第24話 貿易都市テオドック
ブレンデリアの言うとおり、いつの間にか雨が止んでいた。
放り出された先は森の外で、振り返ったがそこにはあの人形も古びた館もなかった。
今まであったそこが、まるで幻だった。
ナヴィが言うには、テオドックまではあと1日程度だそうだ。
いつもの様に平原で1日過ごし、昼にかかる前にようやく遠くに街の影が見えた。
「あれがテオドックか」
「ようやく見えましたね」
「どんな街なんだ?」
「そうですね。貿易が盛んな港町なんですよ。
北にある風と氷の国と呼ばれるリルイット、南にあるサジバット王国と貿易していて、多種多様な品物がそこにはあります。
きっと珍しい物がありますよ」
「ほぉ、それは楽しみだな」
「町の中心から港まで続く数kmの『はにかむ通り』は最も大きい商店通りとして有名なんですよ!」
「はにかむ通り?」
「そうです。テオドックの目抜き通り。
通称『はにかむ商店街』。数キロにも及ぶ長い通りをの左右には見上げるほどの商店の壁が並んでいます」
「見上げるほどか……でかい店が多いのか、楽しみだな」
その見上げるほどというのを想像してみる。
ところ狭しと並ぶ高層ビル群のようなものなのだろうか。
「逆です逆。
とはいっても、説明するよりも実際に見たほうが早いですよ!
ほら! もうテオドックが見えてきましたよ!」
町に近づくと、『貿易都市 テオドック』と浮かび上がり、そして消えた。
旅の変人建築家テオリオ・マーシャル、貿易商人クリタリン・キリングウッズ、そして、町の漁師頭ハイダ。
今から何十年も前にその三人が無名だったテオドックを巨大な商業貿易都市にしたてあげた。
といっても、それは最初から共同で行ったわけではなかった。
貿易商人であるクリタリンと漁師であるハイダの仲は悪かった。
貿易を推し進めたいクリタリンと漁業を推し進めたいハイダ。
この二人の諍いは日々続いていた。
そこに現れた建築家のテオリオが二人をなだめて作り上げたのが、はにかむ商店街らしい。
テオドックに入った瞬間、人の多さとその騒がしさに圧倒された。
多くの人がしゃべる言葉が言葉にならない騒音となり、行きかう人の熱気が、肌を刺す。
「まぁ、実際になだめたなんて生易しい表現じゃなかったらしいです。
今じゃ目抜き通りですが、当時はいろいろな建物があったのをテオリオが全部つぶして大通りにしてしまったらしいですよ。それも、勝手に」
「勝手にか……」
「まぁ、そんなこんなで、二人が仲直りの握手をしたのか、はにかむ通りの出発点でもある『契りの泉』です!」
人ごみをすり抜けると、そこには泉ほどの大きな噴水があった。
噴水の中央には、天に手の平を向けた少女を模した像があり、その手先から水が吹き出ている。
縁は白く美しい石で組まれ、そこには等間隔で大勢の人が並んで座っていた。
よく見るとそこらかしこでカップルが握手をしている。
「何しているんだ?」
「クリタリンとハイダがこの前で握手をして仲直りした験を担いでいるんです。
ここで握手をすると、将来別れないってやつです。
恥ずかしそうに笑いあった二人の顔を見て、テオリオはここを『はにかむ通り』と名付けたらしいですよ」
なるほど。ナヴィの言うとおり、どのカップルも恥ずかしそうにお互いを見つめあっている。
「さぁ、この泉からですよ、見てください!」
ナヴィがふわりと浮いて、その先に手をかざす。
泉を始まりに見たこともないほどの広い通り。
その道の広さよりも、その左右にある店の壁。
大きな店といった言葉に対して、ナヴィが逆といった意味が分かった。
見上げるようなのはビルでも大型商店街でもなかった。
まるでタイルのように敷き詰められた正六角形の入口の個人店。
それが何層にも何層にも積み上げられてまるで壁のようになっている。
「見てください。これがここにないものはないとまで言われているハニカム商店街です!
高さ500メートル。階層にして百を超えるそれと、ここから海まで続く長い道のりをずっとこの風景が続きます。
その数、10万を超える個人商店の集まりです!」
泉の広場をはじめにその通りにはいくつもの階段が壁に沿って続いている。
まるであみだくじのように、どこかでその階段は途切れるが、店の前の通路を歩くとまた新たな階段があって上へと行ける。
「何階くらいあるんだ?」
「現在、最も高いところは102階です。
はにかむ商会に登録料と月額を出せば、誰でも開店できますからね。
おっ、ちょうど、いま、103階が出来上がったみたいですよ」
目のくらむ高さだ。
それが、高層ビルではなくて商店が積み重なるだけでできているなんて。
「ハニカム商店街ガイドマップなんてものが売れるくらいですからね。
もちろん、人が入りやすい低階層はどれも高価で珍しいものばかりです。
ムショクのレベルだと、80階あたりからがいいかもしれませんね」
「エレベータなんてものはないよな?」
「あるにはあるんですが、高いですよ?
