想い、巡りて
想い、巡りて
もう少しで〈ルーテ山脈〉の麓。別れた小人族達とエレオノーラとの合流地点だ。
足跡は暗くて見えないが、自然と不安はなかった。
それはエレオノーラという心強き護衛がいるのとは別に、小人族の真っ直ぐとした『故郷に帰りたい』という気持ちが、俺の言葉で揺らぐ事なく一致したからだった。
――いや、それは過信だな。真に心を動かしたのは他でもないビットだ。大切なものを好きだと言える純粋な心。帰りたいと思い行動出来る素直な気持ち。この二つだけで人の心は動かせる。体の大小という点を除けば、ビットはきっと俺よりも強い。
足早になる気持ちを抑え、周囲の警戒を怠らない。
そして、長い長い密林。【秘境】と呼ばれる神秘の世界。その湿地帯をようやく抜けた。
――ようやく着いたぞ、〈ルーテ山脈〉……。
切り立った崖を風が吹き抜ける。岩に裂かれた風が唸り上げる度、ゴウゴウと低い音を立て、時に高いヒュウッという高音を掻き鳴らしていく。
いつぞやに来た時よりもまだ生きている。と言えるほどに、死んだ岩や崖は生命力を感じさせていた。
「エレオノーラ! ビット! 皆、どこに行った!」
――返事がしない。何かあったのか?
応答の無い中を歩き出し、静寂と風が奏でる〈ルーテ山脈〉を登る。ゴツゴツと転がる石や所々窪んだ穴、そのどれもが俺の足から活力を奪っていくのが良く分かる。
なだらかな傾斜の山道を一合あたり歩いた所で、ようやく景色が変わってきた。岩や石の多かった道に、土砂が混じり始めて来たのだ。
「エレオノーラ、いたら返事をしろ! サイカだ! サイカ・エクリプスだ!」
声を張ると音の響きが良くなったのか、山彦が跳ね返ってくる。すると、程なくして待望の瞬間が訪れた。
「サイカ、サイカ!」
「サイカだ!」
不安そうな表情のエレオノーラと、嬉々としたエレオノーラの肩に乗るビット。それに続く後続達が、ぞろぞろと体を成して山の上から下ってくる。
その中には安堵のあまり涙を流す者までいた。
「心配したぞ、サイカ。だが、よく戻った!」
「当たり前だ。この命を、そう易々とくれてやるかよ」
笑顔に包まれた〈ルーテ山脈〉の一角。しかし、まだ俺には言わなければいけない事があった。期待を裏切る事、失望という名の落胆をさせる事に、申し訳なさを抱かずにはいられなかった――それも全ては小人族に、もう一度本当の故郷を取り戻してやる為。
「すまない。皆、悪いが急いでこの山を下りてくれ!」
『一刻を争う』と一言告げた俺に対し、やはり落胆の声と溜め息が漏れる。これほどの決心と気張りを見せた後では当然なのだが。
それでも言い続けるしかなかった。
――【ディオゼ・クルス】があの場を逃げるとして、もしもヤツが追い掛けてくるとしたら、想像もしたくない内容だった。何せ、ここは〈ルーテ山脈〉だ。城から真っ直ぐ中央第三通りが伸び広がり、第三正門へと繋がっている。
つまり【ディオゼ・クルス】を追ってここへ来た【怪物】が、この場に残った小人族を蹂躙し、第三正門を破壊。〈オルテア〉に侵攻してくる可能性も十分に考えられるということなのである。
反発の声が押し広がる。もう駄目か――そう思った時。
「そうしなきゃ、いけないんだよね?」
瞳を潤わせ、口をグッとつぐんだビットが言った。
本当は誰よりもこの場に残りたい。母の死したこの愛する地で、これからずっと想って生きていきたい。そう思っているはずなのに――。
その切望を抱かせたのは俺で、同じく絶望させるのも俺。小人族の行く末に関与するという点で言えば、間違いなく俺は末代まで恨みを買う事だろう。
それを踏まえても、ビットは強く俺を信じ続けてくれている。
「そうしなきゃいけないんだったら、そうするよ。でも約束して『諦める事、それは死んだ者に対する冒涜だから』僕はまたこの地で暮らしたい。ママが愛したこの地で、大好きなママの眠るこの地で、僕はずっと生きていきたい。だから、絶対に取り戻して」
その言葉に、異論の声は上がらない。かくして、俺達の本当の戦いは幕を開けた。
