第21話
12月も2周目を周った。
俺たちはギリギリまで情報を集めることにして駆け回った。驚いたことに、椿が村にやってきた。
俺がいなくなったことを心配して、家族に聞いて早めに冬休みを取るようにして追いかけてきたらしい。真相はいろいろ解明したが、解決していないことを知って落胆していた。
結局椿もリリーさんも婆ちゃん家に泊まることになり、布団がまるで足りなくなってしまった。
季節はもう冬だったから他の家に布団を借りて回って、雑魚寝することになった。
気づくと俺は、婆ちゃんも入れて女性6人の中で男一人という何とも肩身の狭いことになっていた。
リリーさんが起きあがれないくせに、酒だのタバコだの飯だのをあれこれ要求してくるので大変だった。また、お風呂の時間は女性陣が先に入ってあれこれと長風呂をするので、いつも温くなったお風呂を夜遅くに入る羽目になった。
もはや体温よりも低いような湯船に使って、ぶるぶる震えていると、何か視線を感じた。窓を見ると、誰かが覗き込んでいた。それは、人形のような無表情の顔が窓の上から逆さづりになっていた。
俺は慌ててお風呂からあがって着替えると、脱衣所の鏡に、俺の背後に誰かが立っているのが見えた。思わず後ろを振り返るが、誰もいない。大急ぎで皆がいるところへ舞い戻った。
野ばらさんは山神の気配がどんどん濃くなってきていると忠告した。どうやら、咲桜から俺のところに帰ってくることで、刺激を受けて活性化してしまったらしい。
村はそんなことも露知らず、年末年始の準備で活気付いていた。一大行事だからやれ餅つきの道具だなんだと準備で慌しい。頻繁に寄り合いが設けられ、役割分担をしているようだ。
俺は婆ちゃんの買い物の手伝いに行った途中で、雑踏の中に爺ちゃんを見かけた。あの目の釣りあがった爺ちゃんだ。ゆっくりとこちらに歩いてくる。俺は慌てて引き返そうとして、そこからぷっつりと記憶が途切れた。
気づいたら山の中に横たわっていた。辺りは真っ暗で、俺の目の前には狐面の女が立っていた。
俺は、あ、終わったな、と悟った。周りには誰もいない。俺と、狐面の女だけがその場にいる全てだ。
狐面の女は俺の方に鋭い爪の生えた手を伸ばしてきた。俺も覚悟を決めてその瞬間を待った。
その時、驚いたことに狐面の女の、もう片方の手が俺の方に伸びてきた手を掴んで押さえたのだ。
ググッと押さえ込まれた腕がもがいている。俺は何が起こっているのか理解できなかった。
“今のうちに、逃げろ”
狐面の女が喋った。それはいつもの女の声ではなく、低く太い男の声だ。直感で、妖狐の声だと感じた。
“まだ、押さえ込めるうちに、逃げろ・・・そして、開かずの間にある盃を壊すのだ”
「開かずの間の、盃?」
“それが、夫婦の契りの証だ。あれを壊せ”
「でも、あれを壊すと村人が全滅してしまうんだろ?出来ない、そんなこと・・・」
俺は首を振った。
“そうではない・・・山神が去れば山は死ぬ。しかし人が死ぬわけではない。土地が死ぬだけだ。この土地から去れば死にはしない”
「なんだって?」
“昔は他の土地では生きていけない時代だった・・・しかし今はそうではないだろう。村から人を去らせて、盃を壊すのだ・・・。早く行け・・・押さえられなくなる”
そう言うと、妖狐はうなり声をあげるばかりになった。狐面の奥で、山神と妖狐が鬩ぎあっているようだ。
俺は急きたてられる様に逃げ出した。不思議と帰り道はよく分かった。すぐ側まで追ってこられている気がして、転がるように走って山の麓までやってくると、咲桜達が俺を心配そうに探しているところに遭遇した。そして今起こったことを伝えると驚きと喜びが広がった。
「それは本当か!?本当なら、村人にこの土地を離れさせてからその盃を始末すれば良い。誰を傷つけることなく呪いを解ける!すぐに村人全員に伝えよう」
「でも、正直に伝えて、信じてもらえるのか?この土地を離れることを嫌がる人もいるだろう・・・」
「でも、正直に話さずに説得するのは難しいわよ。少しでも嘘をつけば、誰も信じてもらえなくなる。あなたが17歳で死ぬことは村人の多くが知っている、それを逆手に取るのよ」
