第4話
松田くんの紹介してくれた定食屋はさすがに上手かった。
上手いものを食べると本当に生きている喜びを感じられる。俺たちの食いっぷりに気を良くした店員があれこれサービスをしてくれたのも良かった。また行きたいと思える良い店だった。
松田くんとも別れた帰り道、横断歩道でお婆さんが渡ろうとしているのを見かけた。信号が変わりそうになっているのに、とぼとぼとゆっくりゆっくり歩いている。その姿を見て手を貸そうと言う気には、俺はならない。なぜならそのばあさんは、顔に札のようなものをぶら下げているのだ。にも拘らず、周りが一切それを奇妙に見ていない。つまりこの婆さんはこの世ならざるものなのだ。
俺は婆さんを見ないように足早にその横断歩道を渡ろうとした。
しかし途中で裾をくんと引っ張られ、何事かとみやるといつの間に近くに来ていたのか、脇に婆さんがしがみついていた。札の合間から、真っ黒い目がこちらをのぞきこんでいた。
俺は反射的にしがみつかれた腕を振り解いて、横断歩道を渡りきった。後ろを振り返ってみると婆さんが先ほどの重い足取りとはうって変わって、狂人のように手をぐるぐる回しながら追いかけてきているのが見えた。ぶわっと汗が噴出し、逃げなければと思った瞬間、俺の前に信号待ちをしていた女性が立ちはだかった。
俺と人間ではない婆さんの間に入った女性は、良く晴れた日なのに片手に持っている黒い傘をひらりと一閃させると、両手で持ち大きく振り上げた。まるでバットのように構え、フルスイングをするように傘を豪快に振り下ろすと、追いかけてきていた婆さんに直撃した。驚いたことに、傘がぶつかった瞬間、婆さんはあっという間に霧散してしまった。
唖然と立ち尽くす俺の目の前で、偶然かはたまた故意なのか、素振りで幽霊を霧散させた女性は何事も無かったかのように、信号が変わるとともに雑踏の中に消えていった。
その日俺はいつものロードワークに少し走りに出かけたところだった。公園にさしかかったところで、ふと人だかりが出来ていることに気づき、何気なく覘いてみると、咲桜がその中にいたのに気づき近づいていった。
「咲桜、何してるんだ?こんな所で」
「いっちゃん!なんかね、お祓いやってるみたいなの」
「え?お祓い?」
公園の中を見やると、敷物が敷かれておりそこに数名の人が正座をして座っている。その中に森脇君がいるのを見つけて俺は驚いた。その敷物の前には大きな穴が開いており、そこから禍々しい黒い煙が立ち昇っていた。
あ、これはやばい。
直感的に危険を感じ取った俺はすぐさまそこを離れたかったが、この禍々しい気配を祓うことが出来るものがいるのか、とふと気になった。
敷物の前方に榊が供えられ即席の神棚が作られていた。その前に神社で神主さんが着るような服を着た30代くらいの男が座っている。まだ公園のあちらこちらには降り積もった雪が残っている中なので、寒くは無いのだろうかと心配するが、男性は難しそうな顔で神棚に何かしらを祈っているようだった。
「なんのお祓いなんだろね?」
咲桜が不思議そうに呟くと、近くにいた近所のおばちゃんが「あの盗まれた神社の仏具らしいわよ」と教えてくれた。
「え、見つかったんですか?」
「そうらしいわね、窃盗団がみんな自首してきたらしいわ。仏具の窃盗では有名な犯人だったらしいのに、何人かはもう口も利けない状態になってたそうよ」
「そうそう、盗んだものもね、売り払う前で大体手元に戻ってきたらしいけど、1つだけどうしても見つからないものがあって、それを問い詰めたらここの公園に埋めたって告白したのよ。だからあそこの穴から掘り起こしたんじゃないかしら」
「どうも曰くつきのものだったらしいわ。神社の神主さんもね、あのあそこで今お祈りをしている人、先祖代々鎮めてきた大事な仏具だったから、ここで鎮魂のためのお祓いをしているんですって」
