第41話 炉心融解
中心に近寄れば近づくほど、人がまばらになって行く。
「ゾフィー!」
その中で、腕を組んで神妙な顔をしている女性に声を掛けた。
年齢は50を越えたくらいなのだろうか、桃色に波打った髪を後ろで縛っていた。
深いシワが首や顔に刻まれているが、その身体は年を感じさせないほど引き締まったものだった。
「ゲイルかい。助かるよ」
「なぁに、困った時はお互い様じゃよ。
状況は?」
「はは、芳しくないね。
『メルト』の奴、意固地になって温度を上げるから、中心に行けるやつの数が限られちまう」
「『メルト』?」
「炉の精霊の名前じゃよ」
ムショクの質問にゲイルが、答える。
「見ない顔だね」
「紹介が遅れたな。
ちょっとワシが世話になってる錬金術師じゃ」
「あぁ、祝福の」
職人の中ではそれで通じそうである。
「ここより先は生半可な加護じゃ入れないよ」
焚き火の精霊と契約していると伝えたが、ゾフィーもゲイルと同じく耐久できる温度が不安だと伝えた。
「中心部が人手不足なら手伝うさ」
「助かるが、無理だと判断したら言ってくれると助かるよ」
「分かったよ」
中心部まで列を作るため、炎の加護が強い順に並ぶ。まずは、自分がどこまで行けるか確かめなければならない。
温度の高い方に向かっていくと、マグマの水溜まりのようなものがあった。
炉のなれ果てだろう、そこを囲っていた店はすでに灰とかしていた。
中心間近には3人いた。
誰も彼もその暑さで尋常じゃない汗を流していた。
ムショクの額からも汗が流れ落ちる。
「ムショクよ。無理をするなよ」
「確かに暑いですが、これくらいなら」
涼しい顔とは言わないが、それでも滝のように流すほどではなかった。
ゲイルと共に中心まで行く。
「メルト!」
ゲイルがありったけの声で炉の精霊の名を呼んだ。
マグマ溜まりの中、一糸まとわぬ姿で、膝を抱え込んで横になっている女性がいた。
カゲロウのように全身が炎で出来ており、髪が揺らめくように炎が揺れる。
メルトはゲイルに呼ばれてちらりと見たがそれも一瞬で視線を外した。
「完全に拗ねてるの。
取り敢えず周りを冷やすか」
ゲイルの指示に従って真珠岩をマグマ溜まりに投げ入れる。
真珠岩はマグマ溜まりに落ちると、赤く熱されながら沈んでいった。
真珠岩程度では焼け石に水だ。
「あたしに構わないでよ!」
まるで、水を掛けるようにマグマを手で救うとゲイルの方に投げかけた。
「スライ!」
慌ててスライに呼びかける。身体に引っ付いていたスライもそれを瞬時に察知したらしくゲイルの方に身体を伸ばして、掛けられたマグマを取り込んだ。
「た、助かったわい。
そいつは、大丈夫なのか?」
「ゲイヘルン戦でマグマを取り込んだくらいだしな。
これぐらいなら」
ゲイルの問いに答えるようにスライは身体を震わせた。
「『ステュクスの牙』を投げ込んでもいいのか?
