから現れる影が徐々に増えていく。
10や20じゃない。
「おい、待て。
こんなに寄ってくるのか?」
最初はちらほらと数体だけが見えたが、今は違う。
明らかに常軌を逸している数が見える。。
「普通は1体位なんですが……もしかして、まずいですかね?」
「確実にまずいわ!」
「いや、だって、こんなに来るとは……あっ、もしかして、出来がいいんですかね?」
「こんな時にも食い気か! このダメ妖精が!」
「だって、気になるじゃないですか!」
こいつは死ぬ間際でもお腹が空きそうなやつだ。
後でたっぷりと痛い目に合わせてやる。
「お前、楽しみにしてるけど、これ凌がないと飲めないぞ!」
「じゃあ、ムショクが死んでからゆっくりと味わいます」
「安心しろ。絶対に道連れにしてやる」
「なっ、なんてこと言うんですか! この人手なし!」
それは絶対にこちらのセリフだとムショクは思った。
「シハナ、戦えるか?」
「そういうふうに見えます? 無理に決まってますわ」
見るからに戦えない装備だが、それはムショクも同じ。少しばかり期待したが、やはり無理だったようだ。
「せめて、フィリンさんがいてくれたら」
影だったそれらの形が目視できるほどとなった。
巨大な狼のようなもの、イノシシのようなもの、明らかに自分よりも大きい虫がいるし、上空には鳥が円を描いている。
覚悟を決めて、杖を握りしめた時、スライがムショクの身体から地面に降りた。
「スライ! 無理するな、俺の身体についてろ!」
色々なモンスターを食べたとは言え、スライはスライムだ。匂いに釣られてやってくる明らかに強そうなモンスターとは、差があるに決まっている。
だが、スライはムショクの方に振り向くと「安心して」とでも言うようにぷるりと震えた。
前を向き直したスライの身体が少し膨らんだ。
柔らかそうな身体が、急に硬そうに見え、辺りの空気が冷えた。
寒い。そう感じた瞬間、心臓を掴まれたような恐怖感と共に全身から汗が吹き出した。
思わず呼吸するのも忘れるほどの恐怖感。
ムショクだけでなく、周りにいたモンスターも同様の気配を感じ取ったようで、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
ただ、スライだけが、満足そうに身体を震わすと、元の柔らかい身体に戻りムショクのもとに戻っった。
「りゅ、『龍の威厳』……?」
ナヴィがスライのそれを見て呟いた。
「何だそれ?」
「威嚇系スキルの最上位にあたるもので、名前の通り、龍族しか使えないスキルですが……
なんで、スライが……」
ナヴィはそう言うとスライをじっと見つめ、そして、これでもないほど大きな驚きの声を上げた。
>>第48話 最強のスライム




