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ジョイ・ガーデン  作者: 空渡 海駆
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始まり

始まり

「北の〈アルテムフォレスト〉西の〈ルーテ山脈〉南東の〈(はく)耀(よう)(かい)〉沿いには、様々な種族間協定が結ばれています。例えば、エルフ族と人間の間では、森林内での乱獲による種族間抗争を避ける為、森で瀕死の状態となった生き物のみ獲ることを協定内で許可されております」

 人の暮らす安息の国〈オルテア〉。そこの木造の学び舎【ガッコウ】で、種族間協定の講義を行う女教師ユーナ・ミスティは声を大にして言った。

「あの気高くも厳格なエルフ族が、森の番人にして絶対の防人(さきもり)が、私達に生命の提供をしてくれるという事は、自らの血肉を分け与えるのも同じ。私達は、エルフ族に感謝と敬意を以って関わっていかなければいけないのです!」

 他種族の事で我が身同様に熱くなれるのは彼女の長所であり、逆に熱くなり過ぎるという点は短所でもある。しかし流石に涙を浮かばせるのはどうかと思う。

 黒縁メガネにシックなナイフプリーツスカート、スラッと伸びた目尻と瞳なんかを一見すれば、クールビューティーな女性にしか見えない。が、実際は真逆でとても情熱的な熱い女性だという事に、初めこそ驚きはしたが……。

 話しに熱中し過ぎてロールアップした髪なんか、今や左右に忙しなくダンスしている。

 チャイムが鳴れば口癖の「もうこんな時間? これからが良いとこなのに!」ってのが始まるが――幸い、いや不幸か。まだ時間はたっぷりとある。

 億劫な欠伸を一つすると、右隣から二の腕を突かれた。

「サイ、ガッコウ終わったらどこ行くよ! 森か? 山か? それとも海か?」

 カルディオ・ブレイク。俺の周りをいつも付いて回る学友だ。【ガッコウ】に入った時から、薄栗色の長髪を骸骨ロゴの入ったバンダナで巻いているのがトレードマーク。

 あとは、共に『旅』にいく間柄でもあったりする。

「そうだな、今日は統治外協定外エリアの範囲に行ってみたい」

 昨日は山、一昨日は森。連日に渡り俺達は、種族間協定内の地を散策している。

 理由は単純だ。今まで俺達は人間のみが存在する統治内エリア以外の、私的活動の侵入許可が無かった。だが晴れて満十八歳を迎えた事で、統治外協定内エリアの侵入許可。

 即ち人間が統治していない地で、協定を結んでいる他種族の地の一定領域まで、侵入許可を得たのである。

 簡単な話が、他種族とも少しずつ『仲良くしろよ』という話だ。

 海の向こうには何があるのか、山や森の先には何があるのか、という疑問の先を知りたいのと同じく、俺も知りたいのだ。話でしか知らない、人間以外の存在を――。

 授業でも習った現在までの歴史。二〇〇年前まで人間は、この世界における最弱な生き物だったという事。それがある一組の男女によって、人間の立場が劇的に飛躍した事。

 その後、平和の為に結ばれた――今も学んでいる――種族間協定というのが誓約された事。その中に出てくる耳長のエルフ族や、巨躯を持つオーク族、徒党を組んで悪事を働くゴブリン族に、神の化身とも名高い霊獣ユニコーン。まだまだ教科書にも記されていない得体の知らない未知の生物達。

 ――俺は知りたい。この世界の不思議や未知、誰も経験したことのない世界を。

「おいおい、それ本気で言ってるのか?」

「本気さ。今まで散策してきた中で思ったんだ。もっともっと世界を知りたいってな」

「でもよぉ……。統治外協定外エリアって言いやぁ、完全に協定破りの即死刑だぜ?」

 確かにカルディオの言う通りだ。統治外協定外エリア。その字面の通り、人間の統治する範囲にあらず、種族間協定誓約の範囲外にあり。

 一歩間違えばユーナ教諭の言う所の、森の番人にでも背後から討ち殺されても文句は言えない不可侵領域である。

「知ってるさ、でも夢ってのは見るモノじゃなく叶えるモノだ」

 それでも俺の心を、猛烈な探究心と好奇心だけが突き動かしていたのかもしれない。

 だからこそ連日に渡り、種族間協定内エリアを散策したり、人外と呼ばれる人間以外の種族見たさ一つで足が動いたのだろう。なお、森に入ってもエルフや精霊とは、遭う事は出来なかったのだが。

 その瞬間こそ落胆はしたものの、好奇心を大きく刺激されたのは動かぬ事実だった。

 なぜならそこは新緑ひしめく自然の姿。ありのままの歴史を刻み続けた野太い大樹。虫や動物の鳴き声なんかが俺の耳を優しく撫で去っていく。なにより深き緑は生命の数を全身に感じさせた。そのどれもが初めてで、そのどれもが別世界。まるで異世界に来たと錯覚する程の興奮と期待を、あの森に抱いたのは変わらぬ事実だったから。

 それは山を登っても同じことだ。人外種族は現れずとも、高度が上がるに連れて薄くなっていく酸素が、息苦しさと同時に全身に語りかけてくるの――この苦しみの先に、味わった事の無い解放感と達成感が待っているぞ、と。

 そうやって果てに見た景色こそ、何物にも例え難い最高の絶景だった。今も脳裏にはその光景が鮮明に刻まれている。西の〈ルーテ山脈〉から見る真逆の南東を埋め尽くす〈(はく)耀(よう)(うみ)〉。 その一体を青々とさせた水平線からは、この世のものとは思えぬ不思議と神秘を垣間見た気がした。

 きっとその時から魅せられていたのだ――この世界に。

 しばらく考え込んでいるカルディオに「無理して来なくてもいいぞ」と言い掛けたところ、何かを振り切ったように当人が大きく頷いた。

「そうだな! やっぱ、男ってのはロマンに生きなきゃだよな!」

 どうやら要らぬお世話だったらしい。どちらにしろ一人でも行くつもりだったが……。

 カルディオという人間はとても態度が分かりやすい。愚直で一直線を貫き通す漢な面もあれば、時に危険を察知し、ストッパーとなってくれる一面もある。

 そういう風の如き気分屋な所こそ、カルディオらしさとも言えるのだが。

「ふふーん。それ、先生に言ってもいい?」

 聞き慣れた声がする。後ろを振り向くと宣言直後のカルディオの顏が一瞬で臭くなった。

 戸惑ったり、悩んだり、やる気になったり、嫌そうにしたり、カルディオという人間はとても忙しない奴だ。感情が態度に現れやすく、隠し事が全く出来ない。

 まさに人間的に考えれば、これ程感情が完成された者も少ないだろう。臭くなった顏のカルディオを尻目に、先ほど声を掛けてきた女声に応答する。

「ああ、フレアか」

 狙い澄ましたタイミングで俺達の話題に割って入ってきたのは、学友のフレアだった。

(べに)()色の髪を後ろの高い位置で結った――ポニーテールと呼ぶらしい――流行りの髪型。支給された制服のボタンを胸元まで外したり、腰にリボン等を付けて『着崩し』なる制服の誤った着方をしたり、カルディオも前に言っていたが、若者の間では制服をより『着崩す』事が注目を集めているらしい。