もっと怒りそうだが……」
「とはいえ、このままでは周りに被害が出るからの。投げ込んじまえ!」
折角なので、氷結草を更に絞って、ステュクスの牙を更に冷やして、メルトに向かって投げた。
マグマの中から巨大な氷の柱が生えると、同時にマグマが一瞬で冷え、黒く固まった。
それと同時にあたりの温度が一気に下がった。
「ちょっと、何するのよ!」
うずくまっていたメルトが立ち上がるとムショクの近くまで飛んできた。
メルトが近づくことで一気に上がる温度。
思わずゲイルは後ろに下がった。
「えーっと、あれだ
冷やそうかなと?」
ゲイルに助けを求めて振り向いたが、どうやらその熱気に耐えられないらしく大分と後ろに下がっていた。
成人の女性よりもまだ少し幼さが残ったその顔は、不機嫌のようで目付きは厳しかった。
美しい桃色と赤で彩られたその身体は、炎でできているにもかかわらず、柔らかそうな太ももをしていた。
残念ながら胸は小さかった。
「なんで、邪魔ばかりするのよ!」
「それと周りを破壊するのは別だろう?」
「そんなの、仕方ないでしょう!」
そこまで言うとメルトはじっとムショクを見た。
「なんで、あんたは離れないのよ」
「えっ?」
浮いていたメルトが地面に立つ。足がついた先から地面が溶け、そこに小さなマグマ溜まりを作る。
「あたしの加護もないのに、なんであんたはここにいられるのよ」
「焚き火の精霊と契約したからなぁ」
その言葉で、メルトの顔が険しくなり、ムショクでも熱いと感じるほど温度が一気に上がった。
ゲイル他の周りにいた人々がその熱気に当てられて更に距離を取る。
「焚き火程度にあたしが劣るですって!」
横でナヴィが小さくため息をつく。
「ムショクは人を怒らせる天才ですね」
「おい、待て。悪気はないって」
「余計たちが悪いですよ」
ただ事実を述べただけなのにこの怒られようは理不尽である。
「あんたが、契約している精霊を出しなさいよ!」
その言葉に、カゲロウがムショクの胸の前に出てきた。
カゲロウはメルトを威嚇するように睨みつけた。
「なによ、事象じゃないの。
自然のあたしとは比べ物にならないじゃない。
バカにしてるの!」
ムショクは心の中で思った。自分が怒らしているのではない。周りが勝手に怒っているのだ。
メルトが人と同じ程のサイズに対して、カゲロウは膝までの小ささだ。
腰に手を当てて胸を張り、お互い触れ合うかのような近さで睨み合う。
平穏に終わってほしいムショクとしては、ここは仲裁すべきなのだろうと考えた。
「お前ら、喧嘩はやめろって。
どんなに胸張ってもお互い当たってないんだから」
悲しいかなムショクの言葉が示す通り、膨らみのない胸はその存在感を示すことなく、虚しさだけを主張している。
これがリラーレンとシハナなら、すでにお互いがぶつかり合って、形を変えているところだ。
だが、その言葉にカゲロウとメルトが同時にこちらを睨みつけた。
「何が悪いのよ!!」
ただ事実を述べただけなのに、理不尽である。
仲間であるはずのカゲロウも甚だ不満らしい。
「もう怒った!」
お前はもうさっきからずっと怒っているだろう。という言葉をなんとか飲み込んだ。
ムショクに掴みかかろうとした手をカゲロウがつかむ。それを不機嫌に睨みつけるメルト。
「あんたねぇ。下位の精霊が上位に喧嘩売っていいと思ってんの?」
メルトはそう言うと口から炎の吐息をカゲロウの顔に吹きかけた。
熱気と共にカゲロウの髪が揺れ、炎が顔を覆った。
だが、カゲロウの手はメルトを離さなかった。
メルトはそれに一瞬驚いた顔をしたがすぐに平静を装った。
たじろぐと思ったカゲロウが以外にも粘るので、標的がムショクからカゲロウに移った。
「ナヴィ?」
「なんですか?」
「カゲロウのやつは、大丈夫なのな?
下位の精霊が上位の精霊にって言ってたが」
「あぁ、その事ですか。
確かに。格が違うというのは強さの次元も大分と違いますからね。
下手したら強制的に契約を解除させられたりします」
「それってどういう事なんだ?」
心配する素振りを1つも見せずに、ナヴィは焚き火が消えますと答えた。
短い間と覚悟していたが、消えずに共に冒険してきた。そんな簡単に消えてもらっては寂しい。
「お前、それって、マズイじゃないか!」
「あのですね……」
ナヴィが、面倒臭そうに口を開く。
その瞬間、メルトが悲鳴を上げた。
「何よ、あんた! 焚き火の精霊でしょ!」
さも当然と目をやるナヴィ。
「忘れてませんか?
カゲロウはただの焚き火の精霊じゃないんですよ?」
その言葉に、はたとカゲロウを見た。
地面を溶かし、マグマを作るメルトがカゲロウに押さえつけられている。
「神殺し級の焚き火ですよ?
今の彼女なら厄災とも張り合えますよ」
ナヴィはなんの心配もしていなかった。
今更なんでこんな説明をと呆れるくらいだ。
確かに、周りからはメルトの発する温度に焚き火の精霊程度だと耐えきれないと言っていた。
だが、事実は誰よりもメルトのそばに来られた。
「なんで、焚き火の精霊の癖にそんな温度を出せるのよ!」
どうやら、その差は圧倒的らしくメルトは悔しそうに声を出す。
「そろそろ、諦めないか?」
「絶対にイヤ!