井戸端会議のようになってきたが、近所のおばちゃんたちのネットワークはやはりすごい。
確かに神主らしき男性の後ろには、いつも神社にお参りに行くと屋根の上で気持ちよさそうに笛を吹いていた小男の姿があった。
しかし、その姿はいつもより怯えたような顔で男性の後ろに隠れている。
儀式が進んでいって、榊を手にとって何度か振った神主さんが、立ち上がって穴の中から何かを取り出した。
それは古いヒノキの箱のようなもので両手で抱えるくらいのサイズだったが、あまりの禍々しさに俺は今すぐこの場から離れたくなった。
ここにいる誰もがその存在をわかっていないだろう。唯一神主さんだけが、顔が引きつって冷や汗をかいているのが分かるほど動揺していた。
ヒノキの箱には何枚ものお札が貼られていた。しかしそのお札は乱暴に破られていた。恐らく窃盗団が金目のものが入っているか確かめようとして破ったのだろう。
それが引き金になり、中のものが暴れだしたのだ。神主さんは神棚に霧の箱を置いて懸命に祈りを捧げるがその禍々しい気配は一向に薄れなかった。その内、蝋燭の炎がゆらゆらと揺らめき始め、公園の鳥が一斉に飛び立ってどこかに行ってしまった。
公園内の気配が一変したように重くなった。
そして、正座して見守っていた親族関係者の女性がゆらゆら揺れ始めたかと思うと、奇声をあげて立ち上がった。
皆が呆気に取られる中、神主さんに襲い掛かったので慌てて男達で押さえつけてとめた。女性はわけの分からないことを叫びながら暴れていたかと思うと、痙攣を始めて白目をむいて倒れた。
遠巻きに見守っていた群衆も騒然としている。当たり前だ。皆異様な光景を眼で見て初めて信じるのだ。俺に見えているものは皆に見えていない。
俺には、ひじから先だけの手が無数に霧の箱から這い出てくるのが見える。痙攣している女性にも無数の手が絡みついている。神主の人が一層激しく祓いの言葉を紡ぐが、女性は一向に静まらず聞くに堪えない暴言を吐き続けている。
やはりあんなに禍々しい気配のするものを祓うことが出来るものなどいないのだ、早く離れた方がいいーーーーーーーーーーーー。
そう思った矢先に、群集を書き分けて若い女性が歩み出てきた。
その女性はボブくらいの長さで前下がりのさらさらした黒髪をしており、服装は紺のダッフルコートに膝丈のスカート、黒いタイツにヒールのパンプスとどこにでもいそうな出で立ちをしていた。
その女性は、目の前で起こる恐ろしい出来事目に留めながら平然と歩み寄った。ちょ、ちょっとあna
た・・・とおばちゃんの一人が止めようとするが、黒髪を風に吹かれながら颯爽とお祓いの場へ到着した。
その女性を目に留めると、神主の表情がパッと明るくなった。
「野ばらさん!遅いじゃないですか、いつまでもこないからどうなることかと・・・!」
「ごめんごめん、遅くなっちゃった」
神主さんが野ばらと呼ばれる女性に訴えかける。どうやら知り合いらしいが、その場にいる他の関係者は顔を合わせて訝しげにしているので、神主のみが知り合いみたいだ。取り憑かれたらしい女性は相変わらずわけの分からない言葉を叫びながら暴れている。
「だいぶ中に入られてるわね。それじゃ、いっちょやりますか」
俺は、その野ばらという女性に見覚えがあった。この前、交差点でお婆さんの霊に襲われた時に黒い傘で霊を蹴散らした人だ。彼女はあの時のような黒い傘を持たず、背中に担いでいた袋から長い杖のようなものを取り出した。
その杖の直径は女性の手に収まるほどの細さの正方形で、長さが彼女の背丈ほどもあり先端に朱色の紐がリボン結びをされていた。
その杖で、トンっと、徐にそれを地面に打ち付けると聞いたことのない呪文を唱え始めた。
「*******」
凛と澄み渡った力強い声が女性に浴びせかけられる。
