7.予兆
14
「チェックメイトだよ!」
ビショップの駒の移動により、僕のキングにチェックメイトがかけられる。
「も、もう一回!」
現在、八戦零勝八敗中だ。
実際、僕はチェスは余り得意な方ではない。コンピューターといくらか対戦はしたことはあるが、辛うじてレベル二に勝てるくらいである。
そんな僕が粘って勝負を挑んでいるかというと、なぜそのチェスをアルが知っているかどうしてもきかなければならない。
その為には勝つ必要があるからだ。
もしかしたらステータスの知力の差が大きいからかもしれない。
そう思いアルのステータスを『視る』――
――しかし、出て来ない。
今まで僕やリリアには、はっきりと出ていたステータスが出て来ない。
「まだやるんだね。何度だって受けて立つよ」
どうやらアルはまだやってくれるらしい。しかしなぜステータスが出て来ないのだろう。
まあいい、気を取り直して駒の配置をもとに戻し、勝負を始める。
先攻後攻は交互に変えていて、今回は僕が先攻だ。
「そういえば、治癒魔法ってなんなんだ? 水属性ってきいたけど」
質問をしながら駒を進める。
昨日に、リリアから聞いたこと。アルに確認を取ろうと思っていたんだ。
「水属性? 嫌だな、あんな外道の魔法と一緒にされるのは。僕が使ってるのが正真正銘の治癒魔法だからね。あんなのは治癒魔法じゃないよ」
どうもその水属性の魔法を知っているような口ぶりだ。
そして言葉の端々からは並々ならぬ嫌悪感が感じられる。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
今度は駒を進めると共に、アルから質問が投げかけられる。
「それはともかく。君はやっぱり、遠い遠い国から来たんだよね?」
あからさまに話題を変えるようなものであった。そんなにこの話をするのが嫌であったのだろうか。
変えられた話題の先に、アルは確信をしているような。
そんな雰囲気が感じられる。
「ああ、そうなる。それに僕は帰らなくちゃならない」
それに答えると共に、僕も駒を進める。
嘘を言ったってどうにもならないだろう。
こうしてチェスをしているんだ。確実にアルは、確信をして、確認のためにそうきいて来たに違いない。
「帰らなくちゃいけない、ね……。本当にそうなのかな。ここだって今は生活水準がかなり高いらしいし、特に不自由はしないと思うよ?」
その重ねられる問いの間にも二手三手と盤上では一進一退の攻防を繰り返される。
少なくとも、僕から見てはそうなのだ。
確かにこの三日でここの生活水準はそれなりに高いことは実感しているし、生活にも余り困ってはいない。
便利な交通手段や通信手段はないものの、店や宿の衛生環境などは、現代人の僕が気にならないほどである。
お金に関しては、日雇いの仕事か、僕でも倒せる低ランクのモンスターから魔石を得るかした上で、切り詰めるだけ切り詰めれば、なんとかなるだろう。
「たけど、僕には帰らなきゃならない理由があるんだ!」
そう、けれどそういう問題ではない。僕には僕の譲れないものがある。
陣形はある程度は整ったため、一挙に攻勢にでる。タイミングとしては間違いのないはずだろう。
「本当に君にはその帰らなくきゃならない理由というのがあるのかい? もう一度よく考えてみてよ」
アルは見透かしたように、僕の攻め手をことごとくいなしていく。まだ攻めるには時期尚早と言わんばかりだ。
「アル! お前は僕の何を知っているんだ!!」
知ったように僕のことを話すアル。つい言葉に力が入ってしまった。
けれどアルは怯まずに、用意していたかのような言葉を返す。
「――まだ何も知らない。だからこれから知っていこうと思うんだよね。……なんてね」
その言葉に僕は困惑し、動揺を隠せない。頭が一瞬、真っ白になる。
意味がわからない――
その台詞はどん底にいた僕を引き上げた言葉の一つであり、一生忘れることができないであろう宣言――だったはずだ。
そのはずなのに、なにか霧がかって――
「おっと、ごめん。これはボクでも卑怯だったと思うよ」
それは、何に対して卑怯だったと言いたかったのだろう。
アルはルークの駒を動かす。
「チェックメイトだよ!」
今日、九度目の僕に対するアルからの、勝利宣言が告げられるのだった――
15
「すまない、少しいいか?」
今、僕は街に入る門を通るところで呼び止められた。
帯剣をしている騎士然とした風貌で、赤茶色の髪、同じく赤茶色の眼の男だ。
あの後、チェスを続行する気にもなれず街まで戻って来た。
帰り際には、アルはまた明日も来て欲しいという趣旨のことを言っていたのだが、果たしてアルは僕を鍛えるなんて真似をして、なにを僕に望んでいるのだろう。
それより一番分からないのは、ミニチェスセットも押し付けて来たことだった。
「え、えーと、何かあったんですか?」
とりあえず今は呼び止められた理由をきくしかない。何かあったんだろうか。
実際のところ、心当たりはある。
小心者な僕は、あの門番が渡した身分証明書が有効かどうかびくびくしながら毎回門を通っていた。
だが、ついに呼び止められてしまったようだ。どう釈明しようかは、充分脳内でシュミレート済である。
「実は、ここが二日前に反教会の連中に襲撃されたんだ」
けれど、彼の言葉はいい意味で僕の予想を裏切った。
反教会。政治をやっているほとんどが、教会なのだから、要するに反社会勢力みたいなものだろう。
どうやら、身分証明書は関係なかったようだ。僕は安心から胸をなでおろす。
「まあ襲撃って言っても被害は、門番が数時間眠らされていたことと、身分証明書が数枚盗まれただけなんだけどね」
だが、それはまだ早かったようだ。
まずい。
二日前というのは、丁度僕がこの街に来た日と一致する。そして、盗まれたのは身分証明書。犯人らしき人物の顔は嫌でも思い当たる。これはもう、確実だろう。
「まあ、反教会の連中ってことで荒事担当の私が配属されたんだけど、尻尾さえ掴めなくて聞き込みというわけなんだ。何か知らないかな?」
脳裏にあの軽薄そうな笑みがよぎった。
――これ、どう答えればいい?