2
「急げ皆、門はすぐそこだ!」
俺が小人族の殿を務める。先陣を切るエレオノーラと肩に乗ったビットには重要な任務を依頼して。
少なくともエレオノーラはエルフ族だ。入国の際に妙な検問には捕まらないはず。それを前提に、先に走らせて城の国騎士に事情を説明すれば、何とかしてくれるかも知れない。
人語は話せないが、近くには【ガッコウ】もある。ユーナ教諭含め、通訳には事足りるだろう。
気付けば空は青々とし、人の国に迫りくる脅威なんてものは微塵も感じさせない。
だが、脅威というのは突然背後に忍び寄る。そういうものだ。
「サイカさん、本当は何が起きているのですか?」
小人族の最後尾、ビットの紹介で説明を受けた父のガッツが尋ねてきた。
「そんなに大した問題じゃ――」
「惚けないで下さい!」
急に発せられた言葉が俺の声を断つ。穏やかな者ほど怒鳴った時は声が大きい、というのは確かに正論らしい。納得する程の声量が周囲に響いた。
何事かと異変を感じた数人を尻目に、会話を再開する。
「ビットの夢はね、あの地でもう一度暮らすことなんですよ! 母を失った私が落ち込んでいる時も、仲間が傷ついて苦しんでいる時も、アイツは苦しい顏一つせず前だけを向いて生きてきた。牙獣に母が殺されても、その牙獣を恨むことはしなかった。何故か分かりますか? 仇を討ったところで母は生き返らない。なら、母から貰ったこの体で皆を元気にしてあげる。そう言っていたのですよ。ですが、私は知っています。毎日母を想い涙しているのを、愛するこの地で暮らしたいことを、陰に隠れ必死に孤独で耐えていることを。ですから正直に言って下さい! サイカさん!」
涙を押し止めることの出来ないガッツの背中に、確かな想いを感じる。それは父として、親としての愛情だ。
俺には注がれなかった感情。それが妬ましいと思ったわけではない。ただ、羨ましかった。自分の夢を押してくれる。そんな存在が、傍にいてくれる。
それだけで『いいな』と、思ってしまった。
「ガッツさん、分かった。でも、今から話すのは胸の内に留めておいてくれ。混乱は遅延を生む原因となる」
一言注意を前置くと、ガッツを肩に乗せた。
「【怪物】がここにやって来る」
俺の言葉にギョッとする。ガッツの口が慌てふためくと、急いで手を当て籠らせた。
「ど、どういうことですか……」
「言った通りです。この地はおろか、正門を破壊されれば〈オルテア〉だって壊滅必死の【怪物】です。俺とエレオノーラが倒した大型魔獣を見たと言っていましたよね。アレはまだ可愛い方だ……」
唖然とする。その言葉の意味をようやく理解したらしい。項垂れるガッツはちらりと後方を一瞥した。
山は震災や天災で地形を変えやすい。それは衝撃に弱い事を意味している。もしこの地で凄まじい衝撃が起きれば、切り立った崖はたやすく崩落してしまうだろう。
少なくとも、暮らすことは出来ないほどに。
「そんな……そんなに、危険な生き物が?」
「はい。【ディオゼ・クルス】がここを住処にしているという事は、逃げ延びた残党を追ってその【怪物】も、こちらへ向かって来るという事です」
知恵や小細工は一切効かない、純粋な力のみが支配する。それが自然界の厳しさだ。
「でも【ディオゼ・クルス】をその場で、【怪物】が全頭狩れば――」
「無理です。【ディオゼ・クルス】はそんな馬鹿じゃない。戦って分かった。アイツ等は頭が回る。故に、無理だと分かればすぐに身を引くタイプです」
あらゆる手段をもって俺を攻め立ててきた。それが頭の回る証拠だ。
普通の野生獣なら敵わぬ相手にも突っ込んでいく。【ピラーズ・ボルティック】が良い例だったし、何より強者であろうと獲物に変わりないという認識を持っている。
それを理解した上で【ディオゼ・クルス】はあの場で戦っていた。
「じゃあ、諦めろって言うんですか? ビットの夢は! どうなるんですか!」
「分かっています。ですから、今だけは、どうか今だけは聞き入れて下さい」
何を言っても、命あっての夢だ。
