第5話
俺は6年前、丁度小学校4年生くらいの時に、林間教室という学校の行事で祖父母の家の近くにキャンプに行くことになった。
祖父母の家にはお盆や年始の挨拶の時に行くくらいだったが、爺ちゃんが大好きだった俺はそれを楽しみにしていた。爺ちゃん家の周りは自然が豊かな所で、温泉が有名な観光名所が近くにあったので毎晩温泉に入ることも出来た。そういうところにキャンプをしに行くことになったので、当時の俺はとても喜んだのを覚えている。
キャンプ初日は爺ちゃんや婆ちゃんがトラックでキャンプ場まで遊びに来てくれて、スイカを差し入れしてくれたり山での遊び方を教えてくれた。川でスイカを冷やして食べるととても美味かった。
特に爺ちゃんは物知りで力持ちで、川蟹の見つけ方とか火の起こし方とか、いろんなことを教えてくれた。俺が何かする度に、爺ちゃんがいつも頭をごしごしと撫でて「よくやったな樹!」と褒めてくれるのが俺は嬉しくて誇らしくて仕方なかった。
ただ、危ないから山の中には入ってはならん、と口すっぱく言われていた。怖いお化けがいるからなと脅かされて、絶対に入るもんかと思ったのを覚えている。
夏だったので川遊びをしたり虫を取ったり、楽しく遊べることがいっぱいだった。天気も良くからっと晴れた日が続いていた。
事件は2日目になって起こった。俺は森の中で皆で鬼ごっこをしているときに失踪したのだ。
先生がちゃんとついていたにもかかわらず、ふと目を離したすきに消えるようにいなくなってしまったそうだ。
先生は慌てて総出で探したが全く見つからない。
爺ちゃんや婆ちゃんもその知らせを受けて、近所の人にも手伝ってもらって探し回ったらしい。特に爺ちゃんは心配していて、夜になっても探し回っていて危ないと止められるほどだったらしい。
翌日の夕方ごろに皆が疲れきって警察に連絡しようとしていた頃、俺がひょっこり戻ってきた。あれだけ大勢で探していたのに、まるでずっとすぐそばにいたかのように、疲れた様子もなく歩いて戻ってきたのだ。
皆ひと安心して、どこに行っていたんだと問い詰めると、けろっとした顔でキツネのお嫁さんと遊んでいたと俺は言った。
朝に駆けつけた母さんと父さんはわけの分からないことを言うなと怒ったが、爺ちゃん、婆ちゃんを含めた村の人たちは一斉に青ざめて黙ってしまった。
「オシラ様・・・」
誰ともなく呟いた言葉に、両親や先生たちは聞き慣れない言葉に首を傾げていたが、近隣住民の特に年配者を中心にハッと黙った後に何かをヒソヒソと話し合い始めた。
爺ちゃんは、しきりにどんな格好をしていたんだ?何か話したか?と青ざめた顔で問いかけてきた。
キツネのお面にキツネの耳と尻尾をつけていて、綺麗な着物を着ていたのだと俺は言った。
爺ちゃんは大変なことになったといって家を飛び出していった。婆ちゃんはおろおろしながら俺のことを抱きしめていた。
その異様な雰囲気に、母さんも父さんも不審がって何が起きたんだと婆ちゃんに聞いたがなかなか答えない。散々問い詰めてやっと“オシラ様だ、オシラ様に魅入られたんだべ”と震える声で呟いた。
父さんも母さんも、俺もそんなもの聞いたことが無かったが、爺ちゃんが大勢の村の人を連れて戻ってきて、誰もがただ事ではない勢いで家に入ってきた。
「ホントにオシラ様に魅入られたんだべか」
「ここいらにオシラ様が出たち話は聞いたことないがの・・・」
「キツネの嫁さいったら、オシラ様以外にないべ。はよ牡丹ばあちゃんに知らせんと手遅れになるぞ」
「んだな、牡丹婆ちゃんに知らせてはよきてもらうのが一番だべ」
周りで小声で話す声が漏れ聞こえてくる。
「あの、オシラ様って、なんのことなんですか?」
母さんが溜まらず口を挟んだ。みんなばつが悪そうに目線をさ迷わせていたが、村の長である柏じいちゃんが出てきてみんなを集めた。
「まずは先生たち、もう子供は見つかったんだ、林間学校も今日で終わりじゃろう。この後はわしらに任せてくれんか」
しかし・・・と心配そうに言いすがる先生を有無をいわさず渋い表情で帰らせた後に、柏じいちゃんは家にみんなを入らせて座らせ、ゆっくりと話し始めた。
「オシラ様は古くから伝わる守り神じゃ。このあたりの山や村を何年も守り栄えさせてきてくれた。じゃが、いつからかオシラ様は恐ろしい一面をお持ちになって・・・子どもをとり殺すことがあると言われている」
