6.木属性魔法
12
「あっ、居た!」
日暮れに近づく樹海に少女の声が響いた。
木々の合間を縫って、ローブ姿の少女が僕の目の前に現れる。
「急にいなくなるから心配したじゃん。いくら探したたってみつからないんだよ。もう死んだかと思ったよ」
どうやら僕がアルといた時間ずっと探してくれていたよう。
アルと別れた後、方位磁石に従って真っ直ぐ進んでいたら、今の状況になった。
迷惑をかけてしまったようだ。
ここは素直に謝っておくべきだろう。
「ごめん、心配かけたみたいで。というより、よく広い“樹海”で僕のことみつけられたね」
正直なところ、リリアとはもう樹海では会えないと思っていた。けれど実際に会えてしまっているため少なからず驚いている。
僕がそう言うと彼女はどこか得意げな顔をしながら答えてくれた。
「魔法を使ったんだ。それでもなかなか見つからなかったから、もう死んだんじゃないかと思ってたところだったよ……」
死亡を疑われるなんて。
思ったより随分と心配をかけていたようだ。
彼女のどこか力ない物言いに僕の罪悪感は刺激されていく。
たまらずに再度の謝罪をしてしまった。
「本当にごめん。まあ、とにかく今日は帰ろう。もう日が暮れるだろうし」
アルに言われた通り、日暮れ近い。
もっともらしい理由をつけて、この会話を終わりにする。
それでも実際にもうへとへとで、一刻も早く帰りたいというのは事実だ。
その提案に、リリアは少し考えるようにして顎に手を当てる。まさかまだ粘るとは言わないだろう。
「そうだね。もう体力的にも限界が近づいてるみたいだし。そうと決まれば早速帰ろう。だけど帰り道にいたモンスターは倒していくよ。コソコソは絶対ダメさ、トーマ」
相変わらず名前は間違えられたまま。とりあえず、僕の本心としては、もう戦いたくはなかった。情けない話だが、疲労で動きが鈍ることが容易に予測できる。
ただ、モンスターとの戦闘では、今まで参加こそすれど大した役に立っていないという惨状だ。
このままでいいはずがないと思い直す。気合いを入れて、もしチャンスがあれば名誉挽回をしたいところだ。
どうやれば役に立てるかいまいち想像が出来ない。というか僕が役に立てることって一体なんだ。
自分が役に立てることといっても咄嗟になにも浮かんでこないとは。少し悲しい気がする。
とはいえど、絞り出そうと、これといって特にない。
剣の扱いとか全然だし、魔法とかいまだに使ったことがない。第一、魔法を使うには、魔石の魔力が必要だろう。
魔力といえば、そういえばアルから貰った、というより無理矢理押し付けられた指環があった。
あれは使えるだろうか――
「早く、またはぐれるよ!」
思考を切り裂いたのは澄んだリリアの声だ。
無駄な事を考えているうちにリリアはとっとと先に歩いて行ってしまっていたよう。
対する僕は遅々とした歩みで余計なことを考えていた。
もうはぐれるのはごめんだ。僕は小走りでリリアに追いつく。
「ごめん。ちょっと考え事をしてて」
なんか謝ってばかりな気がする。
でも考え事くらいなら歩いていても出来るし、今考えていたのはほとんどが無駄なことだ。
完全に僕が悪い。
一通り結論に達したため、僕は思考を中断し歩くことに専念する。
一応ここも危険なんだ。気を抜くと次の瞬間には光の粒になっていると午前中に読んだ本にも書いてあった。
警戒を怠っていた自分を、そう戒めていると、ふとリリアから声がかけられる。
「そういえば考え事って何考えてたの?」
返答に困る質問だ。
というか言いたくないというのが本音だった。さっき考えていた無駄なことを正直に自白する気にはなれない。
だから僕はさっきの考え事の中からあまり恥ずかしくない話題を選ぶ。
「えっと、この指環についてかな?」
そう言いながらリリアに指環を見せる。
正直なところアルの最後の台詞が気がかりだ。
