第20話 森の中の古びた館
弱く降り始めた雨だが、あっという間に滝のような激しい雨に変わっていった。
雨が肌に当たる感触と水が髪から滴る感触。
「あんまり、雨に当たるとまずそうだな」
「寒いんですか?」
俺の言葉に、ナヴィは驚いた声を上げた。
「雨にあたっているんだから当たり前だろ?」
「いや、雨なんてただの演出ですよ?」
「嘘つけ。マジで、寒いから」
濡れた髪から滴れ落ちる水の感覚や、しずくが背中に走る感覚が演出なんて信じられない。
雨に濡れて身体の芯にぞくりと寒気が走る。
「森まであとどのくらいだ?」
「もうすぐです!」
だんだんと雨が強くなる。
地面にはすでに水たまりができており、足をつけるたびに水が跳ねる。
ナヴィの言う通り、森まではすぐについたが、ヘゲナの森はベイヘル森林よりも木々の隙間が大きく、木によりかかってやっと雨が防げるくらいだった。
雨に濡れないように手で持っていたが、ナヴィの羽も雨に濡れて重そうだ。
「少し森の奥に入るか。
森の手前よりも木が大きくなるかもしれないしな」
「……はい」
雨に濡れてかナヴィの元気もない。
「おい。大丈夫か?」
「何がです?」
「お前の元気がないと、俺が困る」
「なんで、ムショクが困るんですか」
なんでと言われても困るが、いつも騒がしいナヴィがこれだけ元気がないと気にかかってしまう。
「雨か?」
ナヴィが手の中で小さくうなずいた。
「プレイヤーには雨は演出ですが、私みたいなこの世界の住人にはそれなりの影響がありますからね。
飛ぶタイプや炎系にはちょっとした悪影響です」
「ったく、それを早く言え」
心なしか瓶の中のカゲロウも不安そうに空を見ている。
瓶の中なら濡れないが、それでも不安なのだろう。
「よし、少し奥を目指すぞ」
カゲロウに不安を与えないように、瓶を服の中にしまうと、俺は再度雨に打たれて、森の奥へと進んだ。
----
奥に進みながらふとナヴィの言葉を思い出した。
モンスターは特定のタイミングで凶悪になる。
ナヴィが言うには、この天候もレアな天候らしい。
ということは、モンスターが凶悪になっている可能性もある。
雨に濡れて体力が奪われている。
できれば、モンスターなんぞに会いたくない。
森の奥へと進んでいくと、幸運なことに遠くに建物が見えた。
「待ってろ、ナヴィ。
遠くに建物が見える」
これで雨が防げるし、雨の森でモンスターに会う心配もない。
これで最後と遠くに見える建物まで一気に走る。
森の中にあるそれは2階建ての大きな洋館だった。
外から見る館は古く、窓には所々ひびが入っており、壁にはまるで緑の絵の具で塗りたくられたように蔦で覆われていた。
廃屋にも見えるその館だったが、
入り口と中には明りが灯っており、人が住んでいないわけではなかったようだ。
建物の入り口に立つと、そこに腰を下ろした。
雨をしのぐ軒先を借りるだけだ。
館の住人には迷惑かもしれないが、雨が上がる少しの間だけここにいさせてもらおう。
「ナヴィは雨が苦手か。
覚えておくよ」
「いらない情報です。
早くその鈍い頭から消し去ってください」
雨にあたらなくなって少し調子を戻したようだ。
ナヴィは、首元にぶら下がっている瓶のふたを外すと、カゲロウに近づき濡れた羽を乾かしている。
カゲロウも雨にあたらないと分かってか不安そうな顔はなくなった。
「この雨ってどのくらいでやむんだ?」
「そりゃ、気分次第じゃないんですか?」
「誰のだよ」
「さぁ?」
いい加減なことをいうやつだ。
「しかし……」
軒先を借りている館を見る。
森の中にある古い洋館。
誰も使ってないだろうと思われるほど古い。
が、玄関を照らしているランプの明かり。そして、いくつかの部屋からは人がいるらしい明りが漏れている。
「イベントの香りがするって気がしないか?」
「……バカですか?」
ナヴィの返答が冷たい。
と言うことは、ナヴィが知っているようなイベントはないということだ。
「イベントないの?」
「ないですね」
「なんか変なモンスターとかいないのか?」
「いないです」
きっぱり言い切りやがる。
こういう時はナヴィの存在が情緒に欠ける。
何があるか分からないから冒険するのに、すでに答えを持ってしまっている。
が、忘れてはならない。
ナヴィの全知は全知のようで全知じゃない。
「んじゃ、なんで、こんなとこに建物なんてあるんだ?」
「さぁ?」
ナヴィが知らない謎の館。
覗いて見る価値はそれだけで十分ある。モンスターが紛れ込んでいたら儲けものだ。
いないと言い切ったナヴィの鼻をあかせる。
「よし、じゃあ、試しに入ってみるか!」
「ちょっと、なんでなんですか!
