表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ジョイ・ガーデン  作者: 空渡 海駆
4/8

ヘルヘブン

ヘルヘブン

「ふっ、はあ! ぜあああああああ!」

 目でも追えぬ三連撃。そう思っているのは俺だけだった。どうやらエレオノーラの見舞った攻撃の被弾痕を見るに全部で七個所。どうやら後の四発は、視認出来ないほどの速度で叩き込まれたことになる。 

 だが大型魔獣も負けてはいない。剛健な皮膚からは出血もなく、鉄壁の装甲が全ての攻撃から身を護っているのだ。なまじ堅い防御力なだけに、エレオノーラの木製槍ではまともなダメージ一つ加えられない。さらに防御しているだけの大型魔獣、その周りには【魔刃】と呼ばれる真空波が常に展開され、触れた者を跡形もなく切り刻んで消滅させてしまう自動攻撃が周囲を取り巻く。

 その全ての真空波を掻い潜り、懐に入った所で攻撃を打ち込む。人間離れした身体能力と危機感知能力があってこそ出来る芸当だ。

「これじゃ埒が明かない。どうするエレオノーラ!」

 一方の俺は注意を引き付けるべく、常に大型魔獣の前で視界に映るよう【想世紀】を構えている。【魔刃】による裂け目の範囲が、初めて見た時よりも格段に小さくなっている。

 おかげで何とか視野に入れられるが、これが全快状態なら瞬殺されている事だろう。

 その点を考えれば【ピラーズ・ボルティック】に感謝をしなければならない。

「大丈夫だ。皮膚の弱い個所を見つけた、このまま攻めれば何とかいける!」

 一気呵成に攻撃と回避の回転率を上げる。

 ――まだ速くなるのか! エレオノーラの限界は一体どこにあるんだ。

 思わず舌を巻く。その動きは雷の如く速く、稲妻のように鋭い。圧倒的な動きで大型魔獣を攻め立てること数分。大型魔獣の片足が膝をついた。

 呻きを上げ、苦しそうな大型魔獣。一方のエレオノーラも獣さながら、汗を飛ばしながら決死の形相で大型魔獣へと立ち向かっていく。

 とても魔獣を討伐したことがない者とは言えないその力。

 感嘆を漏らさずして何と言うか。

「っんな、しまった!」

 刹那、汗と疲労で態勢を崩したエレオノーラが転倒する。凄まじい動きの中での転倒に、たまらず苦悶の表情を浮かべた。

 そしてその一瞬の隙をも見逃さない大型魔獣の足が、倒れ込むエレオノーラへと直下する。

「……っくぅうううおおおおああああああああああ!」

 雄叫びを上げ、苦痛さえも構わない。痛みを押し殺して横に飛び退き大型魔獣のストンピングを回避する。

「まだだ、ポーラ! 待っていてくれ、私は必ずお前を助ける!」

 直後、絶叫。大気が振動により震えあがった。それは俺の耳にも訪れ、咄嗟に耳を塞ぐ。

 少し離れた俺でさえ耳の鼓膜が破れそうなのだ。

 これを至近距離で受けては、いかに大型魔獣と無事では済まないだろう。

「ギュラ……ラララ、ラ」

 俺の読み通り大型魔獣が硬直した。脳を直接揺す振られ、脳震盪でも起こしたのだろうか。

 取り巻く【魔刃】も動きを止め、完全に停止している。

「今しかない! やれ、エレオノーラ!」

 俺の言葉に、ゆっくりとエレオノーラが槍を構えた。が、同様にエレオノーラもそこから動こうとしない。両者が互いに呆然とした様子で立ち尽くし、静止していた。

 ――まさか!

 最悪の予感が脳裏を掠める。頭で考えるより先に、俺の体は迷うことなくエレオノーラに向かって走り出していた。

 ――【魔刃】が完全に機能を取り戻す前に、早くアイツから引き離さないと!

 俺の見立てで気付いた事が二つあった。一つは自らの絶叫で大型魔獣諸共、自身の脳も揺らして気絶させた。二つ目に、その後アイツに止めを刺すのを俺に託したこと。以上の二つだ。

 しかしエレオノーラの念頭には、自身の安全確保が完全に欠落していた。

「ギュ……ギュラ」

 ピクピクと大型魔獣の各末端部が動き出す。このままでは間に合わないと踏み俺は、この最初で最後の好機を活かすべく、一か八かの賭けに出た。

 ――今ならまだ間に合う。()るんだ、俺が! 救うんだ、エレオノーラを!

 エレオノーラが執拗に叩いていた位置を目指す。エレオノーラは「皮膚の弱い個所を見つけた」と、言っていた。そこならおそらくは【想世紀】を突き刺すことが出来る、そう踏んでの事だ。

「ギュ、ギュラアアア……」

 ――まだだ、もう少し……。

 そう思った矢先の出来事である。

「――――ごふゥッ」

 一瞬にして、目の前が鮮血で赤く染まる。いや、赤くなっているのは俺の視界であって目の前の世界ではない。鳩尾に穿たれた風穴。夥しい血をしたたらせ、大型魔獣の爪が視界を覆う。

 どうやら背後から貫かれたらしい。

「う、ぐっ、っふぐ、ううおおああああ!」

 ――何振り構っていられない! 俺は助けなれば、謝らなければいけないんだ!