「な、なんですって、そんな馬鹿な」母さんが俺の手をぎゅっと握って信じられないという顔をしている。父さんも信じられないというような顔をしている。
「な、何ですか皆さん、急に変なことを言い出して・・・冗談はやめてください!」
「信じられんのも無理は無い。ここの村の中でもしっとるもんはごく僅かじゃ。しっとるもんも皆話半分、噂程度にしか信じられておらんかった。でも今までこの村では過去に何度かオシラ様に子どもを取られてきたのじゃ。魅入られた子どもは、17歳の誕生日を迎えることは無い。17になる前に山に取られると・・・」
「そんな、そんなの嘘でしょ!?お爺ちゃん、そんな話一度もしてくれなかったじゃない・・・!」
爺ちゃんは苦い顔をして、噂だとばかりおもっとったんじゃ・・・お前らが怖がるおもて、そげな話はせんようにしとったから・・・と低く唸った。
「言うてはおらんかったがな、わしんとこの倅も山に取られたんじゃ。やはり17歳の誕生日を迎える前に、煙のようにおらんようになってしもた・・・」
「なんじゃと・・・!?お前んとこの長男は事故で死んだんじゃなかったのか?」
「今まで何人も山に取られてきたんじゃ・・・キツネの嫁ごに会ってしもたら、例外はおりゃせん・・・」
そんな・・・母さんが絶句していると、近所のお寺の若衆の車が到着して、高齢のお婆さんが家にやってきた。彼女は牡丹婆ちゃんと呼ばれて、この辺りで有名な霊媒師だった。
牡丹婆ちゃんは目が悪いようで、腰も曲がってとても小さく見えた。杖を突きながら歩いてきて、俺の前のちょこんと座ると、俺の手を取ってじっと何かを考えるようにしていた。
皆が固唾を呑んで見守っていると、婆ちゃんはふっと一息ついて、細い目を開いて首を振った。
「オシラ様に魅入られとる。お前は贄としてオシラ様に目を付けられてしもた」
あぁ、っと悲鳴があちらこちらで上がった。俺も何が何だか分からないなりに、自分がとても悪い状況にあることを悟った。母さんも父さんも絶句してしまっている。
「牡丹婆ちゃん、何か、何か術はないのか?樹を助ける手立ては何もないのか?」
爺ちゃんが牡丹婆ちゃんにしがみついて訴えかけた。
「何もない。何もないのじゃ、残念だが・・・今まで散々手を尽くしてきたが、皆助からなかった。早くここから立ち去ったほうが良い。ここにいると17歳まで生きることも難しいだろう」
そんなバカな・・・母さんが半笑いで呟いた。
「あの、何が何だかわからないんですが、もう帰ってもいいですか?樹も無事に見つかったことだし、私、ち、ちょっとついていけなくなってきたんですが・・・」
母さんは徹夜で俺を探していた疲れがとうとう限界にきているようだった。ひくひくと片頬が小刻みに痙攣している。
「俺も、もう帰ったほうがいい・・・こんなの馬鹿げてる」
父さんも吐き捨てるように言った。
二人とも何かおかしな事態に巻き込まれてしまっただけで、一刻も早くここから立ち去りたい様子だ。
「わしが代わりになる」
重苦しい空気の中で、爺ちゃんがきっぱりと言い捨てた。何を言ってるのよと婆ちゃんが咎めたが、爺ちゃんは覚悟を決めたような顔をして牡丹婆ちゃんに告げた。
「牡丹婆ちゃんは厄除けの身代を作るのが上手かったじゃろ。あの要領で、わしを樹の身代わりにはなれんか」
牡丹ばあちゃんは見えているのか見えていないのかわからない小さな目で爺ちゃんをじっと見つめた。
「それがどういうことかわかっとるんか?お前さんはとり殺されるんだぞ」
「じ、爺ちゃん!やだよ俺、爺ちゃんが身代わりになるなんて」
俺は慌てて爺ちゃんを止めた。大好きな爺ちゃんが俺の代わりにいなくなるなんて絶対に嫌だった。
「樹、止めてくれるな。わしはもう決めたのじゃ。お前の変わりにオシラ様の贄となる。それでお前の命が助かるなら安いもんじゃ」
そう言って爺ちゃんはいつものように豪快に笑って俺の頭を撫でてくれた。
「樹が大きくなるのを見れないのは残念じゃが、樹が俺より先に死んでしまうより随分ましじゃ。これは俺の我がままじゃ、誰に何と言われても変えはせん。牡丹婆ちゃん、あんた出来るか」
牡丹婆ちゃんは爺ちゃんの目を見て、「覚悟を決めておるのじゃな・・・」とため息をついて
