8.衝突
17
「やあ、コーキ。奇遇だね、こんなところで会うなんて。それと、隣に居るのはリリアか……」
「重力魔法〈リポーション〉」
魔法の発動により、リリアは、磁石の同じ極が近づくように弾かれて、クライツさんから距離を取る。
「え、うわっ!」
僕もリリアに手首を握られたため、一緒に彼から距離を取ることになる。
ただ、弾かれるといっても常人ならぬ身のこなしで、リリアは体勢を一切崩さない。
僕もリリアのサポートにより何とか転ばずに済んでいる。
「一声かけただけで距離を取られて臨戦体勢とは、少し傷つくなあ……。君もそう思わないかい? コーキ」
ピリピリとした空気の中、昔ながらの親友のように話しかけてくるクライツさん。そんな彼は、僕へと話が振られてくる。
その口調からは本当に傷付いているように感じられてしまう。
――なんで、こうなったんだ?
殺伐とした雰囲気の中、今までのことを回想する。
食堂でチェスをしていたらなぜか僕の装備の話になってしまった。
どうしてチェスをしながらそんな話になるのかというと、僕が一回も勝てないからだ。どうしても勝ちたかった僕は、なんとか勝とうと会話で油断をさせる作戦に出た結果だった。
ちなみに、そんな小狡い姑息な手を使ったとしても、勝てないものは勝てない。
僕が装備品を全く持っていなかった為に、リリアが、私が選んであげるよと話が進む。
そうして、チェスはリリアによる後攻十手目のチェックメイトで終了させられ、日が暮れる前に装備品を買いに行く事になったわけだ。その話題を出したことを後悔した。
一応、街には街灯のようなものはあるにはあるのだが、夜は危ないらしい。
夜は危ないというのは、どの世界でも共通のようだ。
そういう事で、チェスを切り上げ、食堂を出て、装備品を売っている店に行く事になった。そうして街を歩いていたら、この状況というわけだ。
唐突過ぎる。
リリアとクライツさんの間に何か因縁があるのだろうか。
というか現状、話は僕に振られているわけだが、過去を振り返り、現実から逃れているわけにもいかない何か返答をしなければいけないだろうか。
「え、えっと、お二人の間に何かあったんでしょうか……?」
とりあえず二人の因縁についてを尋ねる。殺伐とした雰囲気につい、小心者な僕は敬語になってしまう。
「トーマ! 逃げるよ! 重力魔法〈グラビティバニッシュ〉、重力魔法〈リポーション〉」
その声と共に、突如、浮遊感に襲われ、更に弾かれるようにクライツさんとは反対方向に加速していく。なお、リリアには手首を掴まれたままだ。
「なんで逃げるんだよ!?」
そう、訊いている内にも屋根の上をかなりのスピードで飛んでいる。浮遊している。
魔法の名称から、重力の操作をして、推進力にしているようだ。
「それは逃げる以外に方法がなかったからだよ」
意味がわからない。
選べる手段はもっと他にいろいろとあったはずだ。どうしても話の食い違いを感じずにはいられない。
「あいつには〔聖剣〕があるから魔法が効かないし、だからといって近接戦を挑めば圧倒的な剣術であっさりと倒される」
リリアは早口でそれでいて憎々しげにクライツさんについてを語っていく。
それは実際に戦ったことがあるかのようだった。
「弓とかが効くかと思ったんだけどあり得ない反射神経を見せて迎撃するし、正直、手詰まりなんだ。だから逃げるしかないんだよ」
そうか、前提が違うんだ。彼女はクライツさんと戦うことを前提としている。だから僕はその前提を正そうと、彼女に向けて言葉をかける。
「だからって話し合ったりは出来ないのか? というかなんで僕を連れて来た」
そしてもう一つの謎も加える。僕を連れて来る必要はあったのだろうか。
やましいことはあるにはあるのだが、彼がどうにかするにしても、リリアが標的だろう。
なんでそこに僕を巻き込もうとする。
「あいつは分からず屋だからね。上司の命令には逆らわないし、話しても無駄だよ。あなたもあのままだったら、良くて捕縛、悪くて真っ二つになってたんだよ?」
悪くて真っ二つ。
信じられない。あんな穏やかそうに話しかけてきたクライツさんがそんなことをするとは思えない。
第一、リリアの件に関していえば、僕はほとんど無関係だ。