すると大の大人5~6がかりで押さえつけていないといけないほど暴れていた女性が、落ち着きを取り戻しぐったりとその場に横になって動かなくなった。そしてその杖で女性をトンと叩くと、女性の周りで蠢いていた手が消えて言った。
「*****************************」
女性は、長い歌を歌っているかのような呪文を唱え終わった後、その場に杖を打ち付けて回った。
何もないところに見えて、俺には手が這いずり回っているのが見えていた。杖に叩かれると、小さな手達は消えてなくなっていく。禍々しい気配も揺らぎ、どうやら焦っているようだ。
霧の箱から立ち上る煙が、ゆっくりと濃くなってその形を現してきた。着物を着た髪の長い女性の姿になり、耳まで裂けた口から無数の手を吐き出していた。その手を従えて、着物の女は女性に襲いかかった。
それをみやった女性は、ニヤリと笑ったように見えた。あんなに禍々しい気配のものに襲われて笑みを浮かべるなんて、俺には信じられない。
女性はまた呪文を唱え始め、徐に杖のリボンの端をぐっと引っ張ってリボンを解いた。ひらりとリボンが落ちて言ったかと思うと、杖に何か文字が青白く浮かび上がってくる。
女性は杖を両手で持ちかまえると、襲い掛かる着物の女に向けて綺麗なフルスイングで叩き込んだ。杖にぶつかった瞬間、そのまがまがしい女の霊は綺麗に霧散して消えてしまった。
ふっと公園の重苦しかった空気も一変し、もとの穏やかさに戻った。
スカッとするような一撃を放った女性は、すーっと深呼吸をして満面の笑みを浮かべている。
「嘘だろ・・・」
俺は思わず呟いた。咲桜が何が起こったの?と聞くので、小声であの女性が恐ろしい霊を祓ってしまったことを伝えると、咲桜も驚いていた。
神主の男は安心したように胸をなでおろし、その場にいた関係者にももう大丈夫だと伝え、痙攣を繰り返していた女性を病院に運ぶように指示した。
そして女性に感謝を伝えながらやや不服そうに文句を言っている。
「今回は僕の手に終える代物じゃなかったからわざわざ野ばらさんを呼んだって言うのに・・・危うく大変なことになるところでしたよ・・・なんで時間通りに来てくれないんですか」
「私の方向音痴知ってるでしょ?それに、これくらい祓えないようじゃあんたも修行が足りないって師匠に怒られるわよ。ところでこの箱だけど、一体なんでこんなことになってるの」
「ええ、私の一族に代々伝わっている呪いの箱です。代々の神主達が少しずつ呪いを風化させてきたって言うのに、窃盗団が盗んで開けてしまったんですわ」
「なるほどねぇ、見事な呪物だわ。これは」
女性は感心したように箱を見つめている。
「これを金目のものだとふんで開けてしまった窃盗団は、恐ろしいものを見たでしょうね。彼らの何人かは未だに失踪しているそうですし、残ったものも廃人同然になってます。折角何年もかけて鎮めてきたというのに、余計なことをしてくれたものです。なんとかなりそうでしょうか」
「まあ、時間は掛かるでしょうけど、何とかなるでしょ。とりあえず中にいるものの攻撃は一時的に消したから、場所を移しても大丈夫よ。まだ大本が中に残っているから、後は神社でやった方が良いでしょうね」
「あ、ありがとうございます!」
「あと、力を使って今空っぽだから、数日後に又来ることにするわね」
「え、あ、は、はい」
そう言うと女性はさっさとその場を後にした。野ばらと呼ばれている女性は、本当にどこにでもいそうな若い女性で、杖を袋にしまうと肩に背負って公園を立ち去っていく。すれ違う時に俺と目が合って、おや?っという顔をして歩みをとめた。吐く息が白く弾み、白い肌に頬がピンクに染まって、黒い瞳がじっと俺を見つめている。
「君・・・」
そう彼女が口を開こうとした時に、彼女の腕がぐいっと引かれた。ボブぐらいの前下がりの黒髪が揺れて「おおっ?」と彼女が驚きの声をあげた。彼女の腕を掴んでいるのは咲桜だった。
