第36話 宴 in 火焔茸
「まぁ、やっちまうか!」
バッカスのその声と共に参加者限定パーティーが始まった。
椅子はなく、立食の形式だが、その机の上には数々の料理が並べられていた。
「結局、あやつが来ぬまま始めてしまったの」
「良かったのでしょうか?」
ゲイルとフィリンがお酒を片手に話している。
この試食会の参加条件はムショクの紹介か、もしくは、その紹介者からの紹介かどちらか。
参加費は何か面白い食材を一品。
それだけで、好きに飲み食いできる。
最初に声を掛けられたのはゲイルとフィリンの2人で後のメンバーは彼らの紹介か、もしくはその紹介者の紹介だ。
必然的に顔見知りが集まる。
声を掛けられ20名を超える参加者が集まった。
その全ての飲食費はバッカスが持つ。
赤字覚悟のと思いきや、実利で言うとドラゴンの尾があれだけタダで手に入ったのだ。
今回の参加者が一日飲み食いした程度では赤字になんてなるはずもない。
報酬として門外不出の編み出した技術というのは職人としてのプライドが傷つけられるが、それも今回はそれ相応の働きがあったからこそやむを得なかった。
バッカス自身もムショクを気に入っていたので、実はそこにはあまり抵抗がなかった。
なので、無償で手に入れたこととなる。
「フィリン! 誘ってくれてありがとう」
「あっ、ベリナントさん」
ワインを片手に現れたのは、長身のエルフだった。
エルフらしからぬ短髪の茶色い髪とフィリンに負けないほどの白い肌。その瞳はフィリン同様緑色に輝いていた。
エルフが美系であったのは、その全員が知るところだが、中でもベリナントは男性エルフの中でもずば抜けて美しかった。
「僕が作ったコリントの水晶瓶を渡した相手なんだってね」
ムショクに渡したカバンはフィリンが作ったものだが、最後に渡した水晶瓶はこのベリナントの作だった。
美しい物に目がなかったベリナントは、ある日、人間の作ったガラス細工に惚れ里を出た。
里を抜け出たエルフは今ではそう珍しくもないがやはり少数派ではある。
あのベリナントが里を抜けたのかと一時話題になるほどだった。
それを切っ掛けに里を抜けるものもいたため、彼は里の保守派に今も嫌われていた。
「親友の妹を射止めたやつがどんなやつか見てみたかったんだがな。
まだ来てないみたいだな」
「ちょっと、ベリナントさん! そんなんじゃないですよ!」
蜂蜜酒を両手で握りしめ、赤くなって俯いてしまうフィリンを見て、ベリナントは満足そうだった。
バッカスにしてもそうだが、フィリンはなぜかいじめたくなるような雰囲気を持っている。
「しかし、遅いな。
紹介したい奴もおるのになぁ」
ゲイルがまた新しい酒を飲み始めた。
扉が開いて誰かが入ってくる度に、入り口を見る。が、ムショクでないと分かるとつまらなそうにその杯をあおった。
始まってからも人はまばらではあるが入ってくる。
「普通食べるか!?」
「だいたい、混ぜるほうがおかしいんです!」
店の外から聞き慣れた二人が言い争ってるのが聞こえた。
「おっ、来たようじゃぞ」
退屈そうにしていたゲイルが、笑顔になった。
馴染みの2人の声を聞いて、フィリンも嬉しそうだ。
ゲイルは振り返るとバッカスの方を見た。ゲイルはバッカスと目が合うとニヤリと笑ってドアの方を指した。
「おっ、マジか!」
やっと来た今回の主賓にバッカスが嬉しそうに笑った。
全員が今回の主賓を待ち望んで扉の方を見る。扉の向こうで、「ひぎぃ」と引きつったような声が聞こえた。
全員が固唾を飲んで見守っているが、二人が中々こない。
「旦那ぁ、見間違いか?」
静まり返った店内でバッカスが口を開いた。
「いやぁ、2人の声じゃったんだがな……」
ポリポリと頭を掻いてゲイルが、扉を開けて外を見る。
その目の前に、ムショクとナヴィがまさに入ろうとした瞬間の、格好で固まっていた。
「くそっ、終わったかと思ったのに……」
「屈辱です……」
「何しておるんじゃ、お主らは……?」
まるで遊んでるかのような2人のその格好を見て、ゲイルは呆れた顔をするが、2人は真剣な顔そのものだ。
その瞬間、2人を縛っていた何かが解け、2人はようやく部屋の中に入ってきた。
「お、終わったのか?」
「やっとです……」
感覚を確認するように、2人は自分の身体を触り、安堵のため息をついた。
「遅かったの」
「待ってましたよ」
フィリンがそばに駆け寄ってきた。
「いや、すまん。
ナヴィがな――」
「なっ、原因はムショクじゃないですか!
