第14話
「あら、いつ見てもひどい童貞臭ね~」
野ばらさんが言った適任者とは、リリーさんのことだった。リリーさんは今回も体系にピッタリと合った薄灰色のスーツを着ていて、胸元を大きく開けていた。恐らくE以上の巨乳がでんっと強調されている。出逢い頭に嘲笑を受けながら、俺は「お、お世話になります・・・」と蚊の鳴くような声で挨拶をした。
これから、彼女にどんな目に会わされるのか分かったもんじゃない。ただでさえ心霊スポットに行かなければ行けないというのに、心配事がまた増えてしまった。
「ええ?何ていったの?全然聞こえないわ。全く大人しくて面白みがないわね~」
真っ赤な原色の口紅を塗った口を大きく開けてケタケタとリリーさんは哂う。
「はいはい、毒ばっか吐いてないでさっさと行くわよ」
野ばらさんが自分より背の高いリリーさんのスーツの襟元をがしっと掴んで引きずった。
「ノバ、私のスーツが一着いくらするか知ってるの?」
「知らないし興味ないわよ」
「まあ、私も男にもらったから値段なんて知らないんだけどね。でも、気軽に引っ張ったりしないでちょうだい。伸びて駄目になるじゃないの」
「男からの貢物なんぞ駄目になってしまった方が良いわよ」
「あ、ちょっとノバ、どこ行ってるのよ、そっちじゃないわよ。あんたねぇ、その方向音痴いい加減何とかならないの」
野ばらさんはどうやら筋金入りの方向音痴らしい。歩みだした方向がもうそもそも正反対だったらしい。
なんというか、リリーさんの派手な顔と大柄な身体、外国人らしい大振りのジェスチャーでコミュニケーションを取るエネルギッシュさに、俺たちは圧倒されっぱなしだ。平然と受け答えできているのは野ばらさんくらいだ。
俺たちは廃病院の最寄り駅で集合していた。閑散とした田舎町の駅舎に派手なリリーさんはかなり浮いている。
おや?とリリーさんが目を椿に向けた。
椿はこの話を聞くと自分も参加させろと言い出した。
烏天狗がついている自分が居れば何か役に立つだろうという言い分だ。俺は止めに止めたのだが、椿はがんとして譲らなかった。女性陣の言い分に勝てた試しのない俺は、溜息をついて了承するしかなかった。だってそうだろ?1を言うと10帰ってくるのだ。いつの間にか俺はなんでこんなに必死に相手のために言葉を尽くしているのだろうと迷子になって、結局最後にはOKということとになるのだ。
椿は軽く自己紹介をして挨拶をした。
リリーさんは椿とその背中に生えている一瞥すると、ふんっと嘲笑を浮かべて「鶏がら女」と呟いた。
椿の顔がムッとして、なんですか?喧嘩を売ってるんですか?と言い返すがリリーさんは取り合わない。むしろ、椿の胸を見て、さらに嘲笑を浮かべるので椿が頭に血が上っていくのが分かる。
なんというか、自分の容姿に自信のある者同士の、プライドのぶつかりあいという様子だ。
野ばらさんはあほらしそうに取り合わずさっさと歩き出してしまったが、また違う方向に進んでいたらしくリリーさんに連れ戻されていた。なんというか、行く先が不安なのは俺だろうか。とんだ珍道中になりそうだ、と俺はもはや諦めた。
バスを乗り継いで少し歩くと大きな建物が見えてきた。
廃病院にたどり着いた頃には午後を回っていた。まだまだ昼間だというのに、廃病院のまわりだけどんよりと暗く淀んでいるような感じがする。
「いやー居るわね、美味しそうなのがいっぱい」
うっとりと舌なめずりをするリリーさんの横で俺はぞくぞくと鳥肌を立てていた。
やっぱり来るんじゃなかった。廃病院の窓に立つ謎の白い人影とか、入り口の奥の方に見えている足跡とか、良くないものの気配で満ちている。椿も何かしら見えているようで、ちょっとたじろいでいた。咲桜だけは何も見えないようで、いつも通りのほほんとしている。