 よろよろと片足を引きずりながら、大型魔獣の懐まで歩み寄る。そして、明らかな窪みを一つ見つけた。月に刻まれたクレーターのように、そこだけが極端に抉れていたのだ。

「なんだ、こんな所にあったのか」

 意地の一撃だった。冷たくなっていく全身。それでもこの右手に握る【想世紀】にだけは、今出せるありったけの力を込めた。

「ギュ! ギュララ……ラ、ギュラ……」

 すると大型魔獣は、生を求めるように必死でもがき出した。懐にいた俺はその暴動の餌食となり、巨大な腕によって遥か遠方へと弾き飛ばされてしまった。

 全身が凍りついた中で、倒れ込んだ大型魔獣の最後を見る事はなかった。


  2


 巨大な川とボロいイカダがある。

 濁流はとても激しく、渡れはしても二度と戻ってくる事は出来ないだろう。

「……これは、俗にいう三途の川ってやつかな」

『はい、そのようです』

 ポツリと出た俺の呟きに、少女の声が返答をした。「またか」という前置きをして、さらに長く重たい間を空け、最後に重く重い溜め息を吐いた。

『心外です。率直に申し上げるとサイカ・エクリプス、えもえもいです』

「率直に申し上げるとえもえもい。という表現は、一体どんな心境から来る意味合いなのかをぜひ教えてくれ、理解に困る」

 俺の服の袖を掴み、ムスッとした顏でこちらを見てくるキキョウは、相変わらずの口癖と共に、俺の脳内に住まうモヤモヤの権化を生んでいく。

「俺は死んだのか?」

『知りません。えもえもいです』

 大概の事を知っているキキョウは、機嫌を損ねると途端に虫の居所が悪くなる。そして、聞かれた質問に対して『えもえもいです』の一点張りとなるらしい。

 しょうがなく周りを見渡す。記憶に新しいのは大型魔獣との戦闘で死にかけた事。エレオノーラがここに居ないということは、つまり彼女が無事か、俺が死んだかの二択だろう。

 そう捉えるならここが『三途の川』だということにも説明がいく。

「俺はこれからどうすればいい」

 死ぬべき人間は死ななければいけないのか。それとも自己判断で生き返れるのか。

 答え以前に今この状況で問われている内容、それ自体が不明確な為、手の内用がない。

『……私もこのような所は初めてです。似ている所なら記憶にありますが、ここは間違いなく違う場所ですので、理解に苦しむ状況は私も同じです』

 つまりお手上げという事か。八方塞がりの中、沈黙を作っていると、どこからともなくカランコロンという滑稽な音が聞こえて来た。

 だが辺りには何もなく、音が聞こえるだけ。不気味さから、俺の服の袖を掴むキキョウの力が強まった。そんなちゃんとした子供らしい一面にふくみを入れ、冷静に目を凝らし見渡す。

 隆起した岩肌、ひび割れた大地。ここの景色はとても【秘境】と呼ぶには適わない。

 生き物が住めるほどの環境ではなく、植物すらも見当たらない所を見ると、どうやら現実ではないらしい。と、なるとやはり死後の世界というに相応しいだろう。

「オヤ~、オヤオヤ~」

 俺の真下から突然声が上がる。これにはたまらずキキョウは声を上擦らせ、恐怖のあまり声の主を踏みつけてしまった。しかし痛がる様子もなく、さぞ当然の如く、踏まれたまま声の主は悠長に喋り出した。

「オー、嬢チャン。イイオイニーネー。ソノ足、ペロペロシタインジャー♪」

 草履の裏でカカカと動く口元に、ゾワゾワとした嫌悪感を抱いたキキョウが身震い一つ。

慌てて逃げるように、必死に俺の体をよじ登っていく。やがて肩車をする格好になると、安堵の溜め息を一つ吐き、声の主を諭した。

『えええもいでした。次からは、ももももっとマトモな反応を所望しまます』

 怯え半分、必死さ半分といった所か。しかし新鮮な反応を見れたのは良い事だ。だが俺は、踏まれていた者を軽蔑の眼差しで見るつもりが、逆に驚かされた。

 その姿とは人間。いや、厳密に言えば骸骨だったのだ。それも綺麗なまでの白骨。骨は欠けることなく原理の分からぬ接合をし、頭蓋もヒビなく存在している。瞳はなく、代わりに暗黒が眼全体に広がっていた。

「ツーカヨー。オメエサン……生人間ジャネエカヨー、ウイー♪」

 そして驚くほど友好的な骸骨だった。気分良く腰を振りながら陽気に踊る骸骨は、俺の頭上で発狂するキキョウにも、愛想良く「ヨウジョ、ドウジョ、サア行クジョー♪」と滑稽な発言までしている。

「なあ、骸骨……さん。俺達は初めて来たんだが、ここは一体……」

 ノリの良さにあやかり、この場所の所在を確認する。震えているキキョウには悪いが、もうしばらくの間、耐え抜いてもらうしかあるまい。

「ココハ三途ノ川ザンヨー、トラヌ狸ノカワザンヨーイエ~。ソシテ俺ノ名ハ、スカルダゼ、アーイ♪」

 独特のテンポとリズムで話す骸骨。名前はスカル。無駄に会話の速度が遅いのと、語尾が毎回苛立ちを覚える発声であるのを除けば、まだ受け入れられる骸骨だ。

「チナミニコノ先、モースグ先、オレノ家ガアルンダケドモ、ドウシヨッカナ、ドウシヨウ、チミラハ家来ル? ドウスル? オーウ♪」

『サイカ・エクリプス。この骸骨を殴る事を許可します』

 目を吊り上げ激怒するキキョウが、骸骨に指を差し向け指示を促してくる。呆れ半分で宥めてやると『まさか骸骨に気があるのか』などと、妄言を吐くのでそれには拳を落としてやった。

 カカカと骨の顎を鳴らして大笑いするスカルは、気前よく俺達を家に招き入れてくれた。

 そしてこの世界についての知っている限りを詳しく教えてくれたのだった。

 まずこの世界は天獄――別名【ヘルヘブン】――と言い、地獄と呼ばれる【ヘル】に最も近い場所に位置し、また対となる【ヘブン】という天国に最も近い場所にも位置するらしい。

 死線を彷徨っている者は、この【ヘルヘブン】に精神を移され、一時的に肉体と切り離された後に隔離を受けるらしい。やがて今までの行いを精査し、神という絶対的な者が『生かす』『殺す』を審判。『生かす』を選択されれば現実に戻れるが、『殺す』を選択されれば【ヘル】か【ヘブン】のどちらかに転送される、という仕組みらしい。

 全く以って逸話か、作り話か、おとぎ話臭い話ではある。

 次に出た話が【三途の川】という、ここに来た時に初め見た巨大な川についてだ。どうやら近くにあったボロいイカダで【三途の川】を渡りきれた者は、死を運ぶ使者として生き返れるらしい。

 だがそれこそが甘い罠で、スカル含む九人の人間が、そのイカダで渡りきる事に挑戦したのだが、皆押し戻されてしまい結果は失敗に終わったのだそうだ。失敗に終わった者の末路は、スカルがいつもの調子で語っていたのだが……正直笑えたものではない。

 骸骨生活も楽しいものだ、などと口が裂けても言いたくはない。

 しかしそうなってくると重要なのが、この世界からの脱出の仕方だ。確立としては二分の一の神の審判を待つか、ハイリスクだが即生還のイカダレースに挑戦するか。という話である。