「頼みます……」
無力を久しぶりに感じる。【秘境】で抗い続けることが出来た俺は、どこか自惚れていたのかもしれない。様々な経験を経て強くなったと、心のどこかで勘違いしていたのかもしれない。
この先の未来を、行く末を迫られる時が近づいている事に、不安と焦燥を感じずにはいられなかった。
3
先を行くエレオノーラは、凄まじい速度で第三正門まで疾駆していた。
「ユーナキョウユ……クニキシ、ヨブ」
必死にサイカから授かった伝言を、繰り返し呟いて。
エルフの素足は森を歩くには適しているが、石ころの転がった山岳地帯を歩くのには適していない。地を踏み締める度に、尖った石が食い込み痛みを走らせる。
だが、止まることは出来ない。サイカの頼みとあって、手を抜くことなど出来はしない。
「見えたよ、あそこ!」
ビットの声で前方に甲冑を着込んだ人間が、武器を持って立っているのを発見した。
――着いたぞ、もう少しだ!
もう目の前。その事が現実味を帯び、疾風の如き加速を生む。しかし限界を超えたエレオノーラの足の筋肉が、一瞬だけ軋んだ。
その一瞬の軋みは、全力の疾走において態勢を崩す大きな要因となった。
「なっ、しまっ!」
勢いを殺す暇もなく、盛大に前方へ転倒する。何度も回転し、痛みを伴った。受け身一つ取れなかったエレオノーラと、その肩に乗っていたビット、二人は呻きながらそれでも必死に立ち上がる。
それは『未来』の為。サイカのくれた『希望』を繋げる為――。
エレオノーラは右足を捻ったせいか、上手く立ち上がれない。ビットは頭部を強打し、意識が朦朧としている。
――どんなに苦しくても、辛くても、諦めない。『諦める事を諦める』!
「ビット、大丈夫か?」
倒れ込むビットに声を掛ける。辛うじて反応はあるが、それでも直ぐに動くことは出来そうもない。そんなどうしようもない八方塞がりの中、苦悶に疼く掠れ声を上げ、ビットは叫んだ。
「行って……下さい! 僕は、大丈夫だから! 早く、行ってください!」
声が背中を押した。捻ったはずの痛む足が自然と動く。
――なんだろう。この感じ、全然痛くない。
一陣の風と化するエレオノーラに力が漲る。一方でビットの体は、青白い光によって包まれていった。
「ビット、どうしたと言うのだ? なぜ体が発光している!」
「んっ……あ、あれ? どうしてだろうな。不思議とサイカやエレオノーラさん。皆の事を想っていたら、こんなことに……それに怪我も治っていく」
初めて見る現象に思わず動揺するエレオノーラと、不思議な感覚に我が身以上の超感覚を感じるビット。二人が浮足立った様子で互いの体を確認しあった。
そんな中、ふとビットが奇妙な発言をする。
『あれ、これママの温かさだ……そうか、迎えに来てくれたんだね、ママありがとう』
「ビット、何を言っている。ビットの母上はこの地に眠ったと……」
まるでこれから母の元に――死んで向かうと――でも言いたげな物言いだ。
仮にそうだったとして、それならばとても喜ばしい事なのではなかろうか。ずっと大好きだった母と、もう一度共にいられるというのならむしろ本望だと言える。
『エレオノーラさん、サイカに会ったら伝えて下さい。僕をママの元に連れて行ってくれてありがとうって。あとパパにも、ママと一緒に見守っているよって』
エレオノーラが「待て」という間もなく、ビットを包む青白い光が霧散する。
虚空に優しく消えていく姿を眺め、エレオノーラは別れ際に託された『ビットの命を守る』という事への自責の念に深く駆られていた。
――ビット……サイカ、すまない。ビットを、守りきれなかった……。
ビットの祈りにより、傷ついた体はすっかり回復している。しかし、ビットが居なくてはこの癒しに何の意味があるものか。
託してくれたサイカの信頼を裏切ってしまった事。目の前で何も出来なかった無力。
肩に乗っていた少年の重さが、精神的に心のオアシスとなっていたのを感じる。
――感傷に浸るのは止めだ。それよりも今は、サイカの伝言を届けなければ!
