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第16話

駅の雑踏に追いやられそうになりながら切符を買って電車に乗り込む。

ちゃんと弁当を買っていたので富士山を見ながら弁当を食べた。

その後は寝たり起きたりしながら目的の駅で電車を降りた。乗り換えの看板を見て行き先を確認する。

また切符を買って電車に乗る。電車の中には夕方の光が差し込んでいて、誰も乗っていない。

とても静かだ。

何度か乗り継いで、目的の駅に降り立つ。

改札には人が居なかったので、切符を指定の箱に入れて外に出た。お腹が減ったので最寄りの牛丼屋チェーン店に入ってご飯を食べる。

少ししたら眠たくなったので近くの廃工場の軒下で夜を明かした。


朝になると、少し歩いた。歩道が段々と荒くなっていき、自然が多くなってきた。空気が都会よりひんやりと冷たい。

山の入り口にたどり着いたら、そのまま登山道を上っていく。その内登山道の脇に鳥居があり、獣道のようになっていた。

その道を進むことにする。

鳥居の奥には朽ち果てた社が建っていた。その周りを散歩するようにぐるぐると周る。

やっと我が家に帰ってきたような嬉しさと、あるはずの我が家がなくなってしまったような悲しさで、複雑な気持ちになりながらぐるぐると社の周りを周る。

その内お腹が減ってきたので元の登山道に戻って山を降りて市街地に戻る。そこでご飯を食べて又眠り、朝が来たらまた山まで歩いていって登り始める。

そしてあの獣道に入り、社の周りをぐるぐる回る。それを何度も何度も何度も繰り返す。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。


「君、待ちなさい」


いつものように山まで歩いていこうとしていると誰かの声が飛んだ。誰だ?知らない人だ。制服を着た男子のようだ。

「駄目だよ。そちらの世界に近づきすぎたら、連れて行かれてしまう」

そちらの世界?何のことを言っているのだ?

わけも分からずぼんやりしていると、彼は胸元で何かの札を人差し指と中指で持つと、呪文を唱え始めた。そういえば、なんでここにいるんだ?何をしに来たんだっけ?

彼が持っていた札をふいっと投げた。それは勢い良くまっすぐに俺のところに飛んできて、ぺたッと胸に張り付いた。

そして彼が何事かの呪文を叫ぶと、俺の意識がはっきりしてきた。と同時に非常に混乱した。ここはどこだ?俺はなんでここに居るんだ?辺りを見回すが、全く知らない風景が広がっている。

「あ、あの・・・ここってどこなんでしょうか・・・」

頭のおかしい人だと思われそうだが、俺は恥を偲んで彼に尋ねた。学生服を着た少年は、目がパッチリした中性的なイケメンで、学校帰りらしい学生カバンを肩にかけていた。

「ここは京都の外れの町だよ。君は、どこからここに来たの?」

「え、えっと埼玉にいたはずなんですけど・・・実はよく覚えていないんです」

なんとなく新幹線に乗っていたことは覚えているが、なぜ新幹線に乗ろうと思ったのか、どこに行こうとしていたのかは全く思い出せない。

「君みたいに、神の気配が色濃い人間は始めてみました。何か事情があるのでしょう・・・。それにしても・・・すごい格好ですね」

そう言われてみれば、俺の身なりは浮浪者のようになっていた。体からは異臭がするし、頭もぼさぼさ、靴も泥だらけで底が擦り切れている。

「多分、何かに取り憑かれていたんでしょう。とりあえず僕の知り合いのところに連れて行ってあげますからついてきてください」

彼はそういうとくるっと背を向けて行ってしまい、俺は慌ててその後を追った。

どうやら行き先は電車に乗っていくところらしい。

俺は自分から酷い匂いがすることが分かっていたので、なるべく周りの人から離れてたっているようにしたが、やはり周りからはじろじろと不躾な目線を送られた。

「変な男が毎日のように山をうろうろしているって噂を聞いて見に来てみたら、君を見つけたんですけど、本当に何も覚えていないんですね」

彼は俺と同い年くらいの学生のようで、長めの黒髪を後ろでざっくりと結んでいた。

「そ、そういえば・・・今って何日なんですか?記憶があるのは6月27日ごろまでなんだけど・・・」

「何言ってるんですか?もう8月下旬ですよ?2ヶ月近くあの辺りをうろうろしていたってわけですか?よく不審者でつかまらなかったですね」

彼は呆れたようにそう言った。もう8月だって・・・!?