 歳は同じハズなのにその感性が理解出来ない俺は、果たして普通じゃないのか? と一時期は一抹の不安を抱えながら過ごしていたが、そんなある日「そういう所がサイ君の良さだよ」とフレアに言ってもらえたのを今でも覚えている。

 何時も明るく、時に気さくに、そんな彼女には日頃からお世話になっている為、カルディオがフレアを嫌悪する理由が、実の所あまり良く分からない。

「おっはよ~サイくん、あー、あとカルディオも」

「あとって、俺はついでかよ……」

 吹っ切れた威勢の良さも、男のロマン云々を語っていた情熱も、その全てが完全焼失したカルディオは、机に突っ伏し無気力人間へと成り果ててしまった。

「ところでお兄さん方、私の耳にはちゃ~んと聞こえてましたぜ?」

 詰る視線でこちらの顎元から見上げてくるフレアは、全て知っているという表情でグイグイと言い寄ってきた。

「ああ、それなら話が早いな。でも今回は悪い、フレアは来ちゃ駄目だ」

「うん、知ってるよ。だからこの話を交渉材料に使わせてもらおうと思ってね」

 そう言ってくるのは承知の上だと、俺の言葉にニコニコと笑顔で返す。

「もし二人だけで行くならこの話を先生に報告する。でも私も連れて行ってくれるなら、この話は秘密にする。さあ、どうする?」

「報告したければすればいい。どんな理由であれ、フレアを巻き込むわけにはいかないんだ。すまない」

「ふーん、それは私が女の子だから? カルディオは男で、私は女だからっていう紳士的な思考から来ている発言なのかな?」

 どうあっても一緒に行きたいフレア。どうあっても同行を認めない俺。互いの意見の着地点は決して交わる事はない。

 すると灰寸前となりかけていたカルディオから、思っても見ない発言が飛び出した。

「そんなに行きたいなら、少しくらい良いんじゃねえか?」

 嫌悪の表情すら浮かべていたカルディオが、一体どうしたというのか。

 理解に苦しむ状況の中、真意を訴える視線をカルディオに投げかける。すると半眼で腐りかけた無気力な瞳に潜ませた意図と、言葉の持つ裏に気付くまで、かなりの時を要した。

 その後、不自然な程の間を開けた俺は、不承不承に納得してみせる。

「…………ああ、そうだな。少しくらいならいいか」

 俺の同意を聞き、フレアが破顔した。

「本当? 本当に一緒に行ってもいいの?」

 あまりの嬉しさから、終始これから向かう森というのはどんな所か、エルフや妖精はいるのか、などと絶え間ない質問攻めが続くのだった。


 2

 

「秘境への大冒険はまた今度だな、相棒」

「ああそうだな、フレアの命には変えられないさ」

陽が頭の上まで昇る頃【ガッコウ】が終わり、俺とカルディオはこれから向かう森〈アルテムフォレスト〉への準備をしていた。フレアは「おやつ持ってくる!」と言い、駆け足で帰宅していったのだが――。

 そんな彼女を笑って見送った俺達は、待ち合わせの時間までに、解毒薬や松明なんかを用意するため、オルテア中央通りに立ち並ぶ商店へと足を運んでいた。

 賑やかに活気づいている街並みからは、二〇〇年前の苦しみなんかは到底想像出来ない。

 水揚げ直後の新鮮な魚に、色とりどりの栄養満点な果実。立地として森、海、山、これほどまでに完成された条件の土地に身を置く事が出来たという事は、まさに奇跡に近いだろう。近辺の他種族とも協定を結べたことで、尽力し防衛すべきは南西の未協定エリアからの他種族による進行のみ。そしてその進行も、人間が築き上げた【城壁】という超高層圧壁によって一切の侵入を阻止できているのが現状だ。

 だが〈オルテア〉の国境全域に【城壁】を築く資材も人材も無い。故に今ある人類は協定を結び、残った『危険地帯のみを護れば良い』という柔軟な発想が出来た古人に対して、敬意と感謝をしなければならない。

「にしても、良く分かったな。俺の考え」

「最初は驚いたさ、カルディオがフレアの同行を許可するもんだからな」

「しょうがねえだろ? あーでもしなきゃフレアのヤツ、聞き入れねえんだからよ」

「ああ、違いないな」

 談笑しながら歩いて回る。カルディオの言葉「少しくらいなら」という本当の真意は、統治内協定外エリアではなく、協定内エリアの事を差していた。よって「協定内エリアならいいんじゃねえか?」という暗喩を含んでの意味だ。

 路地を何度か曲がり、中央通りから少しずつ外れていくとやがて人に似た物が転がり朽ち果て、太陽の光も差し込まない路地裏までやってきた。

 目的はある店だ。俺達が初めて森に入ろうとした際、入り口で怪しいフードの男に呼び止められ、その事が切っ掛けで知った店、通称〈闇商(やみしょう)〉。

 目的の店の前に着くと、照明も備え付けられていない廃れたオンボロ店の前で足を止める。最初こそ訝し半面、萎縮しながらなんとか入っていたドア。しかし今となっては何度も通い慣れたおかげで、普通に叩いて入店出来るほど馴染みの常連二人組とまでなってしまった。

【ガッコウ】で学んだ〈闇商〉と呼ばれる店に当たるのが、当店【ルーザー】でもある。

 統治外協定内エリアの侵入許可が降りると同時に、ユーナ教諭からは関わってはいけない存在ときつく注意を促され――見つかり次第重い厳罰が下ると――釘を打たれた。

 しかし表沙汰では到底取引できない物騒な品や、裏ルートで押さえた極み物なんかが度々入荷する為、俺とカルディオにとっては数少ない目の潤い所となっている。

 いつも通り二回のノックを鳴らし、中へと入る。

「今日も懲りずに来たぜ!」

 店内は例えるなら廃業寸前のバー。お世辞にも店を構えている、と言える程の備品も完備されていない。実際、来店した人間が入る店を間違えたと勘違いし、出て行ったケースもあるのではないか……それほどの廃れ具合だ。