せっかくなんで、見て回るついでに歩いてください」
どこの階段を使おうかとフラフラ歩いていると横で2人の戦士が話し込んでいた。
一人は青い髪と銀色の目をした戦士、もう一人は黒く短い髪に赤い瞳をしている。
青い髪の戦士は線が細くまるで、詩に謳われる騎士のようで、もう一人は筋骨隆々でまるで、名うての傭兵のようだ。
「で、マジなのか?」
「今度は本当だって! 27階層のエリたん工房で魔力回復系のアイテムが先着10名に無料配布だって!」
「お前、この前も似たような情報に騙されてなかったか? その時は『係間グライダー』まで使ったのに、嘘だったんだぞー」
「信頼するとある筋から聞いたから今度は本当だって! 先着限定だから、急ぐよ!」
「エリたんってあれだろ? 『天馬の守護騎士』の?」
「そうそう! ほら早く!」
「ったく」
黒髪の男のほうが頭をポリポリとかきながら、はしゃぐ青髪の騎士を追いかけていった。
「ナヴィ? 聞いたか?」
「ええ」
「魔力回復系のアイテムって珍しいんだよな?」
「もちろんです」
「そんなものを宣伝のためとはいえ無料配布?」
「私の知ってる限りでは割に合わないですね」
「ガセネタか……?」
「さすがに、そう思いますね」
「27階層?」
「きになります! 行きましょう!」
ガセネタには夢がある。
本当だったらなんてついつい思ってしまう。
ナヴィもよっぽど気になったのだろう。
実際、それが事実だからどうだということはない。ただただ気になるだけなのだ。
近くの階段を上るように俺の裾を引っ張った。
10階ほど上がると、広い通りを上から十分に眺められるほどの高さになった。
それぞれの階には幅10メートルほどの木の床の通路あり、通り側には腰より少し高いくらいの柵があるだけで、それ以上遮るものはない。
通路には各店の看板やのぼりなんかが目を賑わせており、食べ物屋の前なんかを通ると思わず立ち止まりそうなほどのいい匂いが漂っている。
「いい眺めだなぁ」
柵から少し身を乗り出して、ハニカム通りの先を見る。
通りの先に見える青く大きな海。潮風が通りに沿って抜けていく。
通りの向こう側とこちら側を繋ぐような電線のようなものが何本も間を渡している。
「あの線は?」
「『カロンの渡し船』ですか?
通りの西側と東側を繋ぐトロッコみたいなもので、ハニカム商店街の東と西を行き来するものの中で一番安いやつです」
他にも1人から2人乗りの系間グライダー、
どこにテレポートされるか分からないハズレ魔道士のランダムジャンプなどがあるらしい。
先にあるテオテ湾から吹き込む風の影響からか、西と東の商店街を繋ぐ道はないらしい。
代わりに、この間を飛び交う交通手段が発達した。
二人の戦士が話していた系間グライダーもその一つ。
所定の場所を飛ぶものから、自由に飛ぶものまで種類やサービスは様々ある。
上る階段は10階で途切れた。次に上る階段を探してしばらく10階を歩き続ける。
「安いよ。安いよ! 今だけの特別サービス!」
通りで一番賑やかに声を出していたのは、スラリとした長身の女性だった。
売り子らしい、彼女は白を基調としたローブを着て、そこに黒いチュニックを着、白いフリフリのエプロンをつけていた。
ゆったりとしたローブのせいで、身体のラインは見えなかったが、時折見える腕や首元に無駄な肉はなかった。
ナヴィが低階層は高いと言っていた通り、ウィンドウ越しに見える商品の値段は手持ちの10倍以上は優に超える。
ここで常連になるには、さすがにしっかりと冒険しないとダメなのだろう。
「フルフルの花の蜜を練りこんだマーブルパンが今、焼きあがったよ!」
ナヴィがムショクの袖を引っ張った。
どうやら、そのパンが気になるらしい。
直接、声をかけるわけではないが、目はそのマーブルパンをとらえて離さない。
「フルフルの花はモンスターを捕えて食べるとても危険な花です」
「ほう」
「その対象は人も例外じゃありません」
「へぇ」
興味なく歩き出そうとするが、その手はがっしりとつかんで離れない。
「知恵ある人さえもその思考を奪うほど甘美なる匂いの花。
その蜜を使ったマーブルパン。気になりませんか?」
「お前な……」
契の泉で話したことを覚えていないのだろうか。
「お前がほしがっているパンの値段を聞いてみろよ。
どうせ、俺の財布で買えないくらいの値段だぞ?」
「うっ……」
別に俺はナヴィをいじめたいわけではない。
単純に、この階層で買い物する所持金がない。
「でも、でも……」
ナヴィが涙目でこっちを見る。
――クスッ
噴出したような笑い声が聞こえ、思わず声のしたほうに目をやった。
「あっ、ごめんごめん。聞こえた?」
先ほど、客を呼び込んでいた長身の彼女が、申し訳なさそうに口元を隠した。
「私はフィクサ。この店の売り子なの。
妖精のおちびちゃんに、特別サービスね。
試食させてあげる」
「本当ですか!」
フィクサがナヴィの頭を優しくなでると、一度店に戻り、そして、小さくちぎったパンをもって再び出てきた。
「ちょっと、大きかったかな?」
「とんでもないです!」
一切れ。といっても、ナヴィの両手で持つほどの大きさ。
ナヴィにとっては十分すぎるほどだ。
「ありがとうございます!」
「いいんだよ。妖精は大事にしないとね。
それとね……」
フィクサは俺のほうを見てにこりと笑った。
「うちでも簡単なクエストがあるからね。
お金ならそこで稼げるよ。新米冒険者君」
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