俺は慌てて携帯を探した。親や咲桜が心配しているだろう。しかし携帯は置いてきてしまったらしく、まとまったお金の入った財布しか身に付けていなかった。

俺は恐らく、自分でお金を下ろし、自分で切符を買って、自分でこの土地まで来たのだ。全く身に覚えがないのが薄ら寒い。

「ほら、もうすぐつきますよ」

そういうと彼は立ち上がった。

「あ、あの、とりあえず実家に電話をかけさせてもらえませんか?きっと心配していると思うので・・・」

彼は納得の言ったようであっさりOKしてくれた。

「それなら僕の携帯を使いますか?」

「いや、申し訳ないので公衆電話を探します」

「良いですよ、いまどき公衆電話なんて探す方が大変じゃないですか。話した分のお金を払ってくれたらそれで良いですし、今後連絡取るときも、当分は僕の携帯を教えておけば良いでしょう」

それもそうだと思い、俺は感謝しながら電車から降りると電話を貸してもらった。


思ったとおり、親はかなり心配していたらしい。捜索願も出していて、何度も探しに出かけていたそうだ。電話口で散々驚かれて散々文句を言われた後は泣かれてしまった。とにかく、俺も混乱しているから落ち着いたらまた連絡をすること、咲桜や学校の人、野ばらさんにも連絡を入れておいて欲しいとだけ伝えて電話を切った。

「野ばら、って、もしかして祓い屋の?」

携帯を受け取りながら彼がそう尋ねた。俺は驚いてそうだと伝えた。

「野ばらの知り合いっていうか、もしかして依頼人?何かお祓いを頼んでいた?」

「そうです。野ばらさんの知り合いなんですか?」

「直接の知り合いではないけど、有名な人ですよ。うちの業界では。ちなみに僕の師匠は拝み屋もやっていて、僕はその弟子です」

俺は驚いた。まさかこんな所で野ばらさんを知っている人に出会えるとは。

「だとすると、あなたに取り憑いている何者かがあなたを乗っ取ったのかもしれないですね。今から行くところは僕のお師匠さんのところだから安心してださい」

彼の心強い言葉がありがたかった。学生服姿だが、身なりもきちんとしていて、細身でなかなか爽やかな部活動で汗を流している爽やか男子という感じだ。かなりモテるのだろう。声も声変わり直前と言う感じの、ハスキーで深みのある良い声をしていた。

電車から降りると、今度はバスに乗り継ぐようだ。

彼がバスの定期券を出そうとした時に、カバンにびっしり本が入っているのが見えた。読書家なのだろうが、いくつかカバーがついていないものがあり、それらがどうも漫画で、しかもモロにメンズとメンズが恋に落ちる、いわゆるBL系のようだった。

え?と俺は目を疑う。まさかこのモテそうな男の子がBL漫画を読むのか?

ふ、腐男子だ!残念なジャニーズ系腐男子だ!