 神の審判は一歩間違えば生還不可能になる上、いつその審判が下されるかが分からない。

 かといってイカダレースは、脱出者ゼロの負けレース。負ければ当然生還不可能だが、さらに全身骨の骸骨人間となり【ヘルヘブン】の住人とされてしまう。

 スカル自身は【ヘルヘブン】の生活も悪くない。とは言ってはいるが、招き入れた家というのが、たまたま見つけた洞窟というのでは流石に頭が狂ってしまう。

 他にもこの世界での時間間隔というのは、現実と共通で動いているのかどうか。

 これも特に気になっていた質問ではある。しかし、スカルは死んでからの現実というのを知らない。故に聞くだけ無意味な質問だと、喉まで上り詰めた所で切って捨てた。

「シッカシヨー、ソンナニヨー、生キ返ル必要アンノカヨー。デュー♪」

「どういう意味だ?」

 唐突にスカルから言われた不躾な質問に、俺はその真意を問いた。すると、スカルはいつものノリを捨て、途端に真面目に意見を引き出してきた。

「俺ハヨ、ココ二住ム時ニ思ッタンダヨ。コレハ運命ダッタンダッテナ、死ヌコトモ許サレネエ運命。マー、最初コソ足搔イタケ――ゴファッ」

 骸骨の顎骨を勢い良く殴る。骨の硬さに俺の拳の皮膚が負け、身が裂けた。しかし、その痛みを忘れるほど、俺の怒りは昂ぶっていたのだった。

 倒れ込んだ骸骨の鎖骨を掴み、強引に手繰り寄せて俺は珍しく怒号を吐いた。

「おい、軽々しく諦めるなんて言うなよ。俺が知っているエルフは、少なくとも一族の誇りと愛弟子の為にその身を賭して戦った! 大型魔獣相手にだって臆することなくな! 二〇〇年石に閉じ込められていた子だっていた。考えてみろ、二〇〇年だぞ! それでもその子は諦めず、信じて大切な人を探すと誓った! 俺には何もないが、だからこそ生きて返って、その約束を果たさなきゃいけないんだ!」

 本当に以前までの俺ならこんな事はしていないだろう。『他人の為』そんな事は偽善だと、思っていたに違いない。少しずつ心の中で、サイカ・エクリプスという人間が変わりつつある。

 そんな奇妙な感覚を味わいながら、己にぶつけるように言い続けた。

「お前にはいないのかよ! 大切な人が、謝らなきゃいけない人が! 俺はたくさんいる。喧嘩別れした奴に、世話になった恩人達、いつも当たり前だと思っていた日常は全部、本当は当たり前なんかじゃなかった。だから伝えなければいけないんだ! 生きて、返ってありがとうってな!」

 胸に熱いものが込み上げる。キキョウは瞳を閉じ、何も喋らず、動じない。

 血だらけになった拳をだらしなく降ろし、スカルを見下ろした。その瞳に涙はなく、しかし言葉には確かな潤いが渡っている。

「ックウ……サイカ、俺ダッテナ……守リタイ家族ハ居タヨ。今デモ愛シテルヨ。当タリ前ジャナイカ! デモ、戻レナクナッタラ……コンナ、姿二ナッタナラ、諦メルシカ……ナイジャナイカヨ……」

 骸骨の手に視線を移す。手は冷たくゴツゴツで、触れれば怪我をする。瞳は無く、見つめているとどうにかなってしまいそうな暗黒。剥き出しで喋るとカカカと鳴り響く顎に、歩く度にカランコロンと滑稽な音を立てて揺れる頭部。人間の好みとは正反対、対照的な身体はお世辞にも素敵とは言えない。

 それでも俺は迷うことなく言い切る。

「良いじゃねえかよ、たとえ醜く蔑まれようと! それで大切な人を守れるなら! 俺は生身の人間だ、血が出るし痛みを感じれば苦痛に顔が歪む。でも、お前は違うだろ! 頑丈な上に無痛の骨身。むしろ今の俺からしたら羨ましいくらいだ! 何より、傷付く痛みと傷付ける哀しみを知っている。そうだろ?」

 きっとそうだ。今までも俺に接した様に、ここへ来た者に対して、持ち前の友好的な態度で厚く労っていたに違いない。それはもちろん、生前のスカル自身の人柄かもしれないが、何より他人を気遣うことの出来る性格がそうさせているのだと思う。

 だからまだ知り合って間もない俺やキキョウに、優しくもお調子者っぽく、この世界についてを親切に教えてくれたに違いない。

「ウゥ……グスッ、サイカァ、サイカァ……」

 嗚咽を漏らす度、やはりカカカと鳴る音に、口元を緩ませて手を差し出す。

「俺達は必ず脱出する。力を貸してくれ、スカル!」

 手を掴み合った俺とスカルは、互いを見合わせ、そして笑った。


  3


「ダッテバヨー、行クナラヨー、上流カラノガ良イッテンダヨー。ウーイ♪」

 結託した俺達は、作戦を考案していた。スカルの出した上流から横流しになりながらも地道に進む案。俺の、イカダを補強してより一掻きを大きく出来るオールを探すべき、という案。他にもイカダを泳いで踏破するなんて馬鹿げた案も出たりはしたが、それは鉄拳の元に終わった。

「ところでスカルや他の人はどうやって【三途の川】を渡ろうとしたんだ?」

 肝心なことを聞き忘れていた事に今さらながらに気付く。そうだ、スカルや他の者はどのような方法を以ってこの激流に抗おうとしたのか。

 失敗の体験を参考にするのはあまりよろしくはないのだろうが、同じ轍を踏まない為の予防策と考えればいいだろう。

「俺ッチハ、イカダ二乗ッテ、マジ漕イデ、最後ハ意地ノバタフラ~イ。イエァ~♪」

「聞いた俺が馬鹿だったな」

『そのようですね、この骸骨を埋めることを許可します』

 しれっとした顏をスカルに向ける。どこに濁流をバタフライで泳ぎ切ろう、などと考える馬鹿が居ようものか。そんなヤツに知恵を授けるくらいなら、俺に全部振り分けてくれ。

 呆然とする俺とキキョウだったが、阿呆な者はどうやらスカル以外にも居たらしい。

「他ノ奴ラ、クロール二背泳ギイヌカキ渋柿、何デモシタケド皆シッパ、アーイ♪」

「殴っていいか?」

『許可します』

 いつになく右拳が顏を殴りたくてしょうがない。我慢の捌け口も見つからず、最終的にスカルの頭蓋へと拳を次々と叩き込み、苛立ちを発散する。すると自然と苛立ちは失せ、とてもすっきりと晴れやかな気持ちになっていく。