「あの、あなた霊能者なんですか!?」
群集が聞きたくても何となく聞けなかったことをずばりと聞く咲桜にはらはらしながらも尊敬を覚えた。背の低い咲桜を見下ろしながら、彼女はまあそうですよと答えると、咲桜はみるみる笑顔を浮かべて「お願いがあるんです!」と彼女にすがりついた。
場所を移して、近くのファミレスにやってきた。
彼女はコートとマフラーを脱いでソファ席にこしかけ、その対面に俺と咲桜が並んだ。コートの下に着ていたのはニットの白くて細かい模様のついた服装だった。彼女は目の前であっという間に恐ろしい量の食べ物を注文し、無料のドリンクバーで山ほどドリンクを抱えて戻ってきた。
「それで、お願いって?」
「あの、突然すいません!私は山吹咲桜って言います。こっちに座っているのが幼馴染の・・・」
「桐矢樹です」
「えっと、それで、あの・・・お願いというのが・・・」
言いよどむ咲桜に、そっちの彼のことでしょ?と彼女が告げた。
「わかりますか?」
「強力な何かに取り憑かれてるねぇ。今生きていることが不思議なくらい」
コーラを一息で啜って、彼女はいとも簡単に言ってのけた。
俺は一目で言い当てた彼女に驚いたが、内心、少し落胆していた。
正直なところ、この呪いを解いてくれるかもしれないという淡い期待を抱いていたが、この女性は駄目だろうなと感じた。今まで散々霊能者を探し回って見てもらってきたのだが、その中で対応は二つに分かれた。
俺を見るなり帰ってくれというものや申し訳ないが自分には祓えないというものがいる一方で、怖れたりせずに引き受けてくれる霊能者もいた。しかし、後者のお祓いは悉く失敗した。どんなお祓いの儀式をしても呪いは解けず、逆に霊能者の方が連絡が取れなくなったり事故にあったりしたのだ。恐らく前者の霊能者達は詐欺師か能力が低かったのだろう。
「どんなやつに取り憑かれているか、わかりますか」
俺はカマをかけてみた。ここで俺に取り憑いているものが分かれば本物だ。
「そうね、あまりに強力で、これは人の霊の呪いではないでしょう。いや、呪いというのもおかしいかもしれない。神が取り憑いて君を贄として欲しているのではないかな」
俺は衝撃を受けた。彼女の言葉が真実だったからだ。この人は本物の力のある霊能者に違いない。なのになぜこんなに落ち着いていられるのだ?神に取り憑かれていると見破った人は皆俺と関わること自体を拒否してきたというのに・・・。
「神憑きは非常に特殊で、人の呪いや霊、妖怪の類とはレベルが違う。
私も今までに数えるほどしかまだ出会ったことが無いわ。たとえ力のある霊能者でも、うかつに手を出すと何らかのしっぺ返しをくらうか、最悪の場合死ぬこともある。死ななくても代償を払わないといけないことが多い。“神に障られる”と私達の間では呼ばれているわ。
君の場合も、お祓いを受けたことがあるでしょうけど、まともな霊能者では祓うことはできなかったのでしょう」
全く彼女の言うとおりだった。もう何人もの霊能者にさじを投げられている。
「だからと言って必ずしも落とせないということもない」
彼女は俺や咲桜の暗い表情をみて、ニヤリと笑ってそういった。
「それ、本当ですか!?」
俺と咲桜の声がハモった。と同時にお待たせしましたーという店員さんにより大量の食事が運ばれてきた。
「私は今から食事に専念するから、食べてる間に詳しく話してくれる?なぜ神が憑いたのか、なにか心当たりがあるでしょう」
咲桜が俺のほうを見つめてくる。確かに俺にはその心当たりがあった。それは思い出すのも忌まわしく、記憶の片隅に押し込めて置きたい出来事だった。
「あなた、いったい何者なんですか?」
「ああ、私は宮束野ばら(みやつかのばら)。祓い屋よ」