「いっちゃん、何か見える?」
「あ、ああ」
そこらかしこにいっぱいな!だが正直に伝えれば咲桜は怯えるだろう。
「いっちゃん、手をつないでいこう」
そういって咲桜が手を差し出してきた。俺はその手を握って心を落ち着けた。誰かの手を握っているということが、自分ひとりではないんだと実感できてどことなく安心する。
「じゃあ、行きますかね」
野ばらさんを先頭に、俺たちは廃病院に脚を踏み入れていった。横に咲桜、反対側の横に椿、後ろにリリーさんというなんとも安心感のある、いや男としては大分情けない状態だ。
廃病院の中は荒れ放題だった。肝試しで散々若者が訪れていたのであろう。スプレーの落書きや飲み捨てられた空き缶がそこかしこにある。病院だった残骸として、マットレスだけ残っているパイプベットや空の薬瓶も床に転がっていたりする。中は当然ながら電気が通っていないため薄暗い。かろうじて窓から入ってくる明かりを頼りに進むしかない。目の端に、ベッドの下に這いつくばって舌を長く垂らした女の上半身が、一瞬見えた気がした。ぞっとして俺が強く手を握ると、咲桜がギュッと握り返してきてくれた。
「本当に、気味が悪いところね・・・」
椿が眉根を顰めながら呟いた。カチッと背後で音がしたかと思うと、リリーさんがぷかーとタバコを吸い始めた。すい慣れた仕草がかっこいいが、どう見てもお祓いをしてくれる人には見えない。
「リリーはお祓い業の傍ら、今も教会に属して修道女として修行を行っているのよ、こう見えて」
野ばらさんが先頭を向いたままそう教えてくれたが、全く信じられない・・・。
「まあ私の神様は快楽に忠実にあれと仰せになるのでね」
「全く都合のいい解釈だ」
「信じるものは救われるのよ。私は神様に代わって快楽を受け入れているだけ。磔になって死ぬなんてあまりに酷い死に方でしょう?これが私の贖罪なのよ」
「神はあの世で呆れてると思うけどね」
野ばらさんとリリーさんが軽口を叩き合うので、怖い気持ちが少し弱まった。そうだ、怖いと思わなければ良いと何度も教わったのだ。怖いと思う心を無くすのだ。
俺が必死に頭の中で最近見たお笑いのネタを思い出し笑い使用としていたら、階段をトントンと誰かが下りてくる音がした。
トン、トン、トンっと一定のリズムで降りてきている。すぐそばの階段から聞こえるその音に、俺たちは戦慄した。
やっぱこええよおおお!
ふいに、美しい声が響いた。リリーさんが退魔の呪文を唱えているのだ。さっきまでのふざけた様子がうって変わって、こんな時ばかり信じられないほど誠実で真摯な声になるのが、さすがプロの祓い屋というところか。
階段の音が不意に止まり、何かがこちらを覗き込んだ。
もしや、生きている人間か?そういう淡い期待を持った俺はすぐに打ちのめされた。
その「何か」は顔が蜘蛛のようだった。昆虫のような目が無数に顔に埋まっており、捕食されそうな口がおぞましい。そしてこちらをしばらく見ていたかと思うと、ゾッとするような声で奇声をあげた。俺はびくりと飛び上がりそうなほど驚いた。
「いっちゃん?」
やはり咲桜には何も見えていないらしい。
「うーん、聞いていたより深刻だな。大丈夫かこれ」
野ばらさんがぽつりと呟いて俺の恐怖心を煽ってくれる。蜘蛛人間はさらにとん、とんと階段を下りて近づいてくる。
「は、早く祓って下さいよ!」
「いや、ここは逃げておこう。私の祓いの力は限られてるからな、後に取っておかないといけない」
そういうと、野ばらさんはくるりと進行方向を変えて走り出した。
俺たちは慌ててその後を追う。後方から奇声が上がるのを無視して走りに走った。
