死を運ぶ者
死を運ぶ者
「もう何度目の音だ……」
「っし、今は目の前の事だけに集中しろ」
岩が切り崩される崩落音が何度も聞こえる〈ルーテ山脈〉。その音の原因は言わなくても分かる。だからこそ散漫した心を静め、もっと眼前に集中しなければならないのだ。
〈異種攫い〉のアジトである住処の壁から様子を窺う。そんな俺とエレオノーラは、侵入のタイミングを今か今かと狙っていた。
エレオノーラの超耳感覚から中の人数を把握するに、男が六人と女が二人。女は二人とも捕まった者達のようだ。
「ええい、この際だ。正面から行くか――」
「待て待てっ! 数で勝る敵には奇襲が最も確実だ!」
もう居ても立っても居られない。今すぐ強襲を仕掛けて救い出したいという俺の意見と、以外にも冷静なエレオノーラ。この構図をふと懐かしんだ。
「そういえば、何だかんだずっとエレオノーラとは一緒に居たな」
「そう、だな……そうなるか」
思えば出会いはとても酷かった。出会い頭に首を絞められた事など、後にも先にもこれっきりだろう。
「ポーラを助けたらその後は、やっぱりエレオノーラも森の為に生きるのか?」
俺は質問をしておきながら、当然だ。という反応が来る事を頭の中で想定していた。
ではなぜ聞いたのか。という所に行き着くわけだが、自分でも正直良く分かっていない。
短くも長い時を共有した仲間に対してでもなく、エルフの生態が知りたいわけでもない。
もしかすると俺は、エレオノーラに対し特別な感情を抱いているのかもしれない。
そうでなかったとしても、至極当然のように知りたかったのだろう。
「そうだな。サイカも【ガッコウ】に戻るのだろう?」
こちらも分かりきった質問をしている。なら聞くな、とは俺からは流石に言えないが。
「俺は……少し考えている事があるんだ」
「考えていること?」
小首を傾げ「何だ?」と尋ねてくるエレオノーラに対し、俺は様々な感情を胸に語る。
「ああ、実は〈オルテア〉を出ようと思う」
その一言に、エレオノーラが動揺する。いきなり何を言い出すのかと、思った事だろう。
「俺は今まで、近隣の協定エリアに何度も足を運んでいた。それはエレオノーラ達エルフ族や、神秘と呼べる存在に夢を抱いていたから。今回の【秘境】への冒険で、その想いは大願され、心から感動を覚えた。だが、その過程に生じる困難や苦難に立ち向かい、改めて思ったんだ。世界をもっと見てみたいって」
人というのはこの〈オルテア〉以外には、本当にいないのか。
ダレンの言う幻想的な土地や、キキョウが旅で踏み歩いて見てきた土地。そこにはどんな者達が暮らし、どんな生き方をしているのか。人間がもしそこに居るのなら〈オルテア〉と比べて、どんな生活を送っているのか。
〈白楊海〉を渡った先には、何が待っているのか。〈アルテムフォレスト〉の森を抜けた先には何があるのか。〈ルーテ山脈〉を越えた景色は一体どうなっているのか。【秘境】はどこまで続いているのか。
これら全てを、人は望んだ事はない。何故ならそれらには死というリスクが伴うからだ。
リスクを排除する事で成長を捨てる。という選択をこの〈オルテア〉の人間はした。
だから誰も疑問を抱く事はなく、そういう思想が根付いている。
「この世界は、多くの神秘で満ちている。想像の遥か上を行き、常に驚かされる毎日だ」
俺の言葉に、エレオノーラの澄んだ瞳がゆっくりと閉じていく。
「出会いは一期一会。そして世界に必然というものは無い。偶然に次ぐ偶然の先で、必然性を秘めた偶然が生まれているに過ぎないんだ。だから俺は、絶対なんて言葉を信じないし、その一瞬一瞬に全てを懸ける。エレオノーラ、これは君と旅をしたからこそ学べた事だ。本当にありがとう」
俺が言葉を発する度、気持ちを打ち明ける度、エレオノーラの目尻から光る雫が伝っていく。生命は等しく平等だ。それは、性別・種族・年齢・出身。それらによって左右されるものではない。
平等であるが故に、自然界では生きる為の戦いが行われている。そして、人はその戦いをする必要がない。だからこそ非力に生まれてきている。一人では何も出来ないが、協力して事に当たれば出来ない事も多少は無くなる。その集団性を高める為の知性が、人間にはあるのだ。
そして今なら分かる。なぜ或る者と彼の者が、人に力ではなく知恵を授けたのか。
人が強者であるのなら、きっと言葉なんて必要としない。力で全てを捻じ伏せ、本能のままに、欲望のままに、世界を枯渇させていくだろうからだ。
「私は屈しない! 絶対に、隊長が助けに来てくれる!」
想いに耽っていると、突然〈異種攫い〉のアジトから大きい声が上がった。
「この声は、ポーラか!」
すかさず反応したエレオノーラの耳には、その声が誰のものなのか考えるまでもなく分かったらしい。どうやら覚悟を決める時が来たようだ。
――力を貸してくれ、想世紀。エレオノーラの……ポーラを助ける為の力を!