擦り傷や砂を被っていたエレオノーラの足は、卵の如き純白さを取り戻している。数十メートル先にそびえる中央第三通り正門。その検問所までほんの数秒の内、到着した。
「エルフ族防人部隊隊長エレオノーラだ、入国させてもらう」
「んなっ! え、ちょ……君」
『失礼する』という言葉を捨て置くと、突風掻き立てその場から姿を消した――否、人間の肉眼ではという範疇であり、実際はその身でもって、ちゃんと駆けている。
朝焼けの日差しが差し込む〈オルテア〉は、まだ中央第三通りを人が入り乱れていない。
一気に突っ切るエレオノーラの姿は、まさに神風に扮した妖精と例えようもの。
人しかいないはずの――普段なら奇の目を受けるべきエルフを見る事なく――一本道を、先に見える城目掛けて一直線に駆け抜ける。
「中央第三通り、ここを左に中央第四」
中央第三通りの突き当たり、城の壁を左に外周していく。するとエルフの故郷〈アルテムフォレスト〉へと繋がる中央第四通りが伸びている。
久々の故郷が小さく見える。しかし今は懐かしさに浸るべきではない。切って捨てた想いと変わり、想いを託した想いが今度はエレオノーラの意識を再び集中の鬼へと変貌させていく。
「ここをさらに行けば、あった!」
額汗を拭い、絶え絶えの息を整える。膝に手を置き、肩で息をするエレオノーラの前に建っているのは、サイカの行く学び舎【ガッコウ】だった。
早朝だというのにも関わらず、【ガッコウ】には生徒が次々と足を運ぶ。
――ここにユーナキョウユがいるはずだ……。
足を止めたことでその身を露わにしたエレオノーラは、周囲から向けられる奇の視線を一身に受ける事となった。何度味わっても嫌悪感を抱いてしょうがない感覚。
しかし、今のエレオノーラには気にしていられない。そんな余裕があるのなら、一歩一言を伝える力に変える、それのみだった。
「ユーナキョウユ! ユーナキョウユ!」
人語は喋れない。それでもサイカの言葉だけは理解出来る。
名前を呼ぶ事。それは種族に関係なく、皆が誰でも出来る事だから。
「ユーナキョウユ! ユーナキョウユ!」
片言でも何でもいい、大切なのは伝える気持ちと伝えたい気持ち。それだけだ。
「んあ? ぶえっ、エエエルフ!」
薄栗色の長髪を骸骨ロゴの入ったバンダナで締める男が、エレオノーラの後ろから声を上げた。突然の大声に驚き、エレオノーラは咄嗟に対処の手を出てしまう。
男の腕を逆手に取って重心を移動させる。その手を首に回して背面で軽く浮かせ、一気に締め落とす。
別名【生き地獄】というエルフの捕縛術だ。
「ギ、ギブ……ぐぬおうう」
人語の分からないエレオノーラには、男の言葉が理解出来ない。同様に、人間の方もエルフの言葉が伝わっていないようだ。
――やはり人間とは、信用に欠ける生き物だな。
「すまない。サイカ、悪いが一人殺めることになりそうだ」
一言捨て置く。すると、トドメと言わんばかりに一気に締め上げる力を強めた。
だが男の口から、微かに理解出来る言葉が漏れた。
「サ……サイカだと? サ、んぐうっ……」
思わず首の締め上げを解いてしまう。しかし、確かに男は言っていた。『サイカ』と。
「サイカの仲間か! そうなのか? ならユーナキョウユに言え! クニキシをヨベと!」
「痛てええ……死ぬかと思ったぜ」
【ガッコウ】の医務室にて。ビットを見送ってから走り出した時、再び作ってしまった足裏の切り傷の治療を受けているエレオノーラは、先程からずっと心ここに非ずといった表情で忙しなく微動していた。
「教諭、早くしてくれ! 一刻を争うんだ!」
治療を行っているのはユーナ・ミスティ教諭。先ほど首を締め上げた男はカルディオ・ブレイク。共にサイカの先生と友人という間柄を知り、一時は安堵したエレオノーラだったが、当初の目的を思い出すと慌てて――という過程の元、今現在に至る。
「んもう、そんなに焦らないで下さい。傷に障ります!」
「――――っくあああああ!」
言うが遅し、消毒液が傷口に直接掛かり苦悶の表情を浮かべている。
――しかし、この程度の痛みに私は負けない!