「やれるかどうかわからんが・・・仕方ない、やってみよう」といった。
そうして、爺ちゃんは周りの人がどんなに説得をしても聞き入れなかった。
その日の夜更け、牡丹婆ちゃんは俺の髪の毛をバリカンで切り落とし、爺ちゃんに持たせた。
俺の指先を針でつついて血を絞りだし、人の形をした紙に染み込ませたもの、そして俺の服を爺ちゃんに持たせ、爺ちゃんの服を俺が着た。できるだけ俺の身につけているものを爺ちゃんに渡した方がいいとのことだった。
そして俺は物凄くだぼだぼの服を着て、周りを父さん、母さん、婆ちゃん、親戚のおじさんが取り囲んだ。
血が近いものに囲ませて撹乱するんだそうだ。
爺ちゃんは俺の服と人形、髪の毛を持って、夜になったら家を出ることになった。
村の若衆も何人か爺ちゃんに連れ立って行った。
俺は窓から、遠ざかっていく爺ちゃんの背中を見つめた。
俺は爺ちゃんともう会えなくなってしまうのかと思うと悲しくて悲しくて大声で泣きだしそうになったが、「朝までけして声をあげてはいけない」と言われていたのでじっと堪えていた。何もせずに時間ばかりが経っていくうちに、うつらうつらと眠気が来て、寝入りばなに夢を見た。
夢の中で俺は誰かと鞠つきをして遊んでいた。
俺は鞠つきなんてしたことも面白いと思ったことも無いのに、なぜか凄く熱中して鞠をついていた。
横で一緒に鞠をついていた人は、「面白いかえ?」と聞いてきた。俺は勢い良くうん!と答えて、何回鞠つきを続けられるか数えていた。
いーち、にーい、さーん。
「ずっとここにおったらええ。それがええ」
隣の人は綺麗な着物を着て一緒に鞠をついている。
何回目かで失敗をして、落胆しながらもう一回チャレンジしようとしていると、隣の人がついているものが鞠ではないことに気が付いた。それは真っ黒な頭蓋骨がぐしゃぐしゃという音を鳴らしながら爪の長い手でつかれているのであった。
俺は唖然としながら女性の顔を見上げた。女性の顔にはキツネの面がついていたが、それはお面というにはあまりにリアルな、そう、キツネそのものだった。
急に恐ろしくなり逃げ出そうとすると肩を大きな手でがしりと掴まれた。
「どこへゆくのじゃ?お前はわらわの贄じゃ、けして逃がしはしない」
そういうと裂けた口を大きく開けてケタケタケタと笑った。目が真っ黒に染まり、キツネの毛皮も不健康な廃れ具合で、びっしりと生えた尖った歯をむき出しながらいつまでもいつまでもその人はケタケタケタと壊れたように笑っていた。ゾッとするほど禍々しい笑みだった。
はっと気がつくと身体を羽交い絞めにされていた。
母さんは涙でぐっしょり顔を濡らしながら、呆然とする俺によかった、よかったといって抱きついた。どうやら俺は、急にすくっと立ち上がったかと思うと、その場を出て行こうとしたのだそうだ。引きとめようとすると子どもの力とは思えない力で振り切って出て行こうとするので、大の大人が何人もかかってやっと押し留めていたらしい。
羽交い絞めにされると、俺はニタリと気味の悪い顔で笑うとケタケタケタと奇妙な声で笑い続けていたらしい。本当に悪夢のようだったと、父さんは疲れた顔で言っていた。
漸く朝日が昇り始めた頃に、バタバタと人が家に駆けて入ってきた。
彼らは爺ちゃんと一緒に山に入った者たちで、皆怯えきっていた。詳しく話しを聞くと、山の中腹辺りに来ると、急に爺ちゃんは持っていた明かりを地面に落として、気が触れたかのように大声で笑いながら森の中へ走り去ってしまったらしい。慌ててそれを追いかけていったが、いつまでも声はするのに姿が見えない。
森のあちらこちらからその笑い声が聞こえてきている事に気づいた若衆達は、慌てて森から駆け戻ってきたということだった。
「山に取られたか・・・」
誰かがそう吐き捨てた。母さんが牡丹婆ちゃんに術が成功したのか?と尋ねるが、婆ちゃんはゆるゆると首を振った。
「オシラ様はまだ贄を諦めてはおらん・・・失敗じゃ・・・」
その言葉に婆ちゃんが目を吊り上げて牡丹婆ちゃんに食ってかかった。周りのものが羽交い絞めにして止めたが、婆ちゃんは「無駄死にじゃ!あの人は何のために死んだんじゃ!何のために山に取られたんじゃああ!」と叫んで泣きくずれた。
誰も彼もがうな垂れて、すすり泣く声だけがその場に響いていた。