もう、ここでいいじゃないですか!」
「折角だし、中見ていこうぜ!」
「何にもないですよ?」
「見ないで分かるのか?」
「そりゃ、私ですからね。
知らないことなんてないですよ?」
羽も乾いてか、ナヴィが随分と偉そうになった。
いや、元に戻ったというべきか。
「分かった。
じゃあ、賭けるか!」
「いいんですか? 私が勝つに決まってますけど」
「よっしゃ。
じゃあ、この館の中で何かあったらなんでも1つ貴重なアイテムを教えろ」
「いいですよ!
その代り何もなかったら……」
ナヴィは少し悩むように言葉を止めた。
「どうした?
なんでもいいぞ?」
「……後で言います」
「なんだそりゃ?
まぁ、いいか。じゃあ、さっそく探検と行こうか!」
館の古びた扉に手をかける。
古くはあるが、重厚で重い木の扉。取っ手の真鍮はすでに錆びだらけで元の形さえわからないが、
きっと、これだけ大きく立派な扉だったのだ。
さぞ、立派だったのだろう。
雨の湿気に少し柔らかくなった扉が開くと、まるで大きく息を吐くようにゆっくりとした風が外に吹き出した。
「暗いな」
外から見ればいくらついていた明かりも、この館には少なかったようで、扉を開けたエントランスホールは真っ暗だった。
「スライ。いけるか?」
ベイヘル森林のように、スライが少し前を照らす。
懐中電灯よりも少し明るくて大きな光が前方と辺りを照らす。
洋館と聞いて想像するような広いエントランスホール。
足を進めると軋み音を立てる古い床板が広がっており、中央には丸に六芒星と交わった剣という不思議な模様の絨毯がしいてあった。
この館の持ち主の家紋のようなものなのだろうか。
エントランスホールは左右に大きな扉があり、中央少し先には2階に続く大きな階段と踊り場があった。
その階段は軋む床よりもさらに古びており、踊り場の中央には大きな穴が開いていた。
いつ底が抜けるか分からない階段。使わないほうが賢明だろう。
外から見た所、1階と2階の部屋のいくつかに明かりがついていた。
まず、目指すべきはその部屋になるだろう。
「確か、明かりがともっていた部屋は1階に3部屋、2階に2部屋だったな」
「よく覚えてますね」
「ん、まぁ、昔からそこそこ物覚えがよくてな」
まぁ、今は無職なのだが。
エントランスホールにある左の大きな扉を開けた。
数人程度なら並んで歩けるような広い廊下。
等間隔に各部屋に入る扉とそれを挟むように背の低い机が並べられている。
ここに調度品が置かれていたのだろう。
持ち去ったのか盗まれたのか。今は何もないがらんとした廊下だった。
1階にある明かりのついた部屋は全部で3つ。こちら側の通路に2つ。
反対側の通路に1つ。
外から見えた明かりのついた部屋の扉に手を掛ける。
入り口やエントランスホールの扉と違い薄い扉。
とはいえ、俺の自宅の扉に比べて随分と重いし丈夫だ。
扉を開けると、そこは書斎だった。
外から見たよりも小さなその部屋には床から天井にまで到達するほどの高い本棚が壁を埋め尽くすように並んでいた。
窓際にある小さな木の机、そこに乗っているランプがどうやら明かりの正体だったらしい。
背表紙に興味を引かれた本をいくつか引き抜き、ページをめくる。
あおられて舞い上がる埃に一瞬、顔がゆがむ。
当然ながら書いてある文字は全く読めなかった。
アルファベットやルーン文字とも違う不思議な文字。
適当にめくる中でなんとなく、見覚えがある文字があった。
いや、正確には見たことは全くなかった。
ただ、なんとなく読めるような気がした文字があった。
「ナヴィ?」
「どうしました?」
「この文字って、水って意味か?」
「どれですか?」
俺の指差した文字のそばまでナヴィは飛ぶと、その文字を覗き込んだ。
「そうですよ。水であっていますね」
「……なんで、俺は読めるんだ?」
「スキルですよ。スキル」