「んっくううう、ユーナキョウユ。私の治療はもういい! それよりもクニキシという奴を動かしてくれ、早急にだ!」
「クニキシ? 一体〈アルテムフォレスト〉で何が起きたと言うのですか?」
机に腰掛けるカルディオはエルフ語が分からない為、断片的に聞こえる『クニキシ』と
いう言葉を繰り返しながら、エレオノーラとユーナの胸元を性的な視線で眺めていた。
「〈アルテムフォレスト〉ではありません! 第三中央通り正門です!」
エレオノーラの言葉に、思わずユーナが虚を突かれ声を上擦らせる。
「ちゅ、中央第三通り正門ですって! 何でまた、あなた――」
「サイカの指示です!」
サイカの指示。それはユーナの気の緩みを引き締めるには、十分事足りる一言だった。
サイカの伝言の内容は大きく分けて二つ、一つは避難勧告。中央第三通り正門の封鎖をし、その付近に住む人々の避難誘導を促すこと。二つはユーナ指揮の元、戦闘に備え国騎士を全面展開するという事。
事の内情と詳細を言預かったエレオノーラがその全てを伝えると、無事役目を終えた。
その間にユーナの筆が白い紙に文章を書き留めていく。カルディオはその文章を見ると、血の気を引かせ後退りした。
「おい、嘘だろ……魔獣以上の【怪物】って。なんだよ、それ……。しかもあのヤロウ【秘境】に行ってただと? どうりでこの数日間ずっと見ねえわけだ! こっちの事件も片付いてねえってのによ」
「これで全部か? その他に何か要求していた事は?」
ユーナの筆が止まる。その時、エレオノーラは考えた。
――今ポーラが〈異種攫い〉に遭ったことを言えば、この人達は動いてくれるだろうか。
心の中で葛藤が生じる。サイカ以外の人間を信じるか、否か。
そして、エレオノーラの出した答えは――。
4
「よし、皆着いたぞ! 正門だ!」
決しの逃走を図った小人族と俺達は、何とか中央第三通り正門前にやって来た。
人間より体格の小さい小人族は、俺なんかより何倍も疲労を感じている事だろう。だが、もう大丈夫だ。心の中で安堵の息を漏らし、ようやく入国した。
数日振りに見る中央第三通りは変わらずいつもの並びを築き、中心に聳える城は相変わらずの灰色一色だった。
――帰って来た。エレオノーラは無事だろうか……。
先陣駆け抜けたエレオノーラとビットの身を案じつつ、まずはユーナ教諭の元を目指す。
「君か、小人族を救ったサイカ・エクリプスは!」
白き甲冑に身を包んだ十数名の男がこちらへ向かって行軍して来る。
途中、俺の傷ついた姿を見て「うわあ……」と、悲鳴を漏らし腰が引けたりもしていた
が間違いない。【国騎士】だ。
――国騎士か! 良かった、エレオノーラが上手くやってくれたみたいだな。
心の中で焦燥感の中に生まれる余裕が、締め上げていた緊張の糸を軽く緩める。
「はい、俺がサイカ・エクリプスです。早速で悪いのですが、先にこの方々をユーナ教諭の元まで連れて行っていただけますか? 皆、何十キロもの距離を一夜で移動し体力の限界なんです。頼みます」
ユーナ教諭の元へ行けば、小人族はとりあえず安全だ。
まだやるべき事がある俺にとって、優先順位というものを付けるならば、正門を潜った時点で大きく順位が変動する。その場合小人族の移送というのは下から二番目になる。
「悪い、皆。ユーナ教諭の元へ行けばエレオノーラとビットに会えるはずだ。そこで待っていてくれ」
「サイカさんは、どこへ……」
ガッツが尋ねてくる。どうやら小人族としてはほとほと不安なのだろう。