「マ、マイブラザー……イテェヨォ」

 頭を気遣いながら、いつもの独特口調で話をするスカルに「痛くないだろ」と言うと、条件反射の如く「ア~イ♪」と発する。それがとても腹立たしくて、しかし憎めない。

 ――そうだ。何か不思議に思っていたが、そういう事だったのか。

 自問自答で自己完結をする。この憎めない感じや明るさの中に影を隠すあたり、友好的でお調子者な所まで、俺はずっと既視感に似た感覚を抱いていた。

 ――スカルは、カルディオに似ているんだ。

 喧嘩別れをした親友に、似ているのだ。ふとその顏を思い出し、胸に訪れ去来する想いに一礼する。親友の笑顔が弱りかけた俺の心に、再び力を与えてくれたのだった。

「さて、キキョウは何か案はないか?」

『濁流を凍らせる。もしくは激流の上を歩く。あるいは三途の川を飛び越える』

 半眼で思いきり軽蔑の視線を向ける。というより馴染み過ぎたせいか、完全に忘れていた。キキョウは魂のみの存在だったということに。

「そんなことが出来るなら最初から申し出て――」

『えもえもいです。私はあなたの道具でもなければ操り人形でもありません』

 ツンとした態度でそっぽを向く。機嫌を損ねる発言はしていなかったのだが……。

 しかしこの手のキキョウの扱いには少し手馴れてきた気がする。こういう気取った態度をする時は、逆に引いてやると、案外自分から力を誇示しようと協力的になってくれたりするのだ。

「そうか、ならしょうがないな。まあ、自力で成し得ない事には意味もないし、ましてや幼い女の子に力を借りるなんて男じゃないよな」

 どこか儚さを匂わせて背を向ける。それから沈黙の間があり、キキョウが服の袖を引っ張ってきた。

『サ、サイカ・エクリプス』

「どうしたキキョウ?」

 取って付けた応答。それもやはり抑揚を抑え、明らかに沈み込んでいる様を見せる。

『心写』によって心を読まれないか心配だったが、チラりと一瞥すると、眉をハの字に作り変え、キキョウは観念したように「わかりました」と返事を一つ返した。

『で、ですがその……わ、私が嫌だと言うのには、理由があります!』

「理由? というと、やっぱり力を使う際のリスクとかか?」

 辛くも了を示してくれたキキョウだが、その胸中には若干の葛藤が残るようだ。

 口をつぐみ、小さく「ぐぬぬ」と唸り声を上げると、やけっぱちに言い放った。

『力を使うと裸になるのです!』

 顏を真っ赤にしながら『これだけは言いたくなかった』といった苦心を浮かべ、少しずつ顏を俯かせていく。どうやら女の子にとっては最大の悩みと言えよう。

 唖然とする俺の隣で、スカルは逆に大興奮している。

「ヨウジョノ裸体二マジ興奮、ソンナ俺ハ、マジスカル。チラット見テェ、スグ成仏スルゼ、嬢チャン少シダケ拝マセテ、フィ~♪」

 しきりにカカカと骨身を鳴らす。女性の敵と取れる発言を惜しげもなく言葉にする。

 カルディオと性格的な面で明らかに違う点を挙げるとすれば、間違いなくこの変態紳士な所だろう。おかげでキキョウも胸元を抑えて悲鳴を上げている。

 それからかなりの時間を要した。

 どうやら俺の頭の上は特に居心地が良いのか肩車をせがんでくる。ようやく落ち着いたキキョウは、浅い呼吸を何度か繰り返し、そしてゆっくりと事の真意を語り出した。

『『奇跡』というのは、己の生命力・事象を歪ませる対象物・因果関係を破壊するという三つの要素から成り立ちます。 ……例を上げましょう。そうですね、先ほど申し上げた『濁流を凍らせる』という例えで説明します』

 まるで教諭にでもなった気分で自慢気に語り出した。自らの力を力説するあたり、とても敬われる事や頼られる事に喜びを感じているらしい。

 ――初めて会った時は随分と固い鉄仮面だったのにな。

 それは俺も同じか、などと感傷的な思いに駆られキキョウの講義が始まった。

『初めに事象を歪ませる対象物としてですが、この場合は『濁流』を指します。次に対象物となる物の因果関係を破壊するという点ですが、まず『濁流』が凍る為には、氷結・凍結が必要となります。その為には低温――氷点下を生み出す必要がありますね。しかしここで発揮する因果関係の破壊により、その必要がなくなります。これこそ俗に皆が呼称する『奇跡』というものですね。最後に己の生命力ですが……』

 小さく息を吐き、小さく頷く。小さな少女の小さな動き。

『もしも因果関係の破壊を行った際、そこに他の生命が存在していたなら、その者の生命力に干渉し自らの肉体は保たれ、存在していなければ使用者の生命は、外界へと流れ出すのです』

 とても難しい話になってきた。というより、規模が大きい上に出来る事の範囲が広すぎるのだろう。それに伴うリスクがまだ不鮮明に見える。

『スカル、【三途の川】に生命はいますか?』

 突然の乱雑な物言いに、スカルが狼狽し「イネェゼヨ~♪」と意気揚々に応えた。すると、蔑んだ瞳を向けて舌打ちを一つ、再び講義を開始する。

『そうです。この【三途の川】には生命がいません。もしこの川に生命が一つでもあれば、私が凍らせた際、私の生命力は事切れるなく今の状態を保つことが出来ます。しかし、この川に生命が存在しない事により『奇跡』のリスクで、逆に私の生命力が外へと流れ出てしまう。そうなると生命力で作った私のこの服は……その、消えてしまうのです……』

 はあ、と微かに聞こえる溜め息を吐き、座り込む。そんなキキョウにとっては喋るという行為、それ自体が生命力の放出に見えるのだが。

 ともあれ、これで合点がいく。なぜ最初からキキョウが姿を見せなかったのか。

 ――そりゃ、時を止める際に生命力が足りず、裸になったら姿を見せるはずがないな。

〈オルテア〉での事だ。おそらく事象を歪ませる対象物の数が多すぎて、対象物のない所まで広範囲に掛けてしまった。結果、生命力の維持と放出が一気に行われ素っ裸になった。