右手に構える抜き身の両刃刀に想いを込める。キキョウが眠るはずの得物が、次第に青白く発光していく。
世界は三度、時を止めたのだった。
2
――――気付けば俺は、深い闇の中にいた。
「ここは……」
『久しぶりですね。サイカ・エクリプス』
巫女装束の少女キキョウ。数日開けただけで久しく会っていなかった気になる。
最後に見たのはそう――【ヘルへブン】だったか。
「久しぶりだな」
『はい、お久しぶりです』
無表情なのはいつもと変わらないのだが、どこか違和感を覚える。
何かあったのだろうか。そう思った俺は、キキョウの元へと歩み寄った。すると、あろうことか、キキョウは俺と向き合う事を避けて後ろ背に振り向いた。
これには流石の俺も『はい、そうですか』とはいかない。
「どうした、キキョウ。何かいつもと変だぞ?」
『どうもしません。私はいたって普通です』
明らかに普通ではない普通、つまり異常だ。
それならばと、肩を掴んで強引にこちらを振り向かせに掛かる。卑怯だとかはこの際どうでもいい。話が出来なければ意味がないのだ。
「おい、キ――」
刹那、言葉が詰まった。俺が握った肩が割れたのだ。
ふと顔を上げると、キキョウの瞳には涙が溢れていた。
『サイカ・エクリプス――私はあなたと共に一緒に旅が出来て、とても楽しかったです』
唐突に告げられた言葉。それは、まるでもう死ぬかのような言い草だった。
『私を【想石】として拾い上げ、幾年の時を経てから、サイカ・エクリプス。あなたを守る刃となれた事を、とても誇りに思います』
「一体、何を言っている……」
一方的に気持ちを語っていく。それはまるで聞き入れろ、とでも言っているようだった。
「説明をしてくれ。一体何が起きてるのか……全然状況が把握しきれないんだ」
それはあまりにも急な出来事で、心の準備も出来ていなくて、何より不安で。
『【ヘルへブン】で【三途の川】を渡りきった後の話です。スカルも言っていたでしょう。この川を渡りきった者は、死を運ぶ使者として生き返れると、それがサイカ。あなたです』
「俺? そんな事を言われても、特に変わった感覚も無かったが」
『今目覚めたのですから、当然です』と一言、しばらくの間が空き、キキョウはいつも俺にしていた服の袖を掴む仕草を行った。
暗闇の空間の中、俺とキキョウの辺りを光が包んでいく。
『私は、二〇〇年前に既に死んでいました』
「――――っな」
しかしその言葉には、不思議と納得せざる負えない点が、幾つも散りばめられていた。
まず、肉体がないということ。【封絶】で封印したとしても、伝承の中では肉体を超圧縮して、クリスタルや鉱石の中に写し、仮死状態にするという事が記されていた。
次いで【ヘルへブン】という生死の境界に共に行った事。あそこはそもそも肉体としての死後の世界であり、肉体が生きている者は行けるはずがないのだ。その時点で既に、キキョウの肉体が死んでいる事を意味していたのだと、今さらながらに至った。
最後に【ヘルへブン】を脱してから、一切の連絡をしてこなかった事。これはしてこなかったのではなく、出来なかったのだ。『奇跡』を使った反動で休んでいたのではなく、もう【想世紀】に住むキキョウは、朽ちていくだけの存在となっていたのかもしれない。
『いいですか、サイカ・エクリプス。私がここにいるのは紛れもない、あなたの力です。あなたの感情・想いにより、最期に私が『奇跡』を行使出来た。私は他でも無い、あなただったから、死を受け入れる事が出来た。これでようやく、皆の元へ還れます。ありがとうございます……』
