第39話 王家のおっぱい
食事の前に水を貰い、喉を潤し、自前の解毒剤を飲んだ。身体のだるさは取れなかったが、頭痛は消えていった。
これで二日酔いはなさそうだ。
予想通り朝食は野菜と穀物中心の食事だった。さすがエルフと言えばいいのだろうか。エルフが焼いた肉を齧り付くシーンはあまり想像できなかった。
これがドワーフであるゲイルさんのところだと違うのだろう。
いや、奥さんのゼルおばさんはヒトだったので、普通の朝食になるのかもしれない。
昨日の酒で胃が荒れているムショクとしては、こちらの方がありがたい。
3人が席に、そして、ナヴィはムショクの側の机の上に座った。
「さて、で、お前は誰なんだ?」
ムショクは木の器に入ったサラダを食べながら、この謎の女性に訪ねた。
「わたくしの名を知りたいならまず名乗るのが礼儀ではないでしょうか?」
フィリンが用意した皿に一切手を付けず、彼女は、言葉を返した。
「もう嫌な予感しかしないんだが。
ナヴィ、お前は誰だか知ってるだろ?」
ちらりとこちらを見るとそりゃそうですよという顔をして、また食事を続けた。
この自分勝手な妖精はいつか痛い目を見せないとならない。
「礼儀なんの言うなら、勝手に試食会に参加している無礼なやつに言いたいんだが」
「それは……」
「むしろ、勝手に人の家で寝ている方がいいか?」
「それは、貴方が連れてきたからですわ!」
そうなのかとフィリンを見ると、彼女は苦笑いを返した。
「とにかく名前を教えろ。
話にならん」
「なら、貴方から名乗りなさい」
「やだね。不審者。
お前から名乗れ」
「絶対にお断りですわ」
「埒が明かん。
ナヴィ、自白剤の作り方を教えろ」
「面倒だからイヤです」
自分の分は食べ終わったらしく、ムショクの皿に手を出した。
相変わらずよく食うやつだ。
「あ、あの、私、フィリンと言います」
フィリンは初めましてと言葉を続けた。
名乗らない彼女とムショクはどちらも折れないと思い、フィリンがその間に入った。
「わたくしの名前はシハナ・エス・フェグリアですわ。以後お見知りおきを」
シハナはフィリンに対してそう言葉を向けた。が、あからさまにその視線はムショクに向けなかった。
シンプルだが、美しい服。
そして、名乗った名前はこの国と同じ名前。
想像したくないが、彼女の立場を想像してしまう。
「で、なんで、あそこにいたんだ?」
シハナは、ちらりともムショクの方を見ない。
どうやら、ムショクから名乗らなければ完全に無視を決め込むらしい。
「あ、あの、何で昨日いたんですか?」
「人を探しにきたのですわ」
「人ですか?」
「えぇ、わたくしを助けてくれた人ですわ」
「会えたんですか?」
「いえ。その代わり、手伝ってくれるであろう人を紹介してもらえましたわ」
「じゃあ、そいつに頼めよ」
無視され続けて不機嫌になっムショクはぶっきらぼうに割り込んだ。そして、その言葉を聞いて更に不機嫌になるシハナ。
「どなたを紹介されたんですか?」
フィリンの言葉に、シハナは、湧き上がった怒りを殺してなんとか飲み込む。
「あの伝説の龍。ゲイヘルンを倒したと言われるムショクという名の冒険者ですわ!」
「お、おれ?」
シハナは、今にも殺しそうな殺気を向けた。ムショクは急に自分の名前を出されて驚いた。
「最初は良い方でしたのに、なのに、この方は――」
そこまで怒りをぶつけられる記憶は全くない。
「わたくしの……わたくしの……」
一瞬言葉を詰まらせた。
「胸を触ったんですわ!」
訂正しよう。そもそも記憶がない。
言われて初めてシハナの胸を見る。確かにそれは豊満なものだ。
これを触った記憶がないとは、何てこんなもったいないことしたんだ。
「そんな事しておきながら、誰だお前はですって!」
ムショクの旗色が段々と悪くなる。
言葉にすることで怒りが再燃したのかシハナの声はどんどん大きくなる。
「そういうわけで、全部ムショクが悪いですよ」
ナヴィは全部そばで見ていたのだから、知っていて当然だ。
この性悪は教えてくれてもいいものを、黙っているから余計に話がややこしくなる。
「ちょっと待ってくれ。
本当に覚えてないんだ!」
弁解しようにも、シハナは冷たい目で見る。
「誠意のかけらもありませんわね」
どうやら許される気配がない。
そっちがその気なら考えがある。
「分かった。それなら――」
ムショクはおもむろにシハナの胸に手を伸ばした。その瞬間、ナヴィがフォークをムショクの手に伸ばしたので、突き刺さる寸前で手を引っ込めた。引っ込めるのが一歩遅かったらその手はフォークに貫かれるところだった。
「ナヴィ、何するんだ!」
「何するつもりでしたの!?」
手を引っ込めると同時に胸を両手で隠すシハナ。
「取り敢えず、お前はちょっと待て。
おい、ナヴィ、フォークはダメだろ! フォークは!」
「何で、わたくしが置いておかれますの。
貴方、明らかにわたくしの、胸を……胸を!」
「フォークじゃなくて、ナイフの方が良かったですか?」
「お前、殺す気かよ」
「1度までならず、2度までも!」
「今のは未遂だろうが。
何しれっと換算してんだよ」
「未遂も罪ですわ!」
埒が明かない会話に、フィリンは割って入るのを諦めて、朝食の続きを取ることにした。
にこやかな朝食を想像していたが、現実はこれである。フィリンは久し振りに、いつも通りの物憂げなため息をついた。
「まぁ、待て。
シハナは、昨日、俺が胸を触ったといったよな?」
「そうですわ!」
「でも、俺は覚えていない!」
「あなたはどこまで、わたくしを――」
「だから、聞けって。
お前がどれだけ俺を責めても、俺に罪悪感や謝罪の念なんて生まれないぞ。
なぜだか分かるか?」
「それは、貴方が覚えていないから……」
「そうだ。
それとも、お前は覚えてないけど形だけの謝罪を求めているのか?」
「そんな事ありませんわ!