そんな所だろう。

「だが、そういうことなら問題ない」

『何故です? もしかしてあなたも私の裸を見たいのですか?』

 ――頭の上で叫ぶな。そして髪の毛を掻きむしるな。

 頭上でやりたい放題を行うキキョウに対し、俺は確信めいた一言を放った。

「俺は子供の裸で動じたりはしない。もしそうしたいなら自ら頼むさ」

 欲情。それは人としての終わりを意味すると、自負しているのだ。人には理性がある。

 理性とは衝動を抑え込み、自らを律するための枷。もしそれを肉欲の為に外すというのであれば、それは繁殖期を迎えた獣と何ら変わらない。

 生命の誕生に必要な行為であるのは分かっている。しかし、それは一つの神秘であり決して汚してはいけない行為であると、俺の中で確立しているものでもあった。

 そういう思いを込めて言ったのだが、

『最低です! えもえもです! えろえろですううう!』

 脳天を打つ小さな拳。不意の一撃に足元がふらつく。どうやらとんだ勘違いをされているらしい。何とか誤解を解かなければ。

 揺らいだ足に何とか力を伝える。キキョウに少し落ち着けという前に、受け入れ態勢も整っていない俺の脳天へ新たに二撃目が落とされた。

 

 

 ――っう、俺は一体……。

 記憶の途絶えた俺は、黒い雲がひしめく空を見上げていた。積乱雲にも似たモヤモヤの雲達は、遠く遥か果てまでも続いている。

『サイカ・エクリプス。いつまで寝ているのです。いい加減起きたらどうですか?』

 すっ、とその空が影によって遮られた。そしてほのかに伝わる後頭部の温かみ。

『私の膝の居心地はどうですか? サイカ・エクリプス』

 ――そうか、どうやらあの後に倒れたのか。

 記憶が甦る。覆い覗き込むキキョウに向け、皮肉めいた言葉で卑しくも返答をした。

「拳よりも良いな、うん。悪くない」

『随分と上から目線な発言ですね。まあ、及第点です』

 むっくりと上体を起こした俺を、後ろから支えるキキョウは、少し申し訳なさそうに俺の背中に手を当てた。

「あまり気にするな。アレは誤解を生む言い方をした俺が悪かった、すまない」

 ポンポンとキキョウの頭に手を置き、赤子をあやすように諭す。

 それでもまだ気に入らないのか、キキョウはふくれっ面で目線を流した。

「オーウ、マイブラザー、ヒサシブリダゼイエァー♪」

「ああ、一刻を争うのに悪かったなスカル」

 奇抜さ溢れる骸骨踊りと饒舌さ。それ等が滑稽なだけに自然と活気が湧いてくる。

「作戦を一から考え直そう。時間は無いが、不可能じゃないはずだ」

 スカルが同調する。刹那、俺の言葉を打ち消すようにキキョウの声が周囲を張った。

『やります!』

 唐突な宣言に俺とスカル、両者は疑問を隠しきれない。

 だがその一方で、キキョウの瞳は薄く充血し、女性最大の葛藤の末にようやく踏ん切りがついた。と言った表情を見せている。

『だから、力を使います! ……と、申しています』

 頬を赤らめ緊張の汗を滲ませている。それでも力強く言う姿勢から、どうやら本気で『奇跡』を行使してくれるようだ。

「でも、大丈夫なのか?」

『馬鹿にしないで下さい。み、見られて恥ずかしい所なんて、私にはありませんから!』

 半ばヤケクソといった感じだ。とはいえ、縋らせてもらうのが一番の有効手段ではある。

 無理に男らしくあるよりも、貸してもらえる力は借りるべきだ。

「悪いな、キキョウ……本当にすまない」

 深々と頭を下げ、精一杯の気持ちを込める。そんな俺の額に、キキョウは人差し指を突き立てて毅然とした態度で言った。

『しつこくどいです。えもえもいです。私は別にあなたに感謝されるべき事はしていませんし、私もあなたに感謝は述べません。何故なら私達は一蓮托生。目的を同じくする仲間なのですから』