俺はなんだか居た堪れなくなって窓の外に目線を逸らした。

電車を乗り継いで彼に連れてこられたところは、京都市内の神社だった。そこの神主らしき人が出てきて、彼と何かを話していた。俺の方をちらっと見ると、どうぞと促されて中に入った。

まずお風呂に通され、何十日かぶりの風呂に入った。ずっと風呂に入っていないとシャンプーも石鹸もなかなか泡立たない。何度も何度も洗いなおしてやっとさっぱりと綺麗になった。

お風呂上りに貸してもらったスウェットの服に着替える。下着は道中で買っておいたものに履き替えた。着ていた服は洗濯に出してもらっている。


「あ、上がりましたね。僕についてきてください」

彼の姿に俺は驚いた。彼はなんと巫女服に着替えていたのだ。

腐男子な上に、女装趣味とは・・・ますます残念すぎる・・・!

俺は何とも言えずに彼の後についていくと、先ほどの神主さんらしき人がいた。彼は樋口棗ひぐちなつめと名乗り、やはりここの神主らしい。神主というわりに若く、長身ですらっとしていて、少年とは違うタイプのクールで冷たい感じのするイケメンで、神主の服が良く似合っている。恐らく凄くモテるのだろうが、チャラチャラしたかっこつけた感じが全くしない、真面目そうな身なりがまた好感を持てる。

「どうやら大変だったようですね。野ばらの知り合いだということですし、しばらくここでゆっくりしていってください」

「す、すいません・・・ありがとうございます」

「棗様、何かこの人変な気配がするのです。一体何なのでしょう」

女装腐男子くんが棗さんに尋ねると、彼はしばらく俺のことをじっと見ていたかと思うと、少し表情を曇らせた。

「そうだね・・・強い神に憑かれている。いわゆる、神の生贄だ。可哀想だがどうやら命は残り僅かだろう」

「え、神憑きってことですか?」

「そうだ。綾女は初めてみるんだったね」

え、綾女?

「も、もしかして、この子、女の子なんですか・・・?」

「あ、気づきましたか」

彼、もとい彼女は笑いながら自分を白河綾女しらかわあやめと名乗った。

女装腐男子ではなく、列記とした腐女子(男装癖あり僕っ子)だったとは・・・。それにしても学生服が似合いすぎているし、声も低めで声変わり前の少年という感じだったから、てっきり男性と思い込んでしまっていた訳有りなんです・・・趣味も兼ねてるけど」

そういうと綾女さんは、興味津々という様子で俺を観察し始めた。

「神憑きってこんなに神の気配が濃いんですね」

「そう、神に魅入られた人間だからね」

「やはり、分かりますか、俺が神憑きだって」

「野ばらに聞いたのですか?」

俺は頷いて、野ばらさんに神落としを依頼したことを伝えた。棗さんは驚いていた。

「野ばらが神落としを引き受けた、か・・・どういう心境の変化があったのか知らないですが、よっぽどの覚悟をして引き受けたのでしょう」

「野ばらさんとは知り合いなのですか?」

「一時期同じ師について修行をしていました。師は非常に優秀な祓い屋でしたから、全国から門下生が集まっていたものです。その中でも野ばらの力は群を抜いていて、師の一番弟子のような存在でした。その出生もとても奇怪だったから・・・聞いていますか?」

俺ははいと答えた。彼女が神隠しにあい、200年後の現代に返されたことは、以前の出来事を通じて知ったことだ。

「私達の師も昔神憑きにあっていて、多くの犠牲を払って神落としをされたと聞いています。それ以来、師は神落としに躍起になっていました。犠牲を払った自分の生きる意味や価値を、他の神憑きに苦しむ者を救うことに見出していたのでしょう。そして、とある神落としで命を落としたのです。それくらい、神落としは危険なことだ。野ばらもそれを分かっていて引き受けたのでしょう」

棗さんは美しい姿勢を崩さずに淡々と語った。顔だけでなく存在そのもの、所作が美しいと感じる男性だった。

「それにしても、こんなところまでなぜ君は来たのでしょうね」

「それが・・・断片的には覚えているんですけど、なぜそれをしたのか、何がしたかったのかを全然覚えていないのです」

「聞けば、2ヶ月近くさ迷っていたとのことですが」

「はい・・・ずっと京都のとある山を登ってはぐるぐる周っていた覚えがあります」

「あそこの社はとうの昔に廃社になった稲荷神社です。何か君に取り憑いている神と縁があったのかもしれないですね。それで君の意識を奪ってそこに向かってきたのかもしれない」