振り回される事への精神的疲労。重ねて親交もない他種族にもてなされる事への気苦労。そしてパイプ役となる俺が側を離れるということが。
「大切な恩人に謝ってきます。このままじゃ、きっと後悔することになるから」
浅く国騎士と小人族、二団体に頭を下げ即座に翻した俺は、目的の最優先順位へと急いで向かう。
――俺は伝えなきゃいけない。たとえどんな現実が待っていようとも。
5
中央第一通りと中央第三通りを繋ぐ、細長い接路。その接路を更に横切った先に、路地裏街は存在する。
【ルーザー】は昼専門のカフェとして店を構えてはいるが、その実態は昼夜問わずの専門店〈闇商〉。
今日も珍物品を求め、客が出入りをしていた。
「はあ、最近アイツ等来ねえな……」
「アンタがあんな事言ったからでしょうが」
髭が自慢の店主ダレン、またその元妻の女性ヴェルナ。二人はいつもの定位置たるカウンターテーブルにて、仲良く談議に花を咲かせていた。
気付けば外は陽が差している。
「そういや昔さ、アンタ。なんで【秘境】なんかに行きたがったんだっけ」
悪女めいた薄笑いを浮かべ、おどけた口調でグラスに入った氷をカランと回す。
そんな詰った風に尋ねるヴェルナに、昔の思い出を引っ張り出されるダレンは、どこか苦い顔で返した。
「あー知らねなあ。そんなモンはとっくに忘れた! ヤナコッタ!」
ふふ、と微笑むヴェルナの声に覇気はない。それはダレンにも言えたことなのだが、つい最近まで二人の若者が度々足を運んでいた。そして、どこかその二人が店を訪れる度、勇気付けられていたことをすっかり忘れてしまっていたらしい。
その二人とは先日、少し気まずい空気になってしまった。それ以降、当店に足を運ばなくなっていたのだ。
そんな世間的には小さな問題であっても、二人にとってはとても大きな問題だった。
「アイツ等を見てるとな、なんか期待するんだ。若さ以上の何かをな……」
「そうね、こんな事ならカルディオのやつとデートの一回くらい、してやるべきだったかしらね……」
皮肉を語るそんな二人の間には娘が居た。名をフローラ。たった今語っていた若者の二人と同い歳の女の子だ。
昔から治療の施しようが無い難病に悩まされ、多くの者から迫害を受けた、悲しき運命を背負わされた忌み子だ。
当時の拠り所としていた父ダレンの後を追い、【秘境】の中へと消えて行った。
と、若者の一人は主張していた。
「なあ『奇跡』ってのは、聞いたことあるか?」
ヴェルナのグラスにワインを注ぐダレンが言った。「頓知話でもするのか?」とケラケラ笑ったヴェルナは、注がれたワインの豊潤な香りを味わい堪能すると、こう返した。
「まあ、聞いたことはあるよ。見た事はないがねえ」
次いで一呑み。喉を浸透していく感覚に瞳を閉じる。
「『奇跡』――或る者と彼の者がもたらした力を、人がそう呼んだっていうアレだろ? でもそんなのアタシは信じないさ。信じるのは『これ』と『これ』」
『これ』と二度言う。その指し示す物というのは手に持ったグラスの中身と、灰皿に溜めこんだ無数の煙草。
「お前らしい回答だ」
「またそんな事言って、あんまり度が過ぎると熱くなるわよ?」
「ふん、冗談はそれくらいにしておけよ」
再び仲良く笑い合う。全てがお似合いな二人が、どうして別れたのか。というのはその当時グラスに注がれたワインのみが知ることだろう。
すると、その甘く煙の蔓延した雰囲気を壊すように、突然扉が開けっ放された。
そして二人の止まった運命の針は、少しずつ回り出したのだった――。
6