 その言葉を受け、気付かされた。なんて俺は愚かなのか、と。

 俺はキキョウという者を、どこか神格化された半神半人として見ていたのかもしれない。

 仮にそうだったとしても、決して『仲間』としてではなく守護霊か御神体として勝手に認識していたのだと思う。

 ――仲間か、そうだな。常に共に居て、苦楽を共にする。

 それを仲間と言わずして、一体何と呼ぼうか。その答えに行き着いた俺は、一瞬の笑みを見せ、高らかに宣言した。

「よし! 今ここに【三途の川】攻略作戦を開始する!」


  4


 荒れる濁流はゴウゴウと狂音を立て、左から右へ、時に右から左へ、不規則に波打ち暴れている。そんな川を前に、俺とキキョウとスカルの三人は立っていた。

「ここを渡れば俺達は帰れる」

『そうですね。こんな気持ち悪くて、居心地最低な、劣悪境地は即刻脱すべきです』

「オウ嬢チャン、ソレハイクラナンデモヨー、俺向キ言ウウベキ言葉ジャネーヨ。アーイ♪」

 視線をスカルに向けて言うあたり、言葉の中に明らかな毒を感じる。

 何はともあれ若干の衝突を重ね、ようやく俺達はここまで来たのだ。それ自体は称賛に値するだろう。

 ――後はここからが真の勝負。文字通り生死を賭けた戦いだ。

「それじゃあ頼むぞ、キキョウ」

『承知しました』

 キキョウが瞳を閉じ、胸の前で両手を重ねると『奇跡』の祝詞を唱え始めた。

 思えば『奇跡』を体感することはあっても、その発動する瞬間というのを実際に見たことはない。

 貴重な体験に緊迫した中ではあるが、期待と緊張が胸を膨らませる。

『濁流。因果を破壊し我らが奇跡、現象超常を超越せし、その全てよ凍り逝け。我、キキョウが名の元に元来せよ――【(とう)(ひょう)】』

 それはまさに『奇跡』だった。キキョウの足元に円を描くように、万象の古代文字らしき模様が出現し、ゆっくりと取り囲む。奇怪な文字ではあるが、不思議と引き込まれる。

 祝詞を読み終えたキキョウが、濁流へ向けて力を解放する。

 刹那――濁流全体に霜が降り、少しずつ凝結したシャーベット状の氷塊を形成し始める。

 やがて無数に形成されていく氷塊達は、互いがぶつかり合う度、結合し新たな巨塊へと

変わり果てていく。

 その繰り返しの末、気が付けば視界には途方もない氷の大地が誕生していたのだった。

「す、凄い……」

「ジョウチャン、ジョウダン、ファンタスティック……」

 天災なんて比にならない。これが本当に人の成せる技であるならば、いつかは俺も出来るのだろうか。などと、無い物ねだりとは言わないが少しばかり憧れる。

『当然です。えもえもです。では参りましょう』

 イカダにちょこんと座ったキキョウが、早く押せとせがんでくる。

 当人の凄まじい『奇跡』を前に、呆気に取られていた俺達は、慌てて持ち場についた。

 キキョウの創り上げた氷の大地を、俺とスカルが後ろから押して踏破する、というこの作戦。初めはどうなる事かと思ったが、案外すんなりいきそうだ。

『あ、もう反動が来ました』

 後ろからズリズリと押し進める最中、イカダに座るキキョウが妙なことを言った。

「反動? なんだそ――ごっは!」

「アーン? ドウシタブラジャ――ハヌァッ!」

 二人同時に顔面へと蹴りが飛んできた。

 当然俺とスカルは回避出来るはずもなく、結果押す勢いに、反対からの蹴りの威力が加算され、とんでもない破壊力を生み出す蹴りとなる。

 全身で氷の上を滑って二、三メートル吹っ飛ばされた。

 ――ただ顏を上げただけなのになんて理不尽な……。

 この世の不条理・理不尽に対して不満を抱く、という表現が正しいのなら、きっとこの感覚こそそれに近いものだろう。

 子供に対して怒りを向けてはいけない。ユーナ教諭はいつぞやの講義でそう言っていたが、それは大きな間違いだ。子供であるから何でも許される。その考えこそが破綻に繋がり、やがては人類の間違った成長へと及ぶ原因なのだと、俺は思う。

 間違った事は正さねばなるまい。清濁の境界をきっぱり線引きし、キキョウに向かって立ち上がる。仲間であるからこそ、間違いを正せるものだ、その一心で。

 しかし、その考えが全て砕かれた――――刹那のままに。

『みみみ見るなですううう! この変態覗き幼女愛好家!』

 世間で白い目を向けられそうな醜悪な名前で呼ばれてしまった。だが、その事さえ茶渋並みにどうでもいい出来事に変わっていく。

 何を隠そう――いや隠すべき所を全部隠せていないのだが――そこには幼女の裸体があった。

「み、見事なお体で」

 我慢の限界。顏を真っ赤にしたキキョウは、力なくへたり込み、ついには涙を伝わせた。

 白く穢れを知らない純真無垢で未成熟な体型。特に魅力はこれといって無いのだが、その幼さの残る体型故、余計に見てはいけないモノを見た気がしてしょうがない。

『もうお嫁にいけないです……ふええええん』

 そもそも現実では【想石】の中なのだがら、嫁も独身も関係ないのではないか。という無粋な質問が、溜め息に混じり沸々と湧いてくるが、それさえも【心写】で見られる前に即刻唾棄する。

 こんな時に掛けてやる言葉一つ見つからない。そんな己の軽薄さに自己嫌悪しつつキキョウの頭をそっと撫でてやる。それから着ていた服を脱いで、そっと泣き崩れる幼顔の上に無造作に被せた。

「悪いな。こんな時、掛けてやれる言葉を俺は知らない。だが、着たければ……着てくれ。少なくとも無いよりはマシだろう」

 俺から受け取った服を両手に握り、しばし固まったまま動かない。やはり精神的に来るものはあるのだろう、そうなるとやはり今後より今が気になってしまう。

『大丈夫です……私は生涯独身で生きる身。穢れ知らずの処女巫女として頑張っていきますので、どうぞ、いえ、どうか、先ほど見た粗末な裸体をお忘れ下さい』

 抑揚が完全に消えている。もう半分自暴自棄になりかけているのではなかろうか。そんな心配をひっくるめ、今自分に出来る事を模索した。

 その時、一つの愚策が降りてきた。しかし、なぜその答えが俺の元に降りたかは分からない。少なからず分かる事、それはこの時の俺には対処法がなかったという事。

 故にこの愚策と呼べるものに、否応なく縋る他無かったのだ。

「それなら俺がキキョウをもらおう」

 まさに愚策。考えてみれば嫁に貰い手が居なければ、俺が貰えば済む話じゃないのか。

 その極論に至った答は、名案だと満足しながら自己完結する。

『ぬぇ、な、ちょっ……そんな、え、いきなり言われましても――』

「大丈夫だ、問題ない。だからそんなに悲観なんてするな。キキョウ、お前は十分綺麗だ」

 狼狽するキキョウに是非を言わせない。気落ちしているのであれば、無理矢理にでも奮い立たせる。それが今の俺に出来る最大限の努力である。

『は、はあ、わかりました。あ、ありがとうございます』

 素っ頓狂な面でパチパチと瞬きを繰り返す。赤く充血した瞳と泣き腫らした瞼が、どれだけの恥ずかしさだったかを物語る。やはり口では『やれる』と言っても実際は耐え難いものだろう。その後、少女の心に深い傷を付けてしまったことに対し、深く謝罪した。

「よし、感傷に浸るのは後だ。時間が惜しい、行こう」

 俺の指示でキキョウに持たせた服を着せ、再び全員が定位置につくと掛け声と共に前進

を再開。俺達は、遅れを取り戻すように加速を続けた。

 そうこうしていると、先に一粒の光点が見えてきた。

「あの光は一体何だ?」

 俺の声に、隣を支え、押し駆けるスカルが顏を上げた。

「アレハチガイナイ、マチガイナイ、俺ラノゴールガ見エテキタ。フ~イィ♪」

 ゴール。つまりは生きる者の世界へと繋がる生還トンネルか。

「ようやくか、一気に行くぞスカル!」

「ガッテン、ショウチノスケ、スケベエ♪」

 ゴールが見えた。たったそれだけのことで活力が沸いてくる。やはり目標が可視化されているのと、いないのとでは一目瞭然だ。終わりの見えないゴールを追うより、終わりの見えているゴールを目指す方が、幾分現実味があるし何より漲る集中力が違う。

『良いペースです。これならそう時間は掛から……』

 ゼエゼエと息が上がる俺とスカルが一気に全身に力を通わせ、渾身の力で推し進める。

その傍らで、キキョウは何かを言い掛け、そして止めた。言い掛けた言葉は、恐らくこうだろう――『これならそう時間は掛からない』。

 しかしその言葉が途切れた。つまり、キキョウの言葉を失うほどの何か大きな事象が働いたことになる。

 咄嗟の想像に駆られた俺がキキョウを見る――そこには何も変わる事のない、先と変わりなくしっかりとイカダに座る少女がいた。

――ん、俺が聞き落しただけか?