「そんな、いくら何でもいきなり過ぎるだろ!」
『大丈夫……大丈夫ですよ。だって……ですから』
聞き取れぬ一言。俺は聞き返そうとも思ったが、止めた。
キキョウの涙の前に、それ不要だったから。
潤う少女の瞳に、俺は別れを惜しむ気持ち、もっと共に在りたい気持ち、喜怒哀楽を共有したい気持ちを抱かずには居られなかった。
『私はあなたの事が大好きです。もしもこっちの世界で出会えたら、その時は本当に、っひぐ……本当に本当に、わだ…しのごと、わだじのごど……んぐっおよめさんに……してください、ね』
頬を伝う涙を拭いてやる度、その体温が二〇〇年という時代を超えて心に浸透していく。
――ああ、これが愛。なんて、真っ直ぐな気持ちなのだろう。
俺の体温を感じるように、また俺の体温を分け与えるように、ずっと遠くへ行っても平気なように、そっと彼女を抱き締めた――。
「ああ、約束するよ」
小さな手の平を、そっと覆って握り締める。
『ふふ、還ったら父上と母上に、教えて上げなきゃ。サイカとの想い出を』
純真無垢に満ちた満面の笑み。それは今まで見たことのない、少女然とした可愛らしさと希望に満ちていた。そして、とても愛しいと思えた。
『さあ、お願いします』
俺の手元を離れ、手を広げる。
――これが最後だというのなら、最後くらいは許してくれるよな。
俺はキキョウの唇にそっと自らの唇を重ねた。
共に旅をし、それでも誰に知られるでもない、この世界で死してなお、懸命に生き続けた少女に向けて。
手の平をキキョウの胸元にあて、祝詞を発する。
『我、死を運ぶ者サイカ・エクリプス――汝、キキョウの憂い、喜び、幸せを願い運び届けよう。天国への扉【ヘブンズ・ゲート】』
俺の後方に天国への凱旋門が出現する。これを渡ればきっとキキョウは、俺が死するその時まで待っていてくれる。俺の夢を初めて聞き入れてくれたあの時のように。
二〇〇年の時を超え、俺の愛した少女は、門の前で振り返ると一言。
『サイカ。あんまり遅いと、えもえもですからね!』
そう言っていた。
3
「――――っ」
騒々しい。どうやら先の世界の停止時間は完全ではなかったようだ。
「ぜああああああああ!」
エレオノーラの怒号が響く。けたたましい轟音と共に、数人の男が壁に吹っ飛ぶ。
「遅いぞ、何をしているサイカ!」
「ああ、二〇〇年の時を超えて別れを惜しんでいたところだ」
『何を言っているんだ?』と聞き尋ねてくるエレオノーラを他所に、俺は眼前に倒れ込む男達に視線を向ける。それから、手の平を前方に向けた。
『我、死を運ぶ者サイカ・エクリプス――汝ら、真に下劣なる愚者共よ、堕ち、嘆き、悔い改めよ。地獄の門【ヘル・ゲート】』
俺の意志はその全てを刈り取る為にある。床が黒いモヤで立ち込め、そこから這い出た骸骨が〈異種攫い〉の男達を、どこまでも続く地獄の底へと引き摺り込んでいく。
「残念、定年、退場デース。アーイ♪」
その中には生物的に【ヘルへブン】で完全壊死したはずのスカルまでも紛れ込んでいた。
エレオノーラはポーラを抱き締めながら、その圧倒的過ぎる俺の力に、声を殺された。
「良かったな、これでもう〈異種攫い〉は消えた」
「あ、ああ……しかし――」
エレオノーラは何と聞けば良いのか、求める言葉が出てこなかった。それが分からなかったように。