あんたヒトでしょう? あんたなんかに精霊の苦しさなんて分かるわけないのよ!」
メルトの叫び声と共に、辺りの温度が一気に上がり、メルトの足元にできているマグマ溜まりが沸き立ち噴き上がる。
あまりの変化に驚いたカゲロウの力が緩んだ。その瞬間、メルトはカゲロウを振りほどくと、カゲロウを蹴り飛ばし、真っ直ぐムショクを睨みつけた。
「あんたたちは好きよ。
その為に生きるのも悪くない。
職人たちは、炉を愛し、鉄を愛してくれる」
けれどと言葉を続ける。
「この炎でできた身体でも温もりがほしいのよ」
「まるで、人のようだな」
ムショクの感想にメルトはクスリと笑った。
「あたしは元々人よ」
「はあ! ふざけないでください!」
真っ先に声を荒げたのは驚いたことにナヴィだった。
「人が精霊になるなんて、そんな精霊の手順を逸脱しています!」
「あたしだってなろうと思ってなったわけではないわよ」
「なろうと思ってなれるものではありません!
千年回廊を通リすぎることなんて、生身の人間でできるはずがありません!」
「千年回廊ってのは?」
ナヴィの言葉の中に知らない単語があり、ムショクは尋ねた。
「世界の構成要素に触れられる構造体です。高密度の魔力があり精霊のような魔力生命体しか通り抜けられません」
「そういう意味では、あたしの身体はもう普通じゃないわ。
炉の巫女として、この身体は炉に捧げたのだから」
「炉の巫女って、あなたカグツの一族の末裔ですか?」
「末裔っていうか、初代よ。
あたしの時からカグツの一族を名乗り始めたのだから」
ナヴィは困った顔で天を仰いだ。
「元々、魔力値の高いカグツの巫女が、炉に身を投げて、死を賭して千年回廊に通る……可能性はなくもないですが……」
「ヒトも精霊になれるのか?」
「条件が厳しすぎますよ。
それこそ、雷が3本同時に自分に落ちてくるほどの可能性です」
「自然発生的には無理だな。
まぁ、ヒトならそんな長い時間生きてたら暇になることもあるだろう。
たまに遊びに来てあげるから機嫌をなおせ」
「いいわよ」
ムショクの言葉にメルトはあっさり了承した。
「ただし――」
メルトはそう言うと、下腹部に手をやると、そこから黒い剣を取り出した。
「あたしに勝てたらね」
「なんでだよ!?」
「精霊は力試しが好きですから」
ナヴィが諦めたようにそうこぼした。
「神鉄から作った一振り。
その名はなく、その名は聞けず。
名もなき聖剣『無銘』」
メルトが剣を構えたのを見て、ゲイルは慌てて腰に携えていた剣をムショクに投げてよこした。
「ムショク! ワシが打った剣じゃ!」
メルトの温度が高すぎて、まだゲイルは近寄れなかった。
ゲイルが投げた剣が足元に転がる。
ムショクらそれを拾い上げた。ずっしりとした剣の慣れない重みに力が入る。
「あんたの名前、聞いてあげるわ」
「錬金術師のムショクだ」
「錬成術師のムショクね」
「ハイ……? 何だって?」
「錬成術師。あんたみたいなやつの事をそう呼ぶのよ。今は錬金術師って呼ぶのね」
メルトは懐かしそうに笑った。
「あたしはメルト。
炉の精霊にして表裏を分かつ精霊よ。
さぁ――」
メルトは剣を構えた。
「――やるわよ!」
その言葉にムショクも剣を構える。
が、その剣は素人の剣。ゲームでは剣技のスキルを取得していない。ましてや、リアルの世界でその技術があるわけでもない。
メルトがゆっくり振りかぶりゆっくりと振り下ろす。その動きがあまりにもゆっくりだったので、素人のムショクにも、その剣を受け止めることができた。
メルトの重い剣を受け止めると、メルトは剣を振り上げていた。今度は横に薙ぐような動き。それもまたゆっくり振られていた。
「初は緩徐に――」
ムショクは何度か剣を受けて気づいた。
振り下ろす動作は非常にゆっくりだが、受け止めた瞬間、メルトは既に構えに入っている。戻りが恐ろしく早い。
その為、ゆっくりであるはずなのに、ムショクは受け止める事に精一杯だった。
「途は雄渾に――」
メルトのその言葉ともに剣の動きが変わった。
先程のゆっくりとしたものではなく、構えから一直線に鋭く剣が繰り出される。
「行くわよ。
双曲円舞 幻想の戯」
メルトが構えるのに合わせて、受け止めるように剣を上げる。
が、メルトからの一撃は来ない。メルトはまだ剣を振り下ろしている最中だった。
思わず緩めそうになった力を引き締める。メルトの重い剣戟に手が痺れる。
と、同時に構えに戻ったメルトからの素早い一撃が出る。
不規則に繰り出される攻撃は緩急がつけられ、力の抜きどころが分からなくなる。
「ムショク! 何やってんですか!