あなたの不埒な行いを恥じてその罪の深さを後悔しながら平伏す必要がありますわ!」
「そうだろ!」
シハナの言葉にムショクは力強く同意した。
「お前は、俺に自分の行為を恥じて、後悔して欲しいのだろ!?」
「その通りですわ!」
「だが、どうだ? 俺はそれを覚えていない!」
「フザケてますわ!」
「だろ!
そこで、俺は考えた」
言葉をそこで止めて間を作る。
シハナは、次に何を言うかと緊張した。
「……シハナの胸を揉めばいいんだと」
「何でそうなりますの!」
「そうすれば、俺は、自分の行為に自覚を持てるだろ?」
「そうですが……」
シハナの声のトーンが落ちた。今までどれだけ責めても覚えてないの一点張りだった。
その状況を打破するために、自分の胸を触らせる。そうすれば、もう、覚えてないとは言わせない。
「今までの、やった、覚えてないなんて不毛な会話がなくなるわけだ」
「確かに……」
ここで、揉んでしまえば確実にムショクが悪くなる。
双方で共通したい事実が出来上がる。
これで誤魔化すことはできなくなるはずだ。
「俺もそんなことしたくない!
たが、お前の為に敢えていう!
胸を揉ませろ!」
「それで、私の怒りが通じるわけですね!」
「そうだ!」
「いいですわ! 掛かってきなさい!」
シハナは、目をつぶると腕を後ろで組んで胸を突き出した。
何処かで見たことがある格好だ。
が、今度は柔らかい小枝ではない。
しっかりとしたそれがある。
ゆっくり息を吐きだし、心を整える。そして、ふと横にいる柔らかい枝、もといナヴィ見た。
満面の笑みのナヴィ。思わず笑顔を返したが、その手にはナイフとフォークか握られ、ムショクに向けられていた。
「ムショクー!」
今度は手ではなく喉元を狙って飛んできた。
どうやら息の根を止めるつもりのようだ。
それをぎりぎりで躱す。
ドラゴンを倒した経験は伊達ではない。
「お前、殺す気か!」
「そうですよね。なんで、そんな簡単な事を思いつかなかったんですかね」
目がマジだ。
助けを求めてフィリンの方を向くが、残念な事に明後日の方を向いて紅茶を飲んでいる。
シハナの方はまだかまだかと目を閉じて待っている。
「どう考えても俺は悪くないだろ!」
「どう考えてもムショクが悪いです!」
今までにないほど機敏に飛び回るナヴィと今までにないほど機敏に躱し続けるムショク。
何度めかの突撃に、ムショクはナイフとフォークを受け止める。
「ぐぬぬ、小癪な」
「ナイフとフォークは没収だ」
ナイフとフォークを取り上げられたが、ナヴィはまだ気が済んでないらしく、次は素手で体当たりを仕掛けてきた。
が、武器がなければ恐れることはない。ムショクは、それを直前でサッと躱す。
「きゃっ!」
シハナの小さく可愛い悲鳴が部屋に響いた。明後日の方を見ていたフィリンだが、その声を聞いてすごい勢いで振り向いた。
冤罪を防ぐように両手の平を見せて首を振るムショク。シハナとは距離もある。疑われる材料はない。
ナヴィは、どうやら、体当たりの勢いを止められなかったようで、胸の合間に挟まっていた。
そこから何とか抜け出そうと動くナヴィ。
それに、合わせて身をよじるシハナ。
「あん……これ以上は、ダメですわ……」
色っぽい声だが、妖精が挟まっているだけなのだ。
何とか抜け出そうとナヴィはその両手を山に突き立てて首を振る。
「そんな、先は押さないで下さい……ダメですわ……ムショク……」
ついに名前まで出てきた。
フィリンの視線が痛いのでこれ以上は身が持たない。シハナの近くまでよると胸の谷間に生えている妖精を引っこ抜いた。
「何やってんだよ」
「し、死ぬかと思いました」
新鮮な空気を大口開けて吸い込むナヴィ。どうやら中々の密閉度だったみたいだ。羨ましい限りである。
「触りましたね! さぁ、謝罪ですわよ!」
頬を少し赤らめて、シハナが大事そうに胸を抱き上げ、ムショクに視線を向けた。
「え、マジか?」
「もう言い逃れできませんわ!」
触ってないと主張してももう遅いようだ。
周りを見ても、誰も助けてくれそうにない。
「えーっと……すみませんでした」
非常に癪だが謝ることにした。
>>第40話 火急の知らせ




