第16話 ゲイルとフィリンと
深夜0時から日が昇るまで。
フェグリア城下町の東大通りの一番端。
最も最初に朝日が見えるその場所に、1つの酒場があった。
酒場の名前は曙の竜。
不定期の開店で、開いているところを見られるのが幸運なほどだ。
深夜を少し過ぎたところ、ゲイルは久しぶりにいい仕事ができ、上機嫌で酒を買いに行く途中だった。
ふと目をやったその先に、珍しく曙の竜が開いているのを見つけてしまった。
本来なら酒でも買ってきて、仕事場で一杯と思っていたが、それを止めて曙の龍に入ることにした。
店といっても中は小さく、メインは店の前にあるぶっきらぼうに置かれた樽だ。
それを机代わりにして飲む。いわゆる立ち飲みスタイルである。
「よぉ、ゲイルの旦那!
珍しいじゃないか」
「そりゃ、こっちのセリフだ。
ここが開いているなんて久しぶりに見たぞ」
曙の竜のマスターであるバッカスは、グラスを拭いている手を止めた。
「相変わらずの無精ひげじゃな。
客商売に向いておらんのじゃないか?」
「俺ぁ、酒とうまい料理を出すだけさ」
黒いパンツと少しよれた白いドレスシャツにだらしなくぶら下げられた紺色のネクタイ。
端整な顔つきにもかかわらず、眠そうな目と無精ひげ、それに長く伸びた髪を無造作に後ろに縛っているその恰好を見ると、
どうしてもだらしない男に見える。
「今日は、人があんまり来ないんで困ってたところさ。
せっかく、旦那が来たんだ。なんか注文してってくれよ」
「そのつもりじゃ。
なんか旨いもんと酒を持ってきてくれ」
「おっ、なんか、上機嫌じゃないか」
「ふおっほっほ、分かるか?」
ゲイルのにやりとした笑いに、つられてバッカスも思わず頬が緩む。
「久しぶりにいい仕事をしたからな。
祝い酒のつもりじゃ」
「おいおい、天下一と謳われた天才鍛冶師の旦那がいい仕事って、どんな武器ができたんだよ」
「秘密じゃ」
少し恥ずかしそうにゲイルは目線をそらした。
それを見て、バッカスが少し笑うと、ビール樽からビールを注ぎ、ゲイルに渡した。
「祝い酒ってんなら俺のおごりだ。
ちょっと待ってろ。俺も飲むから」
ゲイルを店の前に並んでいる樽の一つに行くように指示をすると、バッカスはビール樽から自分用に酒を注いだ。
「じゃあ、旦那の仕事に乾杯と行こうか!」
「おいおい、店はいいのか?」
「今日に限って人が少ないしな。
それに俺の店にはソーマがいるしな」
奥にいる、褐色の肌の女性がバッカスを睨みつけている。
数少ないながら、客からの注文を聞き、そのまま調理をしている。
ウェイトレス兼コック。確かに腕はよさそうである。
「じゃあ、乾杯」
ゲイルが杯を掲げると、それに合わせてバッカスも杯を上げる。
そのまま口に運ぶと一気に傾けてそれをのどへと流し込む。
麦の甘みが舌を楽しませ、ハーブの苦みが後味を残す。
やはり最初の一杯はフルーティーなビールに限る。
「かーっ! 美味い!