『そんな事、あるはずないです……』

 小さくボソりと呟いたキキョウは、周囲をキョロキョロと見渡し始めた。その表情には恐怖に精神を侵食され、悪夢を見ている子供のようだ。

「キ、キキョウ。何かあっ――」

 異変の元。キキョウが取り乱すその原因を聞こうとした矢先、俺もようやく気付いた。

『走って下さい、もっと早く!』

 ――そうだ、もうゴールは見えているんだ。手を伸ばせば帰れる。そんな距離に。

 キキョウの焦りの原因を理解した俺に、まだ理解の出来ていないスカルが尋ねてくる。

「ヨウサイカ、ドウシタンダヨウ、俺達ャスデ二勝ッタモ同然、圧勝、楽勝、参考書、アーイ♪」

 この最悪な想定外において、その陽気に居られる余裕が羨ましい。焦る意図が分からないのだから無理もないが。だが俺の頭の中は、余裕は愚か、一切の思考さえ働かなくなっていた。

『逃げる』『走る』『渡りきる』それだけが全身に信号を促し、駆け巡っていたのだ。

 そんな俺の態度に、スカルもどこか異変を感じ始める。

 その時、キキョウが声を上げた――それと同時、氷の大地を形成していた『奇跡』の一つ【凍氷】がバキバキと盛大な音を鳴らし、崩壊し出したのだった。

『急いで下さい! 想定外の事態です!』

 それは一瞬の出来事。光点はかなり大きく、あと少しで届く距離なのに。

 氷の大地が再び濁流へと、俺達の想いを押し流していく、絶望の激流へと姿を戻した。

 どうする事も出来ぬ試練。まさかこの様な事態が待ち受けていようとは。イカダに身を移した俺とスカル、そして自らの奇跡が破られたキキョウ。三人の言葉が失われる。

 キキョウに関して言えば、己の奇跡が打ち砕かれた事への敗北感が大きいだろう。

「あと少し、あと少しなのに……くそっ!」

 ミシミシと軋み音を立てるイカダの骨組みに拳を落とす。目に映るのは徐々に遠ざかっていく光点――もとい生還への扉。

 想いが少しずつ薄らいでいき、俺の腕も足も、次第に動かなくなっていく。

 ――皆、すまない。どうやら俺は約束を果たせそうにない。

 荒波がイカダを襲う度、抵抗という二文字を削ぎ落とす。戦意という二文字を抉り取る。

 それに比例して生への渇望、願望は次第に弱まっていった。

 どうすることも出来ない自然の強大さに、俺達は受け入れるしか出来なくなっていく。

「皆、悪い。俺のせいで、俺が求めたばかりに巻き込んで……もうあきら――っぶ!」

『諦めよう』その一言を言おうとした瞬間、俺の顔面を骨の拳が激しく叩いた。

 突然の一撃は俺の体をイカダの端まで押し飛ばし、髪を濁流に着水させる。意識を失いかけた俺の首元を、冷たく固い骨の指がグイッと握り寄せた。

「ヨウヨウ、笑エネエヨウ。全ッ然、笑エネエッテンダヨウ!」

 豪胆な唸り声を上げたスカルは、なんと笑っていた。

 この状況下で、最大最高の作戦が失敗したこの状況下で。一人、笑っていた。

「オイオイ、マイブラザー。コンナ程度デ『諦メル』ナンテ言ワネエヨナァ、言ワセネエヨゼソンナ事! テメエ俺二言ッタナ。『俺ニハ何モナイガ、ダカラコソ生キテ返ッテ、アリガトウッテ言ウ!』ッテヨ。ナラ、簡単二諦メンジャネエヨ!」

 鼓動が伝わる。それは肉体無きはずの骸骨から。その言葉の奥に眠る言葉、スカルは俺に伝えようとしている。いや、思い出させようとしている、と言った方が正しいのか。

「時間ナンテ関係ネエ、死ンダ骨身ガ覚エテル。俺ヲ殴ッタソノ拳、諦メテイタ心二、モウ一度火ヲ付ケタソノ気持チ。俺ハ他ノ誰デモネエ。オメエダッタカラ、奮イ立ッタンダゼ? ブラザーサイカ」