ふと後ろを振り返ると、蜘蛛人間が、四つんばいになって恐ろしい早さで迫ってきていた。
もうすぐそこまで来ていて、あと少しでつかまってしまう、そう思った瞬間、野ばらさんの声が飛んだ。
「タロさん、ジロさん!」
その声とともに、前に見たことのある狛犬2匹がぽんっと現われ、蜘蛛人間に襲い掛かって行った。
「タロさんとジロさんが足止めしてくれるわ。先を急ぎましょ!」
そういうと野ばらさんは一直線に走っていった。
廃病院の廊下を駆け抜け、階段を見つけると下に下りていった。もはや地上の光が届かないのであたりは真っ暗になってしまった。俺たちは念のために懐中電灯を持っていたので、それを灯しながら進んでいった。
「さっきの、狛犬みたいな2匹って、タロさんとジロさんって呼んでるんですか?」
俺は野ばらさんに尋ねると彼女はそうだと答えた。
「まあ、本当の名前は分からないから、私が勝手に呼んでるだけだけどね」
「ノバは何かと便利な精霊を従えていてずるいよな」
リリーさんはいつの間にかタバコを吸い終わって、こんどはウィスキーの瓶を片手に飲み飲み歩いている。
「そういった精霊って、何体くらいいるんですか?」
「今のところ7体いるわ。すべて自然霊だから私が何かお願いしても聞いてくれないのもいるけど」
「普通はな、1体でも精霊が憑いていれば霊能者として成り立つと言われているんだ。それを7体、しかもどれもハイクラスだからな。さすが神落としされた人間は違うわ」
リリーさんのその言葉に俺は驚いた。神落としされた人間だと!?
「野ばらさんって、神憑きだったんですか!?」
「ああ、言ってなかったわね」
何と言うことだ、彼女も昔神に憑かれた人間だったのか。
リリーさんが途端にニヤニヤし始めた。
「ノバの年齢がいくつか知ってるか?」
野ばらさんは少し嫌そうな顔で女子の年をばらすなと言った。俺は、どう見ても20代前半にしか見えない、場合に寄れば同年代くらいに思えそうだ。
「実はな、ノバはもう200歳を越えてるんだぞ」
ケラケラと笑うリリーさんと驚愕を隠せない俺たち。200歳過ぎ・・・って嘘だろ!?生まれは江戸時代ってことになるが!?
「神に憑かれてあちらの世界に触れていたからね。こちらの時間の流れ方とは違っていたということよ。そんなことより、到着したみたいよ」
野ばらさんが懐中電灯を向ける先に、分厚い防火扉のようなものがあった。そこには、スプレーなのか分からないが、赤い文字で大きく“逃げろ!ここはマジでやばい!”という落書きがでかでかとされていた。俺はその扉が、とてつもなく恐ろしく感じて鳥肌がざっと立った。
「凄い妖気ね・・・」
「ま、まさかここに入るんですか・・・?」
「当たり前だろ、この先にあたし達の目的のやつが居るんだから」
そういうとリリーさんはさっさと扉を開いてしまった。
扉の向こうは、更に真っ暗で空気が淀んでいる。俺たちがその中に入るのを躊躇していると、ふいにぶーんと音がして背後にあった業務用のエレベーターが動き出した。
「う、嘘でしょ・・・電気が通ってるはずないわよ!」
椿が震える声で叫んだ。霊が見えない咲桜もさすがに驚いている。
「降りてきてる・・・」
エレベーターの表示が、上の階からだんだん下の階に移っていっている。こちらに向かっているのだ!
「早く行きましょう。私達を妨害しようとしている」
野ばらさんの言葉に、俺たちはしぶしぶ扉の中に入っていった。
扉の向こうは更に階段になっており、下に向かっていた。懐中電灯で足元を照らしながらゆっくり降りていくと、唐突に女の叫び声が聞こえた。背筋がゾッとするような叫び声は階下から聞こえてくる。
“いやああああ!やめて、離して!”