いつもみたいにポーションで強化してください!」
ナヴィの叱咤が飛ぶ。
が、あの破格のポーションを使えない理由があった。
「俺も使いたいが、人に渡す用しか作ってないんだって!」
ナヴィは一瞬、ムショクの言葉の意味が分からなかった。
緊急事態なのだ。その人に渡すものを使えばいいはずだ。
が、そのごく当たり前の言葉がムショクに関しては当てはまらないことをすぐに思い出さされた。
人に渡す用。要するに、自分では飲まない用だ。それはあの不味さの集大成のようなポーションしか持っていないと言うことだ。
多くの人がそれを飲まされ、地獄を見た。
が、それに文句を言わないのはその効果があまりにも高すぎたからだ。
「最初から美味しいのを作ればいいのに!」
ナヴィの叫びは今更なのである。
また、大きくメルトが剣を振り下ろした。息を止め力を入れたがそれも虚で、すぐにその剣は振り下ろされなかった。
止めた息を履いた瞬間、メルトの剣がムショクの剣にのしかかり、受け止めきれずにムショクの身体が揺れる。
無防備な身体を晒しそうになるのを防ぐため、力任せに持っていた剣をメルトに向かって振る。
幸運なことにメルトの一撃はまた遅い振り下ろしだった。
これならこちらの攻撃が間に合うと身体をひねり持っていた剣をメルトに向かって薙いだ。
風を斬り、ムショクの剣はメルトの身体を捉えた。まだ振り下ろしている途中のその身体に剣が捉えたが、その感触はなく剣が宙を拔けた。
と、同時に、剣先が視界に入った。剣を振り切った態勢で、防御も回避も間に合わない。
ここで諦めて斬られるのも悪くなかったが、目の前でナヴィの泣く姿を想像してしまう。
地面に立つ2本の足を地面から離し、力を抜いた。
当たり前のように重力に引っ張られ、身体が地面に叩きつけられる。
受け身さえもまともに取れず、激しく顔を打つ。その僅か上を剣が通り過ぎた。
剣で斬られるくらいなら、顔を打つほうがまだマシだ。
「あんた、よく躱したわね」
「はは、無様だけどね」
地面にへばりついてメルトを見上げる
倒れた拍子に打ち付けた顎から血が出ている。一撃を避けたところで次の攻撃を避けられなかったら意味がない。
ムショクを見下ろすようにメルトからのそばに立つ。
「いえ、足掻くのは素敵よ。
ヒトだからね」
「じゃあ、これはどうだッ――」
余裕を持って見下ろしているメルトに剣を振り上げた。
その瞬間、メルトの剣が動き、振り上げようとした剣を砕いた。
「いい剣だったのに、残念だわ」
メルトはそう言うと剣先をムショクの首の先に置いた。
「くそっ、強すぎだろ」
「これでも、自然の中で、最も厄災に近いと言われてるのよ」
カゲロウが動こうとしたのを見て、目で牽制する。
「精霊に生まれ変われたら、会いましょう」
メルトはにこりと笑うと剣を振り上げた。
「ムショクさん!」
遠くからフィリンの叫び声と同時に風の切り裂く音がメルトの剣を激しく打ち付け、金属のぶつかり合う音が辺りに響く。
次いで、風のようにその音が複数メルトに向かう。
ムショクの顔の側に最初にメルトに向けられたそれが落ちた。
そこには一本の矢があった。
メルトは、それに気づいたようで、剣を構え飛んできた矢を叩き落とす。
気が逸れたのを見て、ムショクは慌てて立ち上がった。
「精霊殺しの鏃を! 禁忌の武器じゃない!