なんで、幻惑光の液の中にパラライズフラワーの蜜を混ぜたんですか!?」
「いや、燃やす時にいい匂いでも出れば癒やされるかなと」
「そんな効果はいらないんです!」
「ほう。それは興味あるな。
どうなるんだい?」
2人の会話に興味を持ったベリナントが会話に割り込んできた。
「どうもこうもないです。
最悪の性能ですよ!」
「幻惑光の光を見ただけで麻痺が発生するようになったんだよな」
「光を見るだけで!?
煙を吸うとかではなくて?」
その言葉にベリナントだけでなく、周りの全員がどよめいた。
それもそのはずで、光を見るだけで相手が動けなくなるなら採集が大分と楽になる。
モンスターを狩るだけでなく、鉱物薬草系の採取でもお守り代わりに近くに置ける。
煙のタイプはあるが、近距離でしか効果がなく、屋外では効果が薄い。その点、光を見ればというのは大きい。
「そんな素晴らしい性能で、何が最悪なんだい?」
「対象が無差別なんで。火を付けた途端に発動します」
対象が無差別なことはよくあるものであるので、それ自体が最悪だとはベリナントは思わなかった。
「すぐ目を瞑ればよいのでは?」
「ダメですよ。
幻惑光の効果で目を瞑っても残像が残ってるんですよね。
ムショクなんてそれに火をつけた瞬間、その格好で固まりましたからね」
その格好を思い出したみたいで、ナヴィはあははと笑った。
「ナヴィこそ、幻惑光に騙されて糸に噛み付いてきただろ」
「あっ! それ言わない約束だったじゃないですか!」
「幻惑光食べて痺れてるナヴィは滑稽だったぞ」
「気づくのがあと一瞬、遅かったら頬が焦げる所でしたよ」
幻惑光の糸の先端を燃やすと光を発しながら不規則に揺れる。
その動きと煙が幻惑効果を生む。だが、ムショクの無茶な合成で何故かそこに麻痺の効果も追加された。
先端の火がじわりじわりと上り、揺れなくなればその効果は終わる。
それを見てしまったら、幻惑光の効果で目を瞑っても麻痺が起こる。
そして、それは幻惑光が消えても、稀に発生する。
あるふとした瞬間に、突然麻痺が起こる。
それが、さっきの二人だ。
「お前ら、そんなことやってたから遅くなったのかよ」
厨房からバッカスが笑った。
「さぁ、お前ら! 乾杯の準備だ!」
ソーマがムショクとナヴィに陶器でできたコップを渡すと、ナヴィには蜂蜜酒をムショクにはエールビールを注いだ。
「さぁ、乾杯の音頭を取ってね」
「俺がやるのか?」
「当たり前。ほら、喋って喋って」
ソーマに言われ、ムショクは仕方なさそうに話し始めた。
「えー、はじめまして。ほとんど初めての人ばかりなんであれだけど。今回は全部バッカスの奢りなんで、破産させるくらい飲んで食べてくれ。
一応、珍しい食材も出る予定だ。
じゃあ!」
ムショクは杯を高々と掲げた。
「カンパーイ!」
その言葉を追うように大勢が乾杯と続けた。
目の前の人々が杯を高く掲げ、笑い声や拍手がそれに続く。
「じゃあ、出すぞ!
サプライズ料理だ!」
「待ってました!」
バッカスの言葉に誰かが歓声を上げ、口笛を鳴らした。
ソーマとバッカスが、蓋をかぶせた皿を続々と運ぶ。
中には気になって開けようとする輩もいたが、それをバッカスが激しく諌める。
「人数分あるぞ!
お前らちゃんと食えよ!」
「はーい、蓋に手をかけてください。
まだ、開けちゃダメですよ。
行きますよ! 3!」
ソーマが声を上げる。
「2!」
ソーマの声に全員が合わせる。
「1!」
全員の目がその皿に向けられる。
「0!