「あ、ええ、確かに俺に取り憑いている神は、その姿がキツネのような顔や尻尾をしていました・・・何か縁があるのでしょうか」

おそらく、と棗さんは頷いた。

「それで、家にはもう連絡がついたのですか?」

「あ、はい。綾女さんの携帯を借りて・・・」

「家は関東でしたか。帰りはどうやって?」

「あ、手持ちのお金では足りなくて、母がお金を振り込んでくれるらしいので、それで新幹線の切符を買って帰ります」

そうですか、と棗さんは頷いた。

「今日はもう遅いですから、うちに一泊していくと良いですよ」

「え、良いんですか?」

「ええ、食事も用意しておりますので、ぜひ召し上がっていってください」

俺は棗さんの善意に深く感謝した。

そしてもう一度綾女さんの携帯を借りて家に連絡をいれ、明日帰る旨を伝えた。

また、俺が家を出てからの記憶があやふやなこと、恐らく取り憑いている神の仕業なことを伝えると、また電話口で泣かれてしまった。すぐに香澄に変わり、香澄からも散々心配と文句を言われた後わんわんと泣かれてしまった。


その夜、俺は用意してもらった床について眠りに落ちたが、ふっと気づくと棗さんに羽交い絞めにされていた。棗さんは何かの呪文を必死に唱え、傍らで綾女さんも札を胸元に構えて呪文を唱えている。

「え?い、一体何が・・・」

「良かった・・・気がついたのですね。あなたが夜中に急に歩き回りだしたので、正気に戻そうとしていたのですよ」

棗さんの額にうっすらと汗が光っている。

「俺が・・・?」

「神の気配がまだ色濃く残っている。意識を乗っ取られてしまったのでしょう」

嘘だろ・・・俺はその場にへたり込んでしまった。時間はまだ午前3時、真夜中だ。

「すいません・・・ご迷惑をおかけして・・・」

「いいえ、大丈夫です。お気になさらず」

俺は何気なく綾女さんの方に目を向けると、なにやらキラキラした目と鉢合った。

う、この目はリアルBLばっちり網膜に焼き付けてやるぜ!という目だ・・・。俺は力が一気に抜けてしまった。気づいたら、綾女さんも棗さんも寝巻き姿だ。寝ているところをたたき起こしてしまったらしい。

その時、ミシリと廊下から音が鳴った。ミシリ、ミシリと何かが廊下を歩いている音がする。電気のついた部屋は障子一枚外側は廊下だった。

「誰か、起こしてしまったんでしょうか」

そういう俺をシッと棗さんが遮った。

「ここには今僕たち以外誰もいないはずなんです」

綾女さんがこっそり教えてくれた。だとしたら、この足音はなんなのだ?

「あなたの神の気配につられて浮遊霊が集まってしまったのでしょう。綾女、拝みの儀式の準備を」

はい、っと凛とした声で応えると、綾女さんは障子をスパンと開いた。ぴたりと足音がやみ、そこには誰もいない。すると、ピシッとらっぷ音が鳴り始めた。綾女さんがお札を部屋の入り口に貼り、出て行った。

「綾女が結界を貼りました。普通の霊ではこの中に入って来られないでしょう」

確かに部屋の外で何度もラップ音や人の歩く音がするが、中には入ってこない。しばらくすると綾女さんが戻ってきた。手には塩や榊、水の入ったコップ、短剣を持っており、それを棗さんに渡した。

棗さんは、ご苦労といってそれを受け取り、俺の前にどっしりと胡坐をかいて座った。そのすぐ側に綾女さんが座り、二人で息を合わせ始めた。そしてお経のようなものを唱えだすと、途端にその場が澄み切っていく。廊下のラップ音も収まっていき、棗さんが榊を振り終えるとしんとした静寂が戻ってきた。