「おお、いらっしゃい。いつものお二人さんで」

「あら、今日も来てくれたの? 好きねえ」

 口元から顎全体までを髭で黒く覆った、初老半ばのワイルドな店主ダレン。翡翠色のロングヘアをかき揚げ煙草を咥え、歳を感じさせない容姿艶やかな女性ヴェルナ。

 二人が仲良くカウンターから俺達を出迎えた。

「ども! 二人も相変わらずお熱いことで!」

「んふふ、なあに? 嫉妬かしら、それならお姉さんが今度デートしてあげようか?」

 カルディオの軽口に愛想良く振り撒くヴェルナは、露出の高いファッションドレスでカウンター席に座ると、わざとらしく自慢の滑らかな美脚を組み直した。

 その仕草に興奮したのか、隣にいるカルディオの鼻の下がたちまち伸びていく。

 一緒にいるこっちが恥ずかしい。本音を喉の奥にしまい込み平然を保った俺は、ダレンが立つカウンターの向かい席にゆっくりと腰を下ろした。

「ここへ来たってことは、また旅に行くのか?」

『旅』というのは隠語であり、統治外協定内エリアの事を差す。それにはちゃんとした理由がある。まず好奇心旺盛な若者達にとって、国の外というのは未知であり、全てが未体験ゾーンとなる。という事はどんな危険が待っているか全く分からないのだ。協定が結ばれているのは、あくまでもそこに住んでいる種族の一定種族と、相互関係上で納得の行く交渉が出来たからに過ぎない。

 その上で当然人間の力じゃ敵わない生き物がいる場所。というのをある程度まで現住種族達に線引きしてもらい、そこより先を人間の立ち入り禁止エリア。通称、協定外エリアと呼称して設けている。故に協定などと謳ってはいるものの、人間の持つ知恵を交渉材料として、安全を確保する為やより資材調達を行いやすくする為、その程度に過ぎないのだ。

 したがって、親からしたら我が子がそんな危険地帯に向かうのを快くは思わないのは至極当然なのだ。だからこその生まれた隠語『旅』である。

「ああ、だけど今回は三人だ」

 三人。その俺の言葉にダレンとヴェルナ、両者揃って目元をピクリと動かした。

「お前らに加えてもう一人か、スキモノもいるもんだな」

「相っ当、男臭いんでしょうね。あーやだやだ」

 それぞれが言いたい放題。ヴェルナに関しては肩身をぶるぶる震わせて、背筋から嫌悪感を訴えてくる。そんな二人の中で構築されていく筋骨粒々でむさ苦しい男が――華奢な体つきの女の子、フレアだと知ったら……カルディオは腹を抱えずにはいられなかった。

「はっはっは! 性格だけなら否定はしねえ」

「そうだな。二人の期待を裏切って悪いが同行する一人ってのは女の子だ、名前はフレア」

「……マジか」

「うっそ、会いたい♪ どんな子なの?」

 今度はダレンとヴェルナの二分した。

 ダレンはどういう訳か冷え切った表情となり、持っていたグラスを落としそうになる。

 一方のヴェルナは不機嫌が一転、即座に上機嫌へと早変わり。想像に妄想を重ね、お花畑の思考になりかけている。

 ヴェルナに関して言えば、以前「酒と女は全部私のだ」と宣言し、数少ない飲食目的の客とイザコザを起こしていたので覚えはあったが、ダレンの表情については検討のしようもない。

 いずれにせよ、俺達二人に加えてもう一人が新たな『旅』に参加するのだ。

 勝手に人数を増やされれば、世話役のダレンからしても堪ったものではないだろう。

「んで、俺達の元に来たって事は、そのフレア嬢の旅支度をしてくれってことか?」

 溜め息混じり、かったるそうにダレンが結論を問いてくる。それに伴いまだ口を開いていないにも関わらず、ヴェルナが自ら挙手し、賛成の意志表示を全面に出してきた。  

 俺達の時とは正反対の反応だったが、それはそれで新鮮というものだ。

「そうだ、ぜひ頼みたい」

 俺の依頼に、店主の口がしばらく沈黙をもたらす。

 俺達をあの日送り出して以来、ダレンは新人の旅支度――もとい統治外協定内エリア散策の旅支度――というのを執拗に断っていると耳には入れていたが、頼る宛と言えば現在なら当店【ルーザー】が一番信用するに足り得るだろう。

 逆を言えば他に頼る事は決して出来ない。〈闇商〉の恐ろしさは、ここの店に来るまでに嫌と言う程教え込まされているのだ。

 国の中心に聳える城、そこから南の【城壁】に向かって真っすぐ伸びる中央通りの第一通り。同様に東の〈白耀海〉まで続く中央第二通り。真逆の西に位置する〈ルーテ山脈〉麓まで続く第三通り。ここまでは一般的に商業エリアと呼ばれ、表だって見られるのは血気盛んな商売人達と、消費者の顧客が大多数。 後は混雑を招致の上で、通路として利用する者くらいのものだ。

 次いで北の〈アルテムフォレスト〉へと続く中央第四通りと、各通りを繋ぎ複数存在する若干狭い接路。ここには行商人が日々売り場と値段を変えて転々と売って回る。

 その背景として、ここで売る者の多くが貧困スレスレの生活を送っているのだ。よって安定した収入は得られていない、と言うのが実態である。

 また商業人を除いた人間の稼ぎ所として、存在するのが大きく分けて三種類。

 まず最初に国騎士。主に〈オルテア〉領周辺の見張り役である。この国騎士というのも複数隊あり、数列が少なくなればなる程、高位の国騎士となる。智より武に優れた者が慣れる花形職として、また小さい子供の憧れとして国の誇りとされている。

 次に、森・海・山での商業者の仕入れを請け負う農林水産業である。ここに従事する者・ここに属する者達は、まず安定していると言っても良いだろう。かと言って命の保証がされている訳でもないが……。

 それはもちろん協定内エリアと言えど森や海に入る以上、人間以上の脅威と遭遇するリスクが無いわけでもなく、毎年それで数人は命を落としているからだ。

 最後に、全てを失った者。商業運にも武運にも見放された者達の行き着く果て、それが【闇商の取引先】と呼ばれる命稼業だ。まず〈闇商〉には専属の取引先というのが複数存在する。そのどれもが危険極まるハイリスクハイリターンの仕事ばかり、何にせよ請け負う事に変わりないが。

 命を落とす者や、目の前で仲間が殺される瞬間を見る者なんかざらにいる。そしてその仕事で得た対価こそ、よく俺が目にする珍しい品の数々ではあるのだ……。

 しかし精神を擦り減らし、挑み続けるというのはあまりにも過酷だ。なぜならその向かう現場というのが【城壁】の外、未協定エリア。別名【秘境】と呼ばれる未知の絶対領域なのだ。

 協定を結んでいる種族が立ち入りを禁止を掲げている統治内協定外エリアとは違う、文字通り神秘の世界。そこに体一つで挑んでいくのだから無理もない。

 対峙した生物が毒持ちかどうか、攻撃の方法はどんなものか、時には情報一つ引き出せずに凄絶な最期を迎える事になるかもしれない。

 それでも彼らは【闇商の取引先】として、仕事を全うするしか生き続ける道はない。

 そしてその精魂尽き果てた成れの果てという者こそ、ここに来るまでに見た『人に似た物が転がり朽ち果てた』姿なのだ。

 ここが俺の言う『恐ろしさ』であり、『嫌と言う程教え込まされる』という点である。

 片腕を失った者や失明した者。いずれも皆、治療も出来ぬ貧しさと、治そうにも手の施しようがないダメージで呻く事すら、生きることさえ苦しさを感じる。

 それでもその暗き日々を抜け出すことは出来ないのだ。

 ダレンの様な理解ある人間は〈闇商〉の中でも本当に極少数で、〈闇商〉業界に身を置く者の多くは、実際そんなに優しくない。聞く所によると手の平返しが酷いらしい。

 ダレンから聞いた話だが〈闇商〉の取り扱う商品を買った者の多くは、純利益とは別に〈闇値〉と呼ばれる商品に対する根拠のない付加価値を付けられるらしい。

 その闇値なるものを事前に伝えず契約書にサインさせることで、断ることを出来なくさせる悪徳商法行為が〈闇商〉のやり口なのだと言う。なぜ闇値だと分かるかと問われれば、ただただ異常な額なのだ。