あの台詞は今、目の前にいるリリアに気をつけろと言っていたのだろう。
ただ僕は手放しにアルの事を信用している訳ではないし、逆にリリアの事も、気を許しかけてはいるが、信用しているかいないかときかれれば、迷うことなくしていないと答えられる。
というかどちらともかなり隠している事があるのだと、透けて見える。
信用しろっていう方が無理があるはずだ。
悪い人ではないけれど、どちらとも厄介な気がするんだ。
そして、僕はこの指環についてリリアがどんな反応をするか興味がある。アルとリリアの関係について、少しでもこの指環を通してわかればいい。
「その指環! ……いや、まさかそんなはず……」
リリアはまじまじと指環を見つめまず驚きの表情を浮かべる。
だがその後に自分自身の考えを疑いを向けるような言葉を発し指環から目を離す。
「どうしたんだ?」
思った以上にリリアはこの指環に関して反応を示した。この指環について何か知っているのだろうか。
リリアは今度こそ自分の考えを否定するかのように首を振った。
「うん、ごめん。そんなはずないのに……。気にしないで」
気にするなと言われてしまえば、これ以上の踏み入るはまずいだろう。
それにしてもこの指環、一体どんなものなのか。
明日、本格的にアルに問い詰めてみないといけなくなってきた。
それはそうと、この指環を見せたことにより、若干ながら気まずい空気になってきている。リリアは押し黙り、なにかを深く考えているように思える。
その空気に耐えられず、無理やりに話題の提供を試みる。
「なあ、治癒魔法ってどんな魔法なんだ?」
「えっ?」
完全な不意打ちだった。たがら彼女は僕の台詞を聞き逃してしまっているよう。改めて言直す。
「だから、治癒魔法だ。ちょっと、気になって……」
治癒魔法——僕が吐きそうになったとき、アルが使ったその魔法。
魔法で出来る治癒については、図書館の本には一切載っていなかった。僕が調べきれていなかっただけかもしれないが、とても気になっている。
「治癒魔法ね。またマイナーな魔法について訊いてくるんだね」
治癒魔法はマイナーらしい。魔法で治癒ができたら、便利だろうけど、何故マイナーな魔法になるのだろうか。
リリアは僕の反応を確認しながら続ける。
「治癒魔法っていうのは、知ってると思うけど歴史上、使える人は一人しかいなかった。とても高度な水属性の魔法だったらしい」
僕は絶句した。
アルは一体なんなんだ。一瞬、その歴史上の一人かと思ったけれど、その可能性は少ないはず。
それに本人は木属性の魔法しか使えないと言っていた。嘘をついているという可能性もあるが、もし嘘だとしたらそこに何か利点があるだろうか。
「その治癒魔法を使えた魔法使いの名前とか特徴ってわかるか?」
質問を重ねる。もしかしたらそれがアルだったという可能性も今はまだ捨て切れない。
歴史は曲解される。都合の良いように改竄される。
彼女の言うことが真実かもしれないが、現にアルは治癒魔法を使っていた。
属性が間違って伝わっている可能性だってある。
「えっと、名前は忘れたけど、確か長身の女の人だったと思うよ。それとちょっと頭おかしかったとか」
アルという可能性はもうこれでほとんどない。
この際、頭のおかしさは放っておくとして、あれはお世辞にも長身とはいえない。
確かアルは自分のことを“樹海の番人”とか言っていた記憶がある。
大して気にも止めていなかったが、一体どういう意味なのだろうか。
だが、その長身の女性という情報も含めて間違っているという可能性だってある。
そこらへんも、アルに訊いてみなくちゃいけない。
真剣に考えている僕に、リリアは笑いかける。
「まあ、八百年も前の人物だから正確にはわからないけどね」
開き直るようにそう言ってみせた。
そこにはなにか、含みがあるように思えてならない。
――ここでまた、八百年前……?