まるで生きている女のような生々しさで、その声が叫んでいる。
“いや、あそこには行きたくない、お願い許して!なんでもするわ!お願いよ!!”
「亡霊がさ迷っているのね・・・それも強い思念を残して死んだものだわ。この病院に関わって、何かの犠牲になったのね」
野ばらさんは背にかついでいた袋からいつもの杖を取り出した。それをかざしながら前に進んでいく。
懐中電灯の先に、女が蹲っていた。俺はビクっと立ち止まってしまった。女は白い入院服を着ていて、“あそこには行きたくない”と呟いている。あまりにくっきり見えるのでまさか生きている人間か?と思い咲桜にアレが見えるか?と尋ねたが、咲桜は首を振る。やはり生きている人間ではないのだ。
女がだんだんヒステリックに叫び始めた。足首から血がたれ流れている。腱を切られているのか?
暗闇からぬっと腕が出てきて、彼女の頭髪を鷲づかみにした。何十本もの髪がぶちぶちと引き抜かれる嫌な音がして、女は悲鳴をあげる。その瞬間女の顔が上を向かれ、その両目がホチキスのようなもので縫い合わされているのが分かった。女を掴むゴム手袋をした腕は容赦なく彼女を引きずっていく。何とか抜け出ようと必死にもがきながら抵抗する女。しかし満足に足が動かないようで、床に引きずられていくままに血の跡がついていった。必死に助けを求め懇願する悲鳴が上がる。女が連れて行かれる所を追って懐中電灯の光を向ける。しかし姿がふっと消えてしまった。しかし声だけが聞こえている。見えない暗闇の中で、もがき悲鳴をあげる女を蹴り上げるような鈍い音が何度かした。骨が折れるような音がして、女の悲鳴はもはやすすり泣きに近くなっている。声がする方へ俺たちも進んでいった。
「彼女の行き着く先が、私達の目的が居る場所よ」と野ばらさんが言ったからだ。
不意に扉の開く音がして、だん!と強く締められた。扉の向こうの少しこもったような声で、断末魔のような女の声があがり、静まった。重苦しい静けさに俺は知らず知らずの内に足が震えている。
「あそこのようね」
野ばらさんが懐中電灯の光を向けた先には、何年も開けられてこなかったであろう朽ち果てた扉があり、『第一実験室』という札が貼られていた。長い廊下のその扉があり、廊下の片側には牢屋が、その反対側には扉のある部屋がいくつか並んでいる。幾つかには第**実験室と書かれている。牢屋の格子もさび付いており、床にはどこかから雨漏れした水が転々と溜まっている。
「行くわよ。言っておくけど牢屋の方はあまり見ない方がいいわ」
そう言って野ばらさんが歩みを進めた。牢屋の中から何かの気配が複数感じられ、俺は必死でそっちを見ないように進んだ。
「亡霊が上に上がれないまま囚われている。そして夜な夜な繰り返し屠られ続けている。これが終わったらちゃんとあちらに送ってあげましょう」
俺たちは『第一実験室』の前にたどり着いた。
「くれぐれも、これから何を見ても、怖いと思わないこと。良い?」
もうここまできたら後には引けない。俺たちはゆっくり頷いた。
扉は以外にも軽い音を立てながら開いた。中にはさびた手術台や薬瓶の入った棚などがある。
中を懐中電灯で見回していると、急に懐中電灯がふっと消えてしまった。焦って何度も付けなおすがついたと思ったらすぐに消えてしまう。俺だけでなく、他の仲間の懐中電灯もそうだった。
その時、何かが目に入った。壁の隅のところに、ふっと白いものが浮かんでいる。骸骨に近いやせ細った顔に落ち窪んだ目には眼球がなく真っ黒だ。薄ら笑いを浮かべ、肌は血の通っていないかのようなありえない白さをしていた。髪の毛も白髪で縮れてぼさぼさの長い髪をしていて、何となく女だろうことは分かった。薄汚れた白いレースのついた洋服を着ていたが、下半身はなくその場に浮かんでいる。そして手に大きな鎌を持っていて、そのさび付いた鎌からは血が滴り落ちていた。見た瞬間に嫌悪感が浮かぶような、悪意の塊のような姿だ。そいつの薄ら笑いがニヤリと深まったかと思うと、懐中電灯が一斉に消えてしまった。
「気をつけて!みんな近くに固まって、絶対に離れないで!」野ばらさんの声が聞こえた。俺はぐいっと咲桜が握っていた手を引っ張るのでそちらに向かった。
周りに人の気配を感じて、ほっとしていると懐中電灯が何も触っていないのに点灯した?おや?と俺は違和感を感じた。咲桜の手は、こんなにか細かったか?