それなのに、リリアは確信を持ったように話している。
「真っ二つはないだろう。なんでそんな事言い切れるんだ?」
そのために聞き返す。
それにリリアは、さも当然とばかりに、なんの迷いもなく、断言をするように、僕へと答えを返してきた。
「私といたからに決まってるじゃん」
ここまで自信満々な、あまりに予想外の返答にしばし呆然とする。
僕はその言葉の意味をじっくりと、飲み込もうとした。
「えっと、リリアは何かやったの?」
だが、時間をかけようと理解は出来ない。僕の手を握る彼女は隣にいるだけ罪になるような存在なのか。それは一体なんなのか。
わからないから、そのために、更にリリアへと聞き返した。
「私は何もやってないけどね。まあとにかくあいつと会ったら逃げるしかないんだよ」
リリアは苦々しく笑いながらそう煙に巻こうとする。僕にとっては全く笑い事ではない。本当に真っ二つになってしまうのか、とても重要だった。
それでもこれ以上深くは教えてくれないようだ。そして心なしかスピードが上がった気がする。
これ以上の詮索は無理だと諦め、僕はリリアへの質問の趣旨を変える。
「逃げるって、何処に逃げるんだ?」
そろそろ街を抜ける頃だ。あてもなく逃げているわけじゃないと信じたい。
だけど話を聞く限りの高スペックなクライツさんから、逃げ場なんてあるのだろうか。
「“樹海”だよ。あそこなら少なからず〔聖剣〕の力が弱まるから多分追っては来ないはずだし、追って来ても近づかれない限りは何とかなるとおもう」
意外な事実だ。
確か全ての魔法を切り裂く剣、だったろうか。弱まるということは、魔法が効くようになるということ。魔法の攻撃が効けばきっと、対処も楽になるはずだ。
だが、そうなると〔聖剣〕の力が弱まるのは“樹海”だけなのか全てのダンジョンなのか少し気になってしまう。いや、いま考えるべきことじゃない。今は“樹海”が安全ならそれで良いはずだ。
〔聖剣〕についてはもういいとして、今から樹海に行くとなると一つ問題がある。
「もうすぐ日が暮れるけど大丈夫なのか?」
そう、これから夜になろうとするところだった。人間の世界でも夜は危ないものならば、自然の世界でもそれは共通だ。
「一晩くらい徹夜したって大した問題はないよ。まあ、騒動が収まるまでは野宿は覚悟しないといけないけど」
どうやら徹夜で警戒するらしい。そして当分は街には戻れないということだ。
ずいぶんと酷い。
なんでこんなことに巻き込まれてしまったんだ。
もとはといえば、あの偽物の門番が、紹介した店に行ったから、このリリアという少女に会ったんだ。そうだ、あの門番が全て悪い。
そうこうしている内にもう“樹海”に着いたようだ。リリアはスピードを緩め、樹海の樹々に激突しないように進入をする。
そこでようやく一息のついたリリア。そして僕に注意を呼びかけてくる。
「時間としては三分くらい稼げたかな? もし追って来るんだったらそのくらい後に来るからそれまでは警戒しておいてね」
その注意喚起を僕は驚きを持って迎え入れる。
かなりのスピードでここまで来たと思ったが、それをたった三分で追い付いて来るとは。
正直なとろ、信じがたい。けれど、リリアはそれなりにクライツさんのことを知っているはずだ。
そんな彼女が言うのだから、きっと間違いではないのだろう。
「クライツさんって、魔法は使えるのか?」
ふと思った疑問だ。
クライツさんのステータスを見る限りでは魔法の文字はなかった。
けれどステータスを完全に信用するのも危ない気がする。
というか魔法無しで追い付いて来ることが信じられないだけだった。
それに対して、リリアは首を横に振って否定をする。
「あいつは魔法を使えない。〔聖剣〕の所為で魔法道具さえ使えないし」
どうやら本当に魔法無しの生身だけで追って来るらしい。
僕よりレベルも低く、それに応じて筋力なんかも含むそれぞれの値も低くかった。もしかしたら『剣聖』という加護で値に反映されない底上げなどがされているかもしれない。
ここまで来るとステータスに直接映る数値を信用してはいけないものだという気さえしてくる。