八百年前、確か魔神が活躍したといわれる時代だ。この国が出来たのも確か八百年くらい前だったはず。
八百年前に何かがあった。
そんな気がする。
さらに彼女は、僕にきかれてもいないのに、話を続ける。
「治癒魔法っていうのは、水属性の魔法で体内にある血液とか水分に働きかけて、傷をどうにかしよう! っていう魔法だったらしいけど、その一人以外誰も使えてないんだよね……」
使えたらいいのに、と呟くリリア。
人間の六割から八割程度は水分といわれているし、理屈としては納得出来なくもない。
問題はなぜ、その一人しか使えなかったのだろうか。
「使用魔力が少ないとか言われているけど、もっと根本的な何かだと思うんだよね。例えば、精神とか……」
――精神
魔法を使う要素において大切なものの一つ。さっきリリアはその治癒魔法使いを頭がおかしかったと言った。
それと何か関係あるのだろうか。
すると突然、今度はなんの脈絡もなく、リリアその台詞を僕にかける。
「――なんにも合わなかったね」
一瞬なんのことかと思ったが、どうやら樹海を抜けたらしい。
運良くモンスターに出会わずに済んだようだ。つまり僕の名誉は挽回出来なかったというわけだ。
まあ、モンスターの会ったとしても挽回出来るとは限らない。疲れていたし、ちょうどよかったと考えるべきだ。
樹海を抜けたということは、もうモンスターと会う可能性がなくなったということだ。
そこで僕は一つ思い出す。
「じゃあ、これ返すよ」
僕はそう言って今まで借りていた剣を返す。
正直、こんな剣は二度と持ちたくないくらいだ。
「え、そんなナマクラ、別に返してもらわなくたって良いんだよ?」
リリアは驚いたように僕にそんなことを言う。
若干、剣が震えてるような気がするのは気のせいだろうか。
この剣をこのまま貰うなんて、そんな真似ができるわけがない。
「いや、それでも貰うわけにはいかないから!」
ただでさえ変な指環を押し付けられたんだ。これ以上、厄介なアイテムを持ちたくはない。
僕の必死さに負けたのか、なんとかリリアは剣を受け取ってくれた。
「使わないからなあ。処分する良い機会だと思ったのに……」
彼女は、少し剣を眺めながら、そんなことをぼやいていた。
僕には剣が、恐怖に震えてるいるように見えるが、きっと、いや、絶対に気のせいだ。
その後、大した会話もないまま街に辿り着く。
身分証明書を提出し、つつがなく門を通る。そういえば、あれからあの門番とは会っていない。
行きのときもそうだったが、今も違う門番だ。交代制なのだろうか。
まあ、正直会いたくないし会わないに越したことはないか。
街に入り、リリアと別れ、僕は宿に戻っていった――
13
「これからどうするべきか」
固いベッドの上で、一人。貰った指環を掲げながら、これからの指針を考える。
まず、この世界の知識についてはかなり得られたと思う。けれど、日常生活に役に立つかは正直なところ良く分からない。
次に、アルについて。
アルについてもいまだによく分かっていない事が多い。
変な物を押し付けられた上に、午前中は樹海に行く約束まで取り付けられた。あの治癒魔法だってよく分からないままだ。
僕にどうして欲しいというんだ。
そして、リリアについて。
腕は確かで魔法についてそれなりに詳しい。
ただ、何か凄い関わったら負けな事情を抱えているような気がする。
アルからも忠告など、引っかかることばかりだった。
それはそうと、この世界に来て、普通の人とまともに関わった記憶がない。
これからのことを考えると頭が痛くなる。というか忘れてはいけないのが僕の第一の目標である帰還だ。
これは何がどうなろうと変わらないだろう。帰還の為に唯一期待出来るのが、魔法だ。
これは僕の世界には無かったもので、帰還出来るとしたらそれしか考えられない。
そもそも、僕はどうしてこの世界にきてしまったのか。
わからない。最後に残っている記憶は家にいたことだけだ。
そこから、そこから――どうなったんだ?
考えてもどうしようもない。答えなんてわかるはずがない。
なら、どうやってここに来たか、そんなこと考えずに、帰るための方法を模索しよう。
これからの大方の指針を決め、僕は眠りにつくのだった。
14
「ぐっ!」
僕は木剣の突きにより数メートル吹き飛ばされ、樹木に身体を打ち付ける。
受身を取ることにより衝撃を若干逃がすが、それも若干でしかなく、かなりのダメージを受ける。
身体のあちこちが痛い。身体の一部分を動かすだけでかなりの激痛が走る。骨もいくらか折れているかもしれない。
「まだまだ腰が入ってないね。もっと覚悟をもって剣をふるんだよ! 治癒魔法《悠然な樹々の奏楽》」
子供の幼い声が響く。
その治癒魔法により、身体の今までの痛みが嘘だったかのようにひいていく。
抽象的過ぎてアドバイスになってないアドバイスを言いながら、剣を振るっているのは言わずと知れたあのアルだ。
アドバイスはあれなのだが、実際のところアルはかなり強い。
僕がいくら剣を振るおうとアルには一切届かない。それどころか初期位置から動いていないのだ。
そして、もう何十回も吹き飛ばされては回復を繰り返しているというわけだ。
アルは、一向に攻めない僕に業を煮やす。
当たり前だ。こんな状況で攻めたって、また吹き飛ばされる想像しかできない。
「じゃあ、こっちから行くよ」
アルはそう言うとこちらに跳びかかって来る。物凄いスピードだ。
咄嗟に避けようとするが全く間に合わない。
木剣は右肩の辺りから腰の左側に向かって斜めに振り下ろされる。
その攻撃により肋骨が何本か折れた気がする。
「あっ!!」
なにかしくじったときに発せられるような、焦った声が漏らされた。
僕は、背後に樹がある為に吹き飛ばされず木剣からのダメージをそのまま受ける。
内蔵がいくらかやられたのだろう。腹部からかなりの痛みを感じ、更には込み上げて来る物を吐き出す。
血だ。
どうやら吐血したようだ。
――いくら治るからってやり過ぎだろ!!