そういうと野ばらさんは俺たちを引き連れて村の寄り合いに飛び込んでいった。そこには丁度良く、村の有力者や若衆、村長が集まっていた。
飛び込んできた俺たちに驚き、何事かと集まってきた。俺は、上手く説明できるか分からなかったが、出来るだけ真摯に伝えた。この村で生贄を出し続けていること、俺にその呪いがかかっていること、それを解くには村長の家の開かずの間の盃を割るしかないこと、そしてそれを割るともうこの土地にはいれなくなること。
俺が話し終わると、ざわざわと場がざわついた。当然だ。唐突にこんなことを説明されて、俄かに信じられる話ではない。
「山が死ぬ、土地が死ぬって、何が起こるの?」
中年の女性が尋ねてきた。
「何が起こるかはわかりません・・・しかしもうこの土地には当分帰って来れなくなるはずです」
「そんな・・・何年もここで暮らしてきたのよ。田畑を耕して生活を成り立たせてきたっていうのに・・・先祖のお墓だってここにあるわ。故郷を離れて暮らすなんて・・・」
女性は青ざめてそう言った。するとあちこちから、そうだ、その通りだ、この土地を捨てるなんて考えられないという声が上がった。確かに、この土地は豊かで観光名所にもなっている。この土地の恩恵を長年受けて育ってきた人たちに、それを捨てろと言うのは酷な話だった。
「考えても見てください。この土地で暮らすために、今まで何人も犠牲になってきた。分かっているだけで10人もの人間が、生贄に命を落としてきたのです。いわば、誰かを犠牲にしてこの村での生活が成り立っているようなものだ。そんな土地に、これからも住み続けたいと思うのですか?」
野ばらさんがたきつける。場はさらに騒然とした。
「でも、そんな犠牲をはらって生きてきたと言うのなら、その犠牲を無に帰すことになりませんか?この土地を離れると言うことは・・・」
若衆の一人がそう叫んだ。
「犠牲を糧に生きていくというのであれば、これからも誰かが生贄に死んでいくのを黙認すると言うことです。あなたのお子さんは何歳ですか?ターゲットにならないと言う保証はないんですよ。それとも村以外の人間を犠牲にしますか?そこまでしてこの土地にい続けますか?」
う、と若衆は言葉に詰まった。そして、村長、本当なんですか?と柏爺さんに詰め寄った。他にも何人かが村長に詰め寄っている。柏爺さんは、暗い顔でゆっくり頷いた。
「本当じゃよ。わしらは何年も何十年も、人死にを出してこの土地に生き続けてきたのじゃ」
そんな・・・皆が息を呑んで目線を巡らせている。
その時、咲桜が皆の前に進み出て土下座をした。
「お願いします!いっちゃんを殺させないために、この土地を離れてください!」
皆の目線が咲桜に集まった。咲桜は何度も何度も、お願いしますと言って頭を下げた。私の大切な人を、殺させないで下さい!と叫んだ。俺が止めようとすると、椿もサッと前に進み出て、土下座した。
「私からもお願いします。私にとっても、大切な人なんです。お願いですから、この土地を離れてください。この人は優しいから、誰か一人でも残っている限り、自分が死ぬことを選ぶはず。お願いですから、この土地を離れてください」
そう言って土下座した。
皆が逡巡していた。必死の懇願に、心を揺らしている人もいる。その時、一人の老女が進み出てきた。
俺の婆ちゃんだった。
「我が孫のことで、皆様の故郷を失わせることは大変心苦しいですが、どうかわが身に免じて堪忍してくれませんか」
そう言って婆ちゃんも土下座し始めた。
「お願いします。うちの孫を、救ってやってください。お願いします、どうか、どうか・・・」
高齢の婆ちゃんが土下座する様に俺はたまらなくなった。
俺は、俺の命はこの大勢の人たちの故郷をなくしてまで価値のあるものなのだろうか。
この大勢の人たちに帰るところを失わせてまで・・・。
生きてきた基盤を壊してまで・・・。
育んできた歴史を無に帰してまで・・・。
そうまでして生きて、俺は何をしたいのだろうか。
何が、俺の心残りなのか?
そもそも、俺はなぜ生きたいのか?
今死んで悔いが残ることはあるのか?