あのエルフ! 絶対に許さないッ――」
メルトが遠くで弓を構えているフィリンを睨みつけ、溶けた鉄の塊を幾つかフィリンに投げつけた。
フィリンは、矢を構えながら、それを難なく交わす。
それを見たメルトが、フィリンに向かって走り出そうとしたその矢先、ムショクが、メルトの腕を握りしめた。
「何よ!?」
「どこに行くつもりだ?」
「離しなさいよ!」
メルトの温度が上がり手が熱くなる。
蹴り飛ばされて以降、カゲロウはずっと萎縮したままだ。
「あんた、手が焼け落ちるわよ」
フィリンさんは傷つけさせない。町のみんなには手を出させない。そんな言葉は出なかった。
ただ、無意識にメルトの腕を捕まえた。
だが、この手を離してしまったらどうなるか。それはムショクにも分かる。
「俺と戦ってる最中だっただろ!」
「ボロ負けしていたのに、何を偉そうに。
あのエルフはやっちゃいけない事をしたのよ!」
それが何かムショクには分からなかった。
止めるにはメルトを倒すしかないがそれには力の差がありすぎる。相手は精霊で剣士だ。こちらはただの錬金術師。
体力、筋力、技術。何もかもが違う。
勝てるわけがない。
錬金術師なのだ……
ムショクは大きく息を吐いた。
そうだ。自分は錬金術師なのだ。
できるかどうかは分からないが、思いついたらやるしかない。
それ以外に彼女に勝つ方法が思い浮かばない。
頭をさっと切り替えて掴んでいた腕に意識を集中する。
これは、アイテム。
炉の精霊メルトではない。そう。今掴んでいるのは単なるアイテムだ。
その瞬間、メルトが青ざめた顔で、ムショクの腕を振りほどいた。
「あんた、何するつもりだったの……」
その言葉にムショクも同時に青ざめた。
自分は一体何をするつもりだったのだろう。相手は精霊とはいえ、生きている相手だ。それをアイテムとして採取をする。
それはどうなるのだろうか。
汗が出るほど熱いにも関わらず。寒気が身体に走る。そのおぞましい想像が出来てしまいそうだったことに震えた。
メルトが戸惑った一瞬の隙、それを縫うようにフィリンの矢がメルトの腕を貫いた。
「あああああ!」
メルトの叫び声と共に目を覆うような熱気が吹き上がり、腕を押さえ座り込んだ。
何とか平静を装おうとするが苦痛で顔が歪んでいる。
あまりの熱気にムショクが思わず後ずさる。
座り込んだメルトは右手を足の間に、左手は抱きしめるように身体を擦っていた。
「お、おい……大丈夫か?」
掛けた言葉にちらりと目をこちらにやる。
「はぁ、はぁ……あんた、何心配してんのよ。
さっき殺されかけたんでしょう?」
確かに、つい先程彼女にまさに殺されそうな瞬間だった。
けれど、段々と呼吸が荒くなる彼女を見てつい心配をしてしまう。
「いや、でも……」
「ほんっと、あんたはイライラさせるわね。
大丈夫っていってんでしょ! あたしは精霊なのよ」
そうは言うが、周りの温度がどんどんと上がっていく。どう見ても大丈夫そうではない。
「おい、本当に大丈夫なのかよ!」
メルトのそばに寄るとその身体を抱き上げた。
「あんたねぇ……」
呆れた顔をムショクに見せる。
「本物のバカね。でも、ダメよ。
……身体の制御がきかなくなってきたの」
「ムショクさん、騙されてはダメですよ」
突然声をかけられて振り返るとそこフィリンがいた。
フィリンは無表情に矢をメルトに向けていた。
「ムショクさんの優しさにつけいるとは卑怯な」
「さっきのエルフね……
あんた、精霊喰い殺しなのね。
ここで精霊殺しでもつけるつもり?」
「貴方がムショクさんに危害を加えるなら」
フィリンが張る弓の張り詰めた音が耳に痛い。
「フィリンさん、大丈夫だ。
彼女に戦う意志はない」
「騙されてはダメです。
精霊は簡単に嘘をつきます」
「この香り……『百合の魔香』ね」
メルトの言葉に無表情を装っていたフィリンの目に怒りの感情が映えた。
「道理でこんな近くまでこれるはずだわね。
いいわ、あんたなら殺されても文句は言えないわ。
身体の制御がきかなくなる内に殺しなさい。そろそろだから」
メルトの言うとおり、メルトの身体がどんどんと熱くなる。
「言われなくても」