「お前達はこのまま〈アルテムフォレスト〉に帰れ」
『何故』と言おうとしたのだろう。しかし目の前で驚異的な力を見せつけられた上で、それを言うのは『必要ないからだ』と言って欲しいようなもの。
「待ってくれ――」
エレオノーラが拳を固め、立ち去ろうとする俺を呼び止める。
「どうした、何かあったか?」
「あ、いや……」
動揺する様子のエレオノーラは、何か別の事が言いたい様にも見える。
「私は、サイカを信じていた。ありがとう」
それは感謝だった。前触れもないその話し方は、どこか俺に似ている気もする。
「ユーナキョウユに会った時、本当は縋りたかった。一刻を争う中、早く助けを求めたい気持ちと、サイカが助けてくれるって言ってくれた言葉を信じたい気持ち。その葛藤がずっと私の心を惑わしていた。苦しめていた。でもやっぱり、サイカを信じて良かったよ」
エレオノーラがこちらに想いの限りを以って駆け寄ってくる。そして目尻に微かな涙を浮かべると、力一杯抱き締められた。
――これも、愛なのか。
甘え方が分からなくて、その表現がぎこちなく可愛らしい。
一刻を争う事態なのに、俺とエレオノーラの空間だけは時が止まったように感じる。
「私のこの気持ちが、どういう感情なのかは分からないけど。でもこれだけは分かる」
死線を潜り抜けた者同士にしか分からない気持ちというのは山ほどあった。しかし、そのどれもが想い出であり、最も大切な気持ちなのだろう。
だからこそエレオノーラが何を言いたいのか、俺には分かる。
「スキ、サイカ」
人語で伝えてくれる想い。それは何物にも替えられない大切な『愛』だった。
それでこそエレオノーラだと思う。その想いは素直に嬉しい。故に、俺もちゃんと向き合わなければいけない。その想いに。
キュッと目を瞑り、口を開いた。
「ありがとう、エレオノーラ。俺も君のおかげでたくさんの経験が出来たし、新たな目標を掲げる事も出来た。感謝しているよ――だからこそ、言わせてくれ。俺は君と共には居られない」
なんて残酷な言葉を言っているのだろうか。自分で自分を殴りたい。
共に【秘境】を旅したことを回顧する――可愛らしい寝グセを発見したこと。大型魔獣を共に倒したこと。小人族の元で死線を潜り抜けた事。他にもまだまだたくさんあって、その想い出の結晶こそが、今のエレオノーラと俺が、互いを信頼し合う『想い』なのである。
「ああ、知っている。だが、それでこそ私のスキなサイカ・エクリプスだ」
清々しいくらいの晴れやかな笑顔。エレオノーラが小さく『ありがとう』と呟いた。
俺達は幾度となく、共に死線を乗り越えて来た。だからまた次に会った時『大きくなったね』と言ってもらえるように、これからも前だけを向いていく。
「じゃあこれから頑張るサイカに、お礼とご褒美」
何だ。と答えようとするも声が出ない。二、三度パチパチと瞬きをすると、俺の唇はその麗しい唇によって包まれていた。
赤面するポーラを他所に、キキョウが嫉妬してしまいそうな状況、
――ああ、俺はこんな素敵な女性達に愛されていたのか。
幸せだ。その一言に尽きる。
「エレオノーラ、俺も君の事を想っている。大好きだよ」
4
エレオノーラとポーラを見送ると、俺はすぐさま最終局面の地へと向かった。
第三中央通り正門前だ。近づくにつれて悲鳴の数が増えていく。恐らくはもう戦闘が始まっているのだろう。
路地を曲がり、ようやく見えた第三中央通りで俺はその骸の数に愕然とした。
「なんだ……これ」