意識が遠のき、その叫びが声に出ることは無かった――。
一体どうしてこんな事になったのかよく分からない。“樹海”を進み、アルに会ったまではいい。
けれど剣を持たされ、かかって来てよと言われたときにはどうしたものかと困惑した。
ちなみに僕が持っているのは真剣で、アルは木剣を持っている。
普通こんな状態で、アルが勝てるわけがない。
そのはずだがアルは、木属性の魔法で木剣に強化を施し、体格差を物ともせず、僕を圧倒してみせた。
そんな気はしていたがはっきり言うとアルは強い。
この身のこなしの上に、治癒魔法を含めた木属性の魔法があるのだ。本気で戦うと僕なんか一秒もたたずにやられてしまうだろう。
「いや、ごめん。つい」
今、アルは木製の椅子に腰掛け、木製のテーブルの上で木製のカップを使い優雅にお茶を啜っている。
どれもアルが魔法で即興に創り出したものだ。
アルの懸命な治癒魔法により、僕はなんとか一命を取りとめた。
だが、あのままだったら確実に死んでいただろう。
柄に合わないが、僕はそれなりに怒っていた。
「ついって!? こっちは言葉にならないくらい痛かったんだぞ!!」
アルの軽い謝罪だけでは、気が収まりきれない。
もう一つの椅子に腰掛けお茶をいただく。味はかなり良い。
「ごめん、実はあの攻撃があたったときやっちゃったって思ったんだよね。でもあたったからどうしようもないし、まあ治ったんだからよかったよ!」
良いわけがない。
だが、僕の心情を無視して、アルは屈託のない笑みを浮かべている。
ああ、でも。
ちょっと可愛いとは思うけど、そんな表情に絆される僕ではない。
「治ったから良いって問題じゃないだろ……!?」
現に僕は死にかけたんだ。このくらい言う権利はあって良いはず。
するとアルは、予想もしていなかったような、そんな驚いたような表情になる。
そのあとに陰が落とされ、一気に気まずくなっていった。
「ごめん……。ごめん……コーキ……」
そうして、アルは僕にそう呟いている。
涙目で、上目遣いで、どこか懇願をするように、許しを乞い、求めるように呟いている。
おそらく誠意はこもっているのだろう。打算の一切も感じられない。それはもう、年相応の子どものようだ。
けれどこの謝罪には、なにか致命的に足りないものがある気がした。
「はあ……」
僕は一つため息をつく。
足りないものはよくわからないが、これで許さないなら、僕はもう悪者みたいだ。
アルは、恐る恐るといった感じに、僕の顔を覗いている。
仕方ないか。
「わかったよ……。もう謝らなくていいから」
少し投げやり気味だけど、アルのことは許そうと思う。
その言葉に、アルは顔を上げ、目に涙を溜めながらもニッコリと微笑んだ。
「ありがとう……!」
アルのその表情は、とても微笑ましい。
僕は内心でやれやれと思うばかりだった。
すると、アルは早々に気を取り直して、どこか気まずそうにしながらも話し出す。
「うん……。じゃあ、次は魔法の訓練かな……? 樹木魔法《加工される木材》」
その魔法によりテーブルの上が加工され見覚えのあるものが作り出される。
明色と暗色の正方形のマス目が交互に縦横八列ずつ並んでいる。
そしてその上には六種類の駒が見覚えのある陣形で配置されている。
――なんで、これが……!?
驚きの余り、しばしの硬直をしてしまう。
「アル!? これはどこで!?」
我に返り、アルにこれについてを訊く。
もう、さっきまでのわだかまりなど、とうに吹き飛んでしまった。
「ふふっ……。それは君が勝てたら教えてあげるね。魔法には処理能力も大切なんだよ」
つまり、勝たなければ何故これをアルが作れたかが分からないというわけだ。
チェスセットがそこにはあった――