「2体ほど浮遊霊が集まってきていましたが、どちらも浄化させました。これでしばらくは大丈夫でしょう」

棗さんのその言葉に俺は心底安堵した。


その時、障子の向こうから「おーい、樹、おるんか」という声がした。障子にはいつの間にか誰かの黒い影が立っている。俺は、その声が誰かすぐに分かった。しかし、同時にその人がこの場にいるはずもないことも明らかであり、ゾッとした。

「じ、爺ちゃん・・・?」

「おーい、樹、おるんか」

障子の人影はまた同じように俺を呼んだ。澄み切っていた空気が、急激に歪み重苦しく澱んでいく。

「樹さん、分かっているとは思いますが、これは生きている人間ではありません」

棗さんの声が、珍しく焦っているようだ。傍らに置いた短刀を握り締めている。

「これは、浮遊霊でもない・・・この禍々しさは、あなたに憑く神が使役している、物の怪の類・・・」

「な、棗様・・・!」

「私は祓い屋のもとで一時期修行をしましたが、才能としては拝み屋が向いていた・・・霊を浄化させることに特化して修行をしてきましたので、こういった話の通じない悪霊を追い祓う術を持っていない・・・今はとにかく結界を破らせないようにするしかない」

「しかし、今貼っている結界は浮遊霊向けの簡易なもの・・・物の怪相手にはすぐに破られてしまいます!道具さえあればもっとちゃんとしたものが貼れるのに・・・」

綾女さんが悔しそうにしている。障子の影の主は、一定感覚で俺の名を呼び続けている。

俺は、その声に一気に爺ちゃんの姿が蘇ってくるかのようだ。

幼いあの頃のトラウマとともに、爺ちゃんの存在は俺の中で暗い影のようにずっとこびりついていた。もう声さえ思い出せなくなってきていたというのに、一度耳にすればそれはまさにあの優しかった爺ちゃんの声だった。俺は懐かしさで涙が出そうになった。いつも大らかで優しくて逞しかった爺ちゃん・・・。爺ちゃんは失踪したまま、その亡骸は終に見つからずじまいだった。

もしかしたら爺ちゃんは生きていたのでは・・・?

あり得ないはずの妄想に俺は取り付かれた。そんなこと起こりえない、障子の向こうにいるのは爺ちゃんのはずがない・・・それなのに俺は思わず立ち上がって、よろよろと障子に近づいていってしまう。

「やめるんだ!障子を開けてはいけない!」

棗さんの声が飛んで、俺の手を掴み引き戻す。

分かっている。俺は分かっているんだ。その障子の影が爺ちゃんではないことは。でも、爺ちゃんでないならそれを確かめさせて欲しかった。もしくは、もしかしたら爺ちゃんの顔を、一目見れるかもしれない。例えそれが本物の爺ちゃんではなかったとしても・・・。

「やめてください!開けたらすぐに結界が解けてしまう!」

綾女さんも必死に俺を引き止める。

棗さんが意を決したように、小刀を鞘がついたまま空に閃かせた。何度か縦横に小刀を振り、障子に塩を振り掛けると、鋭く「人間に成りすます妖怪め、本当の姿を現せ!」と叫んだ。

すると、また空気がミシリと変わった。

障子の人影が揺らめき、伸びたり縮んだりその大きさがゆらゆらと変わる。

さらに俺を呼んでいた爺ちゃんの声が止まり、キツネの鳴き声のような声でケタケタという笑い声に変わった。

女か男か判別のつかない濁声でケタケタと笑う声が鳴り響く。俺は障子を開ける気持ちがすっかりなくなってしまった。そしてそのケタケタという声がゆっくりと遠ざかっていき、障子の人影もゆっくりと小さくなって消えてしまった。