オープン!!」
カウントダウン終了とともに雄叫びと共に誰もが我先にとその蓋を取る。
鉄板の上に乗ったそれは、弾ける音と共に蒸気を上げた。
「うおおおぉぉぉ!」
「のーわー!」
「違う! 違う!」
「おい! バッカス! この野郎!!!」
雄叫びが同時に嘆きに変わった。
そこにいる全員がそこに龍の尾が乗っていると確信していた。
だが、そこにあったのは龍の尻尾でも、ましては肉でもなかった。
「火焔茸なんて、食えるか!」
そう。そこに鎮座していたのは、火焔茸だった。
ここの人間なら誰しもが食べられないと思っている茸。
それはあのバッカスも例外ではなかった。
が、それは真実ではない。
それは、すでにバッカスの知るところではあったが、他の人間はまだ知らなかった。
「お前ら! 食えよ!」
バッカスの怒声に全員がブーイングの声を上げた。
「これはさすがに食べるのは……」
フィリンが長い耳を垂れ下げて、皿に乗っているそれを見た。
眉間にシワが寄っている感じ、彼女もその味を知っているようだ。
「いや、美味いと思うぞ?」
ムショクの言葉にフィリンは驚いた。
当然、あの臭いと味がどんな調味料でも消せないことは知っていた。
「ムショクさんは、この味を知らないんですか?」
「あはは、強烈だったな」
知らないも何も、遠くない過去に食べた人間だった。
「まぁ、うまく調理できているはずだ」
「本当ですか?」
「うむ。俺が教えたしな」
「ムショクさんがそう言うなら……」
フィリンはそれをじっと見ると、ナイフで少し切ると、それをフォークで刺した。
「フィリン! まさか、食べるつもりかい!?」
じっと凝視しているフィリンをみて、ベリナントは驚きの声を上げた。
「美味いぞ?」
「君! 君がムショクか!
フィリンに、なんてものを勧めるんだ!」
「ほら、食べてみろって」
「止めなさい。
食べるんじゃない」
「いけ! 食べるんだ!」
ムショクの声に背中を押されてか、「えい!」っと小さく叫ぶとフィリンがそれを口に放り込んだ。
ベリナントが「あぁ」と悲しみの声を上げ、周りの皆はそれを固唾をのんで見守った。
目を瞑って咀嚼するフィリン。
ある者は眉間にシワがより、ある者は手をギュッと握りしめている。
誰も喋らず、鉄板の熱さで焼かれている音だけが室内に響く。
「お……」
「お?」
フィリンの言葉に全員が復唱する。
「美味しい! 凄い!
臭みが全くない!」
フィリンの言葉にそれを知っているもの以外の全員が驚きの声を上げた。
フィリンの言葉に従ってそれを食べる者。まだ疑う者。
だが、疑っていた者も、周りから美味しいという言葉を聞くとその警戒も次第に薄まり、口にし始めた。
全員が食べるのを見てムショクもようやく口にした。
味を知っている自分が最初に食べてしまうと、知らない者の驚きが薄れるのではないかと気を遣ったのだ。
安心できるものだと判断して食べるのと、不安ながらに食べるのとの差は大きい。
想像との落差がより大きいのは、最初の冒険者が得られる特権である。
口に入れたそれを味わう。
ムショクが作ったよりも甘みが強いように感じた。
「どうだ。ムショク?」
「俺が作ったのよりも美味いぞ?」
「抽出の温度が問題だったな。
45℃ほどの温度が一番よく出たぞ。
後は、抽出し終わった後に冷水で洗う方がいいな。表面についた僅かな火焔油が取れたし、身が締まって食感が上がったぞ」
さすが本職とムショクは唸った。
食感、香り、味。
単純に焼いただけでもこれだけの差があった。
45℃が美味しいということは、逆にその温度だと火焔油の抽出率が良いということだ。
これは、錬金術としても有用な情報だった。
「さて、これはただ焼いただけだ!
これからは、お手製ソースだぞ!」
ソーマが手鍋とオタマを持って机を回りそれを掛けていく。
どうやらそれも好評らしく、あちらこちらで喜びの声が上がる。最後にムショクの机に回ってきた。
「マスターからの伝言です。
煮たりもしたが、やはり、焼くのが一番だった。
いいセンスだ! だそうです」
「はは、ありがとう」
実際は焼くしか調理法がなかっただけであったのだが、そこは秘密にした。
「私もまさかこんな美味しいなんて思ってもみなかったです。
料理人として楽しめました」
2人で試行錯誤したようだ。
鍋の中には赤茶色のソース。中には細かく刻まれた野菜のかけらが見えた。
香りはリンゴのような甘さと胡椒のようなスパイシーな香りが鼻孔をくすぐった。どれも、ムショクが知っているようで僅かに違う。
自信有りげにソースを掬うと、鉄板の上に掛けた。まだ熱されている鉄板に掛けられたのはソースは音を立てながら跳ね、湯気と共にその不思議な香りが更に広がった。
「細かいレシピは秘密ですが、ボウモアブルと野菜や香草からフォンを作って、それをベースに作ってます」
「フォン?」
「あー、えっと、煮込んだ煮汁のようなものです」
彼女は「ムショクさんが知らないのは意外ですね」と意外そうに笑った。
人懐っこいその笑いは、大剣を向けた最初の印象とは大違いだった。
「冷めないうちにどうぞ」
そう言うと踵を返して厨房に戻った。
「さて」
「食べましょ、食べましょ」
ナヴィがせっつくので一欠片切り取るとナヴィの口に入れ、そして、次は自分の口に入れた。
>>第37話 ブレンデリアの鎮魂