いい仕事した後の酒は最高じゃ!」
ゲイルの飲みっぷりを見ているとバッカスの頬も自然と緩む。
曙の竜では、料理も酒も全てがお手製だ。
材料だって、自分たちで取りに行くこともある。
それを目の前でおいしく食べてくれることに、バッカスは嬉しくなる。
「よっぽどだったんだな」
バッカスは胸ポケットから葉巻を取り出すとそれに火をつけゆっくりと燻らせる。
恥ずかしがったゲイルを見て、聞こうとは思わなかったが、やはり少し気にはなる。
国で最高、鍛冶屋ギルドの中で右に出るものはいない。と、賞賛の言葉は並べたらきりがない。
ただ、最近のゲイルの話を聞かなくなって、
スランプなのかはたまた年なのかと遠巻きながら心配していたところだった。
「そんな大したもんじゃないわい」
「ホントかよ」
バッカスはどれだけか前、こうして気分よく仕事を終えたゲイルを見たことがある。
よっぽど機嫌がよかったのか、
その鍛冶のレシピを他人に教えたのがまずかった。
一夜にして、鍛冶の素材になるアイテムの市場価格が暴騰した。
そういえば、あれからか。
ゲイルがあまり仕事をしなくなったのは。
久しぶりに元気そうなゲイルの顔を見て、バッカスは少し安心をした。
「ソーマ! ドラゴンテイル焼きを持ってきてくれ!」
忙しく動き回るソーマにバッカスは注文を掛ける。
恨みで人を殺せたら多分この瞬間に、バッカスは死ぬんじゃないかと思うほどの目。
バッカスはそれを気にするような繊細な人間じゃなかった。
「そういう、お前さんはどうなんじゃ?
しばらく開いているところを見たことないぞ」
「まぁ、食材とかいろいろ足りなくてなぁ」
バッカスは灰皿に葉巻を置いて、煙をゆっくり吐き出す。
「在庫も少々少なくてなぁ。
とはいえ、ギルドを使うと割高だろ?」
あいつら足元見るしなと煙を吐きながら憂鬱そうに話す。
まだ日は昇らない。
夜は長そうだ。
と、バッカスの視線の先にこの時間に見られない珍しい女性を目にした。
「よぉ、フィリンちゃん。
こんな時間にどうしたんだい?」
バッカスの言葉に、フィリンは眠たそうな目で曙の竜を見た。
「夜更かしするエルフなんて珍しいじゃないか」
「おはようございます。
少しリュックを作っていてこんな時間になっちゃって」
「おっ、何だい、珍しいじゃないか。
久しぶりに冒険でも行くのかい?」
「いえ、プレゼントで……」
フィリンの言葉にバッカスとゲイルは驚いた顔を見せた。
「エルフの紡績技術で作られたものをプレゼントって……
もしかして、彼氏かい?」
「そ、そんなんじゃないですよ!」
バッカスは照れたファリンをまるでいい暇つぶしでも見つけたかのような顔で見た。
「いいなぁ、その彼氏さん」
「だ、だから違いますって」
「仕方ない!
フィリンちゃんの彼氏記念だ!」
いつの間にか、フィリンのために、机には黄金色の蜂蜜酒が用意されていた。
「もう、本当に怒りますよ!」
フィリンが耳の先まで真っ赤にして俯いたのを見て、
バッカスは満足したようだ。
「悪かった。悪かった。
でも、エルフの紡績技術で作ったものってあまり人に渡さないだろ?」
「ま、まぁ、そうですが……」
「旦那も、フィリンちゃんも、今日は珍しいことばかりだな」
「わしからしたら、お前が久しぶりに店を開いていること自体が驚きじゃわい」
「そうですね……どうしてたのですか?」
「あぁ、まぁ、在庫がなぁ」
「ないんですか?」
バッカスは返答代わりに頷いた。
「長めの旅に出ようかと思って倉庫整理だな」
「そんなに無いんですか?」
「まぁ、メインどころがなぁ」
顔見知りとは言え、客に台所事情を話すことに気が引けたのか、少し口ごもるバッカス。
「私、1人知ってますよ?」
「何がだ?」
「調達してくれそうな人です」
「冒険者かい?」
フィリンが頷いたのを見て、バッカスは首を振った。
「やめてくれよ。
冒険者ギルドなんかに頼むくらいなら、自分で行くっての」
「いえ、その方は、ギルド所属じゃないですよ」
「おっ、奇遇じゃの。
わしも心当たりが一人おるな」
>>第17話 バッカスの注文