「いっちゃん!どこいったの!?」
咲桜の声が離れたところからした。なぜ咲桜の声がそこから聞こえるのか。俺と今手をつないでいるのは一体誰なのだ?
俺はゾッとして手を離そうとしたが、それを察してか逃がさないとばかりにギュッと手を握られた。俺は恐る恐るそいつに懐中電灯の光を向けた。それは先ほど見た顔面が蜘蛛の女だった。
「う、うわあああ」
俺は情けない声をあげた。蜘蛛女の後ろで、鎌を持った女が薄ら笑いを浮かべて浮かんでいる。その横に、オペをする医者の格好をした男が二人並んでたっていて、俺を捕まえようと手を伸ばしてきた。
「や、やめろおおおお、離せ!」
「**********************」
野ばらさんの鋭い声が飛んで、獣のうなり声のようなものが聞こえた。それは猫が威嚇をするときの声が何重にも混ざったようなおぞましいうなり声だ。蜘蛛女が怯んだように見えたので俺は必死でもがいてその腕から逃れ、懐中電灯で辺りを照らすと野ばらさんや咲桜が居るところへ駆け寄った。
「おいおい、離れるなって言ってただろ。お前の耳は飾りですかー?」
リリーさんが呆れるように俺に言うが、仕方ないでしょとしかいえなかった。
咲桜曰く、俺が急に手を離してどこかに言ってしまったので焦ったとの事だ。そんな覚えは全くない。大丈夫?と心配そうな椿に大丈夫だと強がって言ったが足はがくがく震えている。
「雑魚2体に普通レベル1体、中くらいが1体って所か」
リリーさんは首にかけていた十字架を外すと、それをかざしながら英語で祈りの言葉を唱え始めた。
「この世に未練があるとか、恨みがあるとかそういう霊には正攻法で諭して成仏させることも出来るけど、あとの2対は悪意を持って人に害を成すのが楽しくて仕方のない輩だからね。祓うしかないでしょう」
野ばらさんの背後に、大きな猫が毛を逆立てながらうなっていた。先ほどの声はこいつだったのだろう。尻尾が3本に分かれた化け猫か。これがいつぞや香澄が見たという野ばらさんの精霊の1つ、タマさんなのだろう。それにしても、タマさんという名前と違って目を吊り上げ牙をむき出して威嚇する姿は恐ろしい限りだ。
そのうち、2人の男達の姿がうっすら透明になってきていた。リリーさんの詠唱が効いているのだろう。
「タマさん!お願い!」
野ばらさんがそういうや、タマさんは駆けていって蜘蛛女を追い掛け回し始めた。蜘蛛女は奇声を上げながら立ち向かおうとするが、タマさんは意に介さず鋭い爪で引っかき傷を負わせた。これは溜まらないと逃げ出した蜘蛛女の行き先に野ばらさんが歩みを進め、リボンを解いた杖を構えた。あ、いつものパターンに入ったなと思うや否や、杖に青白い文字が浮かびあがり、襲い掛かってきた蜘蛛女にフルスイングをかました。蜘蛛女に杖があたると一瞬火花が飛んだが、いつものように一瞬で消えていきはしなかった。杖は蜘蛛女にめり込み、野ばらさんが手に力を込めて杖をさらに蜘蛛女にめり込ませていく。
すると、すうっと蜘蛛女の姿が薄くなっていき、少しずつ消えていった。そして半分まで消えてしまうと、あとは抵抗なく杖が振り切られ、跡形もなく蜘蛛女は居なくなってしまった。