ナヴィは面倒くさそうに本棚に乗ると、俺の真似をするように一冊の本を取り出してページをめくった。
やはり、その本もほこりまみれらしく、
ナヴィは埃にあおられて嫌そうな顔をしていた。
「ゆっくり考えていれば読めます。
日常の言葉のように読めるには時間がかかりますけどね」
確かにじっと文字を見ていると自然と意味が頭の中に浮かんでくる。
長い単語はダメなようだ。
「これは光……闇……。これは魚か……」
その本のページには創生の詩が書かれていた。
『創生の詩―
世界の原初は無から生まれた光と闇であった。
闇の中で特に混沌としたものが凍える海に潜り、魚となった。
光の中で特に正常なるものが天空へと移り、天使となった。
残った光は風となり森に散って、精霊となった。
残った闇は地中深くに埋もれ、悪魔となった。
そして、方々から余った力が地上へと集まり、人となった。』
「ナヴィ、この創世の詩っていうのは?」
「文字通り、世界が出来上がった時のことを歌っていますよ」
「神話みたいなものか?」
「……」
俺の言葉にナヴィは少し難しい顔をした。
「まぁ、今のムショクに言っても意味がないです。
もう少しレベルが上がってからですね」
ナヴィは持っていた本をぱたりと閉じると、本棚に戻した。
「気が済むまでここを探すんじゃなかったんですか?」
早くしてくださいよとせかすような顔。
ナヴィとしてはこの意味のない探索を一刻も早く終わらせたいのだろう。
「はいはい、分かりましたよ」
俺は本棚に持っていた本を戻す。
本は特に意図を持って並べているように見えなかった。
料理の本のすぐ隣に鉱石の図鑑、その隣には人形の服のカタログと様々だ。
錬金術に関する本はないかと探してみる。
本棚を回ってみると、幾つか見つかった。
『錬金術の7つの秘訣』、『錬金大技森』、『この錬金アイテムがすごい!』
正直、どれも見る気が起きない煽りじみたタイトル。作者はどれも同じだった。
先ずはと『錬金大技森』を開いてみる。
『アンデ・ブリレが教える錬金術の秘密の技。
その一、錬金術師の手は神の手、指は悪魔の指。どんなアイテムも採取できる!』
初っ端から何が言いたいかさっぱりわからない。
これはろくな事が書いていなさそうだ。
次に期待して、『錬金術の7つの秘訣』をめくる。
『その一、魔力は大事。
その二、工程は細かく。手間の中に質が生まれる。
その三、――』
7つも読む前に閉じた。
よくある当たり前のことを勿体ぶって言っている本のようである。
これで最後と『この錬金アイテムがすごい!』をめくる。
そこにはアイテムの名前とそれが、どんな素材になるか書かれている。
『イケてる錬金術師は持っていて当たり前! 誰もが欲しがる『古代龍の息吹』! 龍が口を開けたらチャンス到来!
業界大絶賛! 今までなかった『天空から垂れる糸』!』
龍が口を開けたらチャンス到来の状況が想像しにくい。その龍は明らかに殺しに来ている状況だろうに。
大衆雑誌のような煽り文句ばかりだった。
「何かいいのありました?」
「んー……なんか、ロクなのがないか――ひっ!」
ナヴィの方を見るように視線を上げた瞬間、驚き短い悲鳴のような声を上げてしまった。
入ってきた扉の前に埃に汚れた服を着た女性が俯きながら立っていた。
ドアを閉めたときには何もいなかったし、何も入ってこなかった。音もしなかったから、いつからそれがいたか分からなかった。
ムショクの目線を追い、ナヴィもそれを見つけ、驚いて、ムショクの肩に隠れる。
辛うじてメイド服とわかる様な黒く汚れた服の女性の顔がゆっくりと上がる。
「――ッ」
人じゃない。
その顔は生気のない人形だった。
首が動くたびに間接の歯車が軋む音。
その口が、カタカタと動き出した。
「お、お嬢様が……おま、ま待ちです……こちらに、ど、どうぞ……」
メイドの人形が入ってきた扉をゆっくり、ゆっくりと開けた。
>>第21話 館の主からの提案