「い、いなくなったか・・・?」

「ええ、もうすぐ夜明けです・・・間一髪でした」

棗さんが額に玉のような汗をかきながら呟いた。綾女さんが立って障子を開くと、廊下の向この窓ガラスに朝焼けが映っていた。廊下には、泥のついた獣のような足跡がびっしりと残されていた。

「あのような物の怪・・・よく現われるのですか?」

「いえ・・・初めて現われました・・・爺ちゃんになりすますなんて・・・酷いやり方だ・・・!!」

俺は震える声で吐き捨てた。

「非常に強い物の怪でした・・・そしてあなたに憑いている神の気配を感じた。あなたに憑いている神はあなたを殺そうと躍起になっているようですね」

「そうですか・・・俺の命は今年いっぱいと言われています。もう半年を切っている・・・神も本気で殺しに来ているのでしょう」

もう、8月の終わりだ。俺の命はあと4ヶ月程度しかない。それまでに神を落とせるのだろうか・・・。

「とにかく、あまり眠れなかったでしょう。一休みされてください。今日帰るのは止めたほうが良い。いつあの物の怪が現われるか分からないし、あなたが神に乗っ取られるかもしれない。家まで無事に帰りつけないかもしれない」

「そ、そんな・・・」

「代わりに野ばらを呼び寄せましょう。彼女と一緒に帰るのであれば何かあっても対処できるでしょうし、あなたは彼女の依頼人なのでしょう」

そういうと棗さんは野ばらさんと連絡を取ってくれることになった。野ばらさんも俺の状態を棗さんから聞き、事態の重さを感じてすぐにこちらに来てくれることになった。


俺はそれから気絶するように眠り、気づいたらもう夕方になっていた。その頃には野ばらさんも到着していたが、驚いたことに咲桜と椿、香澄までもが一緒に来ていた。

「いっちゃん!」

「桐矢くん!」

「おにいちゃん!」

咲桜と椿は俺の顔を見るなり泣き崩れた。どうやら、かなりの心配をかけていたらしい。香澄は俺に体当たりをする勢いで飛びついてきて、懐でわんわんと泣いた。

「いっちゃん!体はだいじょうぶなの!?2ヶ月もいなくなってたんだよ?どうやって生活してたの?」

畳み掛けるように咲桜に聞かれて俺はこれまでのいきさつを説明した。気づいたら京都に来ていたこと、取り憑いている山神に乗っ取られたらしいこと、この2ヶ月ほど京都の山をぐるぐる徘徊していたらしいこと、昨夜爺ちゃんの声をした妖怪が現われ、どうやら山神の使役する妖怪であること。そいつが俺を狙っているため、一人で帰ることが危険であること。

「悪いな心配かけて・・・」

「ううん、無事でよかった」

咲桜が涙ぐみながらそう言って笑った。そういえば今日は思いっきり平日だが、学校は大丈夫なのだろうか。

「今夏休みなんだよ。桐矢くんが失踪したまま、夏休みになっちゃったんだよ・・・」

椿がそういった。そういえば8月なのだから夏休みか。俺の、人生で最後かもしれない夏休みは、残念ながらもうあと1週間ほどしかないことになる。

「ちょっと気になるんだけど、失踪していた間に京都の山にある神社を徘徊してたって話、本当?しかも懐かしい感じがした?」

野ばらさんの問いに俺はそうだと答えた。

「あなたについている山神は京都の山の山神ではないはずよ。あなたが取り憑かれたのは京都ではないんだから」

そういわれてみればそうだ。俺が山神に取り憑かれた場所は関東の西北部にある。

「なぜ、山神はあなたを乗っ取って、京都に寄越したのかしら・・・」

「山神?それは不思議だな」

棗さんがそう応えた。

「あなたに憑いているのはキツネの神なのですよね?」

俺ははいと答えた。香澄が、キツネのお顔でお耳と尻尾を生やした、花嫁さんなの、と説明した。

「あの京都の山にある神社は稲荷神社で、あなたに憑いている神はその稲荷神だとばかり思っていたのですが、話を聞いているとどうやら地域に土着の山神のようです・・・山神と稲荷神は似て非なるものだ。山神は山に対する畏敬の念の現われであり自然神である。それに対し、稲荷神は人が祭り人の信仰がなくなれば廃れるものだ。なぜこの二つが混同されているのか・・・あなたについているのはそもそも山神なのですか・・・?」