いつもの霊より手ごたえがあったのだろう、野ばらさんは肩で息をしている。
「こっちは片付いたわ。リリー、そちらはどう?」
「雑魚2体は仲良く地獄に送ってあげたわ。残るは大物1体ってところね。で、アレをやるんでしょ」
「ええ、約束どおりやってもらうわよ」
「ち、報酬につられて引き受けたは良いが、割に合わない気がしてきたわ」
そういうと、リリーさんはいつもと違う祈りの言葉を唱え始めた。どこか禍々しく、暗い感じがする。
「樹くん、覚悟を決めてね」
野ばらさんの言葉にえ?と俺が返すと、リリーさんが鎌を持った女に近づいていった。
「彼女は憑依体質なの、そしてこれは彼女の祓い方としてかなり乱暴なやり方よ」
リリーさんは化け物の1メートルほど手前まで来ると、両手を広げてニヤリと笑った。
「女相手は残念だけど、この体好きにして良いわよ?」
化け物がすうっとリリーさんに引き寄せられたかと思うと、その体に重なって消えた。リリーさんがうっと呻いて跪く。俺が駆け寄ろうとすると止められた。
「憑依されたわ。下手なことをすると身が危ないわよ」
激しく咳き込んだかと思うと、リリーさんはゆっくり立ち上がった。そしてこちらを向いたかと思うと、その目は先ほどの化け物と同じく真っ黒になっていた。
「ヒッ」
「怖がらないで。これからが本番よ。リリーの得意体質を利用して、あなたに守護霊をつけるわ」
「い、一体どうやって?」
「リリーにキスをするの」
ええ!?あんな危険な状態のリリーさんにキスをするって?
「リリーは人に憑依させた霊をキスで吸い込んで浄化することが出来るけど、逆に自分に憑依させた霊をキスした人に渡すことが出来る。そうすることで霊は浄化されて守護霊としての機能を果たすわ」
「ほ、ホントですか!?」
「相性もあるからやってみないと分からないけど・・・というかあの状態のリリーにキスをすることが一番の課題ね」
そりゃそうだ。リリーさんは嬉々とした顔で俺たちに今にも襲い掛かってこようとしている。
「危ないから咲桜さんは下がっておいて。樹くん、出来る?」
出来る出来ないに関わらず、やるしかないじゃないですか!俺は意を決してリリーさんに近づいていった。
「言っておくけど私はもう力を使ってあまり援護できないからね。死なない程度に頑張れ」
そんな無責任なことをあっけらかんと言う野ばらさんを恨みながら、俺はファイティングポーズで歩みを進める。リリーさんはヒールのせいで俺より身長が高い。体重も俺よりあるかもしれない。掴みかかってこられたら勝てるかあまり自信がない。これでも霊に悩まされないようになるべく体は鍛えているのだが、外人の骨格の大きさは圧倒されるものがある。
リリーさんもゆらりと体を揺らしながら近寄ってきた。たぷたぷと巨乳が揺れているのに構っている暇はない。案の定近くまで来た途端、ニタニタ笑って襲い掛かってこられた。俺は一撃目を回避してリリーさんの襟口をガシッと掴んだ。よし!このままキスに持ち込むぞ!