ステータスに関する考察をしていれば、唐突に僕でも、リリアでもない。声が響いてきた。子供のような声だった。
「困るよ、ボクの“樹海”を避難所代わりにしてもらったら」
音源は背後。その声色は敵意に満ちて、僕たちを全くと言っていいほど歓迎しないものだった。僕とリリアは同時に振り返りその声の正体を確認する。
アルだ。
その登場は僕からしてみれば意外だった。アルは今まで、僕が一人でいるときに、狙いすましたかのように登場していたから。
アルはリリアではなく、僕の方へと視線を送ると、ニコリと笑った。
「数時間振りかな、コーキ。ボクはいつでも君を歓迎するからね。困ったらいつでも、ボクに相談するといいよ」
さっきの言葉、不意に聞こえたあの声とは裏腹に、邪気のない満面の笑顔でアルは僕との再会を喜ぶ。
だがその後、視線をリリアに移した途端に、なにか気に入らないものでも見たかのような、そんな不快そうな表情へと変わっていった。
「でもその子は納得いかないね。いくら困ったからって、敵だったボクのところに来るなんて、信じられないよ」
そうアルは嫌悪感を隠さず言い切る。
その態度だけを見れば、自分の思い通りにいかず、癇癪を起こしている子供のように思えないわけでもない。
そうなのだけれど、僕との態度の落差から、どこか狂気のようなものが入り混じって感じる。
このままではまずいと判断したのか、リリアが気圧され気味に発言をする。
「え、えっと、少し匿ってもらえないかな。困ったときはお互い様っていうし」
勇気を振り絞ったのだろう。これが彼女のできる辛うじての発言だった。
それほどまでに、アルの負の感情がリリアへとのしかかっていることが、僕にもわかってしまう。
だがその発言に返される答えはなかった。
何故なら、その発言にアルが一瞥をした瞬間に、迫り来る凶刃により、アルの細い右腕が宙を舞ったからである。
気配を一切とも気取らせない一撃だった。僕もリリアも驚きで硬直している。その中で、アルだけは反応をして見せた。
それはおそらく、袈裟懸けにアルの胴体を真っ二つにしようと放たれた一撃であろう。けれどアルは直前で勘付き、身を捻る事で被害を右腕だけに抑えたようだ。
そんな襲撃にアルは表情を変えない。
腕を落とされたというはずなのに、余裕綽々と襲撃者に話しかけていく。
「意外と早かったね。まさか初撃が不意打ちなんてびっくりしたよ。それは君の騎士道とやらに反しないのかい?」
まるで右腕のことなど気にしていないかのようだ。
襲撃者は、それに丁寧な態度で対応をしていく。
「いえ、度重なる足止めには私として、時間をかけてしまいましたよ? 少しですが狼狽もしています。まあ、私は形ばかりの騎士ですから。確かに不本意かと言えば不本意ですけど、これも仕事なので」
襲撃者——クライツさんはそう答える。その表情の変化からは発する言葉一つ一つが本心だということが感じ取れる。
アルは挑発的な笑みを浮かべた。そうして、クライツさんへと確認をするかのように声をかける。
「手加減する必要はないよね? じゃあ、ボクが相手をしてあげるよ。樹木魔法《成長する種》、樹木魔法《加工される木材》」
アルは残った左手に即席で木剣を創り出し臨戦体勢をとった。
だが、その間にも右腕から血は溢れ出て地面に血だまりを作る。
そんなアルの姿に、心配をしないわけはなく、堪らずに声をかけた。
「アル……、その腕で大丈夫なのか?」
気にせずに放置しようとしているその右腕を指摘する。
アルなら高度な治癒魔法なら、くっつけられるか知らないけれど、止血くらいなら簡単にできるはずだ。
「大丈夫だよ。心配性だね、コーキは。腕の一本や二本くらい放っておけば生えてくるよ。ここはボクに任せてくれないかい?」
放っておいても生えてはこないと思う。けれどその台詞と立ち姿からは何か頼もしさが感じられる。
それでも一つ疑問があった。
あのアルから受けた強引な稽古のとき、僕は死にかけの状態からでも、アルの魔法のわずか一つで簡単に回復をしたが、アルは一向に自分の傷に魔法を使おうとしないのだ。
アルならば、片手間にでも止血くらいならできそうなのにだ。
なにか変だ。僕はもう一度だけ声をかける。
「それでも、治癒魔法くらいは使っておいた方がいいんじゃないか?」