言われてみればおかしな話だが、問われても俺にはなんとも応えられなかった。でも確かに、村長の話でオシラ様という山神が昔からその地域には存在していて、何年かに一度生贄を求めるということだった。

「まあ、一度その京都の神社に行ってみるしかないでしょ」

野ばらさんがそう提案した。そこに行けば、俺に取り憑いている神のルーツが何か分かるかもしれない。

もう日暮れが近かったため、俺たちはもう一晩神社に泊めてもらうことになった。俺はまた神に乗っ取られないように、部屋にも俺自身にも厳重な結界を貼ってもらった。大勢で泊めてもらうことになったので、一部屋に香澄と俺と棗さん、もう一部屋に綾女さん、野ばらさん、椿、咲桜の4人が寝ることになった。

俺と棗さんが布団を敷いているところを綾女さんがやたらとうろうろしているので、追い払うのが大変だった。ったく何を期待しているんだか・・・。


その夜、俺は夕方まで眠っていたからか、眠気が全くなくなかなか寝付けなかった。

すぐ側で香澄や棗さんの寝息が聞こえる。結界を貼ってもらったし、近くに野ばらさんもいるし、今夜は穏やかに過ごせそうだ・・・。

そう思っていると、すーっと障子が開いた。誰か来たのか?と目を向けると見たことのない俯いた髪の長い女だった。ふっと足音もなく移動すると、棗さんの枕元に立ち、ゆっくりとかがんでその顔を覗き込んでいる。俺の心臓が早鐘のようにどくどくと鳴りだした。

いつの間にか金縛りにあったように声も出せず手も動かない。女はじっくりと棗さんの顔を覗き込むと“違う”と言って今度は香澄の枕元に立ち、同じように覗き込み始めた。次は俺の番だということは明らかだった。

俺はすぐ側で覗き込む女の腕がやけに長いのが恐ろしかった。長い腕は屈むと床まで易々と着いている。人間ではない・・・俺は何とか金縛りを解こうとしたが全く動けない。

女はまた“違う”と呟くと俺のところにやってきた。俺の枕元に立ちゆっくりと顔が近づいてくる。俺は目をつぶっていたが、人の気配がすぐ側にあるのを感じて、思わず薄目を開いてしまった。髪の毛で覆われた暗い顔が露になっていく。その顔は黄色がかった肌に目玉が毀れそうなほど露出して白目を向いた恐ろしい顔だった。女は俺の顔をじっくり見ると“ミツケタ・・・”とニヤリと笑い長い手で俺の顔を包み込もうとした。俺は恐怖のあまり固まって、声も出せずに震えていた。

しかし女が俺の体に触れた途端、俺の懐にしまっていた結界の札が熱くなり、女の手にバチリと火花が光って手が引っ込められた。

その瞬間金縛りが解け、俺は叫び声を上げながら女を振り払うように起き上がった。


俺の声に棗さんも香澄も驚いて起きてきた。女の姿はすうっと消えていったが、俺は涙目で震えていた。なんだって、こんなこと恐ろしいことばかり起きるんだ・・・!俺が何をしたって言うんだよ・・・!