「ダレン! ヴェルナ! お前達に知らせがある!」
俺は最優先順位の扉を叩いた。それこそが〈闇商〉【ルーザー】だ。エレオノーラとの件の交渉の為、フローラ捜索を念頭に入れて動いていた俺だったが、遂にその答えに結び付いたのだった。
突然の登場に驚きを隠せない二人は、仰天した様子で口を大いに開けていた。
「時間が無い。要点だけを述べるから良く聞け、もうすうここに【秘境】から【怪物】がやって来る。ソイツは中央第三通り正門を破壊し、〈オルテア〉に侵入するかもしれない」
何を言っているのかさっぱり分からない。そんなところだろう。どのみち期待もしちゃいない。ただ一つ、聞いてほしいことだけ伝わればいい。
「俺はこの数日間【秘境】に行っていた。理由は様々あるが、その中にはフローラの捜索も含まれていた」
フローラの捜索。その言葉でようやく二人も地に足が付き、意識と焦点がきっちりする。
「そして、俺はその中である【怪物】と対峙した。牙獣を優に投げ飛ばし、翼に牙に尾が生えた文字通りの【怪物】だ。しかし、奇妙なことにソイツの左半面は女の顏だった」
俺の言葉で二人の表情に陰りが見える。察したのだ、意味を。
「人語を話してはいたし、会話を試みたが牙獣の群れと交戦していたから分からないが、チラッと見えた花の髪飾りが写真のと一緒だった」
先刻突き立てた言葉を思い出す。こういう事は言うなと、カルディオに諭された理由が今なら分かる。
だが、今の俺はそれを知った上で話をしているのだ。
俺は二人の言葉を待った。やはり怒っているのだろうか。そんな事実、知りたくなかったと言われるだろうか。
二人から返って来る言葉を想像していた俺は、二人の口が開かれる瞬間、思わず目を閉じてしまった。拳の一発も覚悟して――。
「そうか、生きてたのか……」
「ありがとう、見つけてくれて」
しかし返ってきた言葉は、予想外のもので、なんと感謝だった。
「なぜ、そこで感謝をする。だって俺の話を聞いてなかったのか? フローラは正真正銘の【怪物】に――」
二人が共に涙を流す。それはどこかガッツと同じく我が子を想う涙に見えた。フローラを想って数日前に流したヴェルナのそれと同じ。
もしかすると二人はずっと自分達を責めていたのだろうか。数日見ない間に二人の体は、心なしか痩せ細りボサボサの髪が衛生管理を怠っているのを物語る。
「そういえば、まだ先日の件を謝ってなかった。数日前はあんな言い方をして良い筈なかった。本当にごめん」
ついぞ出た唐突な俺の謝罪。こんな取って付けたような謝り方をしては、またカルディオに怒られてしまう。それにきっと二人も快く思わないだろう。
「気にするな、むしろアレは俺の方が悪かった……すまねえな」
「大の大人が子供の夢を壊すような事、するもんじゃないからね。私達のこういうエゴっぽい所、ついついサイカとカルディオを本当の子のように思っちゃってさあ……どうしてだろうね。悪かったねえ」
愚かな自分を殴りたい。ダレンとヴェルナ、二人の優しさが甘えだというのなら。俺はその甘えに乗っかっりたくなってしまったのだ。ヴェルナに関して言えば「本当の子のように」とまで言ってくれている。
そんな二人に、俺はなんと言っていいか分からず、拳を握り固めた。
「ダレン、ヴェルナ。実は感傷的な空気を壊してでも、二人に頼みを聞いてもらいたい」
この唐突な流れも、やはりカルディオなら怒るのだろうな。と心の中で思いつつ、早急に事を運ばなければならない。一刻を争うのだ。
「ああ何だ、言ってみろ」