 一〇〇万ゼルの高級毛皮があるとしよう、買い手が欲しいと言えば店は当然売ってやる。

 そうなると一〇〇万ゼルの毛皮の場合、仕入れ原価の相場は大体四〇万ゼル。つまり差し引いた六〇万ゼルが店側の売り上げとなるのだ。

 だが闇値というのは、この一〇〇万ゼルに対して更に五〇万ゼルだとか一〇〇万ゼルだとか、有り得ない金額を上乗せしてくるのだ。

 俺は以前に一度だけダレンの商談現場を見た事がある。その時は先にダレンが正当な金額を算出し提示額を客に見せ、買うかどうか決めてもらう。という一般的な売買方法だった。まあそうは言ってもダレンも〈闇商〉の手、一般的(・・・)という程優しい値ではなかったが。

 以下の事例から真実は定かではないが、その道の商人(プロ)が言うのだから嘘もないだろう……。そして、もし断ろうとすれば契約書の条項に従い、【闇商の取引先】としてリストに名を連ねる事になるらしい。それが、抜け出せなくなる大きな理由である。

【闇商の取引先】という肩書きは、最も信頼に欠ける人間という隠語でもある。

 そうなれば後は、縁を辿られ家族共々死ぬまで働かされるというわけだ。

 だからこそ【ガッコウ】では〈闇商〉には関わるな、という絶対厳守を教え込んでいるのだ。ダレンの沈黙に合わせ深い思考を巡らせていると、時刻が歯切れ良い時を迎え、ようやく店主の口が開かれた。

「…………まあ、しょうがねえわな。お前らの頼みならよう」

 腕を組んだダレンの表情は決して良くはない。だが、不承不承にも俺達の頼みに応じてくれた事に、まずは感謝をしなければならない。

 店内の凍りついた沈黙が、温かな陽の光で溶かされていくみたく、和やかな空気を取り戻しつつあった。

 カルディオとヴェルナはこれからの準備に気合いを入れ、狭い店内で盛大に叫んでいる。

「ありがとう。それで支度なんだが……」

「あん? いつも通り用意してやるが、何か問題でもあんのか?」

 言いにくい内容ではあるが、知らなかったでは済まされぬ事態にもなりかねない。最悪のケースを避ける為、伝えておくべき事は全て伝えておかなければならない。

「実はフレアは昔から【ヴァンプ・ダウラ】という難病を抱えているんだ」

 初めて聞く単語にヴェルナが小首を傾げる。逆に右眉をピクッと釣り動かしたダレン。どうやら心当たりがあるらしい。

「【ヴァンプ・ダウラ】? 聞いたことない言葉だね」

「【ヴァンプ・ダウラ】別名【血抑症】血系統の持病だな。特徴はたしか……血の生成が通常の約一〇〇〇分の一に低下する難病だ。だがあれは本当か嘘かも分からねえ、単なる言い伝えだと思っていたが――」

 ダレンが顎に手を当て、思い出しながら記憶の中の情報を引き出す。

 そんなダレンと、全く無知なヴェルナ。二人に対し、俺はゆっくりと言葉を紡いだ。

「血を捨てし者、甦る贄となりて吸血鬼の怒りを与える。快復への断絶、血欲の念に、我は悦ぶ、さあ潜血を持って鮮血の雨を降らそう――吸血鬼の女王【メアリア・ヴァンプ】」

 俺の言葉を聞くとダレンは記憶の引き出しを完全に開いたらしい。カッと目を見開いた。

「そうか、思い出したぞ! 血を捨てし者、蘇る贄となりて吸血鬼の怒りを与える。以前裏ルートで仕入れた呪書(じゅしょ)に確かそんな一節があった! でも、何でそれをお前が……」

「この一節はフレアの背中に生まれた時から刻まれていた文字らしい。【ヴァンプ・ダウラ】のせいで少量の出血でも、何回か繰り返すと直ぐに倒れてしまうんだ」

 絞り出した言葉に、カルディオは拳を固く握り、ダレンとヴェルナの二人はしばし閉口した。背中に刻まれた字というのも、恨めしい事に人間の扱う人字で記されている。

 吸血鬼の(ナリ)が人とそっくりだからなのだろうか、その点は定かではないが……。

 そしてなぜフレアだったのか。なぜ治す特効薬は存在しないのか。

 多くの疑問と、治療の方法がない無力さに、俺とカルディオが初めてその病を聞いた時と同様、目の前の二人もその当時の俺達みたく言葉を失っていた。

「……それが仮に本当の事だとしよう。それなら『一緒に来るな』と言ってやるのが、友として本人の為になる言葉じゃないのか?」

「止めな、ダレン!」

 馬鹿げていると、目を覚ませと強い口調で、諭すようにダレンが言葉を発する。そんなダレンを同じかそれ以上の強い口調で静めようとヴェルナも声を上げた。

「いくら統治外協定内エリアと言っても、牙を向く生物は無数にいる! それに足場の悪い所を歩けば、突き出た小枝や砕けた小石の破片で切り傷を作ることだって考えられる!」

「ダレン、止めなって言ってるのが分からないのかい!」

「刺激を求めて冒険するのは自由だが、命以上に大事なモンなんてそんなの――」

 感情のままに気持ちを走らせるダレンの言葉が、乾いた音によって途切れた。

 それは酷く冷めた瞳を向けた、ヴェルナの平手打ちによるものだ。

「少しは落ち着いたかい、バカ店主」

 刹那、【ルーザー】の店内に尋問室のごとき緊張が走る。

【闇商】の人間相手にバカ発言をするのだから無理もない。そんな事よりも先ずは、俺の頼みなんかで二人の仲がこじれる事が一番嫌だった。

 ダレンが言っていることは最もな回答であり正解だろう事は理解している。難病な上に治療方法がない。そんな患者を自ら死地に向かわせるバカは、この世を探したって殺人者か、あるいは相当な憎しみを抱いている者くらいだ。

 もちろんそんな事は思っていないし、いなくなって良い存在の筈がない。

 俺、サイカ・エクリプスという人間の数少ない思い出の中に、カルディオ同様誰よりも多く存在する大切な友なのだ。

 だからこそ、ちゃんと理解してもらわなければいけない。今現在、最も信頼足る人間に。

「無理は承知で頼んでいる。それでも俺達は共にいた。【ガッコウ】に入ってからずっとだ。それにフレアも、俺達を信用足る人間だと思い、自身が持つ重い難病について打ち明けてくれたんだ。もちろん同情欲しさなんて微塵もない、必死の訴えなんだよ」