 カカカと鳴らす骨顎が滑稽な、しかし軽快な調子で鳴り立てる。

「諦メルッテノハ、死ヌホド楽ダガ、死ヌホド辛エ。ソレハ誰ヨリ俺ガ知ッテイル」

「し、しかし……」

「シカシモ、誰シモ、ヘッタクレネエッテンダヨ! 俺ハコノ【ヘルヘブン】ノ案内骸骨スカル様ダゼ、ヒャッハァ!」

 勇ましく立ち上がった姿。その背中はとても白く、とても大きい。

「ヨウ、嬢チャン。マダ負ケタ、ナンテ思ッチャイネエヨナ?」

 挑発的に試す発言をしたスカルは、キキョウの前で屈んでそう言った。

「リベンジ、チャレンジ、シヨウゼ、イッチョ♪」

 キキョウに促した言葉は、俺もキキョウも驚愕するに足る一言だった。

 ――な、何を言っている……この状況下でそんな事、『奇跡』の反動でキキョウはしばらく力を使えないはずだ。

 しかし、俺の憶測を飛び越え、骸骨が自身の胸骨に親指骨の先端を突き立てた。

 その顏は、やはり笑っている。

『む、無理です……私にはもう力が、反動に耐え抜くだけの力がありません』

「そうだ、それに無理にでも『奇跡』を行使すれば何が起こるか分かったもんじゃない!」

 俺とキキョウの反論に、それでも耳を傾けない。スカルには何か策でもあるのだろうか。しかしこの状況で何をしようにもそれだけの余裕、それ自体がない。

 波打ち揺れる不安定な足場において立っている事、それだけでもかなりのものだ。

 思案する暇もなくイカダにしがみつく俺とキキョウに、スカルが自信と確信を持って現状の打開策を明かした。

「反動ガ無ケリャ、大丈夫。俺ハソウ信ジテイルゼ。マイシスター。――――俺ノ魂ヲ持ッテ行キナ!」

 だが、それは打開策とは言わない。自己犠牲を前提にした作戦であった。

「何を考えている! そもそもスカルは死んで――」

 言い掛けた所で、説明を受けていた際のスカルの言葉を思い出した。

『死ヌコトモ許サレネエ運命』――そしてこの【三途の川】を渡れずに失敗した末路として、骸骨となって永遠に【ヘルヘブン】の住人となる。確かにそう言っていたのだ。

「ビビット来タカイ、マイブラザー。ソウサ俺ハ肉体トシテハ死ンデハイルガ、魂ダケハココニアル。ダカラ嬢チャンノ言ウ、生命ノ存在ッテヤツニ分類サレテモ可笑シクネエ♪」

「ダメだ! たとえそうだったとしても、お前も戻ってもう一度大切な人を守るんだろ!」

 胸に熱いものが込み上げる。そんな事は決してしてはいけない。その一心で、俺はスカルを説得し続けた。

「お前はどんなに嫌われても、蔑まれても、諦めるのを諦めたんじゃないのか!」

「アア、ソレナンダケドヨウ、勘違ィシテルゼ。マイブラザー。俺ハ、タダオメエ達ヲ向コウ岸マデ送リ届ケル。ソノ約束ヲ果タソウトシテイル。ソレダケダ」

 嘘を吐いている事は分かっている。もう何を言ってもスカルの意志が揺らぐことはない。

 己を犠牲にする覚悟だという事は、俺もキキョウも悟っていた。

 それでも、諦めたくはなかった。

 話した数は少なくとも、共に過ごした時間は少なくとも、俺に気付かせ教えてくれた事は限りなく多く、また共に生き返ろうと固く握り合った右手が、その冷たくも温かい感触を覚えているから。

「マイブラザー。マイシスター。一ツダケ頼ミヲ聞イテクレルカ?」

「ふざけるな、そんなの生き返った後で幾らでも聞いてやる」

 堪えろ。受け入れてしまったら、きっと俺は俺を恨む。

「生前俺ハ〈ダイレス〉ッテ所ノ産マレデネ、愛シタ妻モソコデ暮ラシテイルンダガ」

「知るか……そんなの」

 だから、分かったとだけは言ってはいけない。

「名ヲ、オーレリア。ッテ言ウンダ。俺ノ喋リヲ、イツモ笑ッテ聞イテクレタ。トテモ素敵ナ女性ナンダガ……モシモ会エタナラ、コウ言ッテクレ」

 俺が見つめる先のスカルが、青白い光に包まれ始めた。

 察したようにキキョウへと振り向くと、やはり震える足で立ち上がり、何とか堪えながら『奇跡』の祝詞を唱える構えをしていた。

「何してるんだ、キキョウ!」

 俺の声に、キキョウは耳を貸さない。

 だがその瞳からは、溢れ、頬を伝う止めどない煌めきが存在するのを確認した。

 辛苦の想いを抱いているのはキキョウも同じなのだ。嫌だ嫌だと言っていても、心の中では不安を吹き飛ばす程、厚く構ってくれた事は嬉しかったに違いない。

「永久二愛シテイル、ト」

「ふざけんなよ、スカル!」

 蒼白い光がやがてスカルの胸に収束していく。

『濁流。因果を破壊し我らが奇跡、現象超常を超越せし、その全てよ凍り逝け。我、キキョウが名の元に想いを重ね、元来せよ――【凍氷】』

 再度キキョウの祝詞が終わる。先程とは違い、今度は光点の方角へと指を向けた。

 霜が降り、次第に氷塊を形成していく。そして濁流にスカルが飛び込んだ。氷塊がぶつかり合う中、骸骨もその渦中へと引き込まれていく。

「ヨウ、俺ッチコノ世ノ案内人♪ 出会ッタヤツ皆キノイイ奴、マイブラザーマイシスター。マダマダイルゼイカシタ仲間♪ 永遠語ロウ、語リ継ゴウ、愛スル者ノ名ハ、オーレリア♪」

 体に氷塊がぶつかる度に、その箇所が凍りついていく。

 そして同じ箇所に氷塊が当たると、今度は骨身が砕けていく。いくら頑丈な骨といえど、それ以上の密度ある塊にぶつかっては崩れ負けてしまう。

 その無惨に砕けていく姿を見るのが辛くて、痛くて、それでも現実は受け入れるしかない。受け入れたくなくても、受け入れることでスカルの命を活かせるのであれば、そうする他ない。そんな葛藤が俺の瞳に涙をもたらした。

 気取りなく、ありのままので――。

 最期まで笑うスカルの生涯は、そんな触れた者全てに向けた、彼らしい「アーイ♪」という一言によって幕を閉じた。



『サイカ・エクリプス。あの方はとても良い方でした。嫌悪感を抱く半面、不思議と心の中で笑ってしまう自分がいる。それを認めたくなくて、意地を張った態度ばかりを取っていたことに、少し後悔をしています』

 再び築かれた氷の大地の上を、一人懸命にイカダを押していた。一人で押すイカダがこんなにも重いとは思わなかった。この世界でどれだけスカルという骸骨に助けられていたか、今になって痛感する。

 イカダに座り込むキキョウは、誰に向けるでもなく独り言を呟いていた。

 光点はすでに巨大な発光体となり、太陽みたく果てしない大きさへと成長していた。

 ――もうすぐだ、俺はスカルの分の想いを、背負って進まなければいけない!

 体が熱を帯び、徐々に蒸気立っていく。そんな俺の胸の内には、触れ合った数多くの者、想いを託された者達の顔が脳裏に去来していた。

 カルディオ、フレア、ユーナ、ダレン、ヴェルナ、エレオノーラ、キキョウ、スカル。

順々に巡る者達への想いが、やがて魂を焼け焦がす衝動に俺を駆り立てる。

 そして俺達は【ヘルヘブン】を脱したのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