この騎士は、自分のことを荒事担当と言っていた。しかも、反政府組織を取り締まる。だとしたらおそらく、この世界での最高戦力に近いのではないだろうか。
歳は自分と同年代に見える。ずいぶんと若いようだ。
僕は好奇心からステータスを覗き『視る』――
――ステータス
Lv03
名前:クライツ・ランドリュー
HP140/140 MP0
筋力:02.7 体力:02.8 知力01.8
速さ:02.5 技量:02.9 魔法00.4――
――適性
なし――
――スキル
剣術:98.2 魔力感知:42.3――
――加護
剣聖――
今度はアルのときとは違い、しっかりステータスを表示することができた。
名前はランドリューさんというらしい。
そしてレベルが低い。それに伴いステータスも全体的に控えめだ。
ただ、【剣術】の数値から並々ならぬものを感じられる。同時に【魔力感知】なるスキルにも興味が出てくる。
というか『剣聖』ってなんだよ。
もしやと思い腰にある剣を『視る』――
――〔聖剣〕
全ての魔法を斬り裂く剣。
ATK:82.4
魔法抵抗:99.9――
案の定というか何というか凄まじい剣だった。というか何でこんな人がいるのだろうか。
それ程にまで反教会というのは危険というわけなのか。
もしかしたら、僕は詰んでるかもしれない。門番がアレだったのが運の尽きだった。どうにかして潜り抜ける手立てはないのか。
僕が考え込んでいるとあちらから声がかけられる。
「何か心当たりがあるのかい?」
見事に考え込んだことが裏目に出る。
ここは話すべきか。だけど、身分証明書をあの男から貰ったなんてばれるとまずいんじゃないか。
そうだ。僕には関係のない、貸しとか借りとかどうでもいい。あの男のことだけを話せばいいんじゃないか。
「実は、二日前の夕方にこの門に来たんですけど、その時にいた男が気になって」
僕はあの門番をやっていた男についてを話す。
ああ、そうだ。確かあの男は、困ったときはお互い様と言っていたはずだ。僕は今、途轍もなく困っているところだった。だから言っても問題はないはずだろう。
騎士は興味深そうにして、その話の詳細について迫ってくる。
「ああ、確かにその時間は門番は眠らされていたはずだ。詳しく聞かせて貰えないかい?」
そうして僕はその男の人相などを伝えていく。もちろん、身分証明書については触れずにだ。
洗いざらい、伝え終わったあと、この騎士は僕に感謝の意を告げてくる。
「いやあ、助かったよ。協力ありがとう。私はクライツという。今度君が困っていたら出来る限り協力することにするよ」
そして唐突に自己紹介をされる。
それに驚きながらも、慌てながら、とっさに僕も自分の名前を告げる。
「あ、えっと、僕は虹輝です」
ここで、自分の名前も告げないのであれば、それは失礼に値するはずだ。
それを聞き届けた騎士は、頷いて、僕の名前の確認をする。
「コーキか。じゃあまた今度。君とは何故かまた会える気がするよ」
そう言い終えると、颯爽と去って行った。また会えるとはどういうことだろう。
だが、これでなんとか乗り切ったはずだ。
残された僕は安堵感を覚えながらも、とりあえず昼食を摂りに食堂を目指すのだった――
16
「強情だな、トーマは。遠慮なんかいらないのに」
「だから、こんなに受け取れないって、僕はほとんどなにもしてないんだし……!」
どういう状況にあるかというと、食堂の席に着いた僕へとリリアが、お金の入った袋を渡してきたところだった。
結局のところ食堂を探していた僕は、昨日と同じところに辿り着いてしまった。
そこまでは良いのだがそこで待ち構えいたかのようなリリアと遭遇した。
魔石を換金したお金を、忘れていたと渡してきたのだ。
「大した役に立っていない僕がこんなに受け取っちゃ駄目だと思うんだ」
そうして、あろうことかリリアは、その半分を僕に渡すと言ってきたのだ。正直、信じられない。
「でも、危険なモンスターが出てくる地帯に無理やり連れて行ったんだからその迷惑料ととしてでも受け取ってよ。それに私は手持ちに結構余裕あるし」
その言葉通り、僕のレベルに見合わないモンスターと結構戦っていたとは思っていたが、彼女自身が自覚していたとは。