 ダレンの眉間にシワが寄る。恐らくは苛立ちからだろう。『旅』という行為に、命と同等の価値があるとは、ダレン自身思っていないはずだ。それは感情のままに口を出た、先ほどの言葉からも十分理解している。だが、それでも、と言い続けるしかないのだ。

 子供のわがままにしては流石に看過出来ない、と思っていることだろう。

ダレンは組んでいた腕の交差をほどき、カウンター下から一枚の写真を取り出すと、俺に渡し、沈黙を破いた。

「俺達には娘がいた。フローラって名前でな、ちょうどお前達と同い歳だ」

 写真にはまだ若かりし頃のダレン、今と全く美貌の衰えないヴェルナ。そして娘であろう耳元に花の髪飾りを付けた幼き少女の三人が当店【ルーザー】の前で並び微笑んでいた。

 初めて聞く内容に、俺とカルディオは察する。「いた(・・)」つまりそういう事か、と。

「生まれつき体が弱くてな、結構家に寝たきりってのが多かったんだ。だけどよ……それでも良かったんだ。人ってのは命あってのモンじゃねえかよ。死んじまったら何も残んねえ。生きてさえいてくれりゃあ、それだけで幸せってモンじゃねえかよ。俺はお前達の事を初めて見た時に、不覚にもそう思っちまった。フローラが大きくなったら、きっとこんな無茶ばっかりする男に惚れちまうのかとか、自分も旅に出たいとか、そんな阿呆みてえな事を抜かすんじゃねえかと、色々考えちまった」

 ダレンの長年閉じ込めてきた本音が漏れていく。ヴェルナの目尻にも光るモノが見えた。

「だから俺はお前らに、旅支度なんてふざけた言葉を作って、身勝手な親心ってやつを押し付けていたのかもしれねえ……すまねえな」

 ずっと悩んでいたのだろう。毎度ここへ訪れる俺達が、娘のフローラに似て。

 ずっと迷っていたのだろう。笑顔で旅先へと向かう俺達の背中を送り出すことに。

「ダレン。娘さんの最期は見たのか?」

 カルディオが俺を睨む。その眼は本気だ。

 普段穏やかなヤツほどキレた時は別人となる。とは聞いてはいたが、その言葉はあながち間違いではないらしい。壁に突き飛ばされ肩を掴まれる、その力から伝わる怒り。

 俺に向けた明確な殺意は、友人のそれではない。

「言っていい事と悪い事があるんじゃねえか? おい、サイカ・エクリプス!」

「俺は聞いてるんだ。そして知りたい、娘さんがどう死んだのか――」

 言い終わる前に拳が直撃する。

 俺の右頬を完璧に捉え、意識を飛ばしかけた。その一撃を放ったのは、カルディオにしてカルディオにあらず。もはや別の生き物である。

「娘の死因を聞く前に、テメエを殺してやるよ。死んであの世で悔い改めろ!」

 高らかに上げたカルディオの右拳が、垂直に振り下ろされる。動かない体はいまだに脱力して抵抗一つ出来ない。瞳に迫る拳が徐々に迫り、拡大していく。

「ああああああああああああああ!」

 カルディオの叫びと共に、俺の鼻先に拳が触れる――しかし、触覚を刺激した後に訪れるはずの痛覚がない。ふらふらと回る視界の中に映ったのは、

「落ち着け、ガキ共が。……人の店でやり過ぎだ」

 カルディオの握る右拳、その手首をガッチリと抑え平然と静止させるダレンだった。

 気付けばカウンター席に座るヴェルナは、こちらには目もくれず啜り泣いていた。

「カルディオ、その想いは嬉しいが、拳ってのは大切なモノを護る為に使うんだ」

「でも、でもよお!」

 ダレンがカルディオの肩に手を置く。

――俺もこんな事は聞きたくないさ。でも、聞かなきゃいけないんだ。これから先も安全なんて決してない。死と隣合わせである以上どんな死因なのか、一つ一つの死因からその状況に対して、最善の手段を想定しておかなければいけないんだ。何より、それが統治外協定外エリアを目指す俺達や、旅に赴くフレアの為にもなるのであれば尚の事。

「おいおい、バカにするなよ? 俺も〈闇商〉の人間だ。娘の死一つ語れねえほどの小心者でもなければ、ガラスみてえな弱っちい心臓でもねえ。さあ感傷に浸るのもここまでだ。テメエらが本気で嬢ちゃんを護りてえなら、俺の話でも一つ聞きやがれ」

 ダレンは空元気を出しながら、空虚な笑みを見せる。

 それはとても痛々しく、そして哀しみを含んでいた。

「もう早いこと五年も前のことになる。俺が〈闇商〉に入る前のことだ。 ……当時の俺は狂人みてえな人間でな、その当時は【闇商の取引先】じゃなかったが、平気で『秘境』に足を運んでいた。それも今のテメエらみてえな好奇心だけでな」

『秘境』と聞いて全身の毛がゾワゾワと騒ぎ立つ。

 まさかダレン自身が経験しているとは知らなかった、【秘境】という未知を。

「ヤベエ(ナリ)した化物の巣窟もあれば、俺達が抱く謎や神秘なんて比にならねえ程、言葉で表現することがおこがましいと思うくらいの幻想。虹の中ってのが正しい表現か分からねえが、それ程色鮮やかな自然がひしめく土地もあったな。はっきり言って奇跡だと思ったよ、あれは」

 思い出しながら感慨深く語る姿に、俺もカルディオもつい聞き入ってしまう。

 俺達の経験した旅と、ダレンの経験した旅。同じ旅でもこれ程までに差があるのか、と。

 語るだけで聞いているこちらの胸をワクワクさせる。それはそこに刺激があったからではない。未知という存在が、どれだけあるかでもない。

 それは一重に、ダレンという人間にしか理解し得ない、唯一無二の体験がそこにあったから。そこから生まれた『旅』だから。

 更に重ねて言えば、ダレンは基本全ての『今』しか見ない。他人の過去がどうとかは特に気にしない人間なのだ。

 故に前科持ちであろうと気にもしない。俺達に言ってはいないが、それで何度か命を失いかけた事もあるはずだ。

 それほど過去に囚われないリアリストな人間なのだ。

 その男が過去を思い出し感慨に()ける程の光景。俺の心を惹き付けるには十分だった。

「だがな、想定外の出来事が起きた」

 空気が一転する。ダレンの表情に突然の陰りが見え、明らかに声が震え出したのだ。

「俺が【秘境】の旅から戻ると、普段は家にいるはずのフローラが居なかったんだ。それから必死に心当たりを探したが、結局どこにも居なくてな……。そん時に、小耳に挟んだ事のある内容で〈人攫い〉ってのがあってな……」