今も最初ほどではないが、血は止まらずに流れ出している。
これでは、痛々しくて見ていられない。
「ごめん。心配は本当にありがたいんだけど、ボクは自分に治癒魔法を使えないんだよ。……許して、もらえるかな?」
あのクレーターのときのことを思い出す。あのときも、アルの血は流れ出したままだった。
その衝撃的な事実に、僕はやるせなく黙り込むことしかできない。
できればアルには休んでもらいたいんだ。
だけど、僕では目の前のクライツさんをどうにかすることはできない。
ここは勝てる可能性を持っているアルに任せるしかない。
アルは僕を慮るように声をかけてくる。
「コーキは、優しいんだね。気にすることないよ」
違う。僕は優しくなんかない。
もし本当に優しいんだったら、無茶でもなんでも、ここはアルに戦わせないようにしたはずだ。
でも、そんな勇気は持てない。僕ではクライツさんには敵わない。一度も戦ったことがないけど、こんなほとんど一般人の僕が敵う相手ではないことは確かだ。だから戦わない。アルに任せる。
そうだ。自分は小心者で、狡い人間なんだ。
悔しさで歯を食いしばることしかできない。
そんな僕たちの会話は、クライツさんの台詞で打ち切られる。
「そろそろ始めたいんだが……?」
どうやらクライツさんは、空気を読んで待っていてくれたようだ。
その姿勢からは初撃が不意打ちだったことを一切感じさせない。
アルは、僕と会話から切り替えるようにクライツさんへと声をかける。
「いいよ、始めよう。さあ、何処からでもかかってきてよ!」
そして、戦いの火蓋は切られた。
初撃、読み合いはない。先手必勝といったばかりにらクライツさんが容赦なくアルの首を跳ねようと剣を水平に振るう。隙のないその一撃はアルの首を狙い最速最短の動きで向かっていく。
けれど、当たる事はない。アルは全身を目一杯動かし、屈む事で髪の毛一本掠ることもなくその一撃を躱した。
クライツさんは、躱された事を予測していたかのように無駄のない動作で切り返す。一連の攻めは、実戦の中で培われた相手に一切の反撃を許さない動きに感じられる。
二撃目は、完全には避けきれないと判断したのだろう。アルは左手に持った木剣で受け流す。
あの〔聖剣〕は確か魔法に対して抵抗があったはずだ。なのに魔法で出来ているはずのアルの木剣は今だ壊れそうにない。これが、〔聖剣〕の力が弱まっているという事なのだろう。
でも、これでは弱まっているというより、完全に無効にされているようだった。
そんなことを考えている間にも、二人の戦いは続く。
クライツさんは付け入る隙がないくらい無駄のない最適な剣撃を繰り返している。
けれどアルはその攻撃を小さな身体を目一杯動かし、何の危なげもなくかなりの余裕を持って弾き、往なし、避け、掻いくぐる。
片腕が無いとは思えないパフォーマンスだ。
人の腕は実際かなりの重さがある。腕を失えば、少なからず左右のバランスが崩れるはずだ。
けれどアルは、それを感じさせない動きを見せている。
クライツさんは徐々に苦虫を噛み潰したような顔になる。
何故ならアルの余裕が一撃一撃を繰り出す毎に少しずつだが大きくなってきているからだ。
そのままならない時間はしばらくの間、続いていく。
そしてそれは致命的なものとなった。
アルは、クライツさんの攻撃に躱した後に反撃を繰り出したのである。
クライツさんの完璧とも思える剣術。
けれどアルは、その完璧さを持ってしても対応し切れない絶妙のタイミングで、その一撃を繰り出した。
その一撃は一言で言えば粗雑。
クライツさんの攻撃とは全く比べ物にならないくらい稚拙な一撃。
アルが放つ事により、子供の遊びにも例えられるその一撃は、クライツさんの喉元に突き刺さる寸前で止まる。
おそらく、アル自身の意思で止められたのであろう。
「チェックメイトだよ!」
クライツさんには、今日通算十度目となる、アルの勝利宣言が告げられたのであった――
戦闘って、なかなか上手く書けませんね。
それより、自分で読み直してみたら、あれ? これ剣聖さん噛ませじゃね? となってしまいました。そんなつもりじゃなかったのに。いつか彼にも活躍するときがくる……予定です……。