一体どれだけの人を殺したと言うのか。第三中央通りにはゴロゴロと引き裂かれ、お握り潰された、凄絶な死体の山が築かれている。
「う、うわあああああああああ!」
絶叫が聞こえる方を向けば、やはりヤツがいた。
顏の右半面を牙獣に変異させ、凶悪な牙を肩から突出させる。両腕は巨人の悪魔像――もとい【マッド・ヴァリエイト】の果ての姿をしたフローラ。
花の髪飾りを忙しなく揺らし、血肉を啜るそれはもう人ではない。
分隊の数で見ても数十は全滅させられ、生き残っているのはせいぜい十二、三名ちょっと。犠牲の数を計算しようともおもったが、すぐに放棄した。
数えるだけ途方もないという事に、変わりはない。
「フローラ! 自我があるなら目を覚ませ!」
俺の声に、右目がギョロっと視線を向けてくる。悲鳴を上げる国騎士を鷲掴みにし、圧殺すると、ゆっくりとこちらに全身を向けてきた。
――いよいよか……。ダレン、ヴェルナ、すまない。フローラを助けてはやりたいが、最悪殺めてしまうかもしれない。
恩人に心の中で謝罪し、今は無き愛すべき少女の宿っていた【想世紀】を一層強く握る。
倒壊する建物の瓦礫が崩れ落ちるのと同時に、俺と【怪物】の開戦が幕を開けた。
「ギュアアアアアアアア!」
【怪物】の巨大な拳がまず俺の正面に向かってくる。それを軽やかなステップで回避すると、次いで大木の如き尻尾が薙ぎ払いを起こす。これには【想世紀】を突き刺し、迫り来る尻尾を起点に飛び越える。余波は酷く周りの建物を次々と破壊していった。
転じて、今度はこちらの攻勢。【想世紀】を正面に突き出し牙突を見舞う。これを分厚く質量も相当な巨腕に突き刺す。しかし全くダメージが無いのか、がっちりと防がれた。
ならばと、【想世紀】を引き抜き一気呵成に全身を所構わず突き刺していく。
人と同じ構造であるならば、腱や靭帯の個所もきっと同じ。そこを攻撃のウィークポイントと絞り切りつけていく。
すると、盛大な血渋きを上げ、やはり筋力が落ちていく。力無く膝から倒れ込む【怪物】の様子に押し切れると踏んだ俺は、距離を開けることなく、背中の翼に狙いを付けた。
――空に逃げられては面倒だ、少し痛いが我慢してくれ!
翼の根元から一気に削いでいく。片翼を切断し鮮血を撒き散らした所で【怪物】に異変が起きる。
「イタイ……イタイ、ママ……パパ」
――意識を取り戻した!
重低音の呻きを漏らしたのは、間違いなくフローラとしての意識からだった。
「モット、ツヨク、ナキャ! ツヨク! ツヨク! グルアアアアアアアアアア!」
【秘境】で見せた声の衝撃波を、今度はゼロ距離で受ける。一瞬見せた意識の中で、明確にした強い意志。それを俺は、決して逃しはしなかった。
しかし衝撃波は凄まじく、声の圧だけで何メートルも吹っ飛ばされる。
受け身も取れず、痛打に苦悶の表情を浮かべた。が、すかさずそれさえも彼方へと飛ばす悪夢が起きた。
「翼が、傷が、塞がっていく……」
命懸けで与えたダメージがみるみる内に回復していくのだ。おそらく仕留めた獲物の特質を吸収した結果なのだろう。その中に再生能力が高かった個体がいたと仮定するのが妥当な線だ。
だがそんな考察は今やどうでもいい。これではジリ貧。どれだけダメージを与えようが、部位を破壊しようが全くの無意味となってしまうのだ。
「グルオオオオアアアアアアアアアアアア!」
狂気を纏った【怪物】の周囲に、真空波が生まれる。
――これは、まさか【魔刃】か!