〈人攫い〉。その言葉は【ガッコウ】でも聞いたことがあった。人身売買を目的とした請け負い人が、目ぼしい相手を突然攫っていくのだとか。

 この目ぼしい相手というのは対象の大半が女子供。

 子供ならば『刷り込み』と呼ばれる歳月を掛けての洗脳・調教。過去の記憶を現在の記憶で埋め尽くし、今が全てだと錯覚させて好き放題の道具にする。この錯覚が酷い者や物心が付く前の者なんかは、買い手を実親だと思い込んでいる者も少なくないのだそうだ。

 女ならば調教・凌辱を欲望のままに行い、思考の回らない状態になるまで快楽の底に堕とす。やがて女は子を身籠り、買い手に娶られるか捨てられるかの二択を選ばれる。前者ならばまだ生きる事が出来るが、後者ならば確実に飢えてしまう。そのため、後者の者の多くが涙を浮かべ、子を腹に宿したまま自殺したらしい。中には子を産み、陽の目を見ることなく娼婦として命懸けで子を育てる者もいるが、それも限界がある。客に愛され妻となれるならそれも一つの幸せかもしれないが、そもそも客は娼婦を女と思っていない。己の欲望の捌け口、道具くらいにしか考えていないのだ。

 憎い実状だが、この負の連鎖は今も続いているらしい。

「まさか〈人攫い〉に遭ったのか!」

 カルディオがカウンターテーブルを叩き、ダレンに食い気味に問う。どうなんだ、と問われたダレンだったが、抑揚無き低音で冷静に答じた。

「いいや。結論から言うと〈人攫い〉には遭ってない」

「それなら一体……」

 カルディオの生気の抜けた声の後、空気が静まる。

 回答権をバトンタッチしたダレンはグラスを拭きつつだんまり。引き継いだヴェルナが煙草を咥え、火を付けて、一息フーッと煙を吐き出すと、一言ポツリと呟いた。

「言っただろう。〈人攫い〉には(・・)遭ってない、と」

 ダレンの眉間に何度目かのシワが寄る。その時点で俺は気付いてしまった。当時のフローラに何が起きたのかを……。

〈人攫い〉ともう一つ、数年前から多発している問題事。【ガッコウ】でもユーナ教諭が教えていた内容だったが、どうやら不真面目なカルディオには知識として備わっていなかったらしい。

「〈通り魔〉だな」

 俺の答えに合わせ、再び煙草を吐き出した。御名答、という意味だろうか。

 数年前、〈ルーテ山脈〉の洞窟に住むインプ族との種族間協定を結んだ頃から〈オルテア〉では怪事件が多発していた。『町角を曲がると人が死ぬ』という噂である。

 一度インプが〈オルテア〉領内に潜入したのではないか、という話も出たがインプはそもそも洞窟から出ない。暗闇を好む彼らがわざわざ洞窟を抜け、山を降りて、嫌いな陽の目を浴びつつ、昼夜問わず起こる事件の渦中にいるとは考え難くデメリットしか含んでいない。

 そうなると消去法から人間の仕業だと想定される。

「ああ、その通り。ダレンが【秘境】から帰ってくるのを待つって言ってね。その日の朝から、張り切って正門の脇に立っていてね……そこでフローラは……」

 頬を伝って一滴が零れ落ちる。ヴェルナの涙が頬から滑り床に落ちる頃、違和感にも似たモヤモヤが頭の中で一つの疑問が生じていた。

「それなら少し変だ……なあ、二人はフローラの遺体を見たのか?」

 カルディオが再び激昂しかける。それをダレンとヴェルナが必死に静め、答えた。

「当たり前じゃないの。娘の最期よ、ちゃんと葬儀だって行ったわ……」

「ああ、とても綺麗な最期だったさ……」

 フローラの最期の顏を思い出したのか、涙声になった二人。カルディオはもう我慢の限界だと言わんばかりに俺を睨み、今にも飛び掛かりそうな表情でこちらを凝視している。

 だが変なのだ。もし仮に〈通り魔〉に遭ったとしてもそれだけならば殺される事はない。

 なぜならば〈通り魔〉の犯行の瞬間というのは『町角を曲がる』時であって、何もなしに立っている時ではないからだ。そんなのはただの屁理屈に聞こえるかもしれないが、それもまた事実であり、数年経った今でも『町角を曲がる時』以外で殺された事例は、一度もないと記憶している。

 加えてユーナ教諭は熱い女性だ。〈オルテア〉内の事件についてもかなりの見識がある。

 その『町角を曲がる時』以外で殺された事実が本物ならば、〈通り魔〉事件内では大問題だ。つまり、数年前の出来事として、授業を通して俺の耳に入っていてもおかしくはない。単純にユーナ教諭さえも知り得ぬ情報だったとすればそこまでの規模の話なのだが、少々話に違和感を抱いてしょうがない。

 だが、かといって〈人攫い〉という事も考えにくい。

 理由の一つに、正門という人通りが最も多い場所で待っていたという点が挙げられる。

 正門は中央通りから歩いて五〇メートルもない。また超密集地帯の商業エリア内において、買い物袋での通行は盗難や強奪の対象となる為、事前準備として正門前である程度持ちやすい入れ物に荷物を入れ替えるのが恒例なのだ。よってその中で〈人攫い〉を強行すれば容易に見つかり、即刻牢屋行きが約束されるだろう事は目に見えている。

「フローラの体が弱いっていうのは、もしかして何か病気にかかっていたんじゃないか?」

「ああ……【変異性泥質化感染症】だ。【マッド・ヴァリエイト】と言った方が早いな」

【マッド・ヴァリエイト】生まれ持った細胞が再生されず、常に別の細胞組織を構築し続ける奇病だ。適応した細胞を生み出さない場合が多い上に、牙獣等がこの病にかかると、その感染源の影響を受けて突然変異を起こしやすい。例に習って人間がこの病に感染した場合も、やはり感染元の影響を受けやすいと聞く。

 だからこの病気を知った時に思った事があるのだ。

「もう堪忍袋の緒が切れたぜ。歯ぁ食い縛れや!」

 怒りの爆発したカルディオが俺の胸倉を手繰り寄せる。その時、その場にいた誰もが予想しなかった事、だが願っていた事を俺は言い放った。

「もしかすると、フローラは生きているかもしれない」

 そんな事あるわけがない。希望を抱かせるならもっとマシな嘘を吐け――。

そう思っていることだろう。

 三人が張り詰めた視線で俺を注視してくる。そんな中、俺は考察を述べた。

「ダレン。【マッド・ヴァリエイト】にフローラが感染している事になぜ気付けた」

 この国の医療技術は、はっきり言って役に立たない。フレアの【ヴァンプ・ダウラ】も、フローラの【マッド・ヴァリエイト】も、完治以前に抗体薬すら作れていないのが現状だ。