自問自答を延々と繰り返し、悩みに悩んだ結果、俺は意を決して前に進み出て、皆に並んで土下座した。
「すみません、俺のせいで、皆さんが土地を、故郷を失うことになるかもしれない・・・。それでも俺は、俺は生きたい!死にたくない!死にたくないんです!!生きてもっと沢山のことを知りたい!将来に希望を持ちたい!人を愛したい!もっと、もっと生きたいんです!・・・恨むなら、俺だけを恨んでください。それでも、どうか、どうかこの土地を離れてください!お願いします!」
俺はいつの間にか泣いていた。俺の中に、まだこんなにも生きたいという衝動があったとは思わなかった。俺は生きたい、死にたくなんかない、そう叫んで泣き喚いた。
その内、会場からすすり泣く声が聞こえ始めた。
樹の坊主は俺が小さい頃から知っとる・・・あのオシラ様に取り憑かれた騒動の時に立ち会った・・・と告白するものもいた。
「なんでこんな小さい坊主に死ぬ覚悟なんてさせとるんだ、わしらは・・・」
「そうだ、誰かの犠牲の上で暮らすなんてまっぴらだ」
「この子が死んだら、次は私の子どもかもしれない・・・そんなの、耐え切れない」
口々にそんな声が上がった。村長が俺の肩を叩いて立ち上がらせてくれた。
「樹の、大きゅうなったな・・・藤雄も喜んどるべ・・・」
柏爺ちゃんも泣きながらそう言ってくれた。
「ここにおるみんな、お前の味方じゃ・・・すぐに皆を村から出す手配をしよう」
その後は、村は大騒ぎになった。すぐにでも村を出なければいけなくなったのだ。
住む先を見つけ、大切なものを運び出し、生活の基盤を作りあげる。それは一朝一夕で出来るものではなかった。
俺たちもできる限り手伝ったが、車の手配や引越しの手配が済むまで、かなり時間がかかった。
中には頑として出て行こうとしない人も居たためてこずったが、野ばらさんが私に任せておきなさいと言って出かけていき、その一家はその日のうちに夜逃げのように出て行ってしまった。
何をしたかは聞いていないし怖くて聞けない。
村の人たちがやっと村を出て行き終えられたのは、丁度咲桜の誕生日だった。俺はささやかながら咲桜の誕生日を祝った。咲桜は無事に17歳になれた。本当に喜ばしいことだ。
残るは村長だけになった。柏爺ちゃんは俺たちに開かずの間の鍵を渡してくれた。
「開かずの間は、奇妙なことが起こるから、2重に封鎖しておる。これが一つ目の鍵で、これが2つ目の鍵じゃ」
「ありがとう、柏爺ちゃん。気をつけて」
「なんの、俺たちも山神の呪縛から逃れられるのだ。礼を言うのはわしらの方じゃ。お前も頑張れよ」
そういうと柏爺ちゃんも村を出ていった。
動けるようになったリリーさん、椿、野ばらさん、綾女さん、咲桜、俺の6人で、村長の家に入った。村長の家は昔ながらの日本家屋でありながら、田舎の家らしい広々として部屋が何部屋も廊下で繋がってある大きな家だった。電気はついているが、人気が無いためどこか気味の悪い、冷え冷えとした静けさが漂っている。
教えてもらったとおりに家の中を進むと、鍵がついて開かない部屋が見つかった。1つ目の鍵でその部屋を開けると埃っぽい空気に包まれた。それは畳の部屋で、さらに奥に廊下が続いてる。
「何かいるわ。気をつけて進むわよ」
野ばらさんのその言葉に、俺たちは気を引き締めながら前に進んだ。確かに後ろから何かの足音が俺たちの後をつけてきている。
少し進んだところにまた鍵のついた扉があり、その前に何かが立っていた。あの、爺ちゃんの形をした化け物だ。化け物はニタニタしながら俺達の方へ歩み寄ってきた。
「あれは私が相手するわ。先に進んで!」
野ばらさんのその言葉に、綾女さんがサポートします!と続いた。
野ばらさんが杖を袋から取り出し、化け物にかざす。綾女さんも護符を胸元に翳して臨戦態勢に入った。野ばらさんたちが化け物の気を引いて扉の前から退かしてくれたので、俺たちは慌てて先を急ぐことにした。第二の扉に鍵をさして開くや、中から物凄い禍々しい気配が漂ってきた。中は電気がついておらず、窓も無いため薄暗く何があるのかもよく見えない。