魔獣の特質さえも、その身に宿してしまった【怪物】が低く唸る。全快したことで、その【魔刃】の威力は驚異的なモノとなってしまう。先日戦った大型魔獣の【魔刃】なんてのは可愛らしいくらいだ。
高周波を響かせ空間を歪曲させる真空の刃達は、【怪物】の周囲を容赦なく滅していく。
命辛々、背後に凍りつきそうな威圧感を一身に受けながら、とにかくその場を離れるべく全速力で逃げ去る。
転がる死体さえもお構いなし。地面を抉り、死体を跳ね上げ、宙に浮いた瞬間飛び散る血さえも霧散させる。そんな絶望的な状況に、物陰から眺めることしか出来なくなった俺は、煩悶した。
――あと少しなのに、ここまで来て誰も助ける事は出来ないのか……。
いや、まだ何かあるはずだ。考えろ。諦める事を諦める。その言葉の元、愚策であろうと妙策であろうと、全神経を使って知恵を振り絞る。
「フローラ!」
その時、遠くから声がした。
その者は、無意識に反応した俺が絶対に、絶対に見せたくなかった二人。
「そんな……なぜ来たんだ……」
何を隠そう対峙する【怪物】、フローラの両親だったのだ。
「フローラ、俺だダレンだ! 分かるか? お前のパパだ!」
「フローラ、ママだよ。分かるかい?」
しかし、その表情に陰りはなかった。この異常な密度の脅威を秘めた【怪物】に、それでも二人は、親としてちゃんと向き合っていたのだ。
「グルアアアアアアアアアアアアアア!」
それを拒絶するように、一層強い怒号を放つ【怪物】フローラ。その互いの距離が詰まっていく度、俺はどうにかなってしまいそうだった。
だがその距離が縮ろうとも、不思議なのは特質である【魔刃】が、二人を襲わないという事。それでも止めるべき状況に変わりない。
俺はグッと足に力を込めたが、どういうわけか踏ん張りが聞かず上手く動けなかった。
「大きくなったな、フローラ」
翼を振り乱し、風圧を起こす。その突風に、ヴェルナの足が止まった。それでも真っ直ぐに、懸命に歩を進めるダレンは、程なくして悪魔風体の【怪物】の元へと辿り着いた。
「グル……パ、パ……」
風圧が弱まる。それに合わせて、踏み留まっていたヴェルナも【怪物】フローラの元へ
と駆け寄っていく。そしてずっと温めていた想いを、我が子諸共、思いっきり抱き締めた。
「マ……マ……」
親と子の体格は全く違う。しかし、そこには確かに親子の繋がりが見えている。
「フロー……ラ、ツヨク、ナッタ、ヨ? ママ……パパ、ナカセルノ……ユルサナイカラ、ツヨク、ナッタ、ヨ?」
想いを語るフローラの左半面には人としての涙があった。長い間感じていなかった父の温もり、母の優しさ。両親の想いを受けたフローラは、理性を取り戻し、なんとか正気を保っていた。
「ああ、さすが俺達の娘だ」
三人はずっと、時間を取り戻すように、ずっと抱き合っている。
俺はこの場が収束された事で、そそくさと退散しようかと思い、踵を返した。
だが、それこそ失敗だった――。
ブシュブシュッと、いう盛大な音を上げ、後方で嫌な音が聞こえたのだ。
咄嗟に振り返る。そこには腹を尻尾で穿たれ、呼吸を浅く繰り返し、それでも我が子を抱き締める二人がいたのだ。
「ダレン! ヴェルナ!」
俺の呼び掛けに、二人は軽快に返事を返す。そんな余裕も、本当は無いくせに。
一瞬、ほんの一瞬だけ正気を持って行かれたフローラも、自らが犯した行動に、酷く嘆いた。ようやく一緒に居られると思った矢先の出来事だった。
それでもダレンとヴェルナは、痛む素振り一つ見せず。むしろ取り乱す愛娘の頭を、優しく「よしよし、大丈夫大丈夫」と撫でて落ち着かせてやった。
「よう、サイカ。悪い頼みを聞いてくれるか?」
悪い夢でも見ているかのようだった。
「冗談はよせ、意識をしっかり保つんだ!」
思わず駆け寄ろうとする俺に、ダレンが強く優しい口調で止める。
「俺達はよ! フローラと一緒に居られる事……それだけで幸せなんだ。だからお前には感謝しかねえ。本当に、本当にありがとうな」
「私達の夢……またこの子と一緒にいるってのが叶ったんだ。これ以上ない最期だよ。ありがとうね」
二人の想いが俺の胸を締め付ける。気持ちが伝わってくる度、何気ない日常を回顧する。