 そんな医師達は、症状を判断するだけでも一苦労。一般人が見たところで細かく分かるのなんてせいぜい風邪くらいのものだ。

 しかし、中には明らかなに断定出来る病気が幾つかある。それが前述のフレア、フローラの病気含む奇病と呼ばれる通称【特異】だ。

 ダレンが【マッド・ヴァリエイト】に気付けたということは、

「右腕が牙獣化していたから。違うか?」

 感染元の影響を強く受け、体が異形へと変化したからに他ならない。

 ダレンとヴェルナは固く口を閉ざし、カルディオは仰天した。

「感染症ってのはどこから発生するかが分からないから厄介なんだ。そして体の弱い者を、徹底的に潰しにかかるからこそ、長い間恐れられている」

 的を射た俺の考察に、返答の一切が失せる。了、と捉えた俺は考察の続きを再開した。

「ダレンの帰りを待っている際、異形の腕を他者が見たらどう思う。それも年頃の少女に対して、後ろ指を差してだ。ここからは衝動的行動にはなるが、場所は変わらないだろう」

 生きていたら。という前置きを残して、俺の次に出た言葉に全員が愕然とした。

「フローラがいるのは【秘境】だ」

 その言葉は誰よりもきつく、ダレンとヴェルナの心を深く抉ったことだろう。

 弱りきった娘が生きているかもしれないと、希望を抱かせておきながら、【秘境】にいるというのは、あまりにも酷な話である。

「おい……いい加減な事を抜かすなよ……なぁ。根拠を言えよ、根拠をよォ!」

 カルディオが顏を歪ませて、力一杯に声を振り絞る。

 その声には震えしかなく、怯えと恐怖が見えている。仕方のない事だ。外の廃人みたくなる可能性が高い土地なのだから。

 そんなカルディオを床に座り込ませ、ゆっくりと諭した様に宥める。

「落ち着け、カルディオ。まず【マッド・ヴァリエイト】についてだが、俺がこの病気を医学書で初めて知った時、ある事を思った。それは感染元の肉体が発病者の肉体的に大きく影響しやすいというこの奇病ならではの疑問だ。もしその感染元が人間で、人間に病をうつした場合、皆はどう思う」

 その言葉に疑問を抱いた皆は、同様の反応を見せた。

「まさか、葬式に挙げたフローラは【マッド・ヴァリエイト】で変異して顏がそっくりになった赤の他人だって言うのかよ……」

 さすがに俺が思う線――立てた仮説――に絶句したのか、中々言葉が出てこない。

 そもそも専門家でもない一学生が考察した仮説だ、信じろという方が無理な話だろう。

「あくまでも俺の仮説だ。消息を絶った理由は知らないし、死んだ姿も見ていないから真相は本人のみしか分からない」

 カルディオの肩に手を置く。その手には自然と力が入ってしまう。

「これは世間が、人間の本質たる根幹が悪過ぎた故に招いた結果だ。人は違いを気にする生き物。しかし、違いを嫌悪してはならない。人間の知能というのは違いを排除する為にあるのではなく、違いを受け入れ、助け合う為にあるんだ。だからこそ俺達がフレアに対して出来る事、してやれる事をしてやる。違うか?」

 カルディオの目下に雫がぽたぽたと落ち、床へと染み込んでいく。

「たとえダレンが帰って来たとしても、フローラの親であるダレンも同様、後ろ指を向けられる生活を送ることになる。何よりそんな状況にいながらも、何もすることの出来ない無力な自分自身に対して、一番許せなかったのだろう。だから【秘境】に行ったんだ。死ぬ為か……あるいは憔悴した心を癒して欲しくて……親の後を追ってな」

 最後の言葉は、自分で言っておきながら流石に都合が良すぎると思う。何日も旅に出たダレンを追っていくならば、家に身を潜め続ける方が得策だからだ。だとするなら、本当の理由は後を追っていったのではなく【マッド・ヴァリエイト】の病状を敢えて悪化させる為。本物の化物となることで、完全に人間としてのフローラを失おうとしたのかも知れない。また、その方がいっそ楽だと捉えた節があったのかもしれない。

「まあ、ここで考えていても仕方ない。俺は少し行くところがあるんだが、出来ればその間にフレアの旅支度を済ませておいてくれ。小一時間で戻る。いくぞ、カルディオ」

「ちょっ、待ちやがれ! 二人共、すまねえ!」

 無造作に要件を投げつけ、そそくさとその場を退く俺はとてもズルい人間だ。

 心の傷付いている相手に、自分達の頼みを頼むだけ頼んで、逃げるように去っていくのだから。

 扉を開き、店内――主に沈み込む二人――を軽く一瞥する。その俺の視界には、俯くフローラの両親の姿が、とても小さく見えていたのだった。

 

  3


「おい、サイ! 聞けって、サイ!」

 通り外れの街路地店【ルーザー】を後にした俺達は、現在第三通りの商業エリアを歩いていた。第三通りというのは主に武具・鉄資材・工具といった金鉄物の取り扱い店舗が立ち並ぶ。

 目的は発注していた武器と防具の受け取り。代金は旅での戦果――もとい珍しい品である。

〈オルテア〉における金の価値はそこまで高くない。それよりも巨獣の牙、珍しい草葉や鉱石の方が何倍も高価なのだ。

 ある時は治療の薬草になり、ある時は硬質な刃物の先端にもなる。また世界の謎や、未解明の物を解き明かす上で、『情報』というのは最重要に位置する。

 だからこそ【ルーザー】でも入荷したばかりの呪書や新種獣の書物なんかを、買う気も無いのに読み漁っているわけだ。当然ダレンに良い顏はされていないだろうが。

「少し落ち着け、カルディオ」

「はあ? 落ち着いてるよ、冷静だよ、六桁計算だって暗算で出来るよ!」

 発注依頼を掛けていた店の店主の姿を見つけ、品の仕上がりを見せてもらう。店主は腰を曲げた老婆だ。とても重い足取りで、危なっかしくも何とか注文を引っ張り出してきた。

 その横で口切らずに質問を投げかけてくるカルディオ。

 その声に対して溜め息一つ、冷ややかな視線を向けて言い切った。

「俺達があの場に居たら、正直言って迷惑だ。泣かせてやる事も出来まいよ」

 グッ、と口から呻きを漏らす。俺はカルディオに目もくれる事なく、取り出して来た得物の身を凝視した。

 ――なんだ、これは……。

「よう、兄ちゃん。俺にこんなすげえ武器を創らせてくれてありがとうよ!」

 見知らぬ声を掛けられ、咄嗟に振り向く。すると、岩石の如き巨漢が聳え立っていた。

 一瞬熊かと見間違うほどのそれは、待ち望んでいたように握手を求めてきた。

「よろしくな、俺はこの店の専属鍛冶師でヴォングってんだ!」

 ヴォングと名乗る大男は、顎で武具屋の老婆店主をしゃくり上げるとケラケラと笑った。

「渡された資材の石が見た事もねえんで正直悩んだぜ。ま、作り甲斐はあったがな!」

「そりゃどうも、それで……この武器は何に該当する。剣か? 刀か?」

「はっはっは、迷うよなあ。何せソイツは剣であり刀でもあるんだからな!」

 ヴォングの言葉に、普段から感情を出さない俺も流石に驚いた。

 普通の剣というのは、高熱で厚身のある鉄を溶かして、打ち付け伸ばし丸める。それを支柱に、薄い鉄を厚い鉄同様、高熱で溶かしてから菱形に、打ち付け伸ばし変えていく。

 菱形の薄い鉄を四つ造った後、今度は支柱を取り囲むように溶接する。四つの菱形を支柱に組み合わせると、やがて一つの大きな菱形を造る。これが剣の構造だ。

 特徴として『両刃』、四つの菱形が互いの衝撃を吸収するため『耐久力』に自信がある。

 弱点として片刃ごとに刃が短く、刃こぼれをし易い。故に叩き切る(・・・・)というのが主戦闘スタイルとなるのだ。

 一方で刀は剣と違い、支柱も溶接も工程には存在しない。純粋に一本の鉄を形状変化させて造り上げる素直な構造だ。そこで刀における最大の特徴がある。『しなり』と『切れ味』だ。