しかし勢いよくリリーさんの肘うちが顔面にぶつかり、目に星が飛んだ。がしっと肩を掴まれたかと思うと膝蹴りが鳩尾を襲い、胃がせりあがってきて吐きそうになる。蹲りそうになったところを首を掴まれ締め上げられた。うう、長い爪が首に食い込んでくる。息が出来なくて苦しい。女性の力とは思えない締め上げに俺はなす術もなかった。
「桐矢くん!」
気を失いそうになった時、椿の声がしてふっと首の締りが解かれた。俺はその場に蹲って咳き込むと顔を上げた。そこにはリリーさんを後ろから羽交い絞めにする、椿の姿があった。もがき抜け出そうとするリリーさんを、必死で押さえつけている。その背中から、あの烏天狗がずるりと抜け出しているのが見える。彼女の手助けをしているのであろう。
「今のうちに、早く!」
椿の声に、何とか立ち上がった俺は、リリーさんの頬に手を当てて狙いをつけると、そっと口付けた。柔らかい唇の感触と、何かが口の中にすうっと入ってくる感じがする。吸い寄せられるようにそのまま口付けをしていると、リリーさんがだんだんもがくのを止めて大人しくなっていった。口の中に流れ込む何かの気配がなくなって、もう良いかな?と口を離そうとすると、リリーさんの舌が口にねじ込まれて驚いて口を離した。
リリーさんはもう普通の顔に戻っており、舌で唇を舐めながら、チッ逃したかとニヤニヤしていた。
「り、リリーさん、大丈夫なんですか?」
「ああ、もう大丈夫よ」
椿が手を離しても、襲い掛かってくることなく普段どおり懐に入れていていた酒を煽り始めた。
「どうやら成功したみたいね」
野ばらさんがにこやかに笑って言った。
「本当ですか?」
「あなたの後ろに守護霊が憑いてるわ。大人しそうな女の守護霊がね。そこそこ力はあるからしばらく大丈夫なんじゃない?」
よ、良かった・・・アレだけの怖い目にあったのだから、成功して本当に良かった。
「いっちゃん、本当に良かった!」咲桜も嬉しそうだ。
「じゃあ周りの亡霊を軽く成仏させて帰りますかね」
そういうと、野ばらさんとリリーさんは片っ端から病院にたむろしている霊を成仏させていった。いつもの杖を使った強制お祓いではなく、ちゃんと一つ一つに次のステップへ送るやり方で成仏させてあげていた。
しかし、全ての霊を送るのにはまだ時間がかかりそうだとリリーさんが言っていた。本来このやり方は時間がかかるため、何度も足を運ばないといけないのだそうだ。
主軸にいて霊を呼び寄せていた悪霊がいなくなったから、やっと拝み屋にバトンタッチが出来るようになると野ばらさんも語っていた。
帰りがけにいつものようにファミレスで大量のご飯を野ばらさんに奢った。今日は力を使ったからか、いつも以上の食べっぷりに心底感心する。野ばらさんの食べる速度に店員さんが追いつかずに走り回っているのを、俺たちは気の毒そうに見守っていたのに、リリーさんまで便乗してワインとつまみをを頼み始めた。リリーさんのおかげで俺に守護霊がついたとはいえ、ここも奢らないといけないのだろうか・・?俺は手持ちで間に合うかと思わず財布の中身を確かめた。
そういえば、と咲桜が野ばらさんに尋ねた。
「野ばらさんって、神憑きだったんですよね?どうやって祓ってもらったんですか?」
そういえばそうだった。野ばらさんは元神憑きで、世にも珍しい神落としが成功した人なのだ。俺の神落としの参考になるかもしれない。と俺は淡い期待を寄せる。しかし、樹君の件とは全く違うので参考にならないけど、と断った上で野ばらさんは語った。
「話は今から200年程前に遡るわ。私は10歳くらいで、羽子板で一人遊んでいたら、気づいたら夕暮れ時の草原に一人で立っていたわ。どうやってここに来たのかも帰り道がどこにあるのかも分からない。ただ、どんなに時間が経っても地平線に太陽が沈まず、ずっと夕暮れのままだった。それは、俗に言う神隠しというやつだった。私の家はそこそこ地位のある家だったし私は一人っ子だったから、忽然と消えてしまった私をかなり大規模に捜索したらしいけど、見つからなかった。」
野ばらさんは途方にくれて、羽子板を片手に持ったまま、周りに誰か人が居ないか辺りを探し回ったらしい。