「〈異種攫い〉のアジトを教えてくれ」
その俺の言葉にダレンの眉が微かに動いた。〈異種攫い〉の居場所は、〈闇商〉の人間ならば一部の者のみに対して開示されている。その中には優良株の【ルーザー】も入っているはずだ。
「何故だ。それは俺に、この〈オルテア〉の闇から消されろって言ってるも同然だぜ?」
「命の恩人の弟子が捕まっているんだ! 一刻を争う。かいぶ……フローラが来ない内に救出しなければ――」
「サイカアアアアアアア!」
俺の言葉を大声で遮り、扉を吹っ飛ばしてくる男の声がする。それはとても懐かしく、とても親しい声だった。さらに反射的に振り向いた俺を待っていたのは、固く握り締められた拳だった。
「ごはあっ! カ、カルディ――」
「テメエ、何一人のんきに【秘境】なんかに行ってんだ! こっちはフレアが〈人攫い〉にあって大変なんだぞ!」
休むことなく言葉で畳み掛けるカルディオが、割り込ませる暇を与えない。
「この大バカ野郎が!」
怒号を上げるカルディオ。その後ろをついて来たのかエレオノーラもいた。
「おいおい、〈異種攫い〉に〈人攫い〉に、本当勘弁してくれよ……」
ダレンの呆れた声が漏れる。すると店の奥へ行き、一枚の地図を取り出して来た。
「何だこれ。赤い矢印と青い丸印。一体何のマークだよ」
頭を捻ったカルディオが、腕を組んでどっかりと腰を据えるダレンに尋ねると、それを俺が代わりに答える。
「赤が〈人攫い〉。青が〈異種攫い〉だな」
「そうだ。流石、物分かりがいいな」
このタイミングで出して来れば、普通は検討が付くだろう。とカルディオを流し目で圧し、再び地図に視線を移す。赤い矢印が差しているのは、ここよりもっと外れの【城壁】沿い。青い丸印が示しているのは、森に近い路地裏街のかなり奥地だ。
「コイツを開示したって事は、言ってる意味分かるよな。テメエら、俺が殺されたら末代まで恨んでやっからな」
轟音を立てて唸るダレンは、何だかんだ物騒な事を言いながらも、とても晴れやかな笑顔を浮かべていた。
そしてその向かいに座るヴェルナもまた、我が子を見守るように微笑んでいる。
ここまでくれば、残るは救出するだけ。目と鼻の先だ。
「まずは近くの〈人攫い〉からだ。俺とポーラが奇襲を仕掛けるからカルディオは――」
作戦の一行を伝えようとした瞬間、俺の思惑を打ち消すように、カルディオが人差し指を突き立てた。
「チッチッチ、サイカばかりに良い格好はさせられねえな。こっちは一人で十分だ。だからそっちはそっちでエルフの仲間を救ってこい!」
カルディオが珍しく単独行動を選んだ。これは何か意図あってのものだろうか。
裏の読めない心理の中で、苦渋の決断を迫られる。隣のエレオノーラに視線を流すと、僅かに顎を引き、了の反応を示した。
――一人ではいささか心配だが、背に腹は代えられない。カルディオを信じよう。
「分かった。だが、無茶はするな。敵地は潜る以上に脱するのが困難だからな!」
「ひゅ~。さっすが【秘境】からの生還者は、言うことが違うねえ~」
いつもの調子のカルディオに『馬鹿にするな』と一言捨て置き、店を後にした。
広い路地に近づいていく度、街は既に避難勧告を受けてごった返す人々で溢れ返っていた。そんな中、鈍く重々しい重低音が山の方から木霊する。
――もう時間は少ない、急がないと。
「急ごう、エレオノーラ! ポーラはすぐそこだ!」
「ああ、分かっている!」
俺達は動揺する街の中を、ポーラ救出という一心のみで駆け抜けていくのだった。