 剣は支柱を基点に真っ直ぐとした構造なのに対し、刀は『しなり』と呼ばれる曲線を描いて造られている。

 理由は二つ、丸みを作る事で刀への衝撃を外へと逃がす働き。武器がぶつかり合った際、刃こぼれを防ぐ為に横へといなす働きだ。

 そして極めつけは『切れ味』。『両刃』の剣と違って『片刃』の刀は触れただけで身を削ぎ落とす事が出来る。また刀身は極めて平たく剣身の半分もない。しかし、研ぎ澄まされた刀は時に剣を真っ二つにすることが出来る。たまに葉や紙で、ふとした際に指を切る事がある。しかしそれらは一重に、身の薄さから成る一瞬の『切れ味』なのだ。

 その『ふとした際』を常時体現したのが刀による『切れ味』とも取れる。

 構造が全く異なり、特徴も全く違う。そんな二つを合わせた武器、その姿は率直に言って神聖そのものだった。確かに俺は渡した素材で武器を作ってくれとは依頼したが……。

 全体像としては剣に近く、それでいて身は剣ではなく刀。しかし『しなり』が存在しない。さらにこの武器は、ヴォングの言うように剣とも見て取れる。その証拠に、二本の刀を反り合わせ重ねたような『両刃』なのだ。剣には無い流麗な波紋や、刀身を柄部から刃先まで伸びる(しのぎ)と呼ばれる一直線が、薄い身の中心を澄み切って走る。

 初めて見る物・未知への好奇心が、俺の心を駆り立てた。

 ――今日だけで何度目だろうか。

「実はな、俺もその類の武器は初めて見てよ。創っといてなんだが、もしかしたら兄ちゃんが初めて手にした武器かもなあ」

 ヴォングの言葉に心が躍る。もしこの世界に、ここ〈オルテア〉以外に人間がいなければ、それはつまり人類初という事を意味するかもしれないのだ。

「実際呼び名を聞かれても言えねえし、かといって名前を付けるセンスもねえ。だがらこの際だし兄ちゃんが決めな!」

 背中をバンッと叩かれ息苦しくなり、一息深呼吸。

 剣であり刀でもあるその武器の柄を握りしめ、初めて森に入った時、山を登った時、海を泳いだ時、全ての体験を回顧する。

 二〇〇年という歳月によって築かれた今は、きっと再び来たる安寧無き生き地獄までのの仮初めの平和に過ぎないのだろう。それを全身で感じた俺にとって、この名以外を口にする事は無かった。

「【(そう)(せい)()】――」

 刹那、世界がどこか静止した感覚に包まれた。

 真っ青になり、万物のあらゆる機能・法則が停止し、硬直するその世界は例えようのない虚無。瞬き一つしていない時の中、一体何が起きたというのか。

 ――何が起きている。

 あれほど賑やかだった喧騒が失せ、直前まで会話をしていたヴォングも荒々しい動きを止めている。即ち動いているのは俺だけという事だ。

 ――なんだ、この感覚は。世界が止まっているのか?

『助けて、お願い』

 唐突に聞こえた幻聴に、浮足立った俺は思わず反射的に言葉を返した。

 いや、幻聴と認識していながら問いている時点で、それを幻聴と捉えていない。率直に言って錯乱していた。どんなに繕っても俺の心理状態は荒唐無稽。自身で何を言っているのか。何を言いたいのか。それすらも乖離しかけていたのだ。

「お前は誰だ、何をした!」

 右を向こうが左を向こうが、姿も何も見当たらない。それからしばらくした後、世界が割れた。ガラスが砕けたように。たまらず瞼を閉じるが、その後は喧騒が戻り感覚が回復していた。

 すると俺の足は、いや、俺の体は何かに憑かれたように動き出していた。

 ――どこに向かっているのかも分からない。なぜ走っているのかも。

 遥か後方で俺を呼ぶカルディオの声が聞こえる。いや、普通は聞こえるはずがないのだが。なぜならカルディオの姿は多くの者達に阻まれ、とっくに見えないのだから。

「俺は一体、どうしたって言うんだ……」

 ――感覚が鋭敏になっている。いや、そんな次元じゃない。これは、一体。

 未知の体験。いつか経験したい、ずっとそう思っていた。

 それがこんなにも早く、俺の身に訪れようとは。

 手が、足が、脳が、神経が、己の全てが飛躍的に活性化しているのが分かる。それはある種の悪魔的に、時に神々的に。

『人間としての肉体が限界を超える』というのが正しい表現であるならば、まさに今がその時だろう。

 右手に持つヴォングから受け取った得物は、陽の光を燦々と反射させている。

 結局構造やら仕組みなんかをヴォングから聞きそびれてはしまったが、それ以上の感情に駆り立てられた俺にとって、今やそんな事はどうでもいい。

 焦り、緊張、興奮、不安、あらゆる感情を全身で担ぎ上げ、疾駆する俺は一言呟く。

「……其の力、想いにありけり」

 或る者と彼の者の言葉である。

 気付けば今や【城壁】の最上層。目下にはどこまでも続く深く生い茂った緑の木々。そこにはきっと人など恐れることもなく、血肉に飢えた獰猛な肉食獣達がいるだろう。ツタが自ら絡み、人を飲み込もうと蠢く植物も多くいる事だろう。

 ならばなぜ死の恐怖が隣に居ながら、こんなにも感情の昂ぶりが抑えられないのか。

 そもそも今日はカルディオとフレア、二人と共に〈アルテムフォレスト〉へと行く予定だったはずなのに。なぜこんな事になってしまったのか。

 瞼を閉じれば、後から後から約束を交わした者達の顏が脳裏を過ぎる。

 ――皆、悪い。少し行ってくる。

 突き動かされた衝動か、あるいは憑かれた末の誘導か。

 いずれにせよ、直に分かる。助けを求めた者の声に近づいている事に変わりはないのだ。

 次の瞬間、俺は最上層から飛び降りた。


 時に想世紀二〇一年。人の創りし〈オルテア〉に、想い巡らし現実に、新たな一節が記されよう事に、そう長くは至らなかった。



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