「これはまずい・・・10人の生き血を吸った盃が呪物に変わってしまっている。あれに触れたものは酷い呪いを受けるぞ」
リリーさんが鼻をつまみながらそういった。
「あら、それなら私に任せてください」
咲桜が胸をはって進み出る。
「待て、咲桜!危ないかもしれないぞ!」
「大丈夫よ、私はブラインド体質だもの」
「でも何が待ち受けているかわからないんだぞ!」
「大丈夫」
咲桜はいつものようにニッコリと笑った。
「私ね、いっちゃんが生きたいって言ってくれて、生きようって気を取り戻してくれて、本当に嬉しいの。いっちゃんが生きることを諦めてしまった姿を見てると、私ずっと心が痛かった。私はいっちゃんの呪いが解けるならなんでもする。絶対にいっちゃんのことを死なせたりしないわ」
咲桜の言葉に、俺は胸が詰まった。俺は咲桜の手を握って、誕生日プレゼントに俺にくれた咲桜のお守りを握らせた。
「俺が、あの時生きたいって思ったのは、生きる覚悟が出来たのは、心残りがあったからだ。好きな人に、俺の気持ちを伝えたい。それが俺の死にたくないって気持ちを取り戻させたんだ。だから、絶対に戻って来いよ、咲桜」
咲桜は、キョトンとした後、ふわりと嬉しそうに笑って頷き、中に入っていった。
「すごい、この気配の中を笑いながら進んでいけるなんて・・・」
椿も酷い禍々しさい空気に顔を顰めている。俺は心配でたまらなかったが、戻ってくるのを待つしかなかった。
後方では縦横無人に駆け回る妖怪に手を焼いている、野ばらさんと綾女さんの様子が伝わってくる。
じりじりと気を病みながら待っていると、中から更に強い禍々しい気配がした。ゆっくりとそれは近づいてくる。何だ?と身構えていると、盃を手に持った咲桜が出てきた。
「取って来たよ?」
事も無げにそう言う咲桜。手に持つ盃は、触れるものを呪い殺そうという気で満ちていた。側にいるだけで気持ち悪くなってしまいそうなのに、平然と持っている咲桜のブラインド体質は本当に大したものだ。
「よし、後は外に出て、なるべく村から遠い所で盃を割るわよ」
そういうとリリーさんは来た道を戻り始めた。
戻ってきた俺たちの、禍々しい気配に野ばらさんと綾女さんも驚いていた。
10人以上もの人を屠ってきた盃だと知ると、納得した顔をしていた。
屋敷を後にして、村を駆け抜ける。やっと村の入り口付近まで走って出てきたところで、またあの爺ちゃんの化け物がたっていた。
「あーもう、しつっこいのよ!」
野ばらさんが杖を翳して何かの呪文を叫ぶ。今までとは違う長い詠唱のあとに、何か大きなものの気配がしたと思うと、化け物の側にふっと大きな猿が現われて大きな手でむんずと化け物を捕らえた。猿は全身を白い毛で覆われ、老いた猿のように優しく聡明な目をしていた。俺は驚きながらも、これも野ばらさんに協力するという精霊だろうかと思った。
「ヒヒ様ありがとう!」
そういうと野ばらさんはリボンを解いた杖を走りながら振りかざし、思い切り化け物にぶつけた。
その瞬間、閃光と火花が飛び散り、ゆっくりと杖が化け物にめり込んでいく。
野ばらさんが手に力を込めて化け物の妖気を吹き飛ばしていくように杖を更に押し込んだ。
化け物が絶叫しながら逃れようともがいたが猿の手がびくともしないため逃げられない。
杖の触れていたところから真っ黒な気配が漏れ出て行く。その邪悪な気配が段々と清らかな美しい光に変わって行き、さらに大きく閃光がまたたいた後に、化け物は綺麗に霧散してしまった。
俺たちは化け物の居なくなった道をひた走り、漸く村の入り口の橋までやってきた。ここを渡る前に、盃を割ろうということになった。
みんなが見守る中、咲桜が両手を大きく掲げ、盃を地面にたたきつけた。
盃はカチャンという音を立てて、粉々に割れてしまった。
その瞬間、大きな地響きが鳴り出した。
「な、なに・・・?」
その大きな地響きと共に、大小入り混じった岩がぽろぽろと山肌を転がってくる。
「こ、これはまさか・・・」
山崩れだ。しかもとんでもなく大規模な。山崩れはあっという間に大きな波となって、村を押しつぶしてしまい、勢いそのままに俺たちのところに向かってきていた。