そしてお金には困っていないらしい。
なにか怒りが湧いてきた。
「じゃあ、三分の一は?」
値を引き下げて来た。ただこのまま受け入れるのも癪だ。
けれどこのまま拒否し続けてずっとこの不毛な話し合いをし続けるのも時間の無駄。なので妥協案を出す事にする。
「四分の一だ。それ以上は受け取れない」
四分の一。それくらいが妥当だろう。
慰謝料を含めたら安い気もするが、そこまで受け取るほど、僕は厚かましくはない。
「分かった。四分の一だね」
そう言うと今テーブルの上に置いてある二分の一の貨幣の入った袋をしまい込み、もう一つ、袋を取り出して来た。
「はい、四分の一」
用意がいいのか、それとも僕が四分の一を受け取るということは予測済みだったというわけか。
掌の上で転がされたみたいだ。少し不満が残るがこの件についてはもう終わりにしよう。
そして僕は、話の終わりとして、切り替えとして、脈絡もなく、一つ気になる事を尋ねる。
「チェスって知ってるか?」
そう、チェスについてだ。この質問でチェスが一般的に広がっているかを知ることができる。
アルが意味ありげな台詞を言っていたから広がってはいないとは思うが、念のためだ。
リリアは、首を傾げて答える。
「チェス? なにそれ?」
どうやらリリアは知らなかったようだ。リリアだけが知らないなんてことも考えられるため、断定は出来ない。だが、チェスは一般的に広がっていない可能性は僕の中で高まっていった。
やはりアルを問い詰めるしかない。
とりあえずアルに押し付けてられたチェスセットを取り出してリリアにチェスについての説明を行う。
少し練習相手になって貰うために。
実際に駒を動かしながら、ルールについての説明を行う。
「大体ルールは把握したから。分かった、やってみる」
どうやらリリアは乗り気のようだ。
お互いに駒を並べる。早速チェスが始まった。
駒を交互に動かしていく。
リリアは初心者のはずなのに、お互いに一歩も引かぬ攻防が繰り広げられていた。一歩も引かない――
「チェック!」
「うぐっ……」
ルークを犠牲にしてキングを守る。もはや陣形は崩されつつある。
言い逃れをする必要はない。認めよう。僕が負けている。
打てる手が制限されていき、徐々に駒が減らされて、勝ち目がどんどんと消えていく。
「えっと、チェックメイトで良いんだよね」
リリアのクイーンが、僕のキングにかかっていた。
キングの逃げ道を塞いでいるのはまた別のクイーンである。
負けた。とてもむごい殺し方だった。成す術なく負けてしまったのだ。
――本当に、初心者だよな……?
そんな疑問が浮かぶほどに、完膚なきにまで叩きのめされた。
というか最後らへん、リリアは遊んで、クイーンを大量生産している始末だ。
むろん、僕の駒はキング以外、残ってはいなかった。
「……理不尽だ――……」
つい、口に出てしまった。
いっそ、一思いに倒してくれれば良いのに。
「私、こういうゲームは得意なんだよ。だからしかないかもしれないね」
一応、彼女は僕のことを慮って、フォローしてくれる。
確かアルは魔法の訓練だと言ってこのチェスを始めたはず。そしてリリアは魔法使いだ。
その理屈が通るなら、リリアが僕より強いのは納得がいく。
本当にこれが魔法の訓練になっているならの話だが。
「得意って……それでもなぁ」
やっぱりルールを覚えたばかりの初心者に負けるのは納得がいかない。
それに僕は明日、アルに勝ちたいんだ。あっさりと、初めて駒に触ったような相手に負けてしまった僕がどうやってアルに勝てるという。
前向きに考えよう。リリアは僕よりも強いことが明らかになった。これなら対アルにむけて、充分に練習相手になるだろう。
「よし、もう一回良いか?」
気を取り直しリリアに挑む。油断はしない。格上に勝つつもりで、気合いをいれる。
「うん。いいよ」
楽しげな彼女だ。なにか獲物を狙うような獰猛な笑みを浮かべている。さっき、一方的に蹂躙されたこともあって、冷や汗が流れる。
少々、不安ではあるが、承諾を貰うことができた。後は勝つだけだ。
こうして僕の雪辱戦が開始される。
挑戦はまだ始まったばかりだ――!