「どうされました?」

「お、女の幽霊が・・・!」

棗さんの顔が強張った。

「そんなバカな・・・結界を貼っているはずなのに・・・」

部屋に貼られた結界を見ると、鋭い爪か何かで切り裂かれていた。

「またあの化け物でしょうか・・・」

「この結果意を破ったのは非常に強い霊、あの化け物でしょうが、出たのは恐らく浮遊霊の1つに過ぎない。またあなたの神の気配に引き寄せられたのでしょう」

香澄が辺りを見回して、あそこに女の人が居ると指をさした。俺にはもう見えなくなってしまったが、目の良い香澄には見えているのだろう。棗さんもそれには驚いていた。

棗さんが万が一に供えて枕元においていた榊の束を手に持ち、香澄が指差す方を向いてお経を読みながら何度か榊を振った。そうしているうちにふっとその場の気配が和らぎ、いなくなったよと香澄が嬉しそうに言う。棗さんは本当に実力のある拝み屋なのだろう。


翌日、俺たちは俺が失踪中に訪れていたあの京都の山にやってきた。記憶を頼りに山に分け入っていく。獣道にそれてからは道がないので迷いそうになったが、2ヶ月間行ったり来たりしていたからか体が何となく覚えていた。そのうち鳥居が見えてきて、朽ち果てた神社が現われた。そこには狛犬の代わりに2体の狐の像がある、稲荷神社だった。

「驚いた・・・確かに樹くんに取り憑いている山神と気配が似ているわ」

野ばらさんが驚きを隠せないようにそういった。

「でも完全に同じではない・・・この神社はいつ頃廃社となったの?」

野ばらさんが棗さんに聞いた。

「調べたところ、100年以上前だそうです」

「廃社になったことを恨んだ稲荷神がさ迷って、関東の山まで流れ着いたのかしら・・・」

「神の御心は計り知れませんが、あまり聞く話ではないですね」

「樹くんに取り憑いている神には何かある・・・そのルーツを探ることが必要そうね」

野ばらさんがそう言った。廃社をあれこれ探してみたが、すでに朽ち果てて何十年も経っている社からはめぼしい手掛かりは見つからなかった。

「ここに無いとすると、樹くんが取り憑かれた山の方を調べるべきね」

野ばらさんがそう言う。しかし、俺はあの一件以来、あの山には近づいてはいけないと言われていた。

「私が調べようにも、村の人から怪しまれてスムーズにはいかなそうね・・・」

「でも俺はあの山には行けないですし・・・」

「樹くんが山に近寄ると山神の力が強まる可能性があるから、行かない方が賢明だわ」

「じゃあ私がやる!」

香澄が手を上げた。

「お婆ちゃん家に行くって言えば良いんでしょ?そしておにいちゃんに悪さをする神様の情報を集めればいいんでしょ?」

香澄がキラキラした目でそう提案した。確かに、村の関係者である香澄が行って聞きまわる方が不自然ではない。

「でも、危なくないか?」

「危ないことはしないよ、大丈夫!」

「私も手伝うわ」

咲桜がそう言い出した。

「香澄ちゃんが一人で村まで行くなんて危ないし、誰かが着いていないといけないから隣人の私が着いて来た、そういうことにしたら良いと思うの」

咲桜のその言葉に俺は頷いた。

「そうだな、そうしてくれると助かる」

「じゃあ、夏休みが残り少ないからすぐ動かないとね」

「咲桜お姉ちゃんも一緒??やったー!」

香澄はツインテールを弾ませながら無邪気にそう喜んだ。旅行気分で喜んでいるのが逆に頼もしいくらいだ。俺は母さんに相談すること、危ないことはしないことを香澄に約束させた。

その後、俺たちは山を降りて、神社でもう一度俺の体に結界を貼ってもらい、帰路についた。これで当分は神に乗っ取られることもないだろうということだ。

「綾女の結界は強固なものだから安心してください」という棗さんの太鼓判だ。

綾女さんと棗さんは東京に帰る俺たちを見送りに来てくれた。俺は2人に丁重に感謝の意を告げた。この数日間、お世話になりっぱなしだった。彼らがいなかったらまだ俺はあの社の周りをぐるぐる周っていただろう。

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