フィリンは躊躇なく引き絞った矢を放った。その瞬間、ムショクがメルトを庇うよう身を乗り出した。
「いってぇぇ!」
ムショクの肩に矢が突き刺さる。
「ムショクさん! 何してるんですか!」
「あんた、何してんのよ!」
メルトとフィリンの二人に怒られた。全くいつもだ。こっちは怒らせるつもりがないのに、周りが勝手に怒り始める。
「おい、全知」
「何ですか? 無知」
「メルトを救う方法はあるよな?」
「もちろんです。
でも、分かってますよね」
ナヴィは攻略に関する説明はできない。
「その定義は?」
「私の情報で有利なアイテムを取得すること、有利なステータスを得ること、有利な状況になること。です」
「俺は、メルトを助けることでその報酬にアイテムをもらったりしないし、何かの恩恵を受けるつもりもない」
「アイテムやステータス恩恵ってのは、本人の意思に関係なく強制的に渡されるんですよ。
それを捨てたり、使わないのは個人の自由ですけどね」
「仮に貰ったとしてもすぐに捨てるさ」
「分かってないですね。
そのもらうという行為自体が禁止事項なんですよ」
ナヴィの非協力的な態度に、ムショクは困った顔を見せた。
確かにすぐにナヴィを頼るのは悪いのかもしれない。
ただ、緊急事態だ。
多少の融通は聞かせてほしい。
ナヴィは無関心な顔で上を指差した。
それにつられて上を見るが、特に空が広がるだけで何もない。
上。ナヴィがそこを指す意味。
上にあるもの。上から降ってくるもの。
上に常にあるような物なんて、思い当たらない。
降ってくるものは。
出会ったことがあるのは雨だ。だが、それと今回の話に関係はあるのか。
もしや、ブレンデリアを指している? いや、あれだけ仲の悪い2人だ。助けを乞うような指示は出さない。
他には……。
物ではないが、音は鳴ったことがある。
そうか。
「大丈夫だ。まだクエストとして、依頼を受けてない」
「メルトからのクエストが発生しても断るのが条件ですよ」
「あぁ!」
ナヴィは「もう少し早く気づいてくださいよ」と小さく笑うと、メルトのそばに近寄った。
フィリンは、肩から血が出ているムショクをオロオロと見守っている。
「あまり芳しくないですね。
精霊殺しの矢で貫かれてますからね」
「で、できるのか? できないのか?」
「焦らないでください。自壊が始まっています。
このまま行くと、メルトの体温上昇がいつか限界値を超えます」
「超えるとどうなるんだ?」
「魔力暴走ですね。
特に彼女ほどの高魔力体なら、この街一つくらいは融解しながら吹き飛ばしますね」
「おい、マズイじゃねぇか」
「だから、そう言ってるじゃないですか。
普通はこうならないようにしているんですが……これにはないですね」
「ダメなのか?」
「いいか悪いかはなんとも言えませんね。
魔力体の自壊を誘発するので当たれば倒せます。
でも、殺しきれなかったら今みたいに周りを巻き込んで死にますね」
「あんた……その武器であれを殺すつもりだったの……」
フィリンはメルトの言葉を静かな目で聞いていた。
「方法は2つ。
彼女の魔力を完全に封印して、命を断つこと。
もう1つは、圧倒的な冷気で、暴走を抑えること」
「前者はなしだ」
「分かってますよ。
必要なのは『群青の空色をした石飾り』ですね」
「作り方は?」
「残念ですが、実在のアイテムなので教えられません。
作った本人に聞くしかないですね」
「誰なんだ?」
ナヴィは少し言葉をためて、口を開いた。
「名はセルシウス。氷結の精霊にしてそれを司る精霊の王。その妻に当たるファーレンハイトに贈った首飾りです。通称『絶零の花嫁飾り』」
その言葉を聞いた瞬間、フィリンとメルトが叫んだ。
「ムショクさん、絶対無理です!」
「ムショク、やめなさい!」
こうやって、周りから激しく諌められ続けるとどうも捻くれた心がざわめく。
彼の人生の中、「無理だ。やめろ」と多くの人からその言葉を聞いた。
リスクを侵さない。一見、理性的な言葉であるが、それは、ありもしないノーリスクを求める非常に非合理な言葉であることをムショクは知っていた。
「ナヴィ、猶予はどのくらいある?」
その言葉にナヴィは説明を始めた。
>>第42話 現実世界:逆原真緒について