カルディオと共に【ルーザー】を訪れる度、世間では異種間の交際がどうのこうのとか、ユーナ教諭がまた授業をサボったカルディオの頭を叩いただとか、そんな下らない会話ばかりの日々。珍しいモノをダレンが仕入れては、これはどんな使い方をするだとか、別に使う事もない俺達に、自慢気に語るダレン。そして、それを見てケラケラと笑うヴェルナ。
堪える事も出来ぬ涙は、押し殺すことも出来ず、ただただ溢れていくばかり。
「まだだ、俺はまだ……二人に、いや三人に幸せを与えられてはいない。恩返しだってしていないし、フレアの旅の支度だってしてもらっていない。これからは誰が準備をしてくれるというんだ!」
「ばーか、恩なんか作った覚えもねえよ」
「フレアちゃんの事は心残りだけど、アンタ達が着いていれば大丈夫さ」
惜しむ様子もない二人。心を落ち着かせたフローラも左半面の美しい美顔でこちらを見つめてくる。
「サイカさん……私をもう一度、パパとママに、引き合わせてくれて、ありがとう」
苦しみから解き放たれた様子のフローラが自然体の笑みを浮かべた。
――そうだ。キキョウも言っていた事だ。俺は死を運ぶ者だと。善き心は安らかに、幸せにしなければならない。それが、俺の使命なのだから。
一呼吸置き、抱き合う親子をジッと見つめる。固く握った拳を我慢の拠り所とし、俺は想いを語った。
「俺は、ダレンの事を深く尊敬している。人間として、男として、アンタは俺の理想だ」
「何だ急に、背中が痒くなっちまうじゃねえか」
「ヴェルナ、アンタは素敵な女だ。ダレンには勿体無いくらいな」
「ありがとね」
ヴェルナに向けて言った言葉に、思わずダレンが「勿体無いってのはどういうことだ!」と返してくる。それはいつもの会話と変わらぬやり取り。
「フローラ、俺は君ともう少し早く知り合いたかった。そうすれば君をこんなに苦しませず、二人ともっと一緒に居させられたかもしれないのに……本当にすまない」
「サイカさん、そんな事無いです。ずっと孤独で泣いた夜も、ずっと胸の焼ける痛みにもがく日々も、全部あの日から始まった。その時からもうパパとママには会えないと、会っちゃいけないんだと思っていた。それでも、またこうして一緒にいれている。それだけで私には十分過ぎますよ」
孤独の苦しみは俺も知っている。両親からネグレクトを受け、こうして成長している間にも、俺と家族の間では埋まる事のない溝が、今もその亀裂を拡大しているのだ。
故に、俺の周りの友人。フレアやカルディオ、ちゃんと叱ってくれるユーナ教諭やダレンとヴェルナの存在はとても大きかった。
――そうだ、いつだってそうだった。俺は支えられて生きている。フローラの中にも、本当は頼ってはいけない。忘れなければいけない。そう決めた両親への想いを、心のどこかで拠り所にしていたのかもしれない。
ならば、俺がしてやれる事は簡単だ。
「分かった。それなら俺は、これからもその夢が叶い続ける為、想いを届けよう」
感謝だ。ずっと俺達の背中を支え続けてくれた恩人に対して、旅逝く者達への最大の手向けとお礼、そして敬意を込めて。
『我、死を運ぶ者サイカ・エクリプス――汝らダレン・ヴェルナ・フローラ、三人の想い、喜び、幸せを願い運び届けよう。天国への扉【ヘブンズ・ゲート】』
天界への門を開く。それが俺に出来る最大の誠意。
「ほほ、こりゃすげえ」
「信じてなかったけど、『奇跡』ってのは本当にあったんだねえ」
「ああ、ここを潜れば皆はきっと幸せになれる。ずっと、ずっと……」
もう少し、我慢するんだ。ここで音を上げては、きっと後腐れが出来てしまう。大切な恩人の門出に、涙は不要なのだ。笑顔で見送らなければ罰当たりというもの。
人というのは別れ際の顏を、いつまでも覚えているもの。
だからこそ、笑え。
「サイカ、ありがとうよ」
「サイカ、ありがとうね」
「サイカさん、ありがとう」
その言葉を聞くと同時、俺は限界に達した。
そして三人は、幸せへと続く門を潜ったのだった。
「おーい、サイって、なんだこりゃ……」
凄絶な惨状の中、終結を迎え無事にフレアを引き連れたカルディオが、第三中央通りにやってきた。心配していたフレアの様子はというと、
「やっほ~、サイ君元気してる~?」
思いの外、朗らかだった。カルディオに肩車をしてもらい、なんとも快適そうだった。
「ああ、元気さ。二人も無事で何よりだ」
俺とカルディオは拳を突き合わせ、フレアとはハイタッチで調子を合わせる。
こうして俺の、長く険しい旅は幕を閉じたのだった。