「に、逃げろ!」
俺は女性陣を先に橋を渡らせ、必死で走った。しかしすぐ側まで山崩れが迫り、橋をも崩そうとしてきた。先頭の女性たちが向こう側に辿りついたところで、ついにがらがらと大きな音を立てて橋が崩れてしまった。あっという間に俺は谷底に落ちていく。
「桐矢くん!」
ばさりと音がして、椿が黒い羽で飛び立つのが見えた。俺は差し伸べられた手を掴もうと必死に空中をもがいた。しかし、距離が遠くなかなかつかめない。ゆっくりと落下していく中で、もうだめだと思った瞬間、俺の手を誰かの手が掴んだ。そして、椿の手に捕まらせたのだ。
「桐矢くん!良かった!」
椿は俺を抱えて、烏天狗の力で空中を飛んでいた。他の皆も間一髪、向こう岸に渡れたらしい。ほっとしている俺の耳元で、「よくやったな、樹」という懐かしい爺ちゃんの声がした。
「爺ちゃん、爺ちゃん!」
爺ちゃんはいつも俺を見守っていてくれたんだ。
俺は胸がいっぱいになって泣きながらありがとうを言った。
山崩れは村と田畑、家屋の全てを飲み込み、谷底に落ちていった。椿に抱えられて向こう岸にたどり着いた時、俺はシャンっという聞きなれない音を耳にした。
ふっと時が止まったように、全ての音が消えた。
目の前を神輿にのった白無垢の花嫁が大勢の人に抱えられ、神楽を従えて通り過ぎていく。
その花嫁は狐の面をかぶっておらず、狐の耳も尻尾もなかった。
微笑をくちもとにたたえて、幸せそうに神楽の音と共に消えていった。
「やっと、解放されたのね」
野ばらさんがそういった。ずっと、山に囚われていた山神があるべきところへ帰っていったのだろう。
花嫁がいなくなった後に狐がちょこんと座っていた。例の妖狐だろうか。
「いや、助かった。人間の助けなどするもんではないな」
そう言って狐はケラケラと笑った。
「しゃ、喋った・・・」
椿が驚きながら呟いた。
「あら、おいしそうな狐♪」
リリーさんが舌なめずりをしている。狐がやや引いているのが分かる。
「あなた、やっぱりあの時の助けてくれた人!」
野ばらさんが狐に駆け寄った。
「おや?お前はいつぞやの・・・冥界に迷い込んだ人の子か。なんでこんなところにいるのだ」
「あの時は大変お世話になりました!あなたのおかげで白いマントの人から逃げることができたのよ」
「いや、途中で我の社が無くなってしまったから、お前さんがどうしているのかと心配しておったが・・・元気そうで何よりじゃ」
「また会えるなんて!私はこのために今回の依頼を引き受けたのね」
野ばらさんは納得していた。良いことが起こる予感がする、というのはこのことだったのか。
野ばらさんは一頻り再会を喜び合ったところで、良いことを思いついたように嬉しそうな顔をした。
「そういえば樹くん、私との約束、覚えてる?」
そういえば、神落としが終わった暁には1つ野ばらさんの言うことを聞くということになっていた。あの時は神落としが出来るなんて思えなかったし、時間がなくて必死だったから安請け合いをしてしまったが、一体何を言われるのだろうか・・・。
「神落としをされた人は、その後強い霊能力を発現すると言われているわ。私も、私の師匠もそうだったように。だからあなたはこれから強力な霊能力者として活躍することが出来るでしょう。だから、祓い屋として修行を積んで、私の仕事仲間になってもらうわ」
「祓い屋・・・って俺が!?」
そうよ、と野ばらさんは断言した。あなたはきっと良い祓い屋になるでしょう、とまで言う。
「それで、今回の騒動で折角つけた守護霊も吹き飛んでしまったし、良い機会だから狐さんが守護霊になってはどう?」
野ばらさんは妖狐にそんな交渉をはじめた。おいおい、元神様の妖狐を守護霊につけるだって!?
「うーむ、契りを解いてくれた恩人じゃ、仕方ないのう」
そう言って渋々狐が引き受けてしまった。お、俺の人権はどこへ・・・。
「約束は約束よ?分かってるわよね!」
野ばらさんの良い笑顔に負けて俺は引き受けてしまった。
どうやら、俺と彼女たちとの洒落にならない日々はまだ終わりそうにないようだ。