その時に、遠くの方に白いマントをかぶった、俯き加減で顔の見えない人がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。なぜか野ばらさんはその人が嫌で仕方なく、逃げ回っていたらしい。でもゆっくり、ゆっくりとその白いマントに人は近づいてくる。もう後数メートルとなった時に、途端にしわがれ声の老婆のお経がどこからか鳴り響いたらしい。そして寸前までやってきた白いマントの人は、幼い野ばらさんが「あっちに行け!」とばかりに振り回していた羽子板が当たった瞬間、ふっとどこかへ消えてしまったらしい。
「なんだかずっと夢の中に居るような、現実感のない感じだったわ」
野ばらさんは遠くを見やるようにして語った。
その白いマントの人はその後も何度も何度もやってきたけど、そのたびにお経が鳴り響き羽子板を振ると消えてしまった。少しずつその一連の作業にも飽きてきた頃に、ふと近くに中年くらいのおじさんが、着物に似た不思議な服装をして立っていた。そのおじさんは野ばらさんに気づくと、すごく驚いたらしい。なぜここに人間がいるのだ?と不思議な顔をされたそうだ。おじさんは、ここは人間が居ては良いところではない、はやく帰りなさいと言うが、帰り方の分からない野ばらさんはわんわんと泣くばかりだったという。
そのおじさんはしばらく野ばらさんの話し相手になってくれたり、霊を退ける手法を教えてくれたが、なぜか白いマントの人には羽子板で殴ることがもっとも効果的だった。
「お前は不思議な子だなぁってしきりに言われていたわ。その人はいつのまにかぱったりと現れなくなってしまったけど、白いマントの人は懲りずに何度も何度もやってきた。そのたびに羽子板で殴って追い返す日々だったわ。おなかも減らないし、眠くもならない。不思議な感覚だった。体感的に10日くらいが過ぎたなと思ってると、急に空が明るくなってま昼間になった。周りには白いバラが咲き乱れていた。ここはどこだろうと思っていると、私の師匠となる人が駆け寄ってきて私を保護してくれた。どうやら、神憑きの場を鎮めようとしたときに、私が忽然と現われたらしいの。さすがにすごく驚いたらしいわ」
それから日時を確かめてみたら、およそ200年後の世界だったということらしい。時間の進む感覚が違いすぎていてめまいがする。200年前と言ったら江戸時代で、世界史的にはナポレオンが生きていたような時代だ。そんな時代に生まれた人と同時代を生きることなど不可能に等しい。
「その後は師匠に引き取られて、宮束流の門下に入ったわ。師匠が私の生家を探し出してくれて、当時本当にひとり娘が神隠しにあったと言う言い伝えが残っていたことを見つけ出してくれた。そして、当時私を可愛がってくれていた祖母が最後まで懸命に綿心ことを探し回って、最後は無事を祈りながら即身仏になったそうなの」
「即身仏って・・・お経を読みながら餓死するというやつですか?」
「ええ、正式な即身仏としては認められなかったけど、私の無事を祈るあまりに自分の命をかけて守ろうとした。だから私はあちらの世界で、白いマントの人に連れて行かれずに済んだと思っている」
マントの人がやってくると聞こえてきていた念仏は祖母のものだったのだ。
生家にはそのことを伝えたのですか?と尋ねると野ばらさんは首を振った。
「今更200年前に神隠しにあった娘が戻ってきたといっても信じるものは居ないし、私が知っている人はもう皆死んでしまっていた。それから私は師匠に引き取られてそのまま宮束家で過ごし、師匠が亡くなるとともに家を出て、仕事の伝を使って関東に移り住んだ。今は祓い屋の仕事を傍らにOL生活というわけよ」
「その師匠さんは、どんな手を使って野ばらさんをこちらの世界に引き戻したんでしょうね」
「師匠が言うには、特別なことをしていないらしいわ。ただ何度やっても私を連れて行けなかったものだから返品されたんじゃないかって話」
勝手に連れて行って勝手に返品してくるとはなんとも勝手な神様だ。
「ね?参考にならなかったでしょ?」
確かに俺の淡い期待は打ち消されたが、野ばらさんの浮世離れした性格が何となく理解できた。こんな人生を送っている人は他に